俳人ファイルⅣ 阿部青鞋
・・・冨田拓也
阿部青鞋 15句
梟の目にいっぱいの月夜かな
あたゝかに顔を撫ずればどくろあり
かたつむり踏まれしのちは天の如し
東京がたつのおとしごのように見え
永遠はコンクリートを混ぜる音か
愛の書がかさなっている水のなか
キリストの顔に似ている時計かな
いっぽんの春の雨しか降らぬかな
半円をかきおそろしくなりぬ
人間を撲つ音だけが書いてある
機関車が涙のように思われて
斧よりもくらくなりたる夕立前
蜜蜂の箱がときどきこみあげる
天井の正体などをかんがへる
或るときは洗ひざらしの蝶がとぶ
略年譜
阿部青鞋(あべ せいあい)
大正3年(1914) 東京の渋谷に生誕
昭和11年(1936) 「句帖」参加
昭和12年(1937) 「風」参加
昭和15年(1940) 渡辺白泉、三橋敏雄などと古俳諧の研究
昭和16年(1941) 『現代名俳句集』刊 応召
昭和19年(1944) 岡山へ疎開
昭和33年(1958) 「俳句評論」参加
昭和34年(1959) 「瓶」創刊(後に「壜」) 「八幡船」参加 聖書に親しみ受洗、その後牧師
昭和43年(1968) 第1句集『火門集』
昭和52年(1977) 第2句集『続火門集』
昭和53年(1978) 東京へ転居
昭和54年(1979) 句集『霞ヶ浦春秋』
昭和58年(1983) 第3句集『ひとるたま』
平成元年(1989) 逝去(74歳)
平成6年(1994) 『俳句の魅力 阿部青鞋選集』
A 今回は阿部青鞋です。
B この作者はどちらかというと、いまだにあまり評価されていないようなところがありますね。
A 一部では熱心なファンがいますが、いまひとつ注目されていない作者であるというべきでしょうか。
B 俳壇から少し離れたところに位置していたことなどが、そういったことの遠因であるのかもしれません。
A それでも、三橋敏雄、高柳重信、大岡信、加藤郁乎、折笠美秋、宗田安正、堀井春一郎、永田耕衣、などからは高い評価を得ています。
B この作者の作品は、今後、高く評価されてゆく可能性があるのではないかという気がしますね。
A さて、その作品についてですが、非常に独特な作風で、あまり類例を見ないものなのではないかと思われます。今回、久しぶりにこの作者の資料に目を通したのですが、面白い句ばかりなので誰かに教えるのが惜しいような気さえしました。
B 句集などで纏まった数の作品を読むと、こんな俳句の書き方があるのかといった発見や、こんな発想の仕方があるのかといった驚きの連続で、まさに俳句を読む楽しさが満喫できるとともに、俳句に対する固定的な観念が刷新され、言葉の始原性ともいうべき世界へと解き放たれていくような気分を味わうことができます。
A ですから、今回のように15句のみを選んでも、この作者の句を読んだような気がしないところがありますね。
B たしかに今回の15句選にはどちらかというとあまり意味がないところがあります。
A というわけで、なるべくこの作者については、纏まった数の作品を読まれることをお薦めしたいのですが、現在ではなかなかこの作者の資料は容易に手に入らないようです。
B 妹尾健太郎という方が、平成6年(1994)に沖積舎から『俳句の魅力 阿部青鞋選集』を纏められ、出版されていますが、これも現在では手に入りにくいようです。他の句集も当然ながら絶版となっています。
A この妹尾健太郎という方自体が一体どういった方なのか、よくわからないところがありますね。いまでも阿部青鞋の研究を続けておられるのかどうか、それも不明です。
B では、作品を見る前にこの作者についての略歴を少し見てみましょう。略歴だけでも相当変わっています。
A 1914年に東京で生まれ、4歳のころからお寺の養子になっています。そして、その後様々な事情でそこを出たり入ったりしています。
B 昭和8年(1933)の19歳の時には、画家を志して渡仏しようと計画しますが、叔父の急逝により断念しています。
A その後は、本人によれば〈実家へ戻って成人してから、正岡子規の俳論俳句を見、まねごとに作ったりもしたが、やがて関心は種々他へ移り、映画に凝ってエイゼンシュテイン,プドウフキンに傾到、またレスプリヌーボーを追って詩雑誌を編集〉していたとのことです。
B 当時のモダニズムの文化の中にいたわけですね。
A その頃に句作も始めるわけですが、この作者にはどうやら師系が存在しないようです。
