「遷子を読む」を読んで(上)
・・・堀本吟・仲寒蝉・筑紫磐井
【注】「遷子を読む」に寄せられたコメントを整理し再編集して連載17回~19回に付録として連載しました。今回はその続きを載せたいと思います。新参加の仲さんもコメントしてくださいました。吟さんの書き換えも行われています。
●17回/梅雨めくや人に真青き旅路あり 『山国』所収
吟:真青き旅路・・私の好みから言えば、ちょっとセンチメントが強すぎ、それも一般的な形で出すぎている感じがします。でも。これはこれで替えようがない感動の証だと思います。
モダニズムのシンボルカラーは「白」「青」。これは、短歌の前川佐美雄もそうです。当時の流行りだったのでしょう。俳句では篠原鳳作「青」、と高屋窓秋の「白」がとくに優れている、ということですね。
筑紫:子規はなぜか赤でした。ただ、青や白だけではなく、抽象的なものに色の属性をつけたのがモダニズムだったのではないでしょうか。「肺」の青、「頭の中の野」の白です。モダニズムは純文学だけでなく、大衆文学や風俗文学にさえ影響を与えます。私は石坂洋二郎の『青い山脈』とも無縁ではないような気がします。
吟:人口に膾炙する子規の句が「柿」とか「鶏頭」だから? こう反論されると、一色を以て時代精神を云々するのは、無理でしたね? 子規は具体物そのものを置きますから。
筑紫:子規の写生文に「赤」というのがあり、子規がやたらに赤にこだわっていたように記憶しています。「柿」と「鶏頭」は言われて納得しました。子規はホトトギスですからね。
吟:もう少し発展させてください。「WEP俳句」51号の、西池冬扇氏の《赤の系譜—写生論に於ける子規から茂吉へ》という評論が目にとまりました。ここでは、正岡子規が「赤」を西洋的な明るさの象徴として憧れた、と言うことが書かれてあります。色彩は写生の重要な感覚的なモメントであることをまず前提にして、子規の好んだこの「赤」にこめた思想や感情を辿り、さらに高濱虚子と斎藤茂吉に伝わる過程を色々作品で実証し、シンボリズム的解釈をくだしています。子規以来の俳句と短歌史の追認ではありますが、論旨も説得性があり力作だと思いました。
ここで、とくに印象に残ったことは、「写生」は突き詰められて行くに連れて、「無」を引き出し、子規のとなえたものから変質していった、と言う西池氏の結論です。
「赤」は子規にあっては「情熱」、「西洋への憧憬」「改革」のシンボルカラー。
これが高濱虚子につたわったときには。赤い椿を「写生」していても。無彩色の空無の中の点描であると、西池氏は喝破しています。
また、茂吉にも「赤」の出てくる短歌が多いが、子規の「赤のパッション」は失われ、「夕陽の赤—さびしさ」そして、死の世界の「地獄の火」の「赤」となる、といいます。
おもしろいので結論部分を引用しておきます。
本来的意味から言うと、写生というのは絵画の手法であり、俳句に於いても手法の域を出ないはずである。現実には単なる手法をはるかに超えて、俳句を創造するときの動機あるいは精神的目的へ深化している。
写生という方法論には、特に日本では無の世界にいざなう魔物の罠が仕組まれている。
古来花鳥諷詠のドライビングフォースに虚無の世界が横たわっていたからである。
子規の継承者達、虚子も茂吉もいずれも結局は、観念の世界に取り込まれていったのはそのせいである。子規のイメージした写生、それは、子規が「先生」と呼んだ浅井忠の世界に、ちらりと垣間見える。私が明るい虚無と呼ぶ庶民の世界に。(西池冬扇《赤の系譜—写生論に於ける子規から茂吉へ》の終章《「子規の赤」はどこへ》「WEP俳句通信」51号
先にも云ったように、この評文は、実証的ですが論証とはいえません、しかし、それだけに俳句へ関わる感覚面も機微がよくわかります。写生が西池氏のいうことならば、それは本来理論化が不可能な方法論ですが、表現史の事実ですからそれをあらためて見直すならば、この感覚面の検討も出来うるのかな、と思ったりしました。だいたい、アンドリュー・ワイエスのようなスーパーリアリズムが、いつのまにか私たちが無意識に秘めている共同意識にふれてしまう、そんなこともあるわけですから。
また、この欄にも、相馬遷子の人間嫌いの話が出てきますし、医者として人間味観察眼を働かせながら、一方で、24回にでてくる「山深く花野はありて人はゐず」と言う「無人」の句もつくっているのですから、こういう二面性を、池脇氏のいう庶民感覚《明るい虚無》と結びつけることもできるのです。
ここにいたって、磐井さんのおっしゃる「ただ、青や白だけではなく、抽象的なものに色の属性をつけたのがモダニズムだったのではないでしょうか。」ということと、接点ができました。
「赤」「青」「白」など、どれが近代のシンボルカラーであるのか、と言うことは、決めることはできませんが、「色」に託して思いを述べる方法を発見した、ということが、俳句の感性の変化を示している、と言うことになるでしょうか。
●24回/雪降るや経文不明ありがたし 『山河』所収
吟:なにげない呟きのような句で、好感が持てます。悲しみごともまっただ中で、それだけではなくいろんなことを気がついてしまうものだ、と自分の場合も気がつきました。
お経と言うのは、耳できいても意味がわからず、判らないのに体に浸みるようでありがたみがある。のですが、その間に「ああ雪が降ってたなあ」とか。
本人のことだけではなく、まわりのことが鮮明に記憶される。その、心理の機微が出ていると思いました。
この句のおもしろいところは、構成の面にあり、お経がわかりませんよということをわかりやすくいっているところです、悲しいなかに一種の機知のあるところが皆さんのこころを曳いたのでは?(こういう取り方は不謹慎でしょうね?)
筑紫:経文不明はうまいですよね。何か日本人の仏教観、宗教観を代表しているようです。面白いと思ったのは、こうした人生観に評者が誰一人ネガティブではなかったことです。人が死んで悲しくなくはないのですが、この句では悲しみが癒え始めるころの心理を詠っているようにも思えます。
■関連記事、深谷義紀、窪田英治、筑紫磐井 →読む
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1 件のコメント:
筑紫磐井さま、御連中様・
その場その場のコメントはそのまま消えて行くべき所、まとめて別の文脈を作って頂きありがとうございます。大変励みになりました。
何を今更磐井の「遷子」読み・・とれおなさんに冷やかされていましたが、磐井氏に馬酔木的故郷(オアシス)があることを表明されたモノでしょう。こういうすなおな(笑)読書会がひとつあると、心休まりますし、他の記事の現在的にシャープな面もひきたちます。
又、本筋とははなれて派生する読書会を読む読者の想像力のひろがりかたも、楽しいと思います。
皆さん、懼れるところ無くコメントしませう。
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