2008年11月29日土曜日

俳句九十九折(14)俳人ファイル(6)宮入聖・・・冨田拓也

俳句九十九折(14)
俳人ファイル  宮入聖

                       ・・・冨田拓也

宮入聖 15句


いろまちのしぐれをゆくやただのひと

銀漢やたましひふたついれかはる

桃啜り恍惚の子を啜りたし

槍持てる霊蒼惶と夏の暮

蜀葵母があの世へ懸けしもの

夏柳旅の初めを終りとす

酸漿のぬれいろの夕ごころかな

遊魂の沸々々と夜の柿

桜紅葉を花と見てゐる不幸かな

月の姦日の嬲や蓮枯れて後

夢であれかし野の一点となる日傘

葉牡丹のむらさき滾つ壇の浦

きんいろの亡き子がゐたり茄子の馬

エロスかな秋夜戻りの消防車

或は人桜の生りそこなひかも知れぬ


略年譜

宮入聖(みやいり ひじり)

昭和22年(1947) 長野県に生誕 父は刀工

昭和43年(1968) 飯田龍太の「雲母」に投句 大学の俳句研究会で島谷征良、高野ムツオを知る

昭和46年(1971) 第16回雲母賞佳作

昭和48年(1973) 「俳句研究」第一回五十句競作佳作第一席

昭和49年(1974) 母死去 俳句を断念

昭和55年(1980) 句作再開 塚本邦雄「サンデー秀句館」に投句 第5回琳々賞

昭和56年(1981) 第1句集『聖母帖』

昭和58年(1983) 第2句集『千年』 第一回現代俳句協会新人賞受賞 小海四夏夫と共に「冬青社」を設立 「季刊俳句」創刊 「豈」に参加(6号から13号まで)

昭和59年(1984) 『火褥 刀工宮入行平とミヨ子の生涯』

昭和60年(1985) 第3句集『遊悲』 初期句集『夏霊』 評論集『飯田蛇笏』

昭和61年(1986) 第4句集『黒彦』 初期句集『暗泉記』 『現代俳句の精鋭』Ⅲ巻

昭和63年(1988) 第5句集『月池』 第6句集『鐘馗沼』

平成4年(1992) 「銀河系つうしん」13号で「特集・宮入聖」

平成4年以後 『昭和鬼』 『撫子天使』 『水仙堂句集』



A 今回は宮入聖です。

B この作者も現在ではあまり話題になりません。

A この作者は、現在まで、15年程どこにも登場することなく沈黙を続けているようです。私もあまり詳しいことは知りません。いまでも句作を続けておられるのかどうか、それも不明です。

B それでも現在においても根強い読者が一部で存在するようです。

A そうですね。最近では歌人の藤原龍一郎さんが角川書店の「俳句」2008年8月号の「現代俳句時評」で取り上げておられましたし、高野ムツオさんも「俳句研究」2006年4月号で触れておられます。そして、「鬣」18号では中里夏彦さんが、「豈」35号では髙山れおなさんが、それぞれ論じておられました。

B このように現在でもこの作者の句が間歇的であれ取り上げられるのは、やはり単純にその作品の持つ力のためなのでしょうね。

A 確かに現在においても、宮入聖の作品には、なにかしらただならぬものが秘められているのを感じます。今回、作品を読みなおしてみて、改めてそのことを実感しました。

B 以前感銘を受けた作品を再読してみると、正直がっかりしてしまうことも少なくないのですが、この宮入聖の作品についてはそういったことは杞憂で、むしろ思っていた以上の強度を誇る作品が、いくつも句集には並んでいたので、この作者の才質に改めて瞠目することになりました。

A さて、宮入聖についてその作品を見ていく前に、今回は一つお断りしておきたいことがあります。この作者については、私も俳句を始めた頃から強い関心を抱き続け、資料についてもその収集に努めてきたわけなのですが、それでも現在私の手元にある資料はそれほど多くなく、句集は『聖母帖』と『千年』、宮入聖を特集した「銀河系つうしん」13号、『現代俳句の精鋭』Ⅲ巻、そして、俳句誌の記事がいくつか存在する程度です。