B そういった事情も、この作者の作風の特異性に繋がっているのかもしれませんね。
A 新興俳句運動に参加し、その後、渡辺白泉や三橋敏雄とともに古俳諧の研究を始めます。
B そして、応召ののち、昭和19年(1944)に岡山県に疎開し、その15年後の昭和34年(1959)に受洗し牧師となるわけですね。
A やはり異色の経歴の持ち主です。
B あと、句集は、一応、第1句集が『火門集』、第2句集が『続火門集』、第3句集が『ひとるたま』ということになっているらしいのですが、他にも『壺』、『羽庵集』、『句壺抄』、『霞ヶ浦春秋』などといった句集が存在するそうです。他に選句集として『私版・短詩型文学全書1阿部青鞋集』、『火門私抄』があります。
A この作者には、いまだに得体の知れない部分というか、謎ともいうべき部分があって、野田誠は青鞋のことを〈俳句、短歌、作詞、作曲、漢文、英語、フランス語、ETC。その幅の広さ、その逞しさ。〉と評しています。どうやら随分と多彩な才質を示していた人だったようです。
B 俳句作品における、一見誰にでも書けそうな、平易でどちらかというと散文的な表現も、この作者の底知れぬ知性の裏付けによって成り立っているようなところがあるようです。古今東西の詩歌などにも造詣が深かったようで、その評論などを瞥見してみると、この作者が大変な知識人であったということが察せられます。
A では作品を見ていきましょうか。まず〈梟の目にいっぱいの月夜かな〉です。
B なんだか妙な句ですね。梟の目に月が射し、その目いっぱいに月夜が映っているということなのでしょうか。梟の目が月の光で爛々と輝いている様は、童話的な感じもします。
A 「いっぱいの」という表現によって、あたかも月の光が倍加されるようで非常に眩いです。
B 梟の目が、月の光そのものとして闇の中に浮かび上がってくるような凄味が感じられます。
A 矢島渚男さんの〈梟の目玉見にゆく星の中〉と比較して読んでも面白いかもしれません。
B 次は〈あたゝかに顔を撫ずればどくろあり〉です。
A よく考えると当たり前のことを詠んでいるに過ぎない句なのですが、ただの現実というもののおそろしさを存分に思い起こさせられる不気味な句です。誰もが肉体を持ち、その内部に頭蓋骨を含む骨格を有しているという動かしようのない事実。そして、顔から手へと伝わる頭蓋骨の感触の異様さ。
B これは鬼貫の〈骸骨のうへを粧ふて花見かな〉が本歌でしょうね。
A この作者は古俳諧の造詣も深く、その影響が作品に強く感じられます。特に鬼貫の作風を範としているようなところが多分にあるのではないでしょうか。
B 鬼貫には〈まことの外に俳諧なし〉という有名な言葉がありますが、この作者の作品にもそのまま当て嵌まるものがありますね。
A 青鞋にも〈人間が生きる上に、何でもないことは先ず無い。何でもなさそうな事も、みな何でもある。全て何でもあるものが、何でもなさそうな顔をしているそのおかしさを、私は私なりのありていな言葉で言ってみたいだけだ。〉という言葉があります。
B あと、この句は、虚子にも近いところがあるでしょうか。
A そういえば、虚子の句に〈手が顔を撫づれば鼻の冷たさよ〉がありました。この句は「手が顔を撫づれば」という手を主語とする表現により、まるで手そのものがなにかしら得たいの知れない不気味な生物のように見えてきます。
B そういえば青鞋の句にも「手」や「指」などがまるでひとつの生物のように生動する句がいくつも存在します。両者の句は、時折、近似値を示すようなところがありますね。当然ながら、全く重ならない部分も多いですが。
A 続いて〈かたつむり踏まれしのちは天の如し〉です。
B この句も鬼貫の〈我むかし踏みつぶしたる蝸牛かな〉ですね。
A こういった古典的な作を踏まえつつも、必ずしもそこにとらわれてしまわず、自分の作品にしてしまうのがこの作者の特徴です。そして、青鞋の句は時として現実から逸脱し、虚の世界まで踏み込んでゆくようなところがあります。
B この句は永田耕衣の〈蝸牛踏み潰す淡彩の人〉も関係があるかもしれません。
A 永田耕衣の存在もこの作者にとっては大きなものだったようです。〈虹よりも弱りて耕衣句集読む〉という句も存在します。
B 次に〈東京がたつのおとしごのように見え〉です。
