2009年4月19日日曜日

閑中俳句日記(03) 西村白雲郷句集『瓦礫』『四門』『塵々抄』・・・関 悦史

閑中俳句日記(03)
西村白雲郷句集『瓦礫』『四門』『塵々抄』

                       ・・・関 悦史

 最初に断わっておくと、今回紹介する句は全部孫引きである。

 この連載の初回で永田耕衣を取り上げた際、「上手いとか下手とかがどうでもよくなる句」という言い方を私はしたが、その耕衣が散文集『俳句窮達』(永田書房・昭和53年)の出だし数篇で西村白雲郷についてまとめて取り上げていて、これがまた「上手いとか下手とかがどうでもよくなる」の最たるものだったのだ。句集本体に当たれれば良かったのだが容易に見られるものでもなさそうなので、以下は全部耕衣の『俳句窮達』からである。


枝蛙居るところ生きてゐるところ

名無し浜の汐干を一人ゆくは人

よそよそしく動く種蒔く影法師


 以上、耕衣「「名無し浜の親爺」」(初出「未完」昭和25年5月号)から。

白雲郷は耕衣の15歳上の明治18年生まれ。当時の耕衣からしても既に老人だったようで耕衣は「白老」という敬称を捧げている。「ハクロウと読むもよし、ビヤクロウと読むもよし。/白老にはその風通しのよいイケイケの作品を通して逢つてみたいと兼々思つてゐた。ところへ吉田忠一氏から白老が私に逢ひたがつてゐられるよし承るに及んで、ホホウといふことになつた。所詮、相見の手づるは忠一御一人だが、逢つて見れば白老、忠一、私と三拍子一つになつた御一人が生成されたといふ感じ。ホホウといふ感じなのだ。」と、何だかわからないが意気投合した模様である。

耕衣が白雲郷に対して「逢つてこちらが得をする人と独断」するに至ったのが「枝蛙」の一句。「得をする」という貪欲ぶりが耕衣らしいが期待に違わなかったようで、白雲郷は「禅にタンノウ」「禅の禅らしきを迅く蝉脱されてゐる」「よいオヤジ」であった。

以下どの句にもこの調子で耕衣の瓢箪鯰のようでありながら勘所を押さえた踏み込んだ名文がまつわるのであるが、全部引いていたらキリがなく、耕衣に占領されてしまうので惜しいが個々の評釈は省略する。

阿部完市がこの西村白雲郷に師事していて(「週刊俳句」に橋本直氏の記事がある。http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/03/blog-post_597.html)「よそよそしく動く種蒔く影法師」など後の阿部完市俳句に通じる怪しさを感じさせる。いずれの句も突き放して同時に大らかに受容していて、突き放すとか受け入れるとかいう身構え自体が脱落したような質朴さに達しているのが好ましい。


干魚の石噛んでしまひぬうそ寒く  句集『瓦礫』

炭つぎつぎ我はまことに恬淡か

泊る布団に凭れ真実語りけり

蜉蝣の毬ふゆうにて終りたる日永

それで無きそれで無き思念土筆噛む

冬夜の蛾怡しげなれば灯を消さず

冬夜なる蜘蛛に心底覗かれし

藁塚や人は芥の如く住み

家に妻男野を焼く誇りもち

豆飯や羽蟻見終りたるひとり

畑かけて打水し坐る箪笥の前

白シヤツや頭の四角なる男

蝿親し蛙の如く嬰児座し

打水や箱につまりしひよこの目

木に蛇の尾が見ゆ今日は誰か来る

蟻地獄蟻はにべなく行き過ぐる

行く前へ秋耕小石放り出せり

女主じ子のあり壁にかけし紙鳶

耕牛の鼻先新ラの自転車立て

蜂の舎蜂歩き入る歩き出る


以上、永田耕衣「老漢の所作」(初出「琴座」昭和25年6月号)から。

「耕牛の鼻先新ラの自転車立て」は後に出てくる別の文(「西村白雲郷秀句選」)で「耕牛の鼻前キ新の自転車立て」の表記で引用されている。孫引きの悲しさでどちらかが誤りなのか、句集収録の際に改められたのか等はよくわからない。