B この作者の資料もなかなか手に入らないところがありますね。さらに『昭和鬼』、『撫子天使』、『水仙堂句集』などに関しては、出版されているのかどうかさえ不明です。

A というわけで、今回の選は限られた資料からの不十分な選であるということになります。その点をご了承いただきたく思います。

B では、まず第1句目からみてきましょう。

A とりあえず〈いろまちのしぐれをゆくやただのひと〉を選びました。

B 宮入聖は昭和43年(1968)から飯田龍太の「雲母」へ投句を始めています。この句はその「雲母」時代の句ですね。

A この時代の作には〈淡雪に傘ゆれ柩とりかこむ〉〈あたらしき轍の迹のすみれさう〉〈秋螢夜より黒き鉄道員〉〈灰の中より秋風の立てりけり〉〈寒月光詩人陥りやすきかな〉〈不器男忌の霙が雨に雪にかな〉〈ふりいでし雨の花火の音すなり〉などがあります。

B このときの作者はまだ20代の前半のはずですから、これらの作品を見ると、いくつかの句については、はじめからなかなか完成度が高く、ある程度の技量を有していたことが窺われますね。

A たしかに、伝統的な手法をすでに自らのものにしているところがあります。そして、それだけでなく、〈寒月光詩人陥りやすきかな〉などの作品には、この時点で後年の宮入聖作品の世界を予感させるような雰囲気があります。

B 取り上げた〈いろまちのしぐれをゆくやただのひと〉についてですが、ひらがなの表記が蛇笏の句を髣髴とさせます。

A 「ただのひと」という一語が、何気ないですが、手腕の高さを示しているのではないかと思います。なかなかこういう風には単なる「人」そのものを表現することはできません。

B さらに、ひらがな表記と相俟って、1句の世界における様々な具体性が薄れてゆき、風景のすべてが「淡彩」として浮かび上がってくるようです。

A 橋間石の〈夏風邪をひき色町を通りけり〉と比べて読むとそのことがよくわかりますね。

B 続いて〈銀漢やたましひふたついれかはる〉です。

A この句は、句集『聖母帖』を見ると昭和48年(1973)の作であるようです。この時代、宮入聖は高柳重信の「俳句研究」の「第一回五十句競作」に応募し「佳作第一席」という評価を得ています。この時代の句には〈流星にくらやみ講の女づれ〉〈吊されて土用の葬の羽織透く〉〈高楼に按摩ちらめくや夏の暮〉〈山吹にはじまるいろの仮寝覚〉〈祈禱師が札貼りちらす涼しさよ〉〈傘と傘遠し近しふれあへば死の傷み〉などがあります。

B 「たましひ」という語に蛇笏の影響が強く感じられますね。〈たましひのたとへば秋の蛍かな〉が有名ですが、蛇笏にはほかにも「たましひ」という語を使った句がいくつも存在します。

A この句における「たましひ」とは一体何を意味する言葉であるのか。そして、それが「ふたつ」であり、さらに「いれかはる」ということなのですが、こういった表現にはなかなか具体的な意味としてその内容を理解するのが難しいところがありますね。しかしながら「銀漢」と「たましひ」の取り合わせにより、抽象的ではありますが、大変広大な時空を包括した作品となっているのではないかと思います。

B どこかしら下村槐太の〈妹現れて魂魄むすぶ昼寝かな〉を思わせるところもあります。

A これら作品を成した昭和48年(1973)の翌年の、昭和49年(1974)に、宮入聖は、母の死に伴い俳句を断念。そして、7年にも及ぶ長い沈黙の後、昭和55年(1980)になって句作を再開します。その後、週刊誌「サンデー毎日」誌上において、塚本邦雄が選を行う「サンデー秀句館」が連載されているのを知り、自作を投句するようになります。

B この「サンデー秀句館」は「サンデー毎日」昭和54年(1979)9月9日号から毎週、全140回にわたって連載されました。週毎の掲載句数は全20句、そのうちの10句は塚本邦雄の選評が付される「秀逸」で、他の10句は「佳作」。そして3カ月ごとに「琳々賞」という賞が設けられました。それらの内容については『星曜秀句館』として「書肆季節社」という出版社から3冊の本として纏められ出版されています。

