・・・藤田哲史
1 作品における主題の回避
「俳句形式に、重厚な文学性や思想性は必要なのだろうか?」
そのような俳句における主題の問題について考えるとき、筑紫磐井の作品は極めて示唆的なものに見えてくる。驚くべきことに、彼の作品を純粋に鑑賞するとき、彼自身の境涯や時代背景を持ち出す必要はほとんどない。彼の作品は、戦争、人生、病気などといった主題から全く無縁で、ほとんどの作品が作者近辺の現実世界から離れているからである。そして、他の作家と同じレベルで鑑賞を試みても、彼自身の表現しようとする主題は決して見えてくることはない。
ただその摩訶不思議な作品を見ていく前に、このおよそ実名らしからぬ俳号の怪人の略歴を挙げておこう。筑紫磐井。昭和二十五年(一九五〇年)生まれ。一橋大学在学中に「馬酔木」に投句をはじめ、次いで「詩歌」「沖」などに投稿、投句を行う。第一句集『野干』以下、これまでに刊行した句集は『婆伽梵』『花鳥諷詠』の三冊。評論で知られ、代表的なものに『定型詩学の原理』『飯田龍太の彼方へ』がある。現在、「豈」発行人。
と、ここで一つ言いたいのは、彼の略歴において、いわゆる「伝統」から「前衛」への大きい転向があったことである。第一句集上梓後、彼は能村登四郎の「沖」から攝津幸彦の「豈」に活動の場所を移している。一方は虚子、秋桜子からの歴とした師系をもつ結社であるのに対し、もう一方は高柳重信の「五十句競作」から出た攝津幸彦が代表の同人誌であった。
もっとも彼の作品に関していえば、第一句集から既に現実と遊離した作風は確立されていて、序文・跋文を寄せた「沖」の能村登四郎、林翔は、なんともためらいがちに筆を進めている。まずはその難色を示された作品を幾つか挙げてみよう。
女狐に賜る位・扇かな
護摩焚いて孔雀呪法の明けやすし
若き妻を野干(きつね)と知らでさくら狩
『野干』は巻頭から末尾まで、上に挙げたような豪奢な平安王朝世界を描いた作品で占められている。たしかに序跋の指摘のように現実の世界に主題を置くべきという考えからすれば、筑紫磐井は全くの異端児、叛逆者だっただろう。しかし、一方で前衛作家攝津幸彦はこの『野干』に賛辞を送った。攝津は「私は私なりの俳句形式へのつきつめに行きづまり感じ別途の方法を模索していた」とし、その彼の行き詰まった状況を打開させるものとして『野干』が出てきたことを記した。「いよいよ新しい現代俳句の書き手が登場した」と。
ここであらためて、私は攝津幸彦を含め、戦後の前衛作家達の作品を鑑みる必要があろう。摂津の作家性と比較する上では、加藤郁乎、阿部完市、安井浩司、坪内稔典などがわかりやすい例であるが、現実世界とは一旦切断された世界を描出する彼らの特徴は、寓話性、象徴性、諧謔性、あるいは意味性の排除などが挙げられる。
攝津幸彦にもそれらの特徴は当て嵌まり、諷刺性、意味の重層性が挙げられる。諧謔性を含む点では三橋敏雄も存在するが、攝津の諷刺は敏雄よりもずっとニヒリズムの色合いが濃く、厭世的である。更に意味の重層性はかなり無意味すれすれの地点を狙っているところがあり、思想の放擲という点では同時代の坪内稔典にちかい。
そして攝津の登場した時代あたりからだろうか、はっきりと主題の回避がかたちを表すのは。そして、その状況下で伝統的手法を惜しげもなく用いて主題を回避した作品を披露したのが、筑紫磐井ではなかったか。
みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな
近江みち蕗をいただく空也あり
雪高き丹波を越えて荷が六駄
再びそうした時代背景に基づいて彼の作品を見てみると、古典的世界への純真な遊弋が自我からの脱出に繋がっていることがよくわかる。彼の作品単独においては筑紫磐井の身辺を荒らす必要はないが、彼の作家性を論じるために時代背景をはっきりと引用しておく必要があることに気づく。彼の作品は題材のレベルで明確に主題を詠うことはない。ただそのコンセプトにおいて明確に主題の回避という主題を提示している。それが筑紫磐井の作品なのである。
また、その発想が発想に終わらず作品の完成度まで及んでいるところが彼のすごさでもある。筑紫磐井のゆるぎない世界を保証するのは、古語を使いこなす卓抜した技量による。それは決して万人が真似できるものではないことを付け加えておく。
水洟の定家しはぶく老の戀
行幸(みゆき)ある花たちばなのいでゆかな
若菜摘み幼きどちのうちまもり
更に、自我に回収されない言葉の神秘性、寓話性を助けているのは、古典から引用されてくる固有名詞や、難解な語彙である。彼自身は古典的世界を描出しているつもりが、平凡簡単な内容が誘う意味の多義性と、韻文における固有名詞独特の働きによって、前衛作家攝津幸彦を絢爛豪華な幻想世界の坩堝へといざなった。