「畑かけて打水し坐る箪笥の前」は耕衣は秀句でもないと断わりながら引いていたが、この「畑」と対になって坐られる「箪笥の前」は、農事や日本家屋が実生活上縁遠くなったというだけのことではなく、今の俳人からはなかなか出てこない境地ではあるまいか。地に足の着いた古拙なような安心感が捨てがたい。


蛸をかむこめかみ人はさもしきかな  「未完」昭和25年9月号

かくれんぼう啞蝉群るゝ頭上の木

単調の日課穂草の穂は二すじ


 以上、永田耕衣「諧謔の一例」(初出「琴座」昭和25年11月号)から。



布団よせよせ己れ敷き己れ風に臥す  「未完」昭和26年3月または4月号

葬の帰途よせよせの柿もてなされ

なびき得ず枯草は棒立ちにゆれ

絵襖の鴉禅林の寒鴉

庫裏寒し尼僧の閨を見てぬける

着ぶくれてどこからか出す手帳眼鏡

毛帽被て鳥捕り妻は三人目


以上、永田耕衣「白雲郷の近業」(初出「未完」昭和26年8月号)から。

「布団よせよせ」「よせよせ」が耕衣もよくわからなかったようなのだが、「稲葉直に聞いてハツキリした。「よせよせ」は「よせ集め」と言つた意ださうである」。一セットの質や模様の揃った布団ではなく、半端物を寄せ集めてという自在さの句らしい。

「絵襖の鴉禅林の寒鴉」とか「単調の日課穂草の穂は二すじ」とか、二つのものが対になるという句がよく現われる。自己中心と他者・全体志向のどちらにも偏したり固着したりせず、その時々を流体のように存続するというありようが根底にあると思われる。次の「蝿叩」もその一つ。


蝿叩有る時は二本無き時は無し

舗装路の穴梅雨の蝶閑散に

数日にちる葉にて蝶に飛び廻られ

猟犬の肋の数我は風ひきしか

西吹いて来ましたねと黒きシヨール巻く

田を鳴き鳴き小股にて来る猫の夫

ここ虹の根のあたりなり青臭し

滴りや男を頼む女となり

濁富や莨セツトの死蛾碧し

娶りし春漬物壺に人形立て

蝸牛の危きに居て釜傾け

懸命に蜂戻る函剥げてあり

春野より藁塚藁と棒と帰る

耕牛の顔に覗かれ慾の話


以上、永田耕衣「『四門』鑑賞」(初出「未完」昭和27年12月号)から。

「田を鳴き鳴き小股にて来る猫の夫」が何とも無類に愛らしい。

「耕牛の顔に覗かれ慾の話」も、禅家が牛を持ち出すと牧童が牛を探し求める過程が悟りの過程になぞらえられた「十牛図」を思い出さないわけにはいかないが、あまりそうした大層な由来をまとった牛とは思えない、「猫の夫」同様の抜けた素朴さがあって、この牛に覗かれているうちは「慾の話」とはいっても人身のスケールを超えた欲望の暴威に振り回され、取り返しのつかないところへ出るといった気遣いはなくてよさそうである。

「耕牛」ではなくて「耕牛の顔」なところから、高柳重信がどこかで「水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首」(阿波野青畝)を褒める際、「蛇の首」を「蛇泳ぐ」とやって「写生」した気になっている俳人が多いと嘯いていたのを思い出したが、この場合の「耕牛の顔」はそうした写生極まって幻術的なリアリティを出すといった刃の鋭さとは事情が違って、全体でひとつのアレゴリカルな無何有郷のような時空を形作っている。

「耕牛の鼻前キ新の自転車立て」といった牛が自転車を見せびらかされているようなおかしみのある句もあるので、この「慾」もせいぜい自転車の新品ぶりくらいで留まっているようにも見える。「娶りし春漬物壺に人形立て」も変な組み合わせの句だが、これも「自転車」の句と同様、常凡な農村の暮らし(あるいは一見それに限りなく近く見える俳句空間)に無用な新鮮さ、華やかさを持つものが急に「立」った句で、この辺も二物衝撃で違和を際立たせてリアリティを獲得することが狙いではなく、一句全体が古仏のような融和の相を成している。