A これは句集には入っていない句です。昔の総合誌に掲載されていた句を私が書き写しておきました。こういった句をみると、まだまだ句集未収録の句にも面白い句があるのではないかという気がします。
B なんとも妙な句ですね。「東京」と「たつのおとしご」が並列させられることで、「たつのおとしご」が、異様なまでに大きなものに見えてきます。まるで漫画のようですね。
A 青鞋は東京に生まれ、その後戦時中に岡山に疎開してから長い間岡山の人でしたが、そういった人から見ると、東京という都市の存在は、それ自体が「たつのおとしご」のように不可解で異様な存在として目に映ったのかもしれません。
B こういった「東京」と「たつのおとしご」といった二つの名詞の関係性によって句を成り立たせる手法は、この作者にとっての一つの特徴的な手法といってもいいのかもしれませんね。
A 他にも、この句のような作例として〈キリストの顔に似ている時計かな〉〈機関車が涙のように思われて〉〈食慾はひょつとベンチのやうなもの〉〈劇場のごとくしづかに牛蒡あり〉などがあります。妹尾健太郎さんによると、青鞋が俳句を始めたのは昭和11年の「句帖」という俳誌からで、その選者が詩人の西脇順三郎だったとのことです。そして、西脇順三郎の詩論による影響を青鞋は受けていたのではないかということです。
B その西脇順三郎の詩論は昭和9年の「オーベルジンの偶像」であるそうですね。
A その内容は〈詩の対象は(面白い思考をつくること)である。〉といった内容で、後年の「ばせをの芸術」における〈詩や俳句で新しいものを作るということは、新しくもの自体を創造してみせるのではなく、ものとものの新しい関係をつかむことであり、芭蕉は俳句の中で新しい関係を作ろうとした〉という論旨と共通するような内容であったとのことです。
B そういえば、西脇順三郎には他にも〈新しい関係を発見することが詩作の目的である。ポエジイということは新しい関係を発見するよろこびの感情である。〉〈私のいう「すぐれた新しい関係」というものは思考としての表現では言えないものを感じさせる。それは一つの幻想であって、それは「無限」とか「永遠」というようなものを象徴してくれるように思われる。〉という言葉もあります。
A これらの言葉の内容は、まさしく青鞋の作品にもそのまま当て嵌まるところがありますね。青鞋の俳句はこのような、ものとものの新しい関係の発見に充ちています。
B では、続いて〈永遠はコンクリートを混ぜる音か〉です。
A これも「時間」と「コンクリート」という関係がこの句における発見となっていますね。コンクリートというものはいうまでもなく、混ぜていなければ固まってしまうものです。時間とは、常識的に考えれば、とどまることのないものであり、固定化されることのないものですから、それに対する、混ぜられて固まることのないコンクリートとはどこかしら共通するものがありますね。
B なんとなく小林秀雄の「無常といふ事」の〈過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想〉という一節も思い起こされます。
A しかしながら「永遠」に対応するものとして「コンクリートを混ぜる音」を持ってくるとはちょっと信じられない発想ですね。
B この作者の発想の尋常でなさを窺わせるような句です。
A 次に〈愛の書がかさなっている水のなか〉を鑑賞しましょう。
B 本が水の中でどろどろになっている感じですね。なんというか、大変な光景です。そこに加わる「愛」の一語のおそろしさ。
A 攝津幸彦にも〈自動車も水のひとつや秋の暮〉という怪作がありますが、それにも近い感覚でしょうか。
B そういえば青鞋には、他にも〈機関車が涙のように思われて〉があります。
A この句も、鋼鉄の機関車がどろどろの液体になっていくようなイメージがありますね。そして、一直線に突っ走る機関車と、地面へと垂直に落下する涙という関係性の発見。
B 青鞋には、「水」や「液体」に関連するような句が多いようです。〈春林をわれ落涙のごとく出る〉〈べとべとのつめたい写真館があり〉〈海のなかへ電車がはいるまでねむる〉〈砂掘れば肉の如くにぬれて居り〉〈水鳥にどこか似てゐるくすりゆび〉など数え上げればきりがありません。
A 他にも、よく考えてみれば、「かたつむり」や「蜂蜜」「コンクリート」「泥」といった「液体」に近いものや、さらに、「人体」を詠んだ句も多いですが、この「人体」というものもまた「水」や「液体」の一種であるともいえるところがあります。
