俳人ファイルⅠ 下村槐太
・・・冨田拓也
下村槐太 15句
天の河ひとらが夢に夏寂びつ
雁わたり幽霊の絵を掛けながす
無職日々枯園に美術館ありき
百日紅釈迦の阿難のわれ彳つも
秋の田の大和を雷の鳴りわたる
大蟻の望のひかりをあそびけり
女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし
葱を切るうしろに廊下つづきけり
蛇の衣水美しく流れよと
貝殻のざぶざぶ濡るるいなびかり
死にたれば人来て大根煮きはじむ
河べりに自転車の空北斎忌
跣にて梢わたらば死ぬもよし
わが死後に無花果を食ふ男ゐて
枯蓮消息相断つ指呼の間 ⇒消息にたよりとルビ
略年譜
下村槐太 (しもむら・かいた)
明治43年(1910) 大阪市に生まれる
大正15年(1925) 岡本松濱の「寒菊」に入門
昭和11年(1936) 岡本圭岳の「火星」に入会
昭和13年(1938) 「火星」退会 「鞭」創刊
昭和18年(1943) 「海此岸」創刊
昭和21年(1946) 主宰誌「金剛」を創刊
昭和22年(1947) 句集『光背』刊
昭和27年(1952) 「金剛」廃刊 俳句の筆を折る
昭和39年(1964) 個人誌「天涯」創刊 自由律俳句で句作再開
昭和41年(1966) 12月逝去(56歳)
昭和48年(1973) 句集『天涯』刊
昭和52年(1977) 『下村槐太全句集』刊
昭和53年(1978) 「俳句研究」5月号で特集「下村槐太研究」
A 「俳人ファイル」第1回目が始まりました。
B この文章は「おまけ」というか「付け足し」みたいなものですね。
A 第1回目は下村槐太です。
B はじめからなんとも厄介な作者を持ってきましたね。
A とりあえず15句を選びましたが、やはり選は大変難しかったです。
B 以前に「選は暴力」といったようなことを書きましたが、こういった局面となると、もしかしたら「選は悪夢」なのではないかという気さえしてきます。
A まあ、そういった面も含めて「選は創作なり」ということなのかもしれませんが。
B さて、下村槐太についてですが、この作者について一言で評すなら「狷介」の一語に尽きそうです。
A たしかにどの句も厳しい孤高の表情を湛えているような印象です。
B 句集を読めばさらによくわかりますが、どの句も大変堅牢な構成で成り立っています。この作者の技巧は半端なものではありません。
A この作者の句を読み込めば、現在の俳人の技量というものがどれほどのものなのか、ある程度察しがつくのではないか、という気さえしますね。
B なんとも魁偉な作風ですが、その中でももっとも特異なのが「音韻」です。
A 句を声に出して読めばよくわかると思いますが、ここまで音韻にこだわった俳人は俳句史上でも稀なのではないでしょうか。このことは句集などでもっと多くの作品を読めばよりはっきりとわかります。
B 句跨り、リフレイン、字余り、頭韻、脚韻などといった様々な技法が縦横無尽に駆使されています。まさしく変幻自在の韻律です。
A これは一体どこからの影響なのでしょうか。
B あくまでも推測ですが、阿波野青畝の手法を自家薬籠中のものにして、その要素を自ら増幅、練成させていった可能性が考えられるのではないでしょうか。槐太の師である岡本松濱にもここまでの音韻に対する技量は見られませんでした。
A そういえば青畝の〈さみだれのあまだればかり浮御堂〉〈住吉にすみなす空は花火かな〉などの韻律をどことなく髣髴とさせるものがあります。作品の世界においてもいくらか通底し重なり合う部分が感じられますね。
B では続いて、選んだ15句の中のいくつかの作品について見ていきましょうか。
A まずは〈天の河ひとらが夢に夏寂びつ〉についてです。
B これは、秋のはじめの天の川を眺めながら、夏の終わりを惜しんでいる句ですね。
A 季節の変わり目の微妙なところを的確に捉えてます。「ひとらが夢に」という大きな把握が天の川の壮大さと対応し、まるで天と地という広大な空間を夏の季節そのものが通り過ぎていくかのようです。秋のはじまりと、夏の終わりの寂寥感が感じられます。
B 人々の夢の中の、海や花火、夏祭などといった夏の記憶が、天の川の星の瞬きの一つ一つと呼応しているかのようです。
A 句の構成では、富澤赤黄男の〈屋根屋根はをとこをみなと棲む三日月〉に近い感じでしょうか。
B 次は〈雁わたり幽霊の絵を掛けながす〉です。