A その中より一部をここに引いておきましょう。


しがらみのひとときは濃く花樗  寺井谷子

突然に下駄箱を動かし愛の恐怖  仲上隆夫

繃帯や花嫁走るミラボー橋  小林恭二

百台の貨車つらなりてしぐれゐし  安土多架士

どこまでも自転車で往くわが輪廻  鎌田東二

独活に放つ水に不貞の妻棲むや  藤本安騎生

市子らに月の朧と日の爛  岩村蓬

ノアを視し網膜の咎春霞  江畑實

半夏生赫き童子の素走りに  山口寥

情事酣つらつら椿つらつらに  藤原月彦

密会に透き通りたる桜かな  荻原裕幸

気まぐれに古釘を抜く春の家  武藤尚樹

春の闇蔵には不死の鎧など  間村俊一


B 結構、有名な方もいらっしゃいますね。歌人の方や、以前、この「―俳句空間―豈weekly」誌上で筑紫磐井さんが取り上げておられた、安土多架士、武藤尚樹の名前も見えます。

A こういったものを見ると、もう一度塚本邦雄と俳句の関係を確認する必要があるような気もします。最近、講談社文芸文庫から『百句燦燦』が復刊されましたが、この書が俳句に与えた影響もけっして小さくないのではないかと思います。

B そうですね。この『百句燦燦』には、俳句の歴史が等閑視してきたような俳人の作がいくつも収められています。さらに塚本邦雄には他にも『秀吟百趣』『句句凛凛』『句風颯爽』『華句麗句』『風神放歌』など俳句に関する著作が多く、その視野は現代の俳人から松瀬青々、青木月斗、臼田亜浪、尾崎紅葉、中塚一碧楼、松根東洋城、大谷碧雲居までをも取り上げるという幅の広さを示していました。

A これだけの広範囲をしっかりと読みこなしている俳人は現在ではほとんど存在しないでしょうね。そして、塚本邦雄は当然ながら俳人ではなく歌人でした。俳句とは別のジャンルの人であったわけです。それなのにここまで俳句を深く読み込んでいたという事実には、いまさらながら驚かされるところがあります。

B 短歌も含め塚本邦雄の詩歌における知識の広さについてはいうまでもないところなのですが、塚本邦雄には短歌、俳句についての著作だけでなく現代詩に関する著作までもが存在しました。さらに、古典(和歌や俳諧など)、文学、漢詩、聖書、仏典、川柳、音楽、映画、絵画、書にまでその造詣の深さは及んでいました。私は、幾度この塚本邦雄の博覧強記に絶望させられたかわかりません。