B 青鞋の詩心は、事物の原初的な位相へと向かう傾向が強いようですね。
A そう考えると、ありのままの事物を深く把握しようと心を砕く青鞋が、生命の原初性へと繋がる「水」に関する句を多く詠むのも至極当然の結果であるのかもしれません。
B 次は〈キリストの顔に似ている時計かな〉です。
A この作者は昭和34年(1959)に受洗し、牧師になっています。
B 他にもキリスト教に関するような句はいくつか見られます。〈常の書にまじらんとして聖書あり〉〈キリストよ三色すみれ咲きにけり〉〈聖堂へ嘔吐のやうな虹が出る〉など。
A しかしながら、クリスチャンである作者が、キリストの顔を時計に見立ててしまうというのも、よく考えればすごいことですね。
B こういう句を見ると、どうも単純なクリスチャンではなかったようですね。この句によって、キリストが非常に近しい存在に思えてくるところもあります。
A 続いて〈半円をかきおそろしくなりぬ〉です。
B 「おそろしくなりぬ」ということですが、確かに半円というものはよく見るとその不完全さゆえ異様な形状をしています。実際に書いてみると、なにかしら内側のものでもなく、また外側のものでもない、とでもいったような宙ぶらりんの不安定な感覚にとらわれます。
A 似たような句に虚子の〈春の浜大いなる円が画いてある〉があります。
B こうやって考えているとだんだんと「半円」も「円」も、ともになんだかよくわからない不可解な形状にみえてきますね。なんとなくまどみちおの詩の世界が思い浮かんでくるようなところもあります。
A 次は〈天井の正体などをかんがへる〉です。
B やはりこの作者の志向する窮極のところは「事物の本質」である、というべきでしょうか。天井という存在そのものの異様さを捉えた句だと思います。まるで天井そのものが得体の知れない生き物のようにすら感じられてきます。
A 最後に〈或るときは洗ひざらしの蝶がとぶ〉を鑑賞しましょう。
B やはりこの句も「水」との関係性を思い起こさせますね。ずぶ濡れの蝶。蝶といえば、華麗な色彩が思い起こされますが、それが「洗ひざらし」となって、色落ちし、真っ白になってしまっているような感じもします。それが懸命に飛翔しているわけです。
A なんとなく「洗ひざらし」という表現から「受洗」という言葉が連想され、この蝶からは、どことなく青鞋自身の姿を彷彿とさせられるようなところがあります。さらに、そこから「受難」のキリストの姿も思い浮かぶようであるといえば、言い過ぎでしょうか。
B またどことなく青鞋の〈馬の目にたてがみとどく寒さかな〉という句も思い起こさせるところもあります。どこかしら、生命が擦り切れていく感じというか、あらゆる生物において共通する、生そのものが宿命的に抱えている深い哀感のようなものが感じられます。
A さて、阿部青鞋の作品を見てきました。
B こうみると阿部青鞋は、どこまでも現実の実相に深くこだわり、その本質を様々なかたちで作品に封刻しようとした作者であった、ということができそうです。
A 本人の言葉として先ほど挙げたものの他に〈現実に対する深い感知は、これをいわゆる写生的な方法追及に依って示し得る場合もあろうし、全く非写生的な方法をとって示し得ることもあろう。ただ、そのどちらも、表現としての成否の上でのみ正当化できるにすぎない。有季も無季もこの成否の上でのみ、正しくもあり、正しくもない。〉という言葉もあります。
B その作品の発想の柔軟さや作品の多様さは、こういった姿勢によって生成されたものであったということなのでしょう。
A そして、そういった姿勢とともに、現実の本質を深く見据え、様々なかたちで言葉に掬い取り、それを俳句形式に定着させる手腕の独自さによって、このような、いまだに古びることのない不可思議な作品の数々が生み出されたというわけですね。
選句余滴
阿部青鞋
馬の目にたてがみとどく寒さかな
春林をわれ落涙のごとく出る
黒雲を出して菜の花ばたけかな
感動のけむりをあぐるトースター
少年が少女に砂を嗅がしむる
べとべとのつめたい写真館があり
畦みちの虹を両手でどけながら
神々のかさなりのぞく行潦
梯形の口して泣けり或るおとこ
海のなかへ電車がはいるまでねむる
傷の血に天の匂がしてきたる
日本語はうれしやいろはにほへとち
