2008年12月20日土曜日

俳句九十九折(17) 俳人ファイルⅨ神生彩史・・・冨田拓也

俳句九十九折(17)
俳人ファイルⅨ 神生彩史

                       ・・・冨田拓也

神生彩史 15句


秋の昼ぼろんぼろんと艀ども

電文のかくもみぢかき訃にあひたり

貞操や柱にかくれかがやけり

抽斗の国旗しづかにはためける

深淵を蔓がわたらんとしつつあり

昆虫の仮死へ一気に針を刺す

先頭の男が春を感じたり

淡水の海水に逢ふ春の昼

荒縄で縛るや氷解けはじむ

まないたを蝦があるけり海鳴りす

木枯や石触れあうて水の中

炭を割るそれより硬き炭をもて

死神が毛糸の毬をころがせり

雛壇のうしろの闇を覗きけり

秋風や見本の種子は壜の中


 

略年譜

神生彩史(かみお さいし)

明治44年(1911) 東京に生誕

大正15年ごろから昭和17年まで神戸に在住

昭和2年(1927)  永尾宋斤に師事

昭和9年(1934)  日野草城に師事

昭和10年(1935) 「旗艦」創刊に参加

昭和16年(1941) 「旗艦」終刊、「琥珀」へ

昭和17年(1942)  応召

昭和21年(1948)  復員 「太陽系」入会

昭和23年(1948) 「白堊」創刊、主宰

昭和24年(1949) 「青玄」加入

昭和27年(1952)  句集『深淵』

昭和29年(1954)  故郷の三重県飯南郡法田に戻る

昭和31年(1956)  句集『故園』

昭和41年(1966)  逝去(54歳)

昭和42年(1967) 『神生彩史定本句集』

昭和53年(1978) 『俳句研究』9月号で「神生彩史研究」

 

A 今回は神生彩史です。

B この作者の存在というのは、いまひとつ明瞭でない感じがしますね。

A 私もそういった印象を抱いていて、今回はその全貌を確かめてみたいと思い、ここに取り上げました。

B まず、この作者は日野草城の門下でした。

A 富澤赤黄男と並ぶ草城門の逸材といわれていたそうです。その関係で、桂信子や藤木清子などの指導もしていたとか。

B 昭和10年に「旗艦」創刊に参加しているわけですから、まさしく典型的な新興俳句の作者といっていいと思います。

A では、その作品を見ていきましょう。

B まずは、〈秋の昼ぼろんぼろんと艀ども〉です。これは昭和12年の句です。

A 「艀」は小舟ですね。それがまるで玩具のようにいくつも水の上で揺られているわけです。

B 「ぼろんぼろん」というオノマトペが水の動き、そして小舟の揺れている様子をよく伝えています。

A 「秋の昼」で、人もあまりいないようなやや寂れた港の風景なのかもしれません。

B 「艀ども」の「ども」というややぶっきらぼうに言い放った表現からも小舟の古びた様子が思い浮かび、そのうらぶれた風景をさらに明瞭に想像させます。

A 次は〈電文のかくもみぢかき訃にあひたり〉です。

B 昭和13年の句です。この句は無季ですね。

A 「電報」というものは現在ではあまり馴染みがないですね。

B 私も実際のものは知りません。この句ではカタカナで短い文字が書かれているものなのでしょう。たとえば「チチシス」などといった。

A この昭和10年から昭和16年の期間における彩史の作は、当時の新興俳句の作品の影響が強いものがいくつも見られますが、それらは〈冷房で碧い心となつてゐる〉〈母と子に算術解けず蝉すずし〉などといった高屋窓秋や西東三鬼などの先行作品の拙い模倣のような句もあり、現在における視点から眺めると、みるべき作品はそれほど多くないのではないかという気もします。

