2009年3月8日日曜日

書物の影 第八回

書物の影  第八回

                       ・・・堀本吟

第Z章  おりおりの本、雑誌 記録

1 柿衛文庫、桂信子寄贈本資料室でみつけた。「旗艦」「太陽系」合本

犬も歩けばなんとなく、良い本や思いがけない雑誌のことばにであう、まるで、前からそこにいて私が行くのを待っていてくれたように。本来「書物の影」という精神領域は、このような出会いの重なり合う色の濃い記憶の部分に与えられるいい方であった。それを書き留めようとすると、なんとなくかまえてしまい、まとまった意見のひとつも述べなくてはいけないような気がしてくるのである。それももちろん、表現の情熱のしからしむるところ、自分の心に決めた志の一つなのではあるから、うけいれて(あきらめて)文章化の努力へ収斂してゆかねばならないのだ。しかし。書物を読む快楽のもう一つのありようは、読みっぱなし、メモのしっぱなし、である。大半の活字はこの過程でちらりと目に入り、そのまま通り過ぎて行く類のものだ。それが知の原体験となるものである。本章は、その毎日一度はページをめくる本達を、アトランダムにメモして行くコーナーにする。ここから、抜き出される内容、後日引用に役立てる文献が沢山出てくると、思われる。

【二〇〇九年三月七日 中村安伸さん達と柿衛文庫へゆく。】
この「俳句空間—豈—weekly」の編集者のひとり、中村安伸さんが、平群の実家に帰省中で、この日には時間がとれるというので。一度あいたかった。
ちょうど大本義幸句集の出版祝賀会もわり、北の句会も小休止、若い人たちの集まりもないようで、時間がとれたのは、堺谷真人、曾根毅、堀本吟、北村虻曳・・、交流会として、さて、どこへ行こう。

堺谷さんに相談したら名案を出してくれた。こういうコーディネートは、彼に任せるに限るのである。「みなさん、柿衛文庫へ行きましょう!」

ここは、JR伊丹駅から徒歩七分。こじんまりした当館は、いまや、関西地方の大変重要な俳句資料センターになりつつある。現在は、故島田一耕史所蔵の短冊類を公開した、「俳画展」がひらかれている。俳画というのは、句に画賛を添えた短冊、色紙類である。中には句が書いていないものがある。「鰯一尾」で俳味を感じとらなければならない。(ちゃんと感じとれるから不思議である)。俳画と言うジャンルはじめてまともに見たのだが、細い短冊のなかの書と絵のコラボレーション。そこをはみだしてゆこうとする誹諧のえすぷり。独特な美意識につらぬかれている。現在では、写真と俳句。ポスターと俳句。など、取りあわせる媒体も多様化しているが、何だろうな、このハーモニー、と言うことがあとで夕食のときに話題に出た。

二階に、資料室がある。ここに、桂信子の蔵書が寄贈されていて、二階の一角に移動式の書架が設置されている。まだあまり知られていないが、「旗艦」。「太陽系」。もちろん。「青玄」「草苑」「俳句研究」バックナンバーが初期から現在まで整然と並んでいて、個人句集、全句集、叢書類も豊富、戦後俳句のことを知りたければひじょうに有益な文献が揃っている。
私などはここが一番面白く夢中になって、そのころの雑誌をよみふけって、入館料五百円で随分遊べたのである。

【「太陽系」 冨澤赤黄男のアフォリズム 】
二三欠号はあったかも知れないが、キチンと合本してある。一冊抜き出して幾つかコピーして貰った。全体はとても読みきれない。ほんの一部をのぞいただけ。でも充実した時間だった。

引用
巻末  奥つけ (要約)
「太陽系」第十一号(五,六月号)
昭和二十二年六月二十五日発行{発行所・太陽系社}{編輯兼発行人・水谷勢二(水谷砕壺)}{本号特価二十五円、送料五十銭}
とある。

引用
1ページ 巻頭言 引用(全文)(本文は旧字体である。)

《詩語としての季語》 富澤赤黄男

 詩人の詩想は常に湧出し、流動する・
 詩人は詩想の流れ消え去るのを防ぐために「文字」もって、これを「空間化」する。即ち時間的なそれが「空間化」を志向しなければならぬ。
「空間」とは「空間的に停止」するものではない。即ち「固定」ではない。それは、常に、その位置に於て、「渦巻いて位置」するものだ。その「文字」は「象徴としての文字」でなければならない。
 文字は単なる「文字」「記号」であってはならない。
 季節趣味者の季語が往々、単なる「文字記号」になって無自覚に飾られてある。これは、季語が詩語であることの詩学的理解がないからである。
                             (引用終わり)

という短章。冨澤赤黄男の言説は、いわゆる理論の体裁は持たないのだが、やはり、胸に落ちてくる。詩的発想とはこういうのをいうのであろう。
                         
館のなかに、旧岡田邸があり、おひな様がかざってあった。そのよこのおおきなへやは、酒造りの蔵の跡。
そこをでて、ちかくの「長寿蔵」で,地ビールで乾杯。このコース、中村さんはも曾根さんも、虻曳さんもはじめて、で、いたく満足の様子である。段取りよく運んだのは、全く堺谷さんのおかげだ。
詩想も文字も、このビールの泡に溶けこんでいるような透明な琥珀色。

みなさん。伊丹の「柿衛文庫」に行きましょう!
ここでは、俳句のことがゆっくり考えられる時間がながれています。良い本もあります。そのうち「文字」(空間)になるかもしれません。   
                     2009年 3月7日この稿了。
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