――大本義幸句集を読んで
・・・大橋愛由等
大本義幸氏は、俳句と詩を横断して表現してきた人で、わたしの文学に向かう態度と通底するところがあり、深い共感を抱く人である。いわば同じ表現位相の先輩として、私より少し前の時代を疾駆していた「現代俳句の旗手」のひとりなのである。そのありようを今回上梓された句集で見届けたいとの思いで読んでみた。その読みの手法は、句集『硝子器に春の影みち』(沖積舎)に掲載された全作品をひとつの共時的テキストとみなし、テーマをいくつか抽出することで、作品の解釈を試みるものである。
《テーマ01 生きながらの鳥への転生》
月に向かう姿勢で射たれた鴨落ちる (7p)
句集冒頭にこの句が配置されている。詩的衝撃力に満ちた作品である。詩の気配が濃厚にただよいながらも、俳句の形式にとどまって一行で表現されている。俳句は多くの物語、意味、背意を一行に凝縮することで成り立っていて、その作品世界を詩というジャンルに「解凍」すれば充分に一篇の作品を形成するものである(またその逆もありえるのだが)。
今回の句集を読むかぎりにおいて、大本氏の俳句世界では、鳥類は「翔ばない」か「翔ばせない」作品が殆どである。鴨を「月に向かう」という想像力の飛翔の寸前に射ち、〈鳥が翔ぶこと〉と、〈月に向かう想像力〉そのものを否定しようとしてい。〈夜は化石の鳥もめざめよ湖すこしゆるみ〉(37p)でも表現されているように、鳥は天空を羽ばたく存在ではなくて、飛行を中断されるための準備態であるのか、化石のごとくに固化した存在なのである。鳥が本来もっている属性である飛行を否定してみせることで、世界や存在に付着して当為であると思われている属性を拒絶しようとする詩的攻撃性を表現しているのである。
しかし、句集を読み進めるうちに、作者の〈翔ばせない鳥〉への指向も時を経てくると、変化していることに気づく。射つ対象だった鳥に作者自身がなっているのである。〈わたしがやんばるくいな土星の輪〉(129p)という作品がある。「わたし」という存在と「やんばるくいな」が、「土星」と「輪」の関係のごとく固着したものであり、「やんばるくいな」と「輪」が、「わたし」と「土 星」の主要属性であることを歌っている。また〈昼月ややんばるくいな熟眠(うまい)せり〉(142p)では、作者がヤンバルクイナになりきって熟眠しているのである。
この変移をどう解釈すればいいのだろう。考えてみると、ヤンバルクイナは翔ばない鳥である。つまり大本俳句の中での鳥類はやはり翔ぼうとしない、翔ばせない存在であり続けている。作者自身が翔ばない鳥に変化することによって、若い頃に射った鳥そのものに〈転生〉しているのかもしれない。自らに付着する属性であるなにかを遺失/欠落したことへの自覚が、「翔ぶ」という属性を持ち得ないクイナに〈転生〉し、自らがクイナ(翔ばない鳥)であることの覚悟を表明しているのかもしれない。初期作品で射つべき他者であった鳥に〈生きながらの転生〉を果たすことで、身体性(あるいは生そのもの)への執着が作品中でも表現されているのである。
《テーマ02 あの時俳句には友がいた》
八月の広島に入る。声を、冷やして、ね (42p)
私が学生時代に接した俳句は、『京大俳句』の作品世界だった。その時のわたしは漫画誌『ガロ』を読むような感覚で、この難解な句誌と接していた。大学を卒業して小さな新聞社兼出版社に勤めることとなった一九八〇年、俳句は今よりも文学として開放的であり周囲には多くの友人たちがいた。そのひとつがコピーライティングの住人である。
糸井重里が西武百貨店のコピーとして「おいしい生活。」と書いたのもこの年だった。俳句の、事象や季節感、宇宙までも一行に呼び込んで簡潔に表現するありようが、広告のキャッチコピーにも通じるところがあり、コピーの持つ半歩時代の先をいくその預言性に、俳句も刺激を受けたのである。こうして俳句とコピーの住人たちはあの時固く手を交わしていたのだった。