A 現在、これだけの博識を誇る人物は、詩歌の世界には存在しないかもしれませんね。

B 塚本邦雄には俳句から本歌取りしたような作品も数多くあります。いくつか記しておきましょう。

吻合はす鳩や石階に影かぎろひ  石田波郷

鳩ら鳩舎の奥に嘴あはせをり外の炎天に死のにほひ満ち 塚本邦雄


賑やかな骨牌の裏面のさみしい繪  富澤赤黄男

骨牌の赤き王と侍童は瞠きてうらがへりたり裏の繪昏き  塚本邦雄


むらさきになりゆく墓に詣るのみ  中村草田男

勿忘草わかものの墓標ばかりなり  石田波郷

戦死者ばかり革命の死者一人も無し 七月、艾色の墓群   塚本邦雄


冬天を降り来て鉄の椅子にあり  西東三鬼

紅き林檎高度千米の天に噛む  西東三鬼

高度千米の空より来て卵食ひをり鋼色の飛行士  塚本邦雄



寒の夕焼架線工夫に翼なし  西東三鬼

炎天に架線夫は垂れ神あらぬ空にするどく言葉をかはす  塚本邦雄



算術の少年しのび泣けり夏  西東三鬼

まづ脛より青年となる少年の眞夏、流水算ひややかに  塚本邦雄



木琴に日が射しをりて敲くなり  林田紀音夫

神いづくにか咳きたまふ否無為の父が湿りし木琴叩く  塚本邦雄



熱の身の露に泛びてただよふや  齋藤空華

熱の中にわれはただよひ沖遠く素裸で螢烏賊獲る漁夫ら  塚本邦雄


鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり  富澤赤黄男

鶏頭のごときその手を撃ちし刹那わがたましひの夏は死せり  塚本邦雄


瞳に古典紺々とふる牡丹雪   富澤赤黄男

散文の文字や目に零る黒霞いつの日雨の近江に果てむ  塚本邦雄


朝の裸泉のごとし青年立つ  島津亮

男は遠き泉のごとし瑠璃懸巣あはれ図鑑にかがやきみてり  塚本邦雄


春蘭や男は不意に遺さるる  飯島晴子

春蘭のみどりのにごり男とは或る日突然ひとりになる  塚本邦雄



A 思った以上に本歌取りの作品がありますね。

B 他にも探せばまだあるかもしれません。

A 塚本邦雄本人の文章によれば〈空地には軍靴裏むけ干されゐきその上を過ぎてかへらぬ蝶ら〉〈イエスに肖たる郵便夫来て鮮紅の鞄の口を暗くひらけり〉も三鬼の句の本歌取りであるということなのだそうです。

B あと、塚本邦雄にとっては本歌取りだけでなく、俳句における「取り合わせ」の手法もその短歌作品には大きく取り込まれていました。

A そうですね。塚本邦雄には〈私は歌人として、実におびただしい俳句からの恩恵を受けた。〉という言葉があります。また、『夕暮の諧調』所収の「きみはきのふ 現代俳句試論」という評論には〈俳句は、私にとつて、まかりまちがへば、終生の伴侶に選んでゐたかも知れぬ、愛する詩型の一つである。愛は惜しみなく短歌に奪われたが、俳句からは奪つてきたし、こののちにも奪ふだらう。〉という記述もあります。

B これだけ俳句を自らのものにした歌人はおそらく塚本邦雄ただ一人でしょうね。

A さて、宮入聖についてですが、この塚本邦雄という詩歌に対する並外れた知識を誇る特異な選者に誘われて、宮入聖の俳人としての才質はここで一気に開花することになります。

B 塚本邦雄の影響も勿論ですが、それだけでなく、7年に及ぶ沈黙により、俳句的知性と、蛇笏的感性が作者の内部による深い位相で熟成され、それが傑作を次々と誕生させる下地を形成していたのかもしれません。

A この時期の作品が、〈桃啜り恍惚の子を啜りたし〉〈槍持てる霊蒼惶と夏の暮〉〈蜀葵母があの世へ懸けしもの〉〈夏柳旅の初めを終りとす〉〈酸漿のぬれいろの夕ごころかな〉〈遊魂の沸々々と夜の柿〉〈桜紅葉を花と見てゐる不幸かな〉〈月の姦日の嬲や蓮枯れて後〉〈噴水とまりあらがねの鶴歩み出す〉〈青大将に生まれ即刻殺たれたし〉〈薔薇嗅ぐや誕生までの時間永し〉〈黒牡丹毒のむ将の金の髭〉〈滴りや性慾巌のごときもの〉〈絵馬辻や日傘くづれて蹲る〉〈蓮の葉の騒乱幾夜白珠生る〉などです。

B この中のいくつかについて順に見ていきましょう。まず〈桃啜り恍惚の子を啜りたし〉です。

A 自分の子供に対する愛情をこのように句にしたのでしょうか。蛇笏の〈つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋〉も思い浮かびます。

B 「桃」と「恍惚」という言葉から蛇笏の〈熟れ桃に西日の貌の淫らなる〉や三鬼の〈中年や遠くみのれる夜の桃〉を思い浮かべてもいいのかもしれません。

A 次に〈槍持てる霊蒼惶と夏の暮〉です。

B これも蛇笏の〈炎天を槍のごとくに涼気すぐ〉が思い浮かびますね。また「霊」という言葉も蛇笏の句には何度も登場します。

A 「槍持てる霊」ですから武者のイメージが思い浮かびます。それが「蒼惶と」ですから疾走している感じでしょうか。夏の夕暮れの中を武者が槍を持って駆け抜けてゆくイメージが思い浮かびます。