以下、耕衣が白雲郷の没後「西村白雲郷秀句選」(初出「琴座」昭和41年11・12月号)で3冊の句集から抄出した句をそのまま引く。


水盤のざり蟹二つ逢ふは稀

炭つぎつぎ我はまことに恬淡か

冬夜なる蜘蛛に心底覗かれし

それで無きそれで無き思念土筆噛む

名無し浜の汐干を一人ゆくは人

枝蛙居るところ生きて居るところ

畑かけて打水し坐る箪笥の前

蟻地獄蟻はにべなく行きすぐる

蝿打ちて蝿のもろさに憤る

月明にもの食む我の影は餓鬼


     ―以上昭和二十四年版『瓦礫』より―


牛は角思はず歩む冬の暮

冬蝶の粉が指につき畏れあり

人が人に行き違ひたるのみの春野

南瓜二つ抱へて耳の穴痒し

老いて知る樫の実は二つづつひつつき

大寒を突つ張れる塀の突つ張り棒

耕牛の顔に覗かれ欲の話

娶りし春漬物壺に人形立て

耕牛の鼻前キ新の自転車立て

よそよそしく動く種蒔く影法師

天井に唸る熊蜂褌一つ

父母も妻も無し夏帽の函を出す

叩かんとする蝿叩蝿とまる

野の端の無用の棒に立ちて涼む

蛸を噛むこめかみ人はさもしきかな

蝸牛二つ二三寸にして相会はず

絵襖の鴉禅林の寒鴉

毛帽被し鳥捕り妻は三人目

女二人につるまされ犬の目は泣けり

蝿叩有る時は二本無き時は無し

滴りや男を頼む女となり

天牛の肩文弱の手に痛し

藁鳰として列べられ藁である

一花一花は赤し紅梅昏れたれど

     ―以上昭和二十七年版『四門』より―


西に海わが生涯の春の山

天厚く松蝉の声松に終り

闇中に蛼鳴きて闇作る

どんな顔して我は菜を間引き終りしや

眼に残る群青は何処の露草か

父祖遠しあしゆび立ててあるく蟇

遂に古稀山羊鶏の目に縋られて

家庭春めきて硝子戸の破れ三角

反古のわが名燃ゆる塵芥鼻寒し

応へ無ければ法師蝉鳴きて考へる

秋の蜂己が重量に引かれ引かれ

良き風の手止んでから揚る俺の凧

涼しさや山是山水是水


     ―以上昭和三十四年刊『塵々抄』より―



西村白雲郷……1885(明治18)年3月26日大阪生まれ。松瀬青々に師事。戦後「未完」主宰。1958(昭和33)年3月30日没。

4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

関悦史 さま。西村白雲郷の句集はなかなかみつからないので、「琴座」に、そう言う資料があって紹介されたことは、今回は有り難いことでした。

わたしの住居から、方向はそれぞれ逆ですが、東生駒の方向に和田悟朗、大阪よりの南田原地域に稲葉直。生駒山反対側の富雄(今の学園前)に津田清子、と大家ががおられ、これだけのオーラを受けたなら、すこしは俳句が巧くなるかな?と思っていてもそれはまた別だったようです。稲葉さんは阿部完市ととともに白雲郷の弟子です。

関西で、この白雲郷の系譜にある俳誌としてはまず「未完現実」でしょう。海程の長老だった稲葉直さんは、亡くなられましたが、「未完現実」を主宰し阿部完市氏もずっとそこでやっておられました。誌名は、「未完」からきたのだろう、と勝手に推測しています。
「未完現実」はこじんまりした同人誌ですが、現在高齢化した年齢にかかわらず古くからの人の表現がわかわかしい、前衛俳句がまだいろいろあった時代の名残をとどめています。
稲葉直氏没後、森田ていじ氏編集発行を
が継がれました。
しかしこの方も、しかし体調不良で続行がかなわず、いまは、小松賢治氏が代表。
われわれの基地「北の句会」の仲間である泉史氏(「未定」「翔臨」所属)が編集長でささえています。

最新刊。
「未完現実」3月号(№224)は、阿部完市追悼号。(森田ていじ、沢井山陽、などの回想に、白雲郷、耕衣、直、完市らのお名前が頻発、懐かしさと愛惜をもってかたられています)。山椒は小粒でぴりりと辛い、いまにいたるまで、古風にゼンエイしているユニークな同人誌です。
 こういう小同人誌は、機会あるごとにメモ代わりにでも、お知らせして、細くでも現在の記事につないでおくべきとおもいまして、一筆。

冨田拓也 さんのコメント...