虹自身時間はありと思いけり
時間とはともあれ重いキャベツのこと
砂掘れば肉の如くにぬれて居り
ただ過去をつくらむと新聞社が並び
群衆のごとく書店の書よ崩れよ
水鳥にどこか似てゐるくすりゆび
にんげんはなれなれしくて夏蜜柑
劇場のごとくしづかに牛蒡あり
なにごとも知らずゴムつき鉛筆は
インドリンゴの如き虚空を見てあきれ
額縁屋額縁だけを売りにけり
蜂蜜や感にうたれてびんを出る
温室を出るつもりなきメロンかな
おそろしき般若のめんのうらを見る
わが皮膚はわがサーカスを覆ひをり
ばからしくなって燃えゐる戦車かな
どきどきと大きくなりしかたつむり
トランプのダイヤに似たる夏ごころ
この国の言葉によりて花ぐもり
想像がそつくり一つ棄ててある
空蟬のなかにも水のひろがりて
瞳孔をしぼりにきたる牡丹雪
左手が右手に突如かぶりつく
くちびるをむすべる如き夏の空
片あしのおくれてあがる田植かな
目の見えぬ角笛になりたかりけり
金魚屋のなかの多くの水を見る
竪琴としてわれを搏つ木の実あり
キャツキャツと鋏と思うものが鳴く
うしろから水が歩いて来りけり
冬雲のなかには駅もあるごとし
しづかなる憤怒のクリスマスケーキ
ハーモニカ一つ水中を泳いでゆく
機関車が止まる唾液に邪魔されて
こわれ物の如き幼稚園運動会
つゆたちも印刷をしているごとし
夕立をいち度ごくりと土が吞む
わがにぎりこぶしは流星にはあらず
天国へブラックコーヒーのんでから
俳人の言葉
上古、光線をあつめてその焦点から火を取るのに用いた珠を、「ひとるたま」といったが、その火珠のようなものが、私の心に折ふし淡い煙を上げる。私の句はいずれその煙にひとしい。
阿部青鞋 『ひとるたま』後記より
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7 件のコメント:
こんにちは。また遊びに来ました。
永遠はコンクリートを混ぜる音か
はとんでもなく絶望的な句だとの印象を受けました。あのじゃりじゃりとした感触と音、無限の労働。まるで賽の河原で石を積むような。。。
半円をかきおそろしくなりぬ
感覚的にしっくりときますo(^-^)o
愛の書がかさなっている水のなか
なんだか水死体のようですね(笑)。
私にはオフィーリアのようにみえます。
上が水面いっぱいにふわぁっとひろがって。
恐ろしいというのは男性的捕らえ方だなぁと思いました!女性にとっては非常にとても幸せそうな句にみえます。
馬の目にたてがみとどく寒さかな
乗馬を昔習っていました。
野生馬だと普通にそうなるのかもしれないけれど、雨が降っているのでなければありえない光景のように感じます。
そういえば今月の豈拝見しました(^^)。
ここでは感想を控えておくことにします。
野村麻実さま
この度もコメントいただきありがとうございます。
「コンクリート」の句はそういう風に読むと確かにやや絶望的な感じもしますね。
「半円」の句に対置させた虚子の句が間違っていました。
正しくは、
春の浜大いなる輪が画いてある
でした。「円」ではなく「輪」でしたね。
野村さんは、乗馬を習っておられたのですか。
私には想像もつかない世界です。
私も「豈」拝読しました。
充実の内容ですね。
次号ではこの「―俳句空間―豈weekly」の特集も予定されているとか。
では、またコメントしてくださいね。
冨田拓也様。
はじめまして。私は「鬣」に所属している後藤貴子と申します。本HPは俳句論考が充実していて、とても勉強になるので、いつも興味深く読ませていただいております。
ところで今回、冨田様は阿部青鞋について考察されています。私は彼の大ファンです。青鞋のファンは、潜在的に意外と多いのではないでしょうか。以前「鬣」の一部のメンバーと「なぜ青鞋の全句集は刊行されないのか。彼をこのまま俳句史上に埋もれさせるのは惜しい」という話で盛り上がったことがあります。彼はずっと岡山に在住し、中央俳壇と距離を置いていましたし、作風も当時の、いわゆる前衛俳句とは毛色がちょっと違うので、評価されにくいのでしょう。しかし、彼の作品は明らかに新鮮で、ものの存在のおかしみや混沌、あるいは冨田様も指摘しておられたように、「原初の姿」といったものについて鋭く表現されており、とてもおもしろい。彼を埋もれさせることは、俳人の見る目のなさを露呈するようなものでしょう。