大本作品にもこうした八〇年代前後の息吹を感じることができる。このテーマでは作品に句点「。」が付されているものを抽出して考えてみたい(コピーの最後に句点を打つという書法は一時キャッチコピーの表現としておおいに流布したものだった)。今回の句集に句点つきの作品に秀句が多いのは、偶然を超えて、作者の新奇な書法に仮託して表現しようとする想像力の飛翔が発露されているからではないだろうか。
「八月の広島」とは、六日の原爆忌のことと考えた。あの日はいつも炎暑である日が多い。そうした気温の高さも、原爆忌の日に広島に入ること自体もヒートアップしてしまう中で、大本氏は「声を、冷やして、ね」とささめくのである。この感覚は井上陽水が「傘がない」で表現した覚ましと差異化の世界を想起させる。
〈水の衣を脱ぐと樹となるのだとあなたは。〉(47p)、〈樹と竝てば肋骨に水が流れているよ。〉(45p)における「樹」は樹霊のやどる場であり、そこに連関しながら「あなた」や「水」が神話的に流出(新プラトン主義的に)するのである。また〈宇宙的霊魂に朱を入れる朝である〉(46p)や〈霊魂といるよ、無人踏切も裸灯も。〉(43p)とあるように大本氏は盛んに霊と霊的なものとの交感を作品上で展開している。この時に感じ、みたものは、キャッチコピーの持っている預言性と通底するのかもしれないし、しないのかもしれない。さらに〈溺死の月さ、鞄よりおおきな思い出。〉(44p)はフランス象徴詩のような響きがあって好んでいる。月を溺死させてしまった俳人は、手持ちの鞄の中に包含され蓄積されているいくばくかの物語より月は大きかったと喝破することで、一篇の詩的抒情世界を構築しているのである。
《テーマ03 その鐘が鳴るところ》
半鐘を打つ村にうまれた傷んだ虹と妖き雲 (35p)
俳句のモダニストである大本氏の作品には、出自の場をうたっている俳句がいくつかあり、作品系譜のひとつとしてジャンルを形成している。「半鐘」は火事など緊急な事変を集落に知らせるメディアであるが、その音は、集落中に響き渡り、その遡及力は、その集落に生きていること、緊急事変を全集落民が共用している事実を自覚することに貢献している。〈鐘が鳴ったら降りてゆけ星は泥へ水は樹を〉(37P)とも表現されていて、「半鐘」の報せと、その背景にある集落のメッセージを受容していることが分かる。それはかつて日本の近代文学者に通底していた出自の場に対するあらがいや嫌悪ではなく、自分の集落は、鐘が鳴り響くところのミクロコスモスであることの気づきと真正面から向き合っていることを作品化しているものなのだ。その鐘の音の可聴範囲で、「傷んだ虹と妖き雲」という天象が展開していて、「星は泥へ水は樹を」という事象が生起する場であることを詩的直感力で表現しているのである。
〈ドラム缶を楯に泣く僕に緑の故郷だが〉(8p)では泣いているが、故郷を否定してはいない。むしろ〈すてきれぬ血族ここにも野すみれ咲き〉(8p)と書いているように、自分を産み育んだトポスに対する愛惜の情をありていに表現することで、自らの生の座標軸の基点を確認しているのかもしれない。
またこんな句もある。〈故郷は椎の木裂ける音である〉(121p)。この作品世界は同郷(愛媛県)出身である大江健三郎が展開する〈杜に生かされる邑・ひと〉を連想してもいいのかもしれない。〈石の岬よ石榴を剖く雨の岬よ〉(29p)、〈ああ岬鉄の匂いの花の咲くらし〉(p50)といったように出自の場所の地勢が岬であることを意識した作品も見いだすことができる。岬は海との緊張感にさらされた場であり、その先は海という絶対的な他界であることを五感へ直裁的に突きつけられる場である。そうした彼此が明確に分かれた場に響く雷に接した少年は、ただ佇ち尽くしていただけなのだろうか。〈海をてらす雷(らい)よくるしめ少年はいつもそう〉(151p)。大本氏の少年時代の苦悶と悶絶が幻視される。
《テーマ04 隣座するタナトス》
ああごめんノートの遺す鰯雲 (148p)