B 夏の夕日を受けて、不在の槍と甲冑がぎらりと閃くような質感がありますね。また馬も共にイメージしてもいいのかもしれません。

A 続いて〈蜀葵母があの世へ懸けしもの〉です。

B これも蛇笏の〈後山の虹をはるかに母の佇つ〉が背景にあるはずです。

A 両句とも母が彼岸にいるような感じですね。宮入聖の句の方はやや解釈が難しいところがありますね。

B 「蜀葵」のよみは「からあおい」で、その意味するところは「立葵」であるとのことです。塚本邦雄はこの立葵を「白妙」として鑑賞しています。

A なるほど。「白」だと「あの世」となにかしら通底するものがあるように感じられます。まるで「蜀葵」が幽明の境に咲いているようです。そこに「母」のイメージが加わるわけですね。

B 他には、森澄雄の〈蜀葵人の世を過ぎしごとく過ぐ〉が下敷きとしてあると考えてもおかしくはないでしょう。

A 次に〈夏柳旅の初めを終りとす〉です。

B なんだか哲学的な感じがしますね。旅の始めが終りである、ということで、まるで時間が捩じれているような。

A 宋のむかし、玄沙が、行脚に出ようとして足の爪をはがし、「是身非有、痛自付来」と悟り、行脚を断念した、という話が残っています。

B そういった感覚にも近い句なのかもしれません。

A 続いて〈酸漿のぬれいろの夕ごころかな〉です。

B 「夕ごころ」といえば芥川龍之介の〈元日や手を洗ひをる夕ごころ〉がまず思い浮かびます。

A 「酸漿」の「ぬれいろ」が「夕ごころ」を思わせるのか、夕暮れそのものが「酸漿」の「ぬれいろ」を思わせるということなのか、それともその両方をあらわしているのかよくわからないところがあります。

B どこかしら散文的な意味性を超越しているようなところがありますね。また、そういったところからくる格調の高さも感じられます。

A 「かな」と最後に言い切ったところで、「酸漿のぬれいろの夕ごころ」という色彩のイメージがそのまま頭の中全体を一色に染め上げてしまうような強さがあります。また、「ぬれいろ」という表現にしてもなかなか非凡です。

B 宮入聖には〈葉牡丹のむらさき滾つ壇の浦〉という、「むらさき」が「葉牡丹」であるのか「壇の浦」であるのか不明瞭な表現がありますが、それとも共通する構造がこの句にはあります。

A 続いて〈遊魂の沸々々と夜の柿〉です。

B この句も「たましひ」という語が蛇笏的です。

A 「遊魂」が「夜の柿」と取り合わせられることで、「たましひ」がいくつもその実在感を伴って浮かび上がってくるようなところがあります。

B 「沸々々」という表現も一見他愛もないように見えますが、やはりなんとも非凡なところがあります。このような表現は他の句では私は見たことがありません。

A 続いて〈桜紅葉を花と見てゐる不幸かな〉です。

B 「紅葉」と「花」から、藤原定家の〈見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮〉を踏まえた句であることがわかります。

A この作者には随分と「本歌取り」とおぼしき句がありますね。

B おそらく、それがこの作者の手法でもあるのでしょう。換骨奪胎とでもいうべき効果を狙った句が数多く存在するようです。他に、石田波郷や金子兜太の表現を自らのものにした句も若干見られます。

A しかしながら、この句は定家の和歌と異なり、桜の木の紅葉をそのまま桜の花と見てしまうというわけですから、すごい力技だという気がします。福永耕二に〈紅葉して桜は暗き樹となりぬ〉という句がありますが、それとも異なる位相にあります。

B たしかに、紅葉の葉を桜の花として見てしまうというのは、尋常一様の感性ではありませんね。このような感覚を自らの裡に抱いてしまうということ自体が、あまり幸福とは言い難いところがあります。

