■時評風に(安土多架志資料編/作品番号7)
・・・筑紫磐井
9月25日に西郷信綱氏が亡くなった。92歳。俳人には余り縁のない名前かもしれない。氏は万葉集・古事記研究が専門だから、俳句の発生する700年以上前のことがらを研究していたことになる。俳句が日本の有史以来の詩歌の中で位置づけられてこそ存立の根拠が見出されると考える俳人のみが西郷氏の名前に心を動かされるのだ。
私は数年前に『定型詩学の原理』という壮大な構想の著述を志し、ぶあつい本をいろいろな万葉学者におくりつけたところ、返事を頂いたのは高齢な小西甚一氏と西郷信綱氏であった。「新しい概念は適切な新語で」は小西氏の、「勇気ある強力な著作」とは西郷氏の激励の言葉であるが、本当に勇気あるこの国文学者からかけられた言葉として誠にうれしかった。その西郷氏が亡くなり、小西氏も既に昨年の5月になくなっている。今更お二人の業績を喋々してみてもしょうがない。埃をかぶっている旧著を久しぶりに取り出して、当時の気概をもう一度ふるいだしてみたいという気になった。何が出来るか、しばらく考えてみたい。
さて当初がこのような蓋棺録風の記事から始まったこのコラムも、「時評風に」と題しながらどんどん今の時代から離れている。このコーナーで書いている時代は、今や平均すると20年以上前のことばかりだ、もうふつうの意味ではとても「時評」とは言えないかもしれない、強いて現代と関連づけようとしてもこれらから現代は何を汲み出せというのかも読者にはさっぱり分からないかも知れない。その意味でこの連載、殆どコントロール不能状態(ダッチロール)といってよい。もう少しこの調子で続けて、それから収拾の仕方を考えよう。
* *
前号で安土多架志を紹介したが、歌集『壮年』は古書店で手にはいるだろうけれど、句集『未来』は手に入らないと言った。安土多架志の闘病の激励のために作られたようなこの句集はわずか350部、無名の出版社から出され、主に知人たちに配布された瀟洒な(文庫本サイズ64頁)句集である。だから今までどこの図書館でも見たことがない。「時評風に」で、私が紹介した句集に興味を持って(ヤフーオークションで取り寄せようとまでして)くれる中村安伸氏のような人にとって、前回の書き方はいささかフラストレーションの溜まる紹介の仕方だったかと思っている。今回はそうした人に少しサービスをしておきたいと思う。
『安土多架志句集 未来』は無門叢書1として皆美社から刊行。五味太郎の装丁である。内容は、「生みゆくもの」「花野行」「黙示録の上」「初蝶の天」「虹を見しこと」の5章からなり226句を収録。「花野行」以下は昭和51年以降の作品を編年順に編集しているが、「生みゆくもの」だけは安土の亡くなる直前の58年・59年の作品が収められている。読者の関心の深い「生みゆくもの」全46句を以下に掲げることとしよう。ただ不便なことに編年・月順ではないので、私のわかる限りでの初出年月と雑誌名を調べて示しておく。
「生みゆくもの」
陽炎へばわれに未来のある如し (59年3月無門)
朧なる鏡の中の未知の顔 (59年5月無門)
朧夜の仔犬のワルツ誰か来る (58年6月無門)
猫の仔のドグマの中の毬あそび (同上)
われの鬱はまた汝の鬱チューリップ (59年6月寒雷)
全方位向くシクラメン深紅なり (58年2月寒雷)
ひこばゆる遠き昔のアナキスト (58年6月無門)
手術創徐徐に癒えきぬ桜餅 (59年6月寒雷)
亀鳴くや乏しき詩才涸らしつつ (58年6月無門)
春の眞夜ナースキャップのりりと醒め (58年6月寒雷)
水枕何かささやく春の宵 (59年7月寒雷)
點滴や春光はつかゆらめきぬ (58年6月寒雷)
春の星ひとつ潤みてみな潤む (59年6月寒雷)
點滴に命預けぬ春の月 (59年7月寒雷)
囀りを聴きつつ醒めてまた眠る (59年5月無門)
玻璃窓に小さき蝶のよろこべり (58年7月寒雷)
蝶といふよろこびにゐる生命(いのち)かな (59年5月無門)
吊すものなき衣紋掛け受難節 (59年4月無門)
風船を放てば空の青さかな (59年5月無門)
春惜しむ愛のポプリや交響詩
戒名を忘れてゐしが初螢 (58年8月無門)
螢まで数歩の距離の無限遠
病み螢水ある方へ火とはなる
