―攝津幸彦百句[9]―
・・・恩田侑布子
三層 夢の肉
餓鬼道の春の道にも酢や溢る 9
『輿野情話』所収
見たことのない俳句です。一読意味のとれないままに、なにやら感官だけが切なくなってきます。このようないきなり官能をゆさぶってくる類の俳句は、ことに句集『輿野情話』ではめずらしいものではありません。思いつくままに挙げても、
手を遣れば少女は月を抱きけり
満々と昼顔を裂く盛者かな
花あやめ寛やかなればひるの鍛冶
雀鮓ゆふべの銀は百貫目 ⇒「銀」に「かね」とルビ
天あをく女の鉄棒みにつけり
ほとけどけんと部屋のぜんぶに春の雨
と、枚挙にいとまないほどです。
では意味より先に官能が揺さぶられる俳句とは、いったい何なのでしょうか。もとより写生の産物でないことはいうまでもありませんが、また、いわゆる個の表現を目指す近代の芸術意識によるものでもないこともたしかでしょう。
そうすると、個に代わる表現主体とは何かという疑問がわいてきます。「如来に秘密なし」といいます。攝津にも秘密はありません。『輿野情話』のあとがきに、みずから静かな口調でこの間のことを攝津は解き明かしています。その一部を抽いてみましょう。
「私」から「私でないもの」へ絶え間なく往復を繰り返す振子のようなものを、仮に想定してみると(…)扇状の透明でない空間を構成する。(…)この透明でなく、ある色調を帯びた扇状の空間こそ、私が私の在所として最も欲していたものに他ならない。
「扇状の私」とはしゃれたネーミングだと思いませんか。わたしなんかはすぐ「扇情の私」を連想してしまい、攝津の茶目っ気に思わず苦笑してしまいました。エロティシズム俳句の名手なんだから、ぴったしかんかん!つまらない冗談はさておき、幾重にもめぐらされた照れ隠しの韜晦をはずして攝津という俳人の本体をさぐってみると、しだいしだいに大きく豊かな相貌が現れてきます。攝津自身のごく静かな語り口と生前のきわめて謙遜な人柄ゆえに、いままで等閑に付されてきたきらいがありますが、じつは現代俳句は、攝津の登場をもって新しい表現主体を確立した。そういってもいいくらいなのです。そのことはこれからの小論で、徐々に明らかにしていきたいことでもあり、今は予告にとどめておきます。
では、今回の本題、「夢の肉」三層ならではの、夢魔の風光が一気にあふれる掲句に入ります。
「餓鬼道の春の道にも酢や溢る」。もしこの句を字義通り解釈するとすれば、「春の道」は季節の春の道であるとともに、春画や春情といった文脈からくる性愛を意味し、したがってそこに溢れる「酢」は女性の愛液にちがいなく、「餓鬼道の」ですから、飢えた人間同士、愛欲に執りつかれ、性欲の渇きに焦燥し呻吟する餓鬼同士の、つまりとんでもない酸鼻でむごたらしい性愛風景の展開ということになるはずです。
知性で掲句を一字一字読み解けばそうなるのですが、虚心に一読したときの印象はまったくの別物といっていいほどです。一瞬なにがなんだかわからない感覚の擾乱に掴まされます。やたらと感官が刺激され皮膚が苦しく切なく熱っぽくなる感じ。譬えようもない官能のかくらん、熱をもったポリフォニックなパンチに圧倒されてしまいます。そしてやがてそれらがおさまると、今度はいいようもなく悲しいようなそれでいて懐かしいような、またやさしく抱き取られているかのような、奇妙な滑稽感がわきあがってくるようなのです。まことに不思議な読み心地の俳句といわざるをえません。
いっぽう、エロティシズムの焦燥と惑乱が切ないほど伝わってきて、晩春そのものを火鉢のように抱いてしまった気がするのに、いわゆるいやらしい感じがちっともしないのはなぜなのだろうと、ずっとわたしはこの句に疑問を持ってきました。今回、いやらしさとは何か、と自問して、卑俗さという言葉が思い浮かびました。卑俗さとは視野の狭さ、狭量からもたらされるものではないでしょうか。そう考えると答えはおのずから明らか。掲句には狭量と正反対の寛大さが控えているのでした。餓鬼道・畜生・阿修羅・人間。みーんな面倒みるよとでもいわんばかりの度量が句の底にでんと坐っているのです。
