2008年11月16日日曜日

佐怒賀正美『悪食の獏』

玉など爆ぜむ
佐怒賀正美句集『悪食の獏』を読む

                       ・・・高山れおな

〈平成俳壇はなにもおこらない。無風状態がつづいている。〉というのは、「澤」誌の昨年七月号における小澤實の言葉である。小澤は、客観中立な立場からこう述べているわけではない。おそらくかなりのコンセンサスを得られるはずの、このような状況認識に由来する自縄自縛こそが、平成俳壇の無風状態を延命させてきたのではないかという苦い自省のもとでの発言であり、その反省が上記の号における「特集/二十代三十代の俳人」など、今や「澤」誌の恒例となった毎年七月号の大特集を編集する原動力となっているのであろう。

いかにも平成俳壇はなにもおこらない。無風状態がつづいている。こういう時代の生んだ人気作者のひとりが例えば今井杏太郎であり、僅々十七音をさえ遣いきることができず、下五を「ありにけり」だの「でありけり」だのの虚辞で埋めて済ませるような水増し俳句が喜ばれる根拠には、無風がさらなる無風を呼ぶ退廃があった。今井はいちばん極端なケースだとしても、こうした薄味好みはかなり広く深く俳壇を覆っているのではないかと思う。これをしもトレンドと呼ぶなら、佐怒賀正美の作風はあきらかにトレンドから遠いものと言わなくてはならない。

佐怒賀のトレンドとの距離は、作風にかぎった話ではない。石原八束創刊の「秋」誌の副主宰から主宰となり、「天為」誌の特別同人(というのはいったい何なのだ?)でもある佐怒賀の俳壇的地位が軽いはずはないのだが、評者の世間知らずゆえの勘違いでなければ、佐怒賀の作品にたいする注目度は、今までのところその立場に見合うものではないように思われる。昭和三十一年生まれでありながら、例の小川軽舟著『現代俳句の海図 昭和三十年世代の俳人たちの行方』(九月三十日刊 角川学芸出版)には取り上げられていないし、やはり彼の世代が対象である邑書林の「セレクション俳人シリーズ」(全二十二冊別冊一 刊行中)の人選にも漏れ、長谷川櫂編著『現代俳句の鑑賞101』(二〇〇一年 新書館)にもその名は見えない。長谷川櫂、小澤實、岸本尚毅といった同世代が、もう二十年来、この種の選集の常連であったことを考えると、不遇の印象は否めないだろう。

もちろん、それらしい理由が考えられないわけではない。佐怒賀はすでに四冊の句集を持つとはいえ、『光塵』が一九九六年、以下、『意中の湖(うみ)』が一九九八年、『青こだま』が二〇〇〇年、『椨(たぶ)の木』が二〇〇三年と、学生時代に俳句を始めたというキャリアの長さのわりに句集出版が遅かったことだ。しかし、ご覧の通り、第一句集が出てからは、二、三年に一冊の割りで句集を刊行している。そして先日、五冊目の句集『悪食の獏』(九月二十七日刊 角川書店)が出た。第四句集までに比べてややペースが落ちているが、それでも前句集からのインターバルは五年。佐怒賀とは職場(一ツ橋の某大手出版社)の同僚であり、同人誌「恒信風」の仲間である村井康司によれば、佐怒賀は年間を通じて一日十句くらいは平気で作るタイプなのだという。これは数年前のネット上の情報なので、現在も同じなのかどうかは不明ながら、基本的に多産の人なのであろう。

さて、新句集を読んでみたい。『悪食の獏』というタイトルがすでに結構な暴れ方で、食欲をそそる。典拠となるのは、次の句。

おぼろ夜を悪食の獏来たりけり

この種の幻想をとりあえず一句に纏めてしまうのに、「おぼろ夜」というのは手っ取り早く、汎用性の高い季語ではある。「悪食の獏」という言葉がかなり強いから、この程度に流してしまった方が良いという判断も働いたのだろう。それが間違っているわけではないとしても、物足りないと言えば物足りない。だが、じつは「獏」の句はこれだけではなく、集中さらに三つを数え、表題作よりもむしろ出来は佳い。