A それで「不幸」というわけなのでしょう。多くの人たちはこういった特異な感覚を持たないで済んでいるというか、こういった感覚とは無縁のところで生きているわけです。

B たしかにこういった表現を見ると、なにかしら表現者であることにおける、ある種の宿命性というか、業の深さとでもいったようなものを、この作者から感じてしまうところがありますね。

A 多くの人が自らに引き受けずに済む現実の実相を知覚し、さらにそれを作品として結晶化し得るだけの作家性を有することの不幸、とでもいうのでしょうか。そういったところに宮入聖という作者の苦しみと、そしてそれゆえの栄光があったように思われます。

B たしかにものが見える、というよりも、見えすぎる人の苦しみのようなものが感じられるところがありますね。

A 続いて〈月の姦日の嬲や蓮枯れて後〉です。

B 言葉がやや強すぎる感じもしますね。また、この句も蛇笏の影響が感じられます。蛇笏には〈朝日より夕日新しく秋の蟬〉など「日」と「月」をともに詠み込んだ句がいくつもあります。

A 他には原石鼎に〈男霊は陽に女霊は月にひでりかな〉といった句がありますが、これにすこし近い感じがあります。

B 枯蓮に射し込む容赦のない日と月の光。真黒な泥水に映る光の美しさとそこに照らし出される枯蓮の無残で痛々しい姿。ここには、まさしく蛇笏の持っていた退廃の美への志向そのものを髣髴とさせるものがあります。

A やはり宮入聖にとっての蛇笏の影響の強さというものが、この句からもよくわかりますね。

B 蛇笏の持っていた「魔」の部分をクローズアップし、自らの内に増幅、倍加させたのがこの作者の作品ということなのでしょう。

A 蛇笏は様々な側面を有した「巨大なカオス」ともいうべき作者でしたが、その蛇笏の「魔」の領分においての継承者が宮入聖であったというべきなのかもしれません。

B 蛇笏のこの要素を受け継いだ作者は他にはほとんどいないのかもしれませんね。龍太にしても、蛇笏のこういった側面を拒否し作者になったような感があります。

A おそらくこの蛇笏的な要素を継承した作者は、他には、福田甲子雄ということになるのだと思います。勿論、福田甲子雄の全ての作品が蛇笏的なものであるというわけではありませんが。

B その点については江里昭彦さんが「鬣」17号などで触れておられます。いくつか蛇笏的な要素が感じられる福田甲子雄の作品を引いておきましょうか。


福田甲子雄

斧一丁寒暮のひかりあてて買ふ

夏雲やビル壊しゐる鉄の玉

生誕も死も花冷えの寝間ひとつ

十月の賽銭箱を蝮出づ

地獄絵の炎にとまる白蛾かな


A ただ、宮入聖と福田甲子雄では、蛇笏的な要素に対する態度が全く異なります。

B そうですね。宮入聖は己自身の意志によって、蛇笏の「魔」を自らの裡に獲得しようとしたのに対し、福田甲子雄についてはどちらかというと、蛇笏作品の影響によって、はからずも齎されることになってしまったとでもいうべき受動的な結果という感じがします。

A まあ、どちらにしても蛇笏的な要素というものは、なかなか厄介なものなのだろうという気がしますね。

B では、次に〈きんいろの亡き子がゐたり茄子の馬〉です。

A この句は第2句集『千年』におさめられています。

B この句も蛇笏の〈たくらくと茄子馬にのる仏かな〉でしょうね。

A 「きんいろ」というひらがなの表記の柔らかさが「亡き子」の霊の存在のはかなさと美しさを伝えています。

B 次に〈エロスかな秋夜戻りの消防車〉です。

A これは塚本邦雄の短歌〈遠き一つの火災鎮めて今われにきたる猩猩緋の消防車〉が本歌としてあるのでしょうね。

B そして、「秋夜」という言葉から、なんとなく蛇笏の〈くろがねの秋の風鈴鳴りにけり〉も連想されるように感じられるところがあります。「消防車」についても、よく考えると金属でできています。

