2009年11月14日土曜日

閑中俳句日記(17)

閑中俳句日記(17)
長谷川櫂氏の仕事場訪問


                       ・・・関 悦史

去る11月1日、長谷川櫂氏の仕事場を訪問する機会を得た。

長谷川氏とは私は何の接点もないのだが、ちょっと前、高柳克弘氏から急にメールが来て、若手俳人でまとまって長谷川氏の仕事場を訪問するから来ないかとの誘いを(何故か)受け、貴重な機会なので便乗させてもらうことにする。

事前に受けた指示は、「長谷川氏の句で、好きなものでも質問したいものでもいいから何か一句用意してこい」との一点のみである。

他に誰が来て何をやるのか、どういう性質のイベントなのかがさっぱりわからないままともかく半日ほどの旅を経て、昼前に最寄り駅まで無事到着。

場所を明記するわけには行かないが、太平洋に面した風光明媚な某所で、目を灼くような真っ白い照り返しの中にサーファーの姿が点々と見える。

着いた者から順次お宅に伺ってくれとのことだったので指定された場所に行ったら、メガネムーミン的風貌の若い男性が一人、門前で所在無げにうろうろしていて、声をかけてみたらこれも今日の招待客の一人、互いに名のみ知っていた山口優夢氏であった。

二人打ち揃って最初の到着者としてお宅に入れていただくと、『国民的俳句百選』で「涼しさ至上主義」とでもいうべき姿勢を打ち出していた長谷川氏の仕事場らしく、非常によく片付いて必要最低限の調度しかない、というか必要最低限のものすらあるようには見えず、室内は白い壁がほぼ丸見えで真ん中に椅子・テーブルのセットがある他は、左方の作りつけの飾り棚に装飾品が配置され、神経行き届いたさまをかもし出しているだけの極めてすっきりと簡素なもの。蔵書の類は一冊も見えない。



とりあえず畳敷きのエリアに荷物を置いて、長谷川氏の案内で二人ともベランダに出、海を一望。潮風が強い。

追々他の参加者たちも到着してきて全容が明らかになった。

集まったのは神野紗希、鴇田智哉、日下野由季、高柳克弘、それにふらんす堂の山岡喜美子の各氏で、結社も何も共通点がなさそう(「古志」の次期主宰・大谷弘至氏は都合がつかなくなったとのこと)。

甲斐甲斐しく配膳してまわる恒子夫人お手製の料理を、昼間から白ワイン、赤ワイン3、4種ほどで頂き、何だかよくわからないまま、なしくずしに談論風発の饗宴開始となった。長谷川氏本人からもワインを注いで回られてしまったりする。

1時間以上経過してから最後の客、宇井十間が到着。どこかを迷い歩いていたらしい。

料理は既にあらかたなくなっていたように見えたが、宇井氏が到着したら恒子夫人がまたどこからともなくフランスパンのスライスしたのにオリーブオイル、岩塩、ローストした豚肉鴨肉その他もろもろを魔法の如く並べ始めて卓上はたちまちまた元のさま。キッチンもすっきりと見通せる造りで、何もあるようには見えなかったのだが、一体どうなっているのか。

神野紗希さんが積極的に話題をふって場を盛り上げ、どこかのシンポジウムで話されたらしいお題、「残る句を作ろうと思うべきか」「100年後に生きていたらどんな俳句を作っているか」「そもそも100年後に俳句があるか」といった話となる。

神野さんの隣に座った山口優夢とは当人たちも言う如く姉弟のような雰囲気で、神野さんがあれこれ指示すると優夢君が朴訥に酒をついで回ったりもする。学年2年違いで、俳句甲子園の頃から親しいらしい。

その山口優夢がたまたま今回の訪問直前に角川俳句賞の最終選考に残ったもので、その句も話題になった。

といっても批評だの鑑賞だのといった硬い話ではなくて、選考座談会でも取り上げられた《吐き出せる巨峰の皮の重さかな》(「俳句」11月号、123ページあたりに載っています)。あれは皮ごと食べるものなのかという話で、山口優夢と神野紗希がやや照れくさげに言うには両者とも皮ごと食べる習慣だったとのこと。地域による違いかとも思ったが、出身は東京と愛媛と、全然別だからそういうわけでもないらしい。

神野さんはNHKの番組で長谷川氏とも当然面識はあるが、普段はスタッフ側として接するのみという。毎回番組でお題を出されていて今は「新海苔」と「蓮根掘り」で苦吟中とのこと。

蓮根といえば私の住む土浦がその名産地で近所に蓮田は幾らでもあるのだが、あれは冬場に腰まで泥水に埋めての重労働なので、整体に行ったりすると、骨まで凍てて全身ガチガチに凝り、歪み縮まって施術を受けに来るレンコン農家のおばちゃんなどと一緒になったりすることもあって、こういう人の体はもう指圧しようにも順番にほぐしていかないことにはまず指が入らない。

神野さんは単に馴染みがないだけだったらしいが、身近に見ながら自分ではやったことのない重労働というのは、詠みにくい。

長谷川櫂氏が自分たちの世代あたりから「戦争」「病気」「貧困」といった大テーマが共有されなくなったといった話をしていたので、最近の「国民的云々」はその復旧を目指したものかと訊いてみたら、いや、あれは…とこちらもやや照れくさそう。