獏の頭に銀河のしぶき照りかかる  ⇒「頭」に「づ」とルビ
なかよしの未知なる獏や朧の夜
踊りだす獏の吐くもの余寒かな

どの句ももちろん、動物園でバクを見て作ったものではない。悪夢を食べてくれる霊獣としての獏である。みなおもしろいけれど、二番目の「なかよしの」の句の童心に殊にひかれる。獏については、「あとがき」に詳しい説明がある。

むかし、作家の卵だった人に、「この人は雑食である。なんでも食べる」と評されたことがある。/無論、私の俳句に対する姿勢について。いかにも、私はグルメではなくグルマンだ。フランス料理も立ち食い蕎麦も好き。在るものを直接食べるのも、無いものを想像して食べるのも、いずれも我が愉悦。(中略)/不摂生な雑食の割にはストレスも溜らず、この半生快眠を貪ることができたのは、きっと悪夢を食べてくれている「獏」のおかげだ。主人の雑食性ゆえ、いきおい獏も過度の悪食を免れまいが、半世紀を生きた感謝と、日頃の罪滅ぼしを兼ねて、句集題にその名を刻んで献呈する次第。

この「あとがき」は好ましいというか、はなはだ親近感を覚える。グルメではなくグルマンだというところや、ストレスが溜らず快眠を貪ってきたというあたりは、他人の気がしない。しかし、「在るものを直接食べるのも、無いものを想像して食べるのも、いずれも我が愉悦。」というのは、評者にとってはいまだ実現しない理想にとどまっている。本書の栞文で西村我尼吾は、

もともと佐怒賀は「天為」にあって異色の作家である。写生を基本とするが、それだけに留まらず、写生を超えようとするはげしさが、そのなんともいえない人柄の良さの中に同居しており、それがまた、佐怒賀の大器たる由縁であり魅力である。

と、述べているが、この「写生を基本とする」という要素が評者には欠けているからだ。では、佐怒賀の写生とはどのようなものだろうか。

瀧裏の澄みゐて日矢の貫くところ  ⇒「貫」に「ぬ」とルビ
隠岐倉に冷ゆる螺鈿の馬杓かな
負け牛と子らと千草に安らへる
勝ち牛にとび乗る子らや木の実振る
勝ち牛の息づく釣瓶落しかな
かりがねやがしん俵は煤のまま  
⇒「がしん俵=飢饉用の米俵」と左注

第一章「隠岐抄」より。この章は、五十句からなる隠岐での旅吟の大作を収めている。ここに引いた一句目がすなわち句集巻頭句でもあって、前掲の西村の栞文によれば、日本の瀧百選にも選ばれた名瀑「壇鏡(だんぎょう)の瀧」を詠んだもの。壇鏡神社の社殿脇から雄瀧の裏にまわることができる。瀧のところどころを、日矢がつらぬいて瀧裏までさしこんでいるのであろう。みなぎり落ちる水の響きと、秋の太陽の光が遍照するこの清爽な一句で巻頭を飾ったところに、隠岐という土地に対する佐怒賀の気分がよく現われている。三句目と四句目は、隠岐名物「牛つき」のさまを詠む。隠岐の牛つきは、引き綱をつけたまま、二頭の牛が角を突き合わせ、一方の牛が逃げ出すまで戦いを続ける。勝ち牛には、関係者がつぎつぎと馬乗りになって勝ち誇る習いで、四句目はまさにそのシーン。〈秋草をめぐりに牛の突き合へる〉とか〈新走りふふみて牛を闘はす〉などの句もあるにはあるが、全体として、戦いのありさまそのものを執拗に形象化しようとする意志は感じられない。心やさしい目が捉えた、穏やかなパストラール(田園詩)の趣である。

西村のいう「写生を超えようとするはげしさ」、佐怒賀自身の言葉なら「無いものを想像して食べる」タイプの句は、それではどのようなものだろうか。

かりがねや炎を空に刷くこだま
島の根にしみる秋日や隠岐の国
かりがねや隠岐の島根へ金の波
色鳥ほどや縁起書の乎古止点
  ⇒「乎古止」に「をこと」とルビ
末枯や御遺文に「祟るかもしれぬ」
下火のあと代々悼み継ぎしろしきぶ  