技法上ではなんといっても下五の「酢や溢る」のやの切字が出色です。そこにこめられた「酢」への感動と詠嘆は、一句になめらな春光をいきおいよくほとばしらせます。
ところで、溢れる愛の「酢」といえば、一休禅師の「狂雲集」に名高い愛の詩を思い出さないではいられません。
七七歳の一休が盲目の森女に邂逅し、死の直前までの一〇年間にわたって「雲雨」の情「三生を約」したという、老年の至純な恋と性愛の記録。森女の体液を讃えて一休は「美人の陰に水仙花の香あり」と謳います。
楚臺應望更應攀
半夜玉牀愁夢顏
花綻一莖梅樹下
凌波仙子繞腰間
三聯目の「梅樹」は、傘寿の一休の冷えさびた老体の艶までも感じさせ、その下に綻びる一茎の花は森女です。終聯に定着された、二人のくねりながら絡みつく腰と、水の精水仙のエロスのイマジネーションは六〇〇年の歳月をものともしない目覚ましさです。老懶の色情という常識からかけ離れたその姿があまりにも人間として清冽であったので、余談ながら平成八年正月、わたしは、草間時彦宗匠捌の連句「木の会」で、一休の愛した「酢」に唱和して、つたない歌仙を巻いたのでした。その歌仙の一部を。
ナオ
軒下にやどかりを売るかなだらひ 本井鱏(英)
雁風呂沸かす浜の夕暮れ 大輪靖宏
日本丸船首かしずく人魚姫 恩田侑布子
水仙の香と一休が言ふ 侑布子
墓石の様な男と昆布茶漬 侑布子
答案の山片付けてゆく 復本鬼ヶ城
余談ついでに、拙句「白梅の老樹即ち男振り」(『振り返る馬』)もたぶん、一休のこの詩の記憶が深層にあってできたのだと思われます。
閑話休題。わが攝津はといえば、一休の漢詩「偶作」で、
餓鬼苦多也畜生
人家魔魅長凡情
飢渇病苦五噎患
邪師知識野狐精
と否定されるべきものとして詠まれた「餓鬼道」を、こともあろうにその餓鬼の渇愛や春情まで引き受けて肯定し、やさしく笑いのめしてしまうのです。
掲句は「餓鬼道の」といって、六道思想でいえば、天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄という地獄の一枚上の遠い世界のことでありながら、そのじつ何のシニシズムもなく自分のこととして引き受けてうたっているのです。人間の性愛を汚れたものと見ない、大らかに肯定する積極性がここにはあります。そしてその「酢」たるや、一休の愛した水仙の香という澄んだきれいさではなく、もっと猥雑なエネルギーを秘めたポリフォニックなものです。餓鬼道といいながら、相対差別の世界を超えた生命と性愛のエネルギッシュな賛歌になっているところがいかにも攝津らしいところです。
こうした人間的な温かさを一句に溢れしめているのは、さきの「扇状」地の肥沃でやわらかい私です。六道輪廻を見とおす慈眼の中に、愛液は涅槃のくつろぎをもってあふれたことでしょう。
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3 件のコメント:
侑布子様
しずかに「扇情」されている名鑑賞の御文を堪能しました。(ここで吟さん目を瞑り微笑)。
「酢」、「酸」、攝津俳句にはよくでてきますね。
わたしは、このごろ 目が疲れやすくて、瞑目して一句を思い浮かべる時間の方がおおいのですが、攝津句と侑布子さんの美文はそう言うときにふさわしいです。
吟様の瞑想風景、大和の観音さまのように福々しく想像されます。それに駄文が一役買えるとはもったいないようなうれしいお話です。へんなこと書いているとお思いのときは、どうぞ遠慮なくビシビシご叱声くださいね。
ところで、IT音痴のわたし、やっと気づいたのですが、125%とか拡大して目にやさしくして読めるんですよね。きっともちろんご存知だと思いますが。恩田侑布子
侑布子様。
私もIT音痴というヤツで、先日やっとそのことに気がつきました、部屋中ぱっと100燭光のあかりがついたような、あんなうれしかったことはありません。「扇情」なんて文字も迫力ありましたし。
でも、この瞑想、なかなかいいですよ。ただ眼めを瞑っているだけだけど。つまらん妄念邪念がきえてゆきます。ためしてごらんなさい。吟
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