萩・露にまみれてをかし懸想(けさう)びと
狩座(かりくら)の皇子(みこ)たち驅くる野の涯(はたて)
春宮(とうぐう)の雪つむ坊の管弦(あそび)かな
時代的に隔絶した語彙の数々は読み手にほどよい想像力を掻き立てさせる。ほどよい想像力とはすなわちほどよい身体性の欠如でもあるが、そのような言葉の数々が精巧な措辞と共に現れることで、摂津幸彦の言う「のぞきからくり」のような夢見心地を与えてくれるのだ。いや、夢見心地とは賛辞である。落語の中の世界は現実を描いていない、と目くじらを立てる大人などいまい? 筑紫磐井の作品もまた、大人のための美しい絵本の一つなのである。
2 諧謔と通俗
以上のような考え方で第二句集『婆伽梵』までの作品は回収される。とはいえ、筑紫磐井はその時点で開拓すべき領域をほとんど開拓しつくしてしまったようにも私には見える。
『婆伽梵』においても史実に取材した作品が集められているが、詠まれている内容の時代が下るにつれ、作品の鮮度が失われてゆく。特に末尾の昭和初頭の戦火想望俳句ともとれる作品については、平安時代に取材した作品と比べると見る影もない。
軍神も七月の足臭からめ
靑田子の健やかなりし兵と育つ
麥の穗が兵と生まるる八路軍
八月は日干しの兵がよくならぶ
これらの作品はかつての戦火想望俳句と地続きになることは決してない。これは戦火想望俳句に見る明瞭なイメージ性、瞬間性を筑紫磐井の通俗的な措辞がぼかしてしまっているためである。想像によらないイメージの描出力が先行作品にあるため、彼の作品が一歩劣ったものとして映る。現代と作品世界に時間的隔たりがなくなるほど、次第に幻想性の効力は失われ、その措辞の通俗性だけが露わになってしまった。
だから筑紫磐井の開拓した「言葉の自治領」はもう第二句集までがぎりぎりの範囲なのである。それは主題の回避の一つの限界点を示す大きな道標でもある。第三句集の『花鳥諷詠』に至って、彼の言語はようやく現実に近い場所に腰を下ろし始めたが、そこに残されたのは幻想性を剥奪された彼の通俗性のみであった。(意味性に拘った作品も散見されるが、それは攝津などが既に行ったことであろう。)
ここで私は、かつて信じていた神秘的な言葉の正体が、身体性に直結しない通俗性でしかなかったのか、といたくがっかりさせられる。もはや俳句性を獲得しない通俗性は、陳腐な格言にしか見えない。筑紫磐井は第三句集となってようやく作家性のかたちを現しはじめたが、その実体は、どうして普通の人であった。
3 笑いのセンスについて
そもそも筑紫磐井の作品に見られる幻想性は、通俗性と近しい関係にある。それは意味の即効力と言い換えてもいい。通俗性は既知の事項を巧みに描出し、格別新たな思想を謳うこともない。だからこそ、瞬時に意味が理解できる。
その通俗性が季題の本意に回収されてしまうかぎり、それは所詮季題趣味だ。季題の本意からスタートした発想で一句が成立しているということは確かである。山本健吉の言う「痴呆性」とは実はこのことを指す。
また、負の要素が排除された思考という点で、通俗性は諧謔性や(ブラックユーモアはともかく)ユーモアの守備範囲と重なってくる。過剰に読みを強要させないのがこれらの共通点だ。これは季題趣味に限った話ではない、鷹羽狩行の機知俳句も含められるし、攝津の諷刺的な作品もそのなかに含められる。
俳諧の語を持ち出すまでもなく現代においても俳句表現とユーモアは切っても切れない関係にある。が、そのユーモアと俳句の是非の境界は定めにくい。波多野爽波もまた諧謔と通俗が混淆した評価のむずかしい作品を残している。(「大金を持ちて茅の輪をくぐりけり」「たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん」)
筑紫磐井の俳句が難解な語彙を用いながらも、それでも読み手の想像力が落ち着く文脈にとどまっているのは、「その句の中に詠まれている感情はごく平凡で、通俗であることが多い」(山内将史)からであり、彼の通俗性はまだ、古典的世界への憧憬から完全に逃れていない。彼の季語の捉え方は、まだ季題趣味的であり、季語の魔力に引っ張られている。
そして今後筑紫磐井のユーモアが、無私の状態のまま通俗性を脱ぎ捨てたとしたら、案外、虚子に直結する作品がポーンと出てくるのではないか、とも私は考えている。巧みな言葉遣いと無垢な製作意欲との同居とは、実は天才のための必要条件ではないか。彼は密かに確かに、その条件をクリアしている。
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3 件のコメント:
こんにちは!