⇒「下火」に「げくわ」、「代々」に「よよ」とルビ
「下火…御火葬のことをいう」と左注
摩天崖穴に入る蛇かぎりなし
巌の息海の息隠岐澄みわたる

すでに見た牛つきがそもそも後鳥羽院を慰めるために始まったという起源伝承を持つものらしいが、これらの句では後鳥羽院配流の地というモチーフがいよいよ前面に出ている。引用句中ではっきりと後鳥羽院のことを詠んでいるのは五句目と六句目のみながら、他の句にしても自然詠が可視の範囲を超える時、おのずから詠史の句としての相貌を呈するようだ。そこに一句独立の行き方とは異なる、テーマ詠、群作のおもしろさがある。

高橋睦郎は近著『遊ぶ日本 神あそぶゆえ人あそぶ』(九月十日刊 集英社)で、「詩魔憑依の果て」といういささかおどろおどろしいタイトルのもと、後鳥羽院のために一章を割いている。ここで高橋がいう“詩魔”とはスサノヲノミコトのこと。〈激情と乱行の結果としてタカマノハラを追放〉され、やがて〈追放先で厄災を除去し支配の象徴としての宮殿を建て歌を創始〉した、負正を一身に兼ねるこの神を、高橋はみずからを含む日本の詩人の原像と捉えている。スサノヲが歌ったと伝承され、〈わが国の歌の淵源だと信じられ〉たのが、〈八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を〉。高橋は、後鳥羽の意を受けて藤原良経が執筆した『新古今集』の仮名序を分析する中で、後鳥羽が、〈この伝承の主たるスサノヲを具体的な詩神=詩魔として、これに自分の詩心、あえて言えば運命を委ねた。〉と述べる。

院に取り憑いたスサノヲはまず自らの正の行状を実現せしめた。つぎには負の行状を実現せしめずにはおかない。『新古今集』完成後の院の豪遊への熱中と承久の乱への疾走はそう捉えることもできるのではないか。それが負の行状である以上、承久の乱の成功はありえない。スサノヲが「神逐(かむやら)ひ逐(やら)」われたように、院も逐われなければならない。この時、神逐いの主体としてのアマテラスの役割を担ったのは鎌倉方の尼将軍北条政子だろう。

神話中の詩神の歩みを、歴史的時間の中で生きなおす詩人帝の運命を、彼らの末裔たるひとりの現代詩人が鋭い直観によって歌い上げている。佐怒賀にこのような明晰な見通しがあったかどうかは知らず、引用一句目の〈かりがねや炎を空に刷くこだま〉、六句目の〈摩天崖穴に入る蛇かぎりなし〉、七句目の〈巌の息海の息隠岐澄みわたる〉などに見られる張り切った調子の高さは、後鳥羽院の故地での作句という意識あってこそのものだろう。とりわけ六句目は、太古の火山島である隠岐諸島の断崖を仰ぎながらの幻視であって、疎まれもすれば敬われもする蛇という存在の両義性が、後鳥羽院の個性にいかにもふさわしい。天を摩する断崖の壮大さと、肉眼には映らぬ数「かぎりない」蛇のいとなみが、俳諧史の淵源に立つこの“流され王”への思いのはるけさを、よく形象し得ているのではないか。

ところで隠岐での旅吟といえば、句集『雪後の天』(昭和十八年 交蘭社)における加藤楸邨の「隠岐紀行」を逸するわけにはゆかない。日米開戦の年の初め、三十代半ばの楸邨が敢行した隠岐への旅もまた芭蕉を通じての後鳥羽院への思いに根ざしたものだった。

さえざえと雪後の天の怒濤かな

にはじまる百七十六句は、時局に由来する一期一会の緊張感が胸をうつが、佐怒賀の五十句と読み比べて今昔の感に堪えないのは、最初の二十句余りが島に到着するまでの途上の吟であることで、