有季・無季といった話題も長いテーブルの反対側から聞こえてきたので高柳氏に、「鷹」の投句で無季俳句というのはありですかと訊いてみたら、意外なことに「ありますよ」とのこと。

このテーブル長辺の反対側では高柳氏が、鴇田氏、長谷川氏に向かって、俳句を批評する際、実人生上の情報といった作品外の要素をどう扱うべきかについて論じていたりもした模様。

私の隣が山岡さんだったので、今回の集まりはそもそもどういう趣旨なのか訊いてみたのだが、海に向かって開け放たれた窓(これが波の上を飛ぶカモメがよく見える)から入る波音や、海岸沿いのせいか無闇に多い走り屋のバイクの轟音でよく聞き取れず、後日メールで確認してみたところ、長谷川櫂氏と若手俳人を引き合わせる企画があって、元はふらんす堂の方で別な場所を用意するつもりだったのが、長谷川氏が使わせてくれるというので場所がご自宅に変更となり、誰に声をかけるかについては高柳氏の力を借りたということらしい。なりゆき次第ではこのメンバーでの吟行なども考えていたというが、これは実現しなかった。

会食、談論のうちにいつか日も暮れてきたので山岡さんの呼びかけで全員潮風のきついベランダに並び記念撮影。暗い中だと間近に迫ってくる波音がなかなか恐ろしい。

実は会食の冒頭に長谷川氏が、「今日はこの皆さんでひとつ連歌を」などと言い出したので一同ギョッとしたのだが「…と思ったが各自今日の会について一句詠んでもらいたい」と変更になって、さらにそれも話し込んでいるうちに日が暮れてしまってなしくずしに沙汰止み。

一応来る前に『長谷川櫂全句集』に目を通してきたりもしたのだが、各自事前に選んできた長谷川櫂句についての話も、誰も切り出すことなくそのままとなったので、以上の2点は宿題となり、後日山岡さん宛てにメールで送稿することになってしまった(これは近々ふらんす堂のホームページに載る予定)。

「週刊俳句」の編集にも携わるようになった山口優夢は、お開き間際に長谷川氏への「新作10句」の依頼に成功。ウェブマガジンの類はご覧になっていないそうだが、あっさり何の気取りもなく承諾してくれた。

夕方6時頃、一同口々に礼を述べて辞去。

全員とりあえず最寄の乗換え駅まで移り、誰も土地勘のない所だったのだが山岡さんの提案で駅前の居酒屋を見繕い二次会。

ここで各自長谷川櫂のどの句を持ち出すつもりだったのかを披露し、それについてまたひとしきり談論があたりもしたのだがこれはホームページにアップされるのを楽しみに待つとして、宇井十間がまた例によって古今の名句に「どこがいいのかさっぱりわからない」発言を連発。これに周囲が「じゃあどういう句ならいいのか」と応酬して、それをまた宇井氏が悉く否定する展開となる(私は宇井氏と同席したことは3、4回しかないが毎回必ずこの展開をたどる)。阿部完市を評価しているのは知っているのだが、この日は宇井氏の別の高評価句も知れた。永田耕衣の『泥ん』所収の句《春風として空溝(からみぞ)を跳ねまんねん》で、この「まんねん」がツボにはまったらしく、宇井氏紹介する端から笑いがこみ上げて仕方がないといった様子。

宇井氏に私の評論の書き方に対して疑義を呈されたので、いやあれは二次元の写真のような状態の句たちを、三次元以上の、動きや構造も見える世界に置きなおすための足場としていろいろ引用しているのだ、などと反論したが通じたかどうか。

あと昭和30~40年世代の俳人論で盛り上がる。

個人的に興味深かったのは鴇田智哉氏で、何でこんな話になったのか忘れてしまったし、飽くまでも自分のことではないというスタンスを崩さなかったのだが、霊が見えるとか感知できるということは別に珍しいことではなく、それを殊更言いたてることの方がおかしいと言い、私も同意。私にしても人の背後に何やら見えてしまったりする体質では全くないのだが、鴇田智哉のあの類例のない奇妙でうっすらと不気味さ漂う(褒め言葉である)句の秘密が垣間見えた気がした。

高柳克弘氏は「鷹」の句会で外泊先から直行したとのこと。後半はさすがに疲れた様子で、肝心の句を作る時間が取れない、スラスラ作っているように思われがちだがそんなことは全然ないと言う。内面的な燃焼度が必要とされる作風だから時間も集中力も要るのではないか。

山岡さんは『桂信子全句集』について今後何か再検討の企画を始めそうなご様子。

ところで、ずっといたにも関わらずここまで一度も登場していない参加者が一人いる。日下野由季さんである。

私は初対面だったのが結局ろくにお話することもなく、まさかこの集まりの間中一語も発しなかったということはないと思うのだが、大変に口数の少ない方で、しかしだからといって退屈しているというわけでもなく、目を大きく開いてやや傾いたような姿勢でまわりにちゃんと反応している。その様子が何やら別次元から下界の様子をうかがっているようでもあって、この人はひょっとしたら創作者として偉い人なのかもしれない。

一番遠方から来ていた私が終電の時間になってしまったのを機に、名残は尽きないが夜10時でお開き。正午から始まって丸10時間ほとんど飲み食いばかりしていたことになる。

雨が降りだしていて、駅に急ぐ間に皆とはぐれた。

他のメンバーは大方都内在住者だったので、何人かはあれからまた三次会に行った可能性もある。


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