A あと「火」と「消防車」の赤、「紅葉」の赤、そして「夜」の黒ですね。そこに「水」も加わります。

B 最後に〈或は人桜の生りそこなひかも知れぬ〉を鑑賞しましょう。

A 植物を人に見立てるような句は割合少なくありませんが、この作者は、人間そのものが、桜に成りそこなったものであるのかもしれない、と知覚してしまったわけです。

B 植物と動物は、その進化の過程においては共通するところが多く、その生体の構造についてはいわば陰と陽の関係にあるそうです。

A よく考えると、確かに人間よりも、桜などの植物のほうが偉大なものであるような気もしてくるところがありますね。そして、この句の背後には、人間であることに対する悲哀のようなものも感じられます。

B このように人間よりも桜のほうにその存在の優位性を見てしまうというアイロニカルな視点も、この作者の見えすぎる視野ゆえに齎されたものなのではないかという気がします。

A さて、いくつか宮入聖の句を見てきました。

B 今回は資料があまり手元になかったことがやや残念でした。

A そうですね。第3句集以後の句集については、抄出でしか触れることができませんでした。

B 特に第3句集である『遊悲』に目を通していないのは問題だったかもしれません。

A 現在のところまで、宮入聖がその実力を遺憾なく発揮したと思えるのは、やはり第1句集から第3句集の間においてということになると思います。

B また、今回は第2句集『千年』の句についてもあまり触れられなかったところがあります。

A しかしながら、ここまで鑑賞してきた作品だけを見ても、宮入聖という作者の、その「修羅の才気」ともいうべき、何かを表現しなければならない宿命性と、その業の深さとでもいうべきものを、まざまざと感じることができるはずだと思います。

B こういった峻烈なまでの作家性を感じさせる俳人というのは現在では稀というべきでしょうね。こういったものを否応もなく抱えている作者の作品というものは、やはり物凄く強い力を持っているものであるという気がしました。