霙うつ夜見の砂丘の汽笛かな

のような、なんとももの淋しい山陰線の車窓風景から、

東風の濤谷なすときぞ隠岐見え来  ⇒「来」に「く」とルビ

の船上風景へと、目的地が近づいてくるにつれての期待の高まりが手にとるようにつたわってくる。おそらく本土とは飛行機で往来しているのだろう佐怒賀の群作が、いきなり壇鏡の瀧での句から始まるのと、そこは大いに違う。

荒東風の濤は没日にかぶさり落つ
春さむき顔も巖のひとつかな
春怒濤ずんずん暗き巖かな

これらは「隠岐紀行」前半のクライマックス、「国賀の怒濤」三十句のうちの作で、隠岐諸島主要四島のひとつ西ノ島の北側、国賀(くにが)海岸の船上からの眺めを詠んでいる。高さ三百メートルに達する玄武岩の大岸壁は、すなわち佐怒賀の句にあった「摩天崖」に他なるまいが、肌を刺すような海風の冷たさと荒波のうねりを体感的につたえてくる楸邨の詠みぶりに比べると、佐怒賀の作がいかに観想に傾いているかがよくわかる。とはいえ、ことの是非はそう簡単ではない。連作の後半、「後鳥羽院御火葬塚」三十三句は、「隠岐紀行」の目的そのものであるが、そこでの楸邨の詠みぶりは全体にむしろぎこちなくて魅力にとぼしい。

隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな

という楸邨一代の名吟を含んでいるのがこの一連の救いとなっているが、一句としての価値はともかく、評者はこの句にあまり後鳥羽院を感じられずにいる。戦後の民俗学・歴史学の知見の深まりや、角川春樹あたりに代表されるように、そうした知見を作品に生かす経験を俳句がつみかさねてきたことが、「末枯や」「下火のあと」などの句の表現の自在さをもたらしたのであろう。これは、佐怒賀が大楸邨に勝っている点である。

ここで改めて『悪食の獏』の目次を示しておこう。

第一章 隠岐抄
第二章 葦野焼
第三章 百の耳
第四章 枯の崖
第五章 花の種
第六章 降魔相
第七章 地母神

このうちすでに見た「第一章 隠岐抄」五十句が二〇〇四年の、「第二章 葦野焼」五十二句が二〇〇四年から二〇〇六年にかけてのテーマ詠による群作となっており、第三章以下は二〇〇四年以降の折々の作を編年順に纏めている。

まず「葦野焼」であるが、毎年三月下旬に栃木・茨城・埼玉・群馬四県にまたがる渡良瀬遊水地でおこなわれるヨシ焼に取材したもの。佐怒賀は、遊水地に接する茨城県古河市の出身だから、故郷の行事ということになる。三十三平方キロ(山手線内の面積の約半分)におよぶ広大な湿原にくりひろげられる野焼きのダイナミックな光景が「写生を基本」にして活写されると同時に、遊水地を造るために消滅させられた旧谷中村の人々への鎮魂の思いが、「写生を超えようとするはげしさ」によって造形される。渡良瀬遊水地は、足尾銅山の鉱毒を沈殿させるために旧谷中村の全域を強制買収し、明治三十九年(一九〇六)に強制廃村して造成された。鉱毒反対運動の指導者であった田中正造は、明治三十七年から居を谷中村に移し、村の最期を見届けている。

光年の光は火なり葦野焼く
心臓のかたちに上がる葦野の火
羽音にも似たり葦野火走るとき
葦叢の中まで透けて野火猛る
葦野火のつながり餓鬼を跳ね上げる
誑かすごと葦野火のくねりけり  
⇒「誑」に「たぶら」とルビ
天の師も火を投げ落とせ葦野焼
天上も父祖の世も覚め葦野焼
葦野火や宙に玉など爆ぜもせむ  
⇒「宙」に「そら」、「玉」に「ぎよく」とルビ
鉱毒の常泣き霊や野火猛る  ⇒「常」に「とこ」とルビ
泣きやまぬ幼霊もゐて野火の宙
につぽんが滅せし邑や野火猛る
  ⇒「邑」に「むら」とルビ
幻の鉱毒の息野火荒ぶ
葦野火の一つは涯を荒走り