二〇〇三年から度重なる手術を受けた大本氏。この句集の後半は、前半に展開したコトバと表現を屹立させている俳人のイメージとは異なる作品群が登場する。あいかわらずの鋭利な詩語の表出もあるが、選択されるコトバに、平易さが引き込まれるようになる。例えば〈朝顔にありがとうを云う朝もあった〉(60p)、〈ありがとうきみのいたこと忘れず冬〉(78p)などの句に現れている「ありがとう」。〈ふんわりとただふんわりとおばあさんの帽子〉(145p) の「ふんわる」、〈がんばるわなんて云っている冬の花〉(63p)の「がんばる」。平易すぎるこれらのコトバを安直に使えば陳腐になってしまう。それを表現のレベルに押し上げているのは、他者に対する感謝の気持ちぱかりでなく、「ありがとう」「ふんわり」 「がんばる」という言葉を発する自分が、生の持続の只中にいることへの自覚であり、自分が 〈在る〉ことの確認から発して、すべての〈有る〉もの/万象に対しての気付きと感謝の表現が込められているからなのだろう。
しかしそうした生の明るみばかりの表現では、隣座するタナトスと 〈私〉との関係が語れないことを表現者・大本氏は充分理解している。その経緯をさぐるために、蝶の行方を追ってみよう。若い頃の作品と思われる〈枯笹を渡る蝶よ むこうも枯原だ〉(7p)では蝶に仮託した〈私〉が翔んでいる現在の地所は「枯笹」という不毛の情況であるとの否定的な見なしをしつつ、越境しようとしている「むこう」も「枯原」であるとの失望感と諦観が表現されている。それが後の作品になると、〈死者を恋い冥きへ曲がる夏の蝶〉(95p)となり、「死者を恋」うことによって、生と死が拮抗して語られ、蝶=〈私〉が「冥き」に近づく可能態であることを言語化している。この蝶が、大本氏の作品世界の忠実な使徒であり、自己の不安、不定さを形象している「薄氷(うすらい)」という詩語と出会うとき、〈薄氷のなか目をひらくのは蝶だ〉(149p)となり、蝶に仮託した〈私〉の精一杯の覚醒が書かれている。そして何度かの手術を体験するようになってからは、〈てふてふとかかれてひくくとぶけさの蝶〉(151p)の ように「てふてふ」と命名された蝶へのまなざしをむけつつ、蝶が翔んでいる姿そのもの、その自然さを作品化することで、自分が〈在る〉ことと、蝶を含む万象が〈有る〉ことを引き受けている生のありようが表現されている。
これから大本氏の蝶/てふてふは、どこに向かおうとしているのだろう。「ああごめん」と書くのは、誰かにあやまっているのではなく、自分がいま置かれた立ち位置から切ないまでに絞り出されたひとことなのかもしれない。自力ではどうしてもたちいかない〈限り〉を知った者が発する深い詠嘆が「ああごめん」という言葉になったのだろう。遺ってゆくものは、ノートに筆記された自分の文字であり、描かれた鰯雲、あるいはその時にみつめていた鰯雲の記憶かもしれないのだ。〈河の名もわが名も消えていつかのどこか〉(76p) もまた心を打つ。
《テーマ05 〈私〉というアポリア》
わたしとは雨に濡れた三和土である (48p)
俳句という詩型は〈私〉というアポリアとどう対峙していくのかが、 重要な命題のひとつであるように思う。大本作品の中で「あなた」という第二人称も表現されているが(例えば、〈あなたの国の名前を食っている夜の獏〉(80p)、そこに登場する人称は〈私〉と対峙する他者としての「あなた」であったり「かれ(ら)」であるのか、という問いはあまり有効ではない。俳句という文芸は、〈私〉というありようを、季語や季感、花鳥諷詠、あるいは、日本の文化体系そのものに企投することで、〈私〉を越えた共同体的な間主観性の中に〈ゆだね〉ていくことによって成り立ち、〈私〉が屹立していくことへの自問が溶解したり、他者との拮抗が無化されていく局面としばしば出くわすことがあるからだ。こうした中で、大本作品の中には、〈私〉へのとどまりや、〈私〉とはいったい何なのかを自問する句のいくつかに出会うことができる。
