―攝津幸彦百句[2]―
・・・恩田侑布子
大いなる翼 一層目
一月の弦楽一弦亡命せり 2
『姉にアネモネ』所収
めずらしい攝津のバリトンです。厳然たる男性的な韻律の中に、孤独の翳りがにじみ、悲哀が奔ります。主調音イ母音のイ、イ、チ、イ、イ、5音の厳しさ。濁音の連打ガ、ゲ、ガ、ゲ、ボ5音の豪然たる響き。さらに、撥音ンの2音が挟まり、17音は、限りない非日常へと一気に翔びたとうとします。イチガツノ/ゲンガクイチゲン/ボウメイセリ。まさに、「亡命」しないではいられない、ただならぬ切迫感と、底暗い切なさに、皮膚感覚がゆさぶられるようです。
〈ことにはるかに傘差しひらくアジアかな〉が、甘やかでやさしいラルゴとすれば、〈一月の弦楽一弦亡命せり〉は、峻厳なスフォルツァンドでしょう。
かたちがよく似ている昭和の名句を、思い出される方も多いでしょう。
一月の川一月の谷の中 飯田龍太『春の道』昭46年
上五の「一月」の季語は同じ。数詞の一が繰り返されるところも同じです。龍太と攝津の年齢差は二七歳ですが、攝津の『姉にアネモネ』は龍太の『春の道』からわずか2年後の48年に出版されています。龍太の句を、俳壇で最初に注目したのが高柳重信ですから、攝津は「一月の川」を知っていたと思われます。
ところで、このブログは横書きですが、日本語は縦書きが本当です。特に俳句は、垂直の美学といいたいほど、縦書きと密接不可分の一行詩です。上記の龍太の句を縦書きにすると、左右対称で、〈川〉をさかいに、上下もほぼ対称に近づきます。端正この上ないシンメトリーの表現です。一句をじっとみつめていると、谷底を流れる冬川の景が、あたかも厨子に納まった神像か仏像のようにみえてきませんか。日常を超えた宗教性への接近、いわば龍太の「悟り志向」の結晶ともいえる俳句です。その意味でも私は、飯田龍太の一世一代の名句と思っているのです。
では、もうひとつの攝津の名句はどうでしょうか。
一月の弦楽一弦亡命せり
龍太の簡明とは対照的です。いわく言い難い掴みがたさは、攝津が突然のドラマをここに抛り出したからです。それも、ホームドラマではなく、文学や芸術の根幹にかかわる深遠なドラマを。
まず気付くのは、掲句が、一という原初を意味する数詞の厳しさに支配されていることです。さらに、「一月」は、始まりと起点を、「一弦」は孤と孤独の営為をイメージさせます。「一月」の季語が発想のモチーフ、「亡命」がテーマ。そういってみることもできそうです。「一月」の主調音と拮抗しあい、擦れあい、さて、どちらに重点があるかといえば、やはり「亡命」の措辞に句の焦点は絞られていくとみていいでしょう。
一句の主体は私(作者)であるというのが、近代俳句の不文律でした。ちなみに、〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉と尋ねたのは、病床の子規。〈摩天楼より新緑がパセリほど〉と見下ろしているのは鷹羽狩行です。それが「いま・ここ・われ」の近代俳句の大前提です。
しかし、掲句にかかれているのは、わたしの亡命でも、一人の亡命でもなく、「一弦の亡命」です。これはどういうことでしょう。また、「亡命」という非日常の措辞には、何が託されているのでしょうか。
「亡命」は、辞書ではこう説明されています。
「②宗教、思想、政治的意見の相違により、自国で迫害を受けた場合、または受ける危険がある場合それを避けて他国にのがれること」(『日本国語大辞典』)
亡命した人で、わたしの小さな脳みそにすぐ浮かんだのは、アインシュタイン、ホロビッツ、ダライ・ラマの3人でした。成し遂げたい悲願があって、未知の国へ命がけで脱出した偉大な人々。しかし、掲句の「亡命」からは、こうした宗教、思想、政治的迫害という社会的な意味は抽象化されています。
「亡命」はいってみれば、表現行為の隠喩です。表現者は、つねに所与のものから未踏の地へ「亡命」し続けるという強い決意です。攝津の俳句もまた、「いま・ここ・われ」でないものにむけての、不断の亡命なのです。永遠の欠如と、永遠の亡命。それは煩悩とカオスへの志向といってみることもできるでしょう。こうして掲句は、作者の自画像にとどまらず、すべての芸術家へささげるオマージュになります。まさに龍太の「悟り志向」とは正反対です。つまり、似ているのは表面だけで、発想の契機も、創作のベクトルもともに対極に位置する句です。しかし、それこそが、大人攝津の、当代一の俳人と称されていた飯田龍太への唱和でもあったのです。