佐怒賀がおそらく幼時から目にしている行事であり、三年がかりと充分に時間をかけていることもあって、たいへん充実した群作となっている。捨てがたい句が多く、数をしぼりきれなかった。一句目、群作のトップを飾る〈光年の光は火なり葦野焼く〉は、光年のはるかに輝く星の光もまた今ここに燃え上がっているのと同じ火ではないかと、眼前の景を大きな観念の景として捉えなおす。二句目〈心臓のかたちに上がる葦野の火〉や五句目〈葦野火のつながり餓鬼を跳ね上げる〉は、火焔の視覚的な描写としても的確だが、それがそのまま〈につぽんが滅せし〉罪障の記憶の喚起に向かう。六句目、〈誑かすごと葦野火のくねりけり〉ではもはや火はかだましき生命体となって、あたりをほしいままに走り回っている。やがて天上では父祖が目覚め、平成十年に亡くなった師・石原八束が目覚め、天と地と過去と現在、心霊と地霊とが、熱と光のひとつの混沌をかたちづくる。〈葦野火や宙に玉など爆ぜもせむ〉はその混沌の極みにおこる空中爆発の幻想である。〈幻の鉱毒の息野火荒ぶ〉は、熱気による上昇気流がかげろうのようにゆらめくさまを詠んでいるのであろう。「鉱毒の息」という擬人法が、この場合、よく効果をあげているように思われる。

以下は、おりおりに気になった句に立ち止まってみたい。

やはらかき筆のような死春の雪
世界中トースト飛び出す青葉風
彼の世よりとどく暑さとよろこべる
非在の塔のぼるごとくに雪の鳶

「第三章 百の耳」は、二〇〇四年と二〇〇五年の作品からなる。一句目には、〈追悼 森本芳枝さん(「秋」同人)〉という前書が付いている。毛筆の穂先は、短鋒・中鋒・長鋒など長さもいろいろなら、動物の種類によって硬軟またさまざまである。この場合の「やはらかき筆」は、さしずめヤクの毛などを遣った腰のやわらかい長鋒の筆なのであろう。意表を突く直喩だが、生前の人柄と齢足りての穏やかな死去のさまをこもごもに感じさせて巧み。書道にたしなみのあった人なのであろうか。二句目は、トースターからパンが飛び出すその心の弾みを、白髪三千丈ふうの誇張法で言いとめた。今週号の冨田拓也「俳人ファイル」で、阿部青鞋の

感動のけむりをあぐるトースター

という句が紹介されているが、佐怒賀の句には青鞋のまなざしにこめられた皮肉はかけらもないようである。三句目の「彼の世」には、七月の暑中に亡くなった師・石原八束への思いが揺曳しているのだろう。しかしそれはそれとして、この世と彼の世のけじめさえ無くなってしまいそうな猛烈な暑さと、それをしも楽しんでしまう作者の泰然自若ぶりが印象的だ。四句目は、螺旋状に上昇してゆく鳶の輪に、「非在の塔」を感じ取っている。言葉が呼び出した“非在”ではなく、視覚が呼び出した“非在”であるところに注意したい。

べた凪や天に見ひらく師の目玉
秋の蝶までも寄りくるちとちんとん

「第四章 枯の崖」は、二〇〇六年の作品からなる。一句目は、亡師・八束の高名句〈血を吐いて目玉の乾く油照り〉との交響であろう。評者は、彼らの師弟関係がどのようなものだったのか一切知らないが、風ひとつない青天に、よりにもよって「師の目玉」を思う突き抜けた生真面目さがとにかくおもしろい。亡師懐旧の句は、とかくしみったれた閉じた感じになりがちなもの。この豪放さは貴重だろう。二句目には、〈ちとちんとん。佐渡の芸能舞の一つ。男根を象った木の棒を股に挟んで、女役との性交を模して行う豊作祈願の大らかな舞。〉との左注がある。隠岐の群作でも見た、堂に入った田園詩である。軽快なリズムが心地よい。