A この幽霊の絵はおそらく掛け軸でしょう。幽霊というとやはり夏のイメージです。季語は「雁わたり」ですから秋ということになります。この句も夏と秋の変わり目の寂寥感を詠んだ句なのかもしれません。この雁が渡ってくる時期には「雁渡し」という北風が吹きますから、この幽霊の絵は、風に揺れてかすかに靡いているような感じなのでしょう。まるで本物の幽霊と見紛うようです。
B 「本物の幽霊」なんて、見たことがあるんですか?まあ、しかしながら、あの掛け軸の幽霊の足のないうっすらと白っぽい儚げな感じと秋の北風の取り合わせはよく合っていると思います。三橋敏雄の〈幽霊を季題と思ひ寝てしまふ〉と併せて読んでも面白いかもしれません。
A 三句目は〈無職日々枯園に美術館ありき〉です。
B 枯園の荒寥とした感じと美術館の瀟洒な外観、そして、その美術館内部の絵画などによる原色の華やかさとの対比。枯色から原色への転換に非凡な手腕が感じられます。
A おそらく仕事がないため美術館に毎日通っているというわけではないのでしょう。これは職を求める日々の中で、偶々美術館を目にした折の光景なのかもしれません。
B 外からは美術館の内部は見えないはずです。荒寥とした風景の中にある不可視の華やかさと温かさ。ここには作者の荒んだ精神とともに、安逸を希求する心象も投影されているのかもしれません。
A K音と母音のi音が冬の寒気と響き合うようで、その哀切感がさらに増すように感じられます。
B 次は〈大蟻の望のひかりをあそびけり〉を鑑賞しましょう。
A この蟻の姿は異様に大きく感じられますね。満月の光に照らされて、蟻の輪郭はいうに及ばず、肢や触角に至る細部までが光沢を帯びて明瞭に浮かび上がってくるようです。不気味なまでの生命の形象が眼前に迫ってくるような迫力が感じられます。
B 川端茅舎に〈露の玉蟻たぢたぢとなりにけり〉がありますが、ともに、蟻が異様に大きく見えるところに少し近いものが感じられますね。
A では、次に〈葱を切るうしろに廊下つづきけり〉。
B なんだか妙な句です。当たり前の日常風景が描かれているだけですが、なにかしら尋常でないものが感じられます。葱は冬の季語ですから、葱を切っている人物の姿から、背後の廊下という寒くてうす暗い空間へと、一切が収斂され、呑みこまれていくような一種異様な感覚にとらわれます。さらにそこに響いてゆくのみの包丁の冷たい硬質な音。
A この句には、山口誓子の〈スケート場沃度丁幾の壜がある〉〈夏草に汽罐車の車輪来て止まる〉〈汽車とまり遠き雪嶺とまりたり〉といったメカニズムの影響を見ることができるのではないでしょうか。
B しかしながら、この槐太の句には、そういった誓子の即物主義のみではなく、どことなく抒情による温かさのようなものも感じられます。葱を切っている人物の姿が、句を読み終わった後には、いつの間にか後ろ姿になっていて、まるで寒くて暗い廊下から、暖かい厨房の光景が仄かに浮かび上がってくるように感じられるのです。
A 槐太は誓子の影響を強く受けていましたが、こういったところに両者の資質の違いが窺えるのかもしれません。
B 続いて〈蛇の衣水美しく流れよと〉。
A この作者は、その並外れたアルチザン的な技能と併せて、ある種の幻視の能力ともいうべき特異な性質を多分に抱懐しているところがあります。この句の場面は、おそらく川でしょう。蛇の抜け殻が、流れる川の水に対して、もっと美しく流れてくれ、と嘆願しているという内容です。
B 一体どういうことなのでしょうか。
A 蛇の抜け殻はただ川の水に流されています。しかし、水の流れの具合によっては、もしかしたら蛇の殻のなかに、水がすべからくゆきわたるかもしれない。そうすれば、かつての蛇の形象が再現されるかのように、その半透明のフォルムがそのまま浮かび上がり、あたかもこの世ならぬ幽玄な蛇の姿が出来するのではないか、という期待が込められているわけです。
B なるほど。それで「美しく流れよ」という言葉が使用されているわけですね。実際には蛇の抜け殻が流れているだけなのかもしれませんが、この句をそういった観点から読むと、まさに、まぼろしの蛇のイメージが現前するかのように感じられます。
A 虚実皮膜の間のぎりぎりをゆく傑作というべきでしょうか。
B 次は〈死にたれば人来て大根煮きはじむ〉。
A 槐太の句の中でも、もっとも人口に膾炙され、有名な句はおそらくこの句でしょう。昔の市井の風景そのものといった感じです。