こうして攝津は処女句集で、すでに近代俳句の「いま・ここ・われ」の底板を踏み抜いてしまいました。
掲句は本当に珍しい真面目な句です。他の句は不真面目、というわけではありませんが、攝津一流のソフィスケテイトされた俳句、つまり魔球やバレ句という暴走球のゆきかう句集の中では、特筆ものの直球です。しかし、一句の主語を奥に隠したお面の下に、攝津の素顔の肉が張り付いています。攝津が若書きゆえにもらした本音、といってもいいでしょう。
生前の攝津は、むきだしの反骨精神といったものはおよそ感じさせない、安らかで非常にゆったりとした物腰の人でした。このごろわたしは思うのですが、ぎらぎらした反骨精神というのは、あんがいもろいものではないでしょうか。それは、おうおうにして反転して権威にすり変わってしまいます。わたしは、攝津の遺した俳句と向き合う中で、生前の鷹揚なやさしい言動の底に、じつは権威に服従しない詩人の情熱が、あかあかと燃えていたことに、遅まきながら気づかされました。
恰好良すぎるよと、攝津は照れるかもしれませんが、メルロ・ポンティの言葉を思い出します。
「作者自身、自分の書いたものに比較対照し得るようないかなるテクストももっていない」(『シーニュ』)。
(08・11・20)
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2 件のコメント:
恩田様
すてきな句の紹介ありがとうございます!
といいますのも、「セッツ」ときいただけで、うーん。。。と眺めて、「時間の無駄っ!」と投げ出す状態でして、ほとんど読んでいないからです(笑)。
(俳句読者歴2年程度ですので、おゆるしください、と多分10年後もいっているだろうと思われますが・・・)
とても可愛らしい句ですね!
偉大な交響曲に不協和音?
信念を持って?エライコッチャです♪
> 主調音イ母音のイ、イ、チ、イ、イ、5音の厳しさ。濁音の連打ガ、ゲ、ガ、ゲ、ボ5音の豪然たる響き。さらに、撥音ンの2音が挟まり
こう解説されると、この句の偉大さがよくわかります。句は本来音読されるもの。頭の中で、きちんと音になります。
飯田龍太の句は、私にとってはやっぱり「ちょっと偉大さがわからない、なんだか当たり前っぽく見えてしまう」けどみなさまが偉大だと仰る方の一人なのですが、攝津さんの句にどうしても軍配が上がってしまいます。
遊び心の点でしょうか?
ところで、恩田さまのふと漏らされたような、本音に私も同感です。女は地を這うように闘うすべしかありませんもの。大抵の方々の反目というものは、権威主義の裏返しなのです。男性社会(医療の世界もそうです。特にひどいです)って幼稚です。しなやかさがありません。
> ぎらぎらした反骨精神というのは、あんがいもろいものではないでしょうか。それは、おうおうにして反転して権威にすり変わってしまいます。
野村麻美先生
と今夜は呼ばせてください。
赤ちゃんの命だけでなく、婦人科癌の患者さんも看取っていらっしゃる。命ののっぴきならない現場で毎日、お医者様として責任あるお仕事をしていらっしゃる麻実先生に、またもや、ときめくコメントをいただき、うれしく励みになりました。そして愚息二人を授かった時のことを、どうしても思い出してしまいます。お医者さんの世界は、一般人の世界よりはるかに男女同権かと思っていましたが、そうでもないんですね。驚きました。
男女同権の男性は素敵なので、これからの若い人にわたしはすごく期待しています。
ところで、
「とても可愛らしい句ですね!
偉大な交響曲に不協和音?」
と書かれましたが、そういわれてみればそんな楽しい解釈も成り立ちそうです。麻実さんの解は陽気なウイットを、わたしの解はシリアスな一面を、それぞれ攝津に発見したんですよね。でも卑見にも同感していただき光栄です。 恩田侑布子
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