B そうですね。当時のモダニズムの影響を感じさせるものが多いですが、現在の視点から見た場合、その多くがまだ未完成の段階にある作品ではないかという印象です。

A 同時期の富澤赤黄男や西東三鬼らの作品と比べると、一籌を輸する内容の作品であると言わざるをえないところがあると思います。

B その後、昭和17年に応召。戦地から「琥珀」へ句を送っていたこともあるそうです。

A その時期の句に〈泥濘を征き鶯の声に遇ふ〉〈傷兵に螢まぶしく担架来ず〉〈月蒼く脚が地雷を踏みにゆく〉などがあります。

B その後、昭和21年には無事帰還しています。

A その復員後の〈貞操や柱にかくれかがやけり〉を鑑賞しましょう。

B この句は昭和23年ごろの作です。

A 戦後数年の句ということですね。このあたりの句が、神生彩史という作者における作品の到達点であり、もっともその真価を発揮した時期ではないでしょうか。

B そうですね。このころから昭和25年あたりまでの句は優れたものが多く大変充実しています。

A その〈貞操や柱にかくれかがやけり〉ですが、まず「貞操」という言葉が現在ではあまり使われない言葉ではないかと思われます。

B この句は昭和23年(1948)のものですから、現在の2008年から約60年前の作ということになります。

A おそらく「貞操」という言葉の持つ内実とその印象は、当時と現在とでは随分と異なるものなのではないかと思われます。

B そうでしょうね。現在では「貞操」の持つ言葉のインパクトは当時と比べると薄れているのではないかという気がします。しかしながら、それでも、当時、初五にいきなり「貞操や」と持ってきた表現の斬新さは、現在から考えてみても極めて強いインパクトを持ったものであったということは容易に想像ができます。

A たしかに現在に至るまで「貞操や」という言葉で始まるような句は皆無でしょうね。そして、この「貞操」という言葉を女性をあらわす別の言葉に置き換えてみれば、この言葉の代替の不可能性とそのインパクトの強さがさらによくわかることと思います。その「貞操」が柱に隠れて輝くというのですから、やや抽象的な表現でもあります。

B 「貞操」と「柱」の関係。なにかしら聖と俗の入り混じったような雰囲気も感じられます。

A あと、この句は無季ですね。そして「や」と「けり」という切れ字を2度も用いています。

B そういった観点から見てもこの句は大変異色な作だと思います。

A 続いて〈抽斗の国旗しづかにはためける〉です。

B この句は昭和24年作。無季です。宇多喜代子さんはこの句について〈敗戦によって表舞台から消えた自国の国旗への哀憐なのか、いや安堵なのか。当時の大人たちの心情を忖度するばかりである。〉と書いておられます。

A 敗戦が関係していることは間違いのないところでしょうが、そういった条件を除いたとしてもこの作品は鑑賞に耐える内実を有しているようにも思われます。

B はためくはずのない抽斗の中の旗、それが音もなく静かにはためいている不思議なイメージが浮かびます。

A 虚構的な作品世界であり、それは作者の心象風景を句にしたものであるのかもしれません。

B 続いて〈深淵を蔓がわたらんとしつつあり〉です。

A 神生彩史といえばこの句が一番有名かもしれません。昭和24年の句です。

B この句も無季ですね。

A 植物の旺成な生命力、というよりもなにかしら必死なまでの懸命さが感じられるようです。読んでいると蔓そのものに同化してしまうような。

B たしかに、自分自身が淵の深さを覗いているような危機的な雰囲気も感じられます。これはまた戦後の時代を生き抜く作者自身の自画像でもあったのかもしれません。

A 続いて〈先頭の男が春を感じたり〉です。

B 昭和24年の句ですね。春の風と光。春という季節の訪れそのものの空気感が強く感じられます。

A どこかの広い空間で先頭に立つ男。その男性が春という季節を全身で受け止めているようです。

B この作者の別の作である〈遠き丘のマントの人が歩き出す〉という句にも近い印象があります。

A あと、なんとなく桂信子の〈男の旅岬の端に佇つために〉も想起させるところもあります。

B 桂信子にはこの彩史の影響がやはり小さくなかったのかもしれません。

A 次に〈淡水の海水に逢ふ春の昼〉です。

B 昭和24年の句です。同じ作者に〈明日海に入る春の水おびただし〉という句もあります。

A どことなく永田耕衣の〈いづかたも水行く途中春の暮〉を思い起こさせます。

B 川の水と海の水がまじわる汽水地における春の午後。そして、その春の光と水の流れる音と潮の匂い。視覚、聴覚、嗅覚など様々な感覚が喚起されます。

A どこかしら全体的に春風駘蕩というよりも、春のけだるさ、ものうさのようなものを感じますね。

B それは「逢ふ」の一語がそう感じさせるためかもしれません。

A 続いて〈荒縄で縛るや氷解けはじむ〉です。

B 昭和25年の句です。おそらくこれは「氷屋」を句にしたものでしょうね。当時は大きな氷を用いて冷蔵庫としていたそうです。いまではこのように縄で氷を縛り、運ぶということはあまりないはずですので、この句からは当時の生活を髣髴とさせるところがあります。