わが詩猟薔薇星雲を恵方とす
どの星の王子か枯に見とれゐる
お涅槃や地球ぐんぐん回る夜
ケータイに蛙飛び込む万愚節
目蓋より吹き出してゆく花吹雪

「第五章 花の種」は、二〇〇七年の作品からなる。一種、楽天的な宇宙感覚を示す句に惹かれた。五句目など、耽美的でグロテスクな句でないこともないのだが、この集中の一句として読むと、むしろ解放感をこそ印象づけられる。みずからの視覚、あるいは自意識そのものが、花吹雪の乾いた軽さで霧散してゆくような。

ロボットは無季と蔑されとぐろ巻く  ⇒「蔑」に「なみ」とルビ
晩秋や降魔の相の残る鯛
晩秋の句碑に棲むごと映る顔

「第六章 降魔相」も、二〇〇七年の作品。一句目はつまり無季の句である。ロボットたちの不穏な集い、なのだろうか。成功してはいないが、この作者の意欲的な制作ぶりを示すものとして掲げておく。二句目の「降魔」は「こうま」ではなく、呉音で「ごうま」と読む。降魔相とは、たとえば不動明王のような、悪魔を降さんとする醜怪な憤怒の形相をいう。鈴木真砂女の〈悪相の魚は美味し雪催〉がよく知られるように、切り口としてはありふれているだろうが、まずは出来た句に違いない。三句目こそ秀句であろう。掲句の前に、〈光もて師の句碑を削ぐ野分かな〉〈師の句碑に捧げれば菊眠るごと〉が並んでおり、いずこかにある八束句碑に参じての作であることがわかる。墓石に供物が映りこむという類の句はいくつか見た記憶があるが、「句碑に棲むごと映る顔」はよくぞ言い切ったものだ。陽性のこの作者にしては珍しく翳りを帯びた、風狂の鏡像である。

塊か屈背か千年桜なる  ⇒「塊」に「かたまり」、「屈背」に「くぐせ」とルビ
大笑面ならぼうたんのうしろなり
爆笑寸前かたつむり今のりにのる
白玉や外濠ことに明るき日
軽鳧の子にたつぷり注ぐ銀河の乳
  ⇒「軽鳧」に「かる」とルビ

「第七章 地母神」は、二〇〇八年夏までの作からなる。「爆笑寸前」のような句を、観念的などと言って片付けてはならないだろう。「今のりにのる」とまで思い入ることが出来るのは、やはり驚くべきことではないか。五句目も、水に浮く「軽鳧の子」と、夜空をなだれおちる銀河=ミルキーウェイの遠近法が、この上なくあたたかな絵を描き出している。

さすが悪食を自称するだけあって佐怒賀の作域ははなはだ広く、詩品も高い。それなのにもう一息、決定的な独自性に欠けている印象があるのはなぜだろう。句姿の正しさといい、どんな場合にも流麗に言葉をさばいて見せるリズム感の良さといい、何が不足とも言いがたいにもかかわらず、たしかに何かが不足している感じがするのである。あえて言えば個人的な地獄が見えず、世界観にどこか最大公約数的な匂いがつきまとうのがその欠点であろうか。あるいはこの中庸に満足しきれないのは、読み手の側の未熟ということかも知れないのであるが。

*佐怒賀正美句集『悪食の獏』は、著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

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1 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

三度ほど読み返しまして、それでも高山さまの論評が、あんまりにも完璧すぎてコメントのしようがありません。

でも「読んでないのかなぁ」
と思われるのがイヤなので、コメント残しておきます。
  

> 何が不足とも言いがたいにもかかわらず、たしかに何かが不足している感じがするのである。あえて言えば個人的な地獄が見えず、世界観にどこか最大公約数的な匂いがつきまとうのがその欠点であろうか。

高山さまが上げられている句を見渡す限り、たしかに「これ!」と思える句がないのですよね。素人だからこそ言ってしまいますけれど。(素人怖くないですもん)

あえていうなら、
「泣きやまぬ幼霊もゐて野火の宙」
でしょうか。


獏の頭に銀河のしぶき照りかかる
なかよしの未知なる獏や朧の夜
踊りだす獏の吐くもの余寒かな

の中ではわたしも真ん中の句が好きです!