青鞋の句集が入手しにくいのは事実です。私は、どうしても『続火門集』が読みたくて、俳句関連書籍を扱っている古書店にメールを出したり直接電話をして、やっとのことで手に入れました。(12000円でした)数年前ですらそうなのです。現在はもっと難しいでしょう。
妹尾健太郎さんは以前「阿部青鞋研究会」というHPを運営しておられました。何か事情があるのか、現在このHPは閉鎖されているようです。HPになる前は小冊子として数冊が刊行されていました。妹尾さんにお願いしてこれを送っていただいたことがあります。「父の思い出」という題で、娘さんが阿部青鞋の回想記を執筆していたりして、とても価値のあるものだったのですが…。
冨田様が阿部青鞋を「ただのクリスチャンではない気がする」と感じられたのは鋭いと思います。彼は寺の跡取りとして伯父に引き取られ、得度もしています。45歳の時、自分の意思で受洗してクリスチャンになったのです。青鞋の俳句と宗教の関連について考察するのもおもしろいかもしれませんね。
また、私は青鞋と西脇順三郎との関連についての文章をあまり読んだことがなかったので、とても参考になりました。
長文深謝。ますますのご活躍を陰ながら祈ります。ごめんくださいませ。
後藤貴子様
コメントありがとうございます。
私がこの作者に興味を持ったのは6,7年ほど前たまたま選句集である「火門私抄」を手にしたためです。
確かに「阿部青鞋全句集」がいまだに存在していないのは問題ですよね。
橋間石が評価されたわけですから、阿部青鞋が評価されても一向におかしくないところだと思います。
私はいままで「火門集」、「続火門集」、「ひとるたま」、「私版・短詩型文学全書1阿部青鞋集」、「火門私抄」はなんとか読むことができたのですが、「壺」、「羽庵集」、「句壺抄」、「霞ヶ浦春秋」はいまだに未読です。
やはり全句集の登場が待望されるところですね。(しかしながら「続火門集」が12000円とは。私はたしか6000円くらいで購入しました。)
「鬣」いつもホームページでですが拝読いたしております。
毎号大変充実した誌面ですね。
同人の方々の批評意識の鋭さにはいつも驚嘆しております。
資料性も高く、他の俳誌とは一線を画した再読再々読するに値する、数少ない俳誌のひとつとして、今後高く評価されてゆくことになるのではないかと思っております。
これからも「鬣」の皆様の活動をたのしみにいたしております。
他の同人の方たちにも是非よろしくお伝え願います。
しかしながら、中島敏之さんという方は一体何者なのでしょう。
すごい方がいらっしゃるものだなあ、と。
冨田さんいつもたのしくおもしろく拝見しています。毎日、この 「俳句空間ー豈ーweeky」の寄稿文を一つづつ読んでゆこうかと・・・。だから、今日は冨田さんの日です。
これだけ資料をよみこなし、選句するのはたいへんな作業ですよ。まさに「生き字引」の役割をはたしておられます。すごい集中力と持続力に感動しています。
あたゝかに顔を撫ずればどくろあり
かたつむり踏まれしのちは天の如し
永遠はコンクリートを混ぜる音か
愛の書がかさなっている水のなか
キリストの顔に似ている時計かな 青鞋
阿部青鞋は、好きな作家。
機知とともに思索がおりこまれていて魅力があります。
そして、あらためて発見したのですが、時に、ユーモアが寸鉄人を刺す、というか、残酷なところがりますね。青鞋は「静かな過激派」だ、とおもいます。
では、また。
(註、相変わらずPCが苦手で、誤字や入力ミスがあり。気になったので一度削除して、書きかえましたの。文面は同じです。なお少々の所は御推読ください)
2008/11/20 11:38
堀本吟様
ご無沙汰いたしております。
コメントありがとうございます。
この連載もなんとか続けております。
もう少し私に作品に対する理解力や、文章力、思考力があればなあ、とつくづく思います。
まあ、いま私の実力ではこのあたりが限界ですね。
阿部青鞋についての堀本さんの短文をどこかで拝読したような記憶があります。
確かに青鞋は「静かな過激派」ですね。
一見誰にでも書けそうな作品なのに、実際は誰にも書くことができない。
弟子の人たちと比べてみるとそのことはよくわかります。
つくづく不思議な作者ですね。
では、またコメントしてくださいね。
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