A 「荒縄」で氷を縛るわけですからなんともワイルドな感じがします。

B 縄で氷塊がきつく締めつけられる感覚と早くも溶け始める氷。それが急いで運ばれてゆくわけですね。

A 次に〈まないたを蝦があるけり海鳴りす〉です。

B 昭和25年の句ですね。この海老は料理のためのものでしょう。

A 下五の「海鳴りす」という表現で、やや象徴的な世界というか「虚」の世界へ踏み入ったような感もあります。

B この「海鳴りす」の下五で句が一気に現実から想像へと飛躍するようですね。おそらくこの海鳴りは「私」の心の中で聞こえているものなのでしょう。

A 新鮮な魚介の生命そのものの形象や手触り、そして海の匂いなどからの連想でもあるのかもしれません。

B 包丁という刃物の存在も感じられるますから、蛇笏の〈鼈をくびきる夏のうす刃かな〉〈寒鯉の黒光りして斬られけり〉あたりも思い浮かびます。

A 続いて〈木枯や石触れあうて水の中〉です。

B 昭和25年の句ですね。この句に似たものとして〈冬の雨錨は海の底にある〉〈水中にうす刃ひかりぬ秋の風〉があります。

A 冬の冷たい水の中の石。そして水の外の世界では木枯らしが吹いている。ある意味では古淡の風景ですね。

B しかしながら「触れあうて」という擬人的で身体感覚を連想させる表現から、水の透明度、石の質感にやや情感が含まれているような印象も感じられます。

A 次に〈炭を割るそれより硬き炭をもて〉です。この句は昭和26年の句です。

B 即物的な句ですね。いかにも俳句というか。冬の空気の中を炭を割る硬質な音が響き渡るようです。

A この作者はこういった即物的な把握に秀でている部分があります。〈荒縄で縛るや氷解けはじむ〉〈凍解の棒を引きぬき燃やしをり〉などを見ればそのことがよくわかると思います。

B 彩史は小林一茶が好きだったようで、いつも一茶の句集を持ち歩いていたそうです。そこからの影響もあるのかもしれません。

A あと、山口誓子の影響も少なくないのではないかという気もします。作者は草城門でしたが、当時の関西ではやはり誓子の影響力というのは絶大なものがあったのではないかと思われます。

B 次に〈死神が毛糸の毬をころがせり〉です。昭和26年の作です。

A この句は即物的な句から打って変わって虚構の句ですね。

B 「死神」といえば「鎌」を持っていそうなものですが、どういうわけかこの句では「毛糸の毬」を転がしているだけのようです。

A なぜここに「死神」が出てくるのか。骨の手が毛糸の毬をころがすという奇妙なイメージは人目を引く奇抜さがありますが。

B 骨のみの死神には毛糸は必要ないということなのでしょうか。イメージの明瞭さゆえに虚構の鮮やかさが際立っている句だと思います。

A 続いて〈雛壇のうしろの闇を覗きけり〉です。

B これは昭和27年の句です。おそらく雛壇の後ろを覗いてもなにもないのでしょうね。

A 何もないはずなのですが、そのことを知りつつも、ほぼ無意識的に雛壇の後ろを覗いてしまうわけなのでしょうね。雛壇の表の華やかさと、その裏側にある闇と空虚。それをわざわざ覗こうとする作者の性質が窺われるようです。

B 最後に〈秋風や見本の種子は壜の中〉を鑑賞しましょう。

A 昭和30年の作です。この句も即物的ですね。壜の中にびっしりと詰まった種子のイメージそのものがそのままダイレクトに感じ取れます。硝子壜の中、秋風を隔てて眠り続けるいくつもの植物の小さな生命。

B この句は割合高い完成度を示しているように思われますが、このあたりの時期から、彩史の作風は段々と粗雑になってくるという印象が否めなくなってきます。

A 師の草城もこの時期に亡くなります。そして、その後、彩史は病となり、昭和42年に54歳で亡くなります。

B 54歳ですから早世という感じがします。病気の間に作った句も〈白血球刻々減りぬ鳥雲に〉〈春夜すうーとリフトで降りし屍かな〉などいくつか存在します。

A さて、神生彩史の句を見てきました。

B モダニズムの影響を受けた戦前の新興俳句の時代と、その後の戦争。そして、戦後直ぐの混乱した社会状況。こういった時代の影響といったものが、彩史の作品には割合強く影を落としているように感じられました。