こちらでは初めまして。
私は筑紫磐井さまの句集が好きです。
なんでかな?と思っていたら、今回上梓された「女帝たちの万葉集」を読んでわかりました。好きな世界が一緒なのですね。
(あ、磐井さま、お礼が遅れておりますけれど、私も理系門外漢なりに得意分野なのでそれなりのちゃんと感想をお送りしようと思いつつ、気負いすぎて書けませぬ。ありがとうございます。
特に私が好きなのは元正天皇で、これは永井路子にいたく影響を受けているのかもしれませんが、そのほかにも阿閇・御名部皇女の「ますらをの鞆の音すなり物部の」の句は大好きです。)
れおなさまの後書きにもありましたとおり、ロマン主義、なのでしょうね。れおなさま同様、「鶏頭」論争には関係のない句なのだろうと思います。
でも藤田様の論評は面白かったです。
今後も頑張ってくださいませ。
野村麻実様
新撰21ではお世話になりました。
いま、新撰21を超える超新撰21を企画中です。ご期待ください。
古い拙句集をお認めいただき光栄です。
これはある日突然、嘱目・諷詠・日常句は作らないと決心し、句集を作るための主題詠を始めたものでした。
王朝であったり歴史であったり、みな主題を決めて出来上がった句集で、最新の句集は「ある有名な家族のホームドラマ」が主題でした。
ただ、相手が相手だけに常に多義性を心がけた結果、誤解の塊の句集となったのは幸運なことでした。
先週の週刊俳句の「季語と予定調和 親題反題」(野口裕)で『定型詩学の原理』から引用してもらった<「本質的類型句」を目指す>は、虚子だけでなく、現代俳句の指針になっています。
それだけでなく、私もミイラ取りになっているようです。ただ、現在、私の季題不使用率は80%なので、季題趣味というよりは、無季題趣味というべきでしょう。そこにも優れた「本質的類型句」があり得ると思っています。
「女帝たちの万葉集」ご覧頂きありがとうございます。同好の士とは存じませんでした。私が好きなのは、サララちゃんです。彼女、アラレちゃんのように頑張っています。
これからも宜しくご支援、ご指導をお願いします。
筑紫磐井
筑紫磐井さま!
こめんとありがとうございます(;;)!!
超新撰21の件、すすんでいること聞き及んでおります。新撰21が雪梁舎俳句まつり・宗左近俳句大賞にノミネートされたそうですけれど、ノミネートされたことだけでも素晴らしいと思っております。公開選考会のようですので聴きに行きたいのですが、残念ながら仕事の関係上当直が入ってしまい、救急に明け暮れているものと存じます。(残念~無念です~)
なぜかこのコメントのおかげで今週号に稿を寄せさせて戴くことになってしまいました。私もサララちゃん大好きです(^^)!!強いようで淋しかったに違いないトップの女性です。親近感を感じます。一歩も引き下がらない帝王としての自覚は、夫の天武より優れていたのではないでしょうか?
医師になる前などは大伯皇女が好きだったのですけれど(笑)。トップ・責任者とはまことに重い職分ですよね。
これからもよろしくお願いいたします!
(今、ある方とゆっくり共同作業で(いつになるかわかりませんが)ある企画を進めています。若い方々といろいろなことができる光栄を感じて楽しんでおります)
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