B この句も、もしかしたら山口誓子のメカニズムの影響があるのかもしれませんが、そういった即物主義の冷徹さのみにとどまらず、ここにも情趣のようなものが仄かに感じられるところが、やはり槐太の作といった感じがします。
A あと、注意したいのは、やはりこの句も単に現実の日常性のみでなく一種のフィクションともいうべき要素を内包しています。
B それはどういうことでしょうか。
A この句は二通りの読みが可能なのではないでしょうか。まず一つ目は、他人の死という事実をそのまま詠んだ句として解釈する現実的な読み。そしてもう一つは、もし「自分」が死ねば、人々が来て大根を炊いたりして葬儀の支度を始めるのだろう、という空想の句であると解釈することも可能だと思うのです。
B なるほど。そういった解釈で読むと、この句は、やや実際の世界から遊離した、どことなく非現実的な句としても読むことができそうです。まるで、死んだ「自分」が自分の葬儀の様子を見ているような。
A 最後に〈跣にて梢わたらば死ぬもよし〉を鑑賞しましょう。
B これもまさしく現実でありながら、単純にそういった表層のみにとどまらない幻視の句ですね。跣は夏の季語ですから、梢から見える景色はまさしく万緑。緑の海です。
A ここから「死ぬもよし」ですから、絶頂から死への転落というおそろしい落差が夢想されています。一面の緑から一挙に無の世界へ。まるで白昼夢のような句です。
B さて、下村槐太の作品について若干ではありますが見てきました。
A どの句もなかなか重たい読後感が残りますね。
B それは、この作者が、絶えず現実の奥深い位相に存在する実相を見極めるため、その正体をひたすら追蹤し、それを自らの作品へ深く象嵌しようとする厳しい姿勢を持って句作に臨んでいたためなのかもしれません。
A どの句においても、どこかしら現実とともにその裏側にある「もう一つの現実」ともいうべきものの実態を捉えようとしているかのような印象があります。
B 現実に即しながらも、その現実を超越した表象が作品から顕ち現われてくる手応えのようなものが、一つ一つの作品を読む度にはっきりと感じ取れるようです。そういった志向とともに、それを可能にするだけの並外れた才質と技量の持ち主であったことが、このような、柔軟さとその一方で堅牢さをも併せ持ち、時として、現実と非現実の相がコインの表と裏のように反転、混在し、互みに相克するかの如きイメージを表出する特異な言語空間を創り上げたのだと思います。
A さて、下村槐太は、その生涯にわたって不遇な作者でしたが、その才能は、山口誓子や日野草城をはじめ、様々な俳人の高く評価するところだったようです。
B そういえば、飯田龍太も高く評価していました。そして、弟子には金子明彦、林田紀音夫、堀葦男、小金まさ魚、火渡周平、島将五、といった実力派が控えていました。
A いま手元に、下村槐太の句集『天涯』があるのですが、この句集の末尾をみると、「下村槐太句集刊行委員会」として、赤尾兜子、伊丹三樹彦、右城暮石、榎本冬一郎、金子兜太、桂信子、島津亮、鈴木六林男、杉本雷造、永田耕衣、波止影夫、林田紀音夫、東川紀志男、門田誠一、八木三日女などといった関西における錚々たる俳人たちがその名を連ねています。
B 星野石雀は「俳句研究」昭和50年6月号に〈世俗的には不遇であったとしても、よき門下が盛んな作句活動をしており、俳句を作る人間のなかにも多くのファンを持つ槐太は、しあわせな俳人であろう。〉と書いています。
A 俳誌「十七音詩」の金子明彦「下村槐太秀句覚え書」(全10回)などを読むと、この作者の生涯は必ずしも〈しあわせな俳人〉であったとはどうしても言い切れない部分がありますが、それでもこのような評価の存在が、やはり、この下村槐太という作者にとって、一つの救いであるというべきなのかもしれません。
B この作者は、現在においても、俳句というものに対して様々な問いかけを喚気してやまない希少な存在であると思います。
選句余滴
下村槐太
蟇の子のつらなり孵る牡丹かな
のうぜんのかさりかさりと風の月
雪達磨青空ひろくなりきたる
廈灼けぬなにか憤ろしく灼けぬ
雨の薊女の素足いつか見し
人貧し路地の夕三日月金に
祭あはれ夕焼がさし月がさし
夜の霜いくとせ蕎麦をすすらざる
水わたる蛇を見てゆく使かな
やはらかく芦にからまる蝮かな
らちもなき春ゆふぐれの古刹出づ
秋浪のうすき渚が雨の中
鉄塔があやつる蝶のかずしれず
われのみがゆあみのあとの春の暮
事愛に関す杏の咲くはとほく
桔梗活けられしか依然不安にて
あまりにも菊晴れて死ぬかもしれず
妹現れて魂魄むすぶ昼寝かな