西村白雲郷は、私が現在住んでいるところから東へ大体2キロくらいのところに住んでいた俳人です。
今回、関さんが取り上げておられたので吃驚しました。
西村白雲郷は終生、生駒山の麓に住んでいて、20年ほど行商をし、晩年は野崎観音というお寺で受付をしていたとか。
私にとっては本当に地元といった感じです。
そういった事情から、

西に海わが生涯の春の山

という句が文中にありましたが、この作品は生駒山の頂上からの風景を句にしたものではないかと思われます。
確か山の頂上からは、大阪平野のはるか向こうに大阪湾を望むことができたような記憶があります。

この西村白雲郷については地元の人間であるということで、私もいくらか調べておきたいとかねてより思っていたのですが、あまり詳しい事については知りません。

6,7年も前に難波の古書店(鈴木六林男もよく訪れていたとか)で、この作者のものがいくつか纏めて売られているのを見かけたのですが、その時はこの作者の魅力がわからず素通りしてしまいました。
いま考えるとなんとも惜しいことをしました。

以下いくつかデータを。

西村白雲郷の句集は全部で5冊あるそうです。

「瓜燈篭」(大正14年)
「断層」(未刊)
「瓦礫」(昭和24年)
「四門」(昭和27年)
「塵々抄」(昭和34年)

あと、弟子の稲葉直に「私記・西村白雲郷」
があります。(これは図書館で手に取ったことがあります。)

最後に、過去の私のメモから西村白雲郷の作品のいくつかを記しておきます。

水涸れの水にて流れねばならず
露草のしんじつの色露深く
稲雀空が広うて飛びまどふ
死にに来し秋蝶畳に翅合はし
老鶯は水ほとばしるやうに鳴く
これが我れか緑陰に手の静脈見て
草摘の二人離れてしづかなる
ざり蟹に水盤の国無限なる
初夢の何か青空なりしかな
獣に似しこゝろ人にある寒さかな

Unknown さんのコメント...

関さま、冨田様。
この号は、関西の俳人へのクローズアップがの感がありますね。すべて佳いヒントになります。
白雲郷は、東大阪市の方にも住んでおられたのですね。生活ぶりについて知るのはじめて。


 「西村白雲郷は終生、生駒山の麓に住んでいて、20年ほど行商をし、晩年は野崎観音というお寺で受付をしていたとか。
私にとっては本当に地元といった感じです。
そういった事情から、
  西に海わが生涯の春の山
という句が文中にありましたが、この作品は生駒山の頂上からの風景を句にしたものではないかと思われます。
」(冨田さん)


この句は、やはり生駒山でしょうね。ここが曇るとまもなく私の家に方にも雨がふってきます。いまは、どこの山でもそうですが、
木々の新芽がわきたってわらわらとそよぎ、「山笑う」とはよくいったものだ、とおもいます。こういうお話はとりわけ楽しいです。

おふたりとも、ありがとうございました。

関悦史 さんのコメント...

吟さま

「未完現実」ってまだあったのですね。こういう同人誌などは本当に全然わからないのでこういうところで紹介していただけるとありがたいです。
関西は前衛俳人とSF作家が多くて、未知の面白い人がまだまだいるのだろうなと思います。

冨田さま

まさかそんな近所だとは思いませんでした。とりあげたこちらも驚きです。
句集の紹介ありがとうございます。
「水涸れの」の句が何となくおかしみがあって白雲郷らしい。
それにしても古書店の件は惜しいことをしましたね。

豚インフルエンザはまだ関係なさそうですが、体調が少々ひどいことになっていまして、パソコンもろくに開けておらず、返信遅くなって失礼しました。