・・・高山れおな
当ブログ第九十五号(六月十三日アップ)に書いた「モーロクの辺境の反対なのだ 『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び』をめぐって」に関して、「船団」のわたなべじゅんこにより下記のコメントが付された。
思ったことを自分のブログで書きました。
リンクを貼らせていただくか迷いました。私の言葉も少々感情的なので恥ずかしく思いますが、やはり言い放しはよくない、この恥ずかしさも込みでお知らせする次第です。
これは読めということだろうから読んでみたが、自分でも言っているように感情を垂れ流しただけの愚にも付かない文章であり、読んでいるこちらまで恥ずかしくなった。とっさに、返事を書くので云々とコメントを付け返してしまったのであるが、一向気乗りしないまま(こちらにも予定というものがありますしね)一ヶ月近くがたつうちに、「e船団」の小倉喜郎・わたなべじゅんこの往復書簡形式の「俳句時評」中に、いくつか拙稿への言及を含む文章がアップされた。同じ拙稿でも第九十五号のものではなく、主には第九十三号に書いた「寓句たのしや、未踏論争もちょっと 高橋潤二郎『鑑賞 経営寓句』を読む」に対する言及である。対象が多岐にわたって読みにくい文章になってしまいそうだが、困難は分割せよとの古人の教えに従って、順に見てゆくことにする。
わたなべじゅんこのブログ 六月十四日の記述
まあ、船団賞も無事塩見恵介の手に渡りましたし・・・
桑原武夫学芸賞も『モーロク俳句・・・』のものとなりましたし・・・。これは壮大な皮肉であるかもしれませんが当然といえば当然の結果でしょう(^_^)b
第二芸術論を肯定的に見るという逆説的展開(当時)がコペルニクス的転回であり、結果的にそれは正しかったかもというのが外部からの見解であった、ということ。まずその視点から現俳壇に切り込んで行くには大きな勇気が必要でもあったでしