2009年3月1日日曜日

杉山久子句集評

白村江と白い猫
杉山久子句集『猫の句も借りたい』を読むのだが、
その前に佐藤文香句集『海藻標本』を再読する



                       ・・・高山れおな



二十五日水曜日に市ヶ谷で、句集の合評をした。メンバーは、齋藤慎爾と奥坂まや、それに評者の三名。「俳句四季」誌の五、六月号に載る「最近の名句集を探る」という鼎談記事のためのもので、過去一年間に刊行された六冊の句集(*注)が俎上にあげられた。それぞれの評価は、ざっとこんな具合だった(話題にのぼった順)。

佐藤文香『海藻標本』
齋藤× 奥坂○ 高山○

杉山久子『猫の句も借りたい』
齋藤○ 奥坂○ 高山○

恩田侑布子『空塵秘抄』
齋藤× 奥坂× 高山△

綾部仁喜『沈黙』
齋藤○ 奥坂○ 高山△

黛執『畦の木』
齋藤× 奥坂× 高山×

豊長みのる『天啓』
齋藤× 奥坂× 高山×

盛り上がったのだか盛り下がったのだか、当事者にもよくわからない、なんだかちぐはぐな鼎談であった。原因ははっきりしている。三人うち揃って評価が低い句集が全体の半分を占めているためで、「最近の名句集を探る」という看板はいったいなんだったのであろう。このうち豊長みのるの『天啓』は「俳句四季」の版元である東京四季出版が出した本で、つまりは編集部からの推薦。それがこういう結果になったのは仕方がないとして、他は三名がプッシュした句集をすりあわせてラインナップを決めたはずなんですけど……。

ちなみに残り五冊のうち評者の推薦本は、佐藤文香『海藻標本』のみ。黛執の句集は全く駄目だと思ったし、恩田はおなじ同人誌の仲間だから推薦は有り得なかったわけであるが、鼎談の席では当然他の出席者のうち少なくともひとりからそれぞれの句集について擁護の弁を聞けるものと思いつつ出向いたところ、このありさまである。もちろん合評なのだから、駄目なら駄目と理由を説明できればそれでいいんですけどね。とはいえ、なんだか狐につままれたような気がしたことであった。

こういうなりゆきで読んだ杉山久子の句集『猫の句も借りたい』がとても良かったのでご紹介したい。が、その前に、再読した佐藤文香『海藻標本』にある、ちょっとした仕掛けに気づいたので記しておく。それは、「緑」「紅」「褐」と三章にわかれたうち「褐」の章、一〇三頁から一〇九頁にかけて。

端居して白村江の石を思ふ  一〇三頁
君の遣ふ言葉は薄し舟遊
あえかなる浴衣の裾を見てゐたり  
一〇四頁
ぬばたまの夜を過ぎゆく祭かな
水加減見に行つたきり敗戦日
  一〇五頁
灯を消してのちの水中花を知らず  一〇六頁
湖の底の祭を掬ひに行く
滝殿と滝のはざまを通りし象
  一〇七頁
国破れて三階で見る大花火
初秋の船底は舵知らざりき
  一〇八頁
火の匂ひ移して秋の袷かな  一〇九頁
地芝居や火中に音の沈みゆく

当ブログ第一号から第五号にかけて『海藻標本』を論じた中村安伸は、「褐」の章には和漢の古典文学に由来する語彙が目立つことを指摘している。また、全体として王朝趣味が濃厚な中にあらわれる、〈水加減見に行つたきり敗戦日〉(一〇五頁)や〈七月の防空壕にさいころが〉(一二四頁)のような句の異質さを指摘していた。いずれももっともだが、評者が面白いと思ったのは、一〇三頁の〈端居して白村江の石を思ふ〉の句が、先の大戦という我々に地続きの近い過去と、ほぼロマネスクな想像力の対象でしかない遠い過去をつなぎ合わせる蝶番のような役を果たしている事実だ。

白村江はいうまでもなく、天智二年(六六三)、倭と百済の連合軍が、唐と新羅の連合軍と戦い、大敗を喫した朝鮮半島の古戦場である。なぜ、「白村江の石を思ふ」なのか、この句自体はどこか茫洋としてつかみどころがない感じだが、白村江の戦いが、白村江(現在は錦江というらしい)の河口付近でおこなわれた海戦であることを考えると、次にくる句が〈君の遣ふ言葉は薄し舟遊〉であるのが、偶然でないのはあきらかだろう。一緒にボートに乗った「君」の言葉の軽薄さへの苛立ちは、敗戦の最高責任者であり、酷薄な印象の強い往時の「君」=天智天皇の横顔へとスライドしてゆくのだ。さらに、一〇五頁の〈水加減見に行つたきり敗戦日〉であるが、白村江の戦いは八月二十七日から二十八日にかけて行なわれており、旧暦新暦の違いはあれど、第二次世界大戦の場合とおなじく八月の敗戦であった。つまりこの句で詠まれているのは、昭和二十年のそれと天智二年のそれが二重になった「敗戦日」なのである。「水加減」の語もまた、この見方を補強する材料となる。六月十日は「時の記念日」とされるが、これは『日本書紀』の天智天皇十年四月二十五日(西洋暦では六七一年六月十日)の条にある、〈はじめて漏刻(水時計)を用いる。この漏刻は天皇がまだ皇太子だった時に、はじめて自ら製作されたものだという。〉との記述に基づいている。天智天皇とは、まさに「水加減」によって時を支配しようとした帝王だったのである。

次に一〇六頁。これまでの発見を敷衍すると、〈湖の底の祭を掬ひに行く〉は、どうやら幽暗のうちに大津京の面影を探っているもののようだ。〈国破れて三階で見る大花火〉(一〇七頁)や〈初秋の船底は舵知らざりき〉(一〇八頁)についても、この流れの中での「国破れ」であり「船底」として読むことができる(とはいえ、後者の句意はよくわからないが)。最後に一〇九頁にならぶ〈火の匂ひ移して秋の袷かな〉〈地芝居や火中に音の沈みゆく〉。白村江における倭・百済の水軍は、数の上では唐・新羅連合軍に勝りながら、敵の火計によって壊滅させられたのだった。「火の匂ひ」や「火中」の語はそこに由来しているのだろう。

一句一句としてみれば、上に引いた句は必ずしも『海藻標本』を代表するほどのインパクトを持つ作ではないかもしれないし、こうした編集技術の面に反応しがちなのは職業的に刷り込まれた評者の性癖というところもあるにせよ、六十余年前の近過去と、千数百年前の遠い過去をあえて重層させる佐藤の意図は、それ自体として興味深い。歴史を自己の血肉として捉えるためにはどうしたって想像力が必要であろう。逆に言えば、想像力の無い人間には歴史など存在しないも同然なのであるが、佐藤にとっては(評者にとっても、だが)、六十年前の近い過去も想像力によってでなければ回復できない対象である点、飛鳥時代の歴史と選ぶところはない。金子兜太のような大正世代はもとより、佐藤が師事する池田澄子の世代とも異なる条件で、それはあるだろう。そのことの自覚がこのような句の排列を要請したのかもしれないし、むしろ句を排列する苦心がそのような自覚をうながしたのかもしれない。どちらにせよ、ここで佐藤の心意は歴史という他者に向かって開かれている、あるいは少なくとも開かれようとしているのであり、このことの貴重さは指摘しておかなくてはなるまい。

冒頭の合評鼎談で、三人の参加者が一様に不満を述べた三冊の句集は、この意味でまさに佐藤とは対蹠的であった。彼らの俳句は自己愛の発露に終始しており、みごとなまでに対他意識を欠いているのだ。実際、豊長みのるの通俗的な自己陶酔の身振りは、ちょっと驚くほどのものだ。恩田侑布子は調子は高いものの、せっかくの感性の良さを、過剰な音楽性によって台無しにしてしまっている。黛執の俳句は描写力においてたしかなものを持っており、一見すると客観的に記述されているようでありながら、どこを切っても自己愛の蜜が流れ出てくる点では豊長・恩田と違いはない。彼の場合、自己愛が形式の中に退嬰的に眠りこむことを強いている按配で、こうなると有季定型は単なる因習でしかなかろう。

佐藤文香には想像力によって自己を乗り越えようとする態度があり、読者に対して句集という一冊の本を差し出すことへのよく練られた計算もある。綾部仁喜は、もはや読者のことをあまり気にしていない感じもするが、病と死という究極の他者に向き合いながら、俳句と自己を一体化させてゆるぎがない。そして杉山久子の俳句には、佐藤・綾部を含め、他の五人に総じて乏しいユーモアの精神が横溢していて、それは『猫の句も借りたい』という句集名にすでにあきらかだ。十九年飼いつづけた愛猫「みー」の一周忌の手向けに、〈これまで詠んできたこの猫とその他大勢の野良猫や旅先で出会った猫たちの句を集めてみることにしました。〉(「あとがき」)という句集編纂の動機はそれとして、〈猫バカの煩悩丸出しの百八句。〉という洒落た趣向は、評者のように猫好きでもなんでもない人間をもよろこばせる。いうまでもなく、自己をつきはなす能力こそがユーモアの淵源であって、豊長や恩田や黛に決定的に欠けているものに違いない。

巻頭は、

猫呼びに出てみづいろに春の月

で、齋藤慎爾が、中村汀女の〈外にも出よ触るるばかりに春の月〉を引き合いに出して褒めていた。この「春の月」、なんだかゼリーのようにふるふると震えていそうだ。人なつかしさならぬ猫なつかしさの切ない昂ぶり。

ひろひあぐ恋猫の髭ひんやりと

単なる恋猫のヒゲではなく、“抜けた”ヒゲを詠んでいるところに驚く。とても想像では詠めそうにない、愛猫家ならではの気づきだろう。「ひんやりと」がよい。室生犀星に〈鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな〉があり、桜井梅室に〈ふゆの夜や針うしなふておそろしき〉がある。細くあえかなものに対して鋭い感性を発揮した先人たちの系譜に、杉山もつらなっている。