A そして、その戦後直後における自らの達成を、そのあと、見るべき作がないというわけではないのですがいまひとつ深化できなかったのではないかという憾みがあるように感じられました。

B たしかにその作品を見れば、この作者の才質が優れていたことは間違いのないところでしょうし、重要な作品もいくつかあると思われますが、この神生彩史という作者の持つ才質がその生涯を通じての作品の上において、はたしてどこまで遺憾なく十全に発揮され開花されたものであったのかどうかということを考えると、やや残念な感じがしないでもないといった印象があるような気もします。

 

選句余滴

神生彩史
 

白き船月の海ゆき居ずなりぬ

青林檎歯並そろうてゐてをさなご

雷とほしをさなごゼリーよりやはらか

弾痕のひとつびとつに秋ふかし

秋風の街ふかくわが影失せぬ

冬の雨錨は海の底にある

陸の秋英霊ひとつづつしろし

銀河ながれ砲弾みがく女の手

祇王寺の縞あざやかな秋の蚊よ

傷兵に螢まぶしく担架来ず

月蒼く脚が地雷を踏みにゆく

遠き丘のマントの人が歩き出す

妻の手の晩夏の針のひかりかな

火の燃ゆる音ぼうぼうと二月かな

春の夜の死よりしづかに接吻す

接吻のあと愕然と花咲けり

訣れきて烈火挟む火箸かな

三日月や縄がいつぽん張つてある

消壺に烈火とびこむ秋の暮

風船が部屋暗ければ出でんとす

手袋をぬぐたび罪を犯しけむ

杭打たれ水に没せり春の暮

冬眠の蛙女囚の鍬に死す

蛤を二つ生捕りかち合はす

蝙蝠傘を深夜杖とし女の死へ

人体のよわき部分に汗たまる

一茶忌や切株腐ってもありぬ

蜜蜂の蜜を垂りつつ死にゆけり

投餅のひとつ恍惚ととびゆけり

日傘ゆく首ぐらぐらの花さげて

凍解の棒を引きぬき燃やしをり

鵙よりもするどき人語崖の上

水中にうす刃ひかりぬ秋の風

人の死へ百花むらがる二月かな

なほ啼くは先きにあがりし雲雀ならん

死神去り花鳥をよごす眼をひらく

羽抜鶏しづかに蛇を跨ぎけり

壁つねに鼠に聳ゆ冬の闇

白血球刻々減りぬ鳥雲に

春夜すうーとリフトで降りし屍かな

 

俳人の言葉


中国大陸で敗戦を迎えた彩史は、ほどなく帰還してくるが、その後の人生を器用に生きぬくためには、おそらく何かが欠落しているか、あるいは何か余計なものを背負っている感じで、おおむね不遇な日々を送ったような気がする。彩史には、どこか頽廃的な雰囲気が漂い、いつも無頼な感じが濃厚であった。しかし、その感性は繊細で、むしろ気の弱い内向的な性格に支配されていたから、そこで育つものといえば、強い疎外感ばかりであったろう。そんな彩史にとって、熱中すべきものは俳句だけであった。だが、その俳句すらも、また、なぜか久しく疎外されて来たのである。

高柳重信 『俳句研究』1978年9月号より

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2 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

冨田拓也様

いつもながら面白く拝読。

死神が毛糸の毬をころがせり

の解釈ですが、例えば毛糸網みをしているお婆さんが、その作業をしながら心不全で亡くなり、膝の上に置いてあった毛糸の毬がころころと・・・などという情景はありえないでしょうか。安っぽいメロドラマ風な一場面といった解釈ですが、「貞操や」「抽斗の」の両名句などもある種の通俗性を帯びて感じられてなりません。

冨田拓也 さんのコメント...

高山れおな様

コメントありがとうございます。

「死神」の句確かにそのようにも読むことが可能ですね。
彩史の「ある種の通俗性」は草城譲りのものであるのかもしれません。
あと、桂信子にもそういったものが感じられるような気がします。

のちほどA子さんB子さんにもコメントしたいと思っております。
とりあえずこれだけコメントします。