ひとり臥す肩甲骨の汗すこし (58年10月寒雷)
梅雨晴間ポプリが匂ふ片想ひ
躁の時鬱の時あり罌粟の花 (58年8月寒雷)
おほいなる入道雲の下に病む
桐の花に腕を伸ばして目醒め際 (58年8月寒雷)
しづかなるゆふべのいのりいととんぼ (58年7月無門)
つづまりはひとりの痛み天の川 (58年11月無門)
水槽に闘魚醒めゐる秋の夜 (58年1月寒雷)
綺羅星の雫浴びつつ無援であり (58年2月寒雷)
天までも遠きに登るわけならず (58年10月無門)
魂の蜻蛉遊べるあたりが天 (58年10月無門)
病者の目蟷螂の目に対へりき (58年12月寒雷)
コスモスや癒えよと誰も声かくる (58年12月寒雷)
刻刻と熱計りゐし颱風下
白鳥の荘厳の彌撒漂へり (58年5月寒雷)
待降やポインセチアに蝶遊ぶ (59年3月無門)
HEALERの屋根に蝶舞ふ冬の朝 (同上)
枯木にも声かけ異国へと発ちぬ (59年1月無門)
雪を来て回転扉少し待つ (58年5月寒雷)
遠からず近からずゐて毛糸編む (59年3月無門)
あたたかき冬芽にふれて旅心 (59年2月無門)
暗がりに水仙ひとつ咲きて散る
剖(ひら)かるる身に如月の夜の深さ (58年6月寒雷)
初出の時期が判明すれば、例えば、最初の手術を受けたときの作品、フィリピンに立つ前後の作品とそれぞれの句の関係が分かって、それによって句の価値が変わるわけではないが安土に対する共感は湧きやすくなるであろう。あるいはまた、初出資料を点検しているうちに、句集に収録された作品以外に安土の特徴をうかがわせる佳句も見いだせる。私の判断でそうした作品を参考に示しておこう。
恩寵の地にうすみどり春の雲 (58年5月無門)
いにしへの淋しき人や蜃気楼 (58年6月無門)
青大将傷つきたれば水を恋ふ (58年9月寒雷)
蚯蚓引き出し引き出してゐる自閉症 (58年10月寒雷)
春風の生み行くものの中に鬱 (59年5月無門)
春雨を聴かず聴きつつ夢うつつ (59年7月寒雷)
最後の「春雨」の句など現在も十分鑑賞に堪え得るのではないかと思う。病床の安土の姿も目に浮かぶようで、『未来』に収録されなかった理由がわからない。少なくとも句集収録の〈囀りを聴きつつ醒めてまた眠る〉の平板な句よりははるかにいい作品ではないか。『未来』は、「陽炎」の句をもって始まり、「春雨」の句をもって締めくくってもよかったのである(念のため言えば、加藤楸邨も脚韻を存分に使った点を指摘しつつ「聴かうとするのでもないがいつか聴いてゐるといふ病中の耳のはたらきがよくわかる句だ」とこの句を激賞している)。(10.1)
(付記)安土は『未来』の刊行直後亡くなったので、「『未来』以後」という作品はほとんど無いが、それでも皆無というわけではない。彼の最後を知るために資料編として加えておく。ただし、59年11月号の3句は、9月号まで無門の投稿句の選を経て没となった句から無門編集者が強いて投稿したものであるらしい。注意が必要である。
腑に落ちてから駆け出しぬ梅雨の街 (59年8月無門)
六月のマリアは祈るばかりなり
海を恋ふ薄暑のさはぎ熱の中
背骨といふものありてかく汗さかん (59年9月無門)
重症者のカルテを捜す月明り
あかがねの土瓶がありぬ夏の宿
病床に給ひてあかき七変化 (59年9月寒雷)
幻の螢飛ぶ夜の学生寮
くぐもれる声の青さや梅雨の窓
白百合の夕べは祈る姿かな (59年11月寒雷)
藍浴衣湖畔はなるるにほひせり
夏雲に旅人のごと口笛吹く
「陽炎へばわれに未来のある如し」「春雨を聴かず聴きつつ夢うつつ」に比べれば淡い句ばかりである。この中の9月、11月号の夏の旅の句は、安土が熱に浮かされて夢の中で見る風景であるようだ。その意味で、子規の糸瓜の句に相当する安土の絶句は「重症者のカルテを捜す月明り」であろうか。いずれにしても、「時評風に」では今までそれなりに鑑賞に堪え得る作品を紹介してきたつもりであるが、今回は、リアルではあるが時代に埋もれてしまってもしょうがない作品が大半である。それをあえて取り上げるのは、私の感傷であろう。
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