2009年3月7日土曜日

日常生活動作(5) 「浴びる」と「浸かる」・・・佐藤文香

日常生活動作(5)
「浴びる」と「浸かる」

                       ・・・佐藤文香


啓蟄の雲にしたがふ一日かな  加藤楸邨

少しのあいだ実家に住むことに決め、松山に帰ってきた。

一人暮らしと実家暮らし、実家の方がバランスよくご飯を食べるとか毎日洗濯をするとか、一人の方がトイレに開けっ放しで入れるとか裸で歩けるとか、いろいろ違いはあるが、その一つに、私は入浴を挙げる。

灌仏の日に生れあふ鹿の子かな  芭蕉

一人暮らしをしていた約5年間、バストイレ別の家でもそうでなくても、お湯に浸かるということをほとんどしなかった。シャワーで済ませるというか、シャワーで充分というか。しかしそのシャワーという行為の、浴びる前の億劫さと言ったらなかった。全身を洗えばすっきりするのはわかりきっているし、もちろん私だって不潔でいたいわけではない。シャワーを浴びた後は、バスタオルでがさがさと身体を拭きながら、ほかほかと気持ちよく狭い部屋を歩き、今日もシャワーを浴びてよかったなぁと思いながらドライヤーで髪を乾かすのが常だ。ではなぜ私は「ああ、シャワーしなきゃなぁ、面倒だなぁ」とマイナスの心持ちで風呂場のドアを開けなければならなかったのだろう。

一つ目の理由は、シャワーを浴びる時間帯にある。シャワーを浴びるのは大概出掛ける前であった。今から大学に行く、あるいはバイトに行く、そういった気持ちの切り替えを迫られるのが、シャワーを浴びるときだ。出掛けるのに宿題はサボっても、風呂だけはサボれない。としたら、超高速で支度をするにしても、家を出る時間の最低30分前にはシャワーを浴び始めないといけない。お化粧にも時間をかける必要があれば1時間前には服を脱ぎ始めないと遅い。洗濯機を回してシャワーを浴びる場合は、支度時間に洗濯を干す時間をプラスして逆算せねばならない。それに、何分発の電車に乗るとかまで考えると、時間逆算の負荷が最も重くのしかかるのは、シャワーの前なのである。

花どきの峠にかかる柩かな  大峯あきら

それが実家ではどうだろう。まず、風呂は夜。基本的に私が最後にお風呂に入ることにしているので、そのあとに迫るものは何もない。そしてお湯に浸かる。お湯の中で予定の再確認をしたりはしないので、精神も自由である。自由だと、勝手に俳句ができたりする(大概どうでもいい句なのですぐに忘れてしまう)。入浴後もだらだらする。――もしかして、これが「松山」なのではないか。道後温泉に浸かり、みんな笑っていて、「えーわいえーわい」で何でも収まり、俳句でもひねる。

思えば、時間に追われ何かを考えながら、シャワーを立って浴びるという行為は、東京生活の縮図のようなものだ。

自分にとってどちらがいいかはわからない。けれども、どちらも知っているのは悪いことではないだろう。のぼせるまで浸かっているか、すぐに飛び出してしまうか、それもわからないけれど。

行水の女にほれる烏かな  高浜虚子

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

佐藤文香様

お風呂談義、温泉談義、面白かったです。道後温泉は十五年程前、これは仕事だったので、温泉本館はもちろん、あちこちの宿の温泉に入りまくりました。二年前に松山を訪ねた時は、まだ登っていなかった松山城見物に時間を取られて温泉本館にも寄れませんでした。宿は、お城の麓のホテルだったし。それでも、子規記念館には行ったのですが。そういえば、十五年前の松山行では、鷹の子温泉にも泊まりました。泉質という点では道後より良いのではと思ったくらいですが、それは幻想でしょうか。

匿名 さんのコメント...

高山れおなさま

コメントありがとうございます。道後温泉は見るものか通うところ、どちらかというとすげー銭湯みたいなかんじですね。
小学6年生で松山に越してきて4年ちょっと、借家に住んでいたのですが、その家のお風呂は立方体に近い形で、要は貯水用だったみたいです。もと住んでいた方が毎日温泉に行くから、ということらしく。我々はそうもいかず、体操座りで毎日入浴していました。
泉質でいうと、鷹ノ子や権現温泉、奥道後もまずまずみたいです。