ぎす啼いてしろく手あがる蚊帳の裡
何もなく酢牛蒡に来し日のひかり
心中に師なく弟子なくかすみけり
蟬暑し作家先づ知る作の瑕
冬の槇音楽ひっかかりたゆたふ
句をやめむは生絶つごとし茗荷の子
月光に子の夢はらう咒をしらず
俳人の言葉 第9回
その昔、といっても戦後間も無い一時期、大阪に「金剛」と呼ぶ異色の俳誌があった。(…)首領は下村槐太、ある意味では石田波郷も及ばない不敵な俳句職人性を秘め、したたかなタレントとして自他共にゆるしていた。
塚本邦雄(歌人) 「金剛領」昭和33年(1958)9月 『花隠論』(昭和48年刊)所載より
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6 件のコメント:
女人咳きわれ咳きつれてゆかりなし
よりも
葱を切るうしろに廊下つづきけり
の方が好きです。
死の腐臭を感じますが、なんとなく共感がもてます。
ただ年代のせいでしょうか。
思い入れを持つまで至りません。
もちろん読者本人(私)の人生経験のなさのためでしょうけれど。
職業柄か、死にたいして大した感慨もないのがいけないのかもしれません。
野村麻美さま
コメントありがとうございます。
葱を切るうしろに廊下つづきけり
は、どうやら、山口誓子の
大根を刻む刃物の音つづく
も下敷きとなっているのかもしれません。
作品の評価は本当に人によって様々なので興味深いところがあります。
またコメントしてくださいね。
富田さま、お返事ありがとうございます。
富田さまの句の中で、
私が一番今までで好きなのは
(もちろん句そのものを知りえる機会が俳句会とは縁のないものにとって、少ないのは仕方がないこととお許しください)
『目醒めよと胎蔵界をゆく螢』
です。
胎蔵界は文字通り胎蔵界なのでしょうけれど、どうしても職業柄、胎児のことを字面から思い浮かべてしまい、胎児治療の図版(日本ではほとんど行われておらず、子宮鏡(妊期中)をみたことは私はないのですが)を通して丸まっている赤ん坊、子宮鏡の照明による光の照り返し、神秘的な図柄、羊水の温かさ(帝王切開手術時によくかぶるのですが、とてもあったかいのです。結構着替えが悲しいのですが(;;)。)希望、蛍、なんだかとても印象的で忘れることの出来ない句です。
(豈でちらりと拝見したくらいなのでしょうけれど)
野村様
拙作取り上げていただき恐縮です。
私の句をご存じということだけで驚きです。
その句のことは私自身半分忘れかけていました。
おそらく当時、三木成夫の「胎児の世界」(中公新書)を読んでいて、その影響がそのまま出ていますね。
> その句のことは私自身半分忘れかけていました。
がーん。。。。それは知りたくなかったです(笑)。
手術担当医に忘れられた気分になりました!
(私自身、患者さんにお声をかけられて、よく思い出せないことがありまして。)
高山さまにもメールで差し上げたのですけれど、最近句集って出なくなっていますよね。不況の影響も含めて、これからも(自費・出版社企画両方の分野で)優れた俳句が失われたパピルスのようにボロボロと時がたつとともになくなっていってしまうような気がしてなりません。
その一方、ブログ等で見かける句は、なんだか一億総俳人?伊藤園のお茶?のようなものが多く。。。。
一度、富田さまの自己選句集も読んでみたい気がします。
(みんながそれをやりだすと、大変でしょうけれど、ウェブ上での企画でしたら容量も特に問題ありませんし、可能なのではないでしょうか?)
著者の方々、お一人づつ、回り持ちでそのような企画があれば―俳句空間―豈weeklyももっと貴重なデータベースになっていくのではないかと思うのですけれど、いかがでしょう?ついでに他の担当者が解説入れてしまうとか。(やりにくいでしょうね~(笑)!ここは冗談です。)
アイデアを出してみただけですので、あまりお気になされませんよう。
一度考えて置いてくださいませ。
私のメールアドレスは高山さまに訊いていただければ分かると存じます。
ぜひいくつかの句を送ってください!
野村麻美さま
自選句集ですか。
私はどちらかというと「自作恐怖症」みたいなところがありますね。
正直あまりお見せできるような句がありませんが、まあ、いずれお送りいたしましょう。
私などよりも、他の優れた句をお読みになられたほうがいいのではないか、という気もしますが。
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