「三和土」とは、農家や古い民家などによく見られるコンクリート状に固められた屋内の土場である。そこで農作業をしたり、大きな庄屋では村人をあつめて衆議などをしていたことだろう(その大きな三和土は 「にわ」と呼ばれていた)。つまりそこは家内でありながら、家の外とも融通される場所である。そしてそこが雨に濡れるという家外の自然現象が侵入している。つまり〈私〉という存在は、自律しているのではなく、家外とも通じる場所(=三和土)であることを意識することで、〈私〉が〈非・私〉にさらされることを表象しようとしている。ここには〈私〉がつねに解体に直面していることへの底知れない不安が作品に現れているように思う。〈私〉は常に〈非・私〉に侵入され、さらされるているのだという自覚。それは俳句性への〈ゆだね〉の意識とは違う位相の〈私〉のありようへの書法であるのに違いない。
〈昼月が頒つふたり我(われ)と我(かれ)〉(26p)という作品も面白い。一見したところ、マルティン・ブーバーの「我と汝」を想起したが、全く違う発想からなっていることがわかる。この句の〈我(かれ)〉はブーバーが言うところの「Sie」として認識される 絶対的他者としての「汝」ではないのだ。つまり〈我/私〉が「われ」と「かれ」に、電極分解しているのである。これは俳句の〈我/私〉を考えるこのテーマに格好の素材を与えてくれる。この句の場合の〈我(かれ)〉は〈我(われ)〉にとっての他者としてではなく、あくまで〈私〉が分解または自己解体したところの〈我(かれ)〉なのであろう。この分解作用の背景には大本氏の他者に対する哀しみがあると読む。他者と共棲しえない〈我/私〉は、〈我/私〉を分解/解体することによって〈我(かれ)〉を幻出せざるを得ない哀しさと言い換えてもいい。そしてこの〈我/私〉を頒つのが昼月であるという。昼月というのは、ぬっさりと天空に漂っている存在で、〈我/私〉を頒つための鋭利さがあるとは思えない。こうしたケの道具仕立てによって力なく〈我/私〉が分解していくことを書くことによって、〈我/私〉の正体を暴こうとしている。
このように俳句とはひたすら〈私〉と格闘して、解体あるいは、他者性にさらされることで定律していく文芸なのだろうか。大本作品の〈私〉への問いは、〈われありとおもえば青蛾先ゆけり〉(14p)といった他者からの存在や揺さぶりによって措定され、〈浅き夢なれ直腸に梨花帯すこと〉(105p)や〈肺門を出る血もいつか五月哉〉(121p)などといったように、〈私〉の実体として存在する(であろう)身体部位を描出して、その身体部位が欠損を生じることで、自覚されるものであったりする。大本氏にとって〈私〉とは常にさらされの現場に立ち尽くす解体ぶくみの存在であるのだ。
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1 件のコメント:
この文章は、大本義幸『硝子器に春の影みち』の出版記念会での、一つの収穫です。
「北の句会報」の発行編集をうけもってくれている丸山巧さん(「鬣」同人)の発案で、五句選による「北の句会」が選ぶ大本句ベストテン、をだしてみよう、という趣向に応じて書かれました。
大橋さんの鑑賞文は、長文でもあり独立した批評文になっているので、これにははいれらない、ということもあって、別だてで創られました。すでにあらわれている大本義幸句集評と、句会報の製本に間に合わなかった評もともに収録。ちいさなパンフレットです。
なお、『硝子器に春の影みち』は、著者の一行詩(俳句)の「全句集」だと言うので、今年の「鬣」賞をいただいたと、林桂さんよりお便りがありました。
といういきさつのみおしらせしておきます、大橋さんの活躍については、これからの「俳句空間—豈—weekly」の関わりの中で自分で明らかにされてゆくでしょう。堀本 吟
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