A しかしながら、あまりこういった特異な才質というものは自らの内に有していない方が幸せであるのかもしれません。

B そうですね。特に俳句では、赤尾兜子や飯島晴子などにそういった「業の深さ」といったものを感じるところがあります。

A やはり、二人とも、あまり幸せな俳人であったとは言い難いところがありますね。

B 宮入聖は、現在、作品を発表していないようですが、今後の復活の可能性もゼロではない、と思いたいところではあります。


選句余滴


宮入聖

淡雪に傘ゆれ柩とりかこむ

寒月光詩人陥りやすきかな

不器男忌の霙が雨に雪にかな

ふりいでし雨の花火の音すなり

鳥籠に虫飼ふあはれ村童

山吹にはじまるいろの仮寝覚

祈禱師が札貼りちらす涼しさよ

傘と傘遠し近しふれあへば死の傷み

ぼうたんの夜遊びにゐる亡き子かな

噴水とまりあらがねの鶴歩み出す

青大将に生まれ即刻殺たれたし

薔薇嗅ぐや誕生までの時間永し

黒牡丹毒のむ将の金の髭

滴りや性慾巌のごときもの

絵馬辻や日傘くづれて蹲る

蓮の葉の騒乱幾夜白珠生る

泉掬ぶ「手錠のままで光りゐよ」

浮苗に記憶はじめの夕日射

夏小萩貝殻骨の亡き子かな

木犀の香の空き空きと遠流かな
  ⇒「空」に「す」とルビ

蝋涙のごとし未明の浮寝鳥

晩菊に髑髏のごとき朝日影

刃傷のぬくもりを冬桜かな

背泳ぎで友みんな去る夏の闇

外風呂へひらりとをんな烏瓜

桃啜る啜るこの身も消えてゆけ

夏雲の日々みだらなる高さかな

恋すれば厠いちめん竹の影

襖絵を獅子が出てゆく死後の月

月光ハイヤー表より死者裏より恋

満州は召集令状よりも赤かりき
  ⇒「召集令状」に「あかがみ」とルビ

英霊が秋夜見てゐる八代亜紀

菊水や遠いかほして団鬼六

町長の棺をはみだす菊の肉

雪山に柩の小窓ほどの月

雪の驛亭佐伯祐三に似し男

賜死という妙にあかるき菫かな

月光の冬のキャベツの狂気かな

冬菊に釈超空のごとき手を

夕霧忌女独居の窓窓々

赤松の業火のいろの秋の暮

麦秋の友の韋駄天走りかな

秋の宮セーラー服の卍・卍

曼珠沙華夭折はふりむきもせず

雁や隙間だらけ乳母の肉

春の雷死にゆく母に鰓みえて

死後の父は母のごとしや冬の梅

あまりに清楚雪つむ君が家の便器

悪友は秋をまつかに塗りあげる

亡父母や如何に閨の紅白双梅図

生まれなば乳房吻ふべし夜の蟬

うなだれて母を出づれば野菊道

松の皺天より地より秋の暮

菊たべて菊のごときを夜半澪す

冬座敷鹿の匂ひをもたらす 誰

屋根にのる狂者よ 冬青空は私

丘の桜を葬列とみきわれは餓鬼

ちる花と古恋文の臭えこと

どくろ曰くここに花びらの酒を注げと

ワレハ冬ノ火種ノゴトクヒトノ中

死の迎へ地よりあるべし立葵

桜散りまなびやといふ幽霊船

炎上は寺のさだめぞ日の若葉

鴨の子をつくりし神の涙かな

ゆつくり来いと石段はある春の寺

狂父母を???とみる羽抜鶏

向日葵を愛して二科に落選す

川のなき谷中の桜は川ならむ



俳人の言葉

私は聖氏の句とすれ違つただけである。前にも後ろにも、師弟の交りを持つことはない。だが、一瞬火花を散らす邂逅と訣別こそ、私はなまぬるい上・下関係を吹き飛ばす、真の「交り」であらうと信じてゐる。私は試されて快い。試金石の石であつたことを誇つても良い。硝子に試される水晶であるよりも、妖刀村正に試される金剛石であつたことを、一人、ひそかに歓ばう。


塚本邦雄(歌人) 宮入聖句集『聖母帖』栞「邂逅の葵」より

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俳句九十九折(13) 俳人ファイル(5) 飯田蛇笏・・・冨田拓也   →読む

時評風に(安土多架志/作品番号6)・・・筑紫磐井   →読む

時評風に(安土多架志資料編/作品番号7)・・・筑紫磐井   →読む

時評風に(武藤尚樹/作品番号4) ・・・筑紫磐井   →読む

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1 件のコメント:

湊圭史 さんのコメント...

少し前の記事へのコメント、失礼いたします。『ハイク・ガイ』、読んでいただきありがとうございます。海外の俳人たちの俳句への興味の出どころとして、「虚無感」はその通りかも知れません。

先日、古本屋で『現代俳句の異相3』という俳句アンソロジーを見つけ、購入しました。発行所・冬青社、発行人・宮入聖とあり、出版は1991年。表紙に「その作品をあえて異の異相におくことによって、風化堕落した俳句の現状を撃つべく鮮烈な野心作問題作の数々を搭載。」と謳っています。

33人の句(30句の人から50句の人までバラバラです)が収められていますが、宮入聖氏自身の作品もありました。冨田さんが記事で引いている句とはかぶっていないようです。何句かあげてみると、


切株にむかしむかしの秋の風    宮入聖

写生会つひにわが家の柿を描く

戦場へ走るスゝキのごときもの

八方の枯木のなかのおとむらひ

寒山に烏の咀嚼ひびくかな

土龍の手出ては入りては春の風

探梅や霊といふ字を泛べつつ


全体に少し措辞が柔らかくなったかなという印象がありますが、「たましひ」を見る視線は保たれていますね。

他の収録俳人は知った名前が少なく、かなり特異なセレクションなのかなという印象。私がたまたま知っている大橋愛由等さん(「豈」同人)、楢崎進弘さん(川柳誌「バックストローク」同人)の名前も見えますが・・・。

〈シリーズ・現代詩歌の豊饒―別巻〉ともあり、年譜で触れられている『現代俳句の精鋭』Ⅲ巻の後続シリーズなのでしょうか?ともあれ、宮入聖氏と冬青社は1991年までは尖鋭な活動をしていたということになりますね。

冨田さんも同書をもう見つけられているかも知れませんが、ちょっと発見にうれしくなったのでコメントさせていただきました。