こひねこのこよひのねどこととのへる

「こ」が四度繰り返されるのをはじめ、音韻の効果が著しい。全体の平仮名表記も、この場合あざとさを感じさせない。

人に友猫に猫友ところてん

「猫友」はビョウユウではなくネコトモと読むのだろう。友人どうしが心太を啜りながら談笑する足元では、飼い猫どうしがじゃれている。「猫友」という造語の愉快さ、四度繰り返されるト音の豊かさ。

秋風にふくらみきつて白き猫

たとえば怒りに毛を逆立てた猫が、膨らんだように見えることはあるかもしれない。しかし、この句に詠まれているのはそういう実体的なことではなく、純然たる感覚的なイメージと取るべきだろう。自分と猫をなぶる秋風の快さに、やがて秋風そのものが猫であるかのように感じられてくる――ほとんど官能の域に達した「猫バカの煩悩」を詠んだものと解しておく。秋に配された色が白であることは当然の前提。

雲の端のひかる恋猫日和かな
猫の子に太陽じやれてじやれてじやれて
緑さす縁側に猫洗ひたて

表現として明晰かつ充足しきっていて、コメントの付けようもない。正確な遠近法の中に、太陽の光があふれている。

ねむりても猫の尾ゆるる天の川

遠近法といえばこの句には、空間の遠近法に加えて時間の遠近法も感じられるように思うのだが、どうだろう。それだけが別の生き物のように揺れ動く猫の尾、そして彼方の「天の川」。そこにうちひらかれてあるのは、現実の空間であると共に、猫の見る夢の中の空間のようでもある。ネ音の頭韻の効果は言うもさらなり。

恋猫といふ曲線の自由自在
たばこ屋の看板猫と春惜しむ

恋猫も自由自在なら、杉山の俳句も自由自在。これほどわざとらしさのない「春惜しむ」とは滅多に出会えない。

爪研がぬ猫となりたる雁のころ
ひぐらしを聴く盲目の猫抱いて
病む猫に鶏頭影を濃くしたり

老猫となった「みー」を病が襲う。

猫去りし膝月光に照らさるる

死という言葉はどこにも出てこない。この作者は大袈裟な感情的な表現をふりまわすことはしないのだ。「わが身一つはもとの身にして」の嘆きに、むなしく月光がふりそそぐ。

一性悪猫として生き赤のまま
猫に掘る墓穴小さし水の秋

淡々とした詠み口に、しずかな悲しみが滲む。季語の斡旋も確かだ。

にやむにやむと唱へて猫をおくる秋

猫のための南無阿弥陀仏だから「にやむにやむ」がふさわしい。上質なユーモア。

かぞへ日のひだまりに亡き猫とゐる
銀色の猫くるバレンタインの日
犬猫の安否まづ訊く梅見かな

この三句は、句集でもこの順にならんでいる。白い猫が逝き、銀色の若い猫がやってきた。「犬猫の安否」を訊ねあう姿に、回復しつつある、しかし回復しきってはいない傷心が暗示されている。さりげなく、しかしよく考えられた排列。

借る気なき猫の手ずらり土筆晴

これにて一巻の終わり。これが表題句ということになるようだ。土筆を「猫の手」に見立てているのだろうか。「ずらり」と頭を出した土筆の生命力が悲しみのあとの救いを感じさせる。

ちなみに『猫の句も借りたい』は、杉山久子の第二句集。この人は、第一回の冨田拓也につづく第二回の芝不器男俳句新人賞の受賞者で、第一句集はその副賞として製作された『春の柩』(二〇〇七年 愛媛県文化振興財団)である。どちらの句集を見ても、収録句のすべてがあるレベル以上をクリアしていて、すばらしい安定感がある。悪しき俳句的語法への逃げもない。つまり安定していて、しかもみずみずしいのだ。猫にまたたびならぬ鬼に金棒。こういう場合こそ、平明という言葉を完全に肯定的に使うことができる。せっかくだから『春の柩』から佳句十句を引いて本稿を終わる。

掃除機は立たせて仕舞ふ鳥雲に
嗅ぎあうてはなれて春の鹿ほそし
なぐさめはいらぬ冷奴をおくれ
日盛や仏は持てり金の舌
手花火の果て水底にゐるごとし
ずぶぬれの向日葵けふを抱きしめよ
日記買ふ金色の雲見送つて
氷海に果てあり髪をたばねけり
返信先は風花の摩天楼
七人といはず敵ゐて鯨喰ふ

*杉山久子句集『猫の句も借りたい』は、有限会社マルコボ.コムのオンラインショップより購入できます。http://shop.marukobo.com

(*注)

◆佐藤文香第一句集『海藻標本』 二〇〇八年六月三日刊 ふらんす堂

◆杉山久子第二句集『猫の句も借りたい』 同十月七日刊 マルコボ.コム

◆恩田侑布子第三句集『空塵秘抄』 同九月二十一日刊 角川書店

◆綾部仁喜第四句集『沈黙』 同九月九日刊 ふらんす堂

◆黛執第五句集『畦の木』 二〇〇九年一月三十日 角川SSコミュニケーションズ

◆豊長みのる第九句集『天啓』 二〇〇八年一月二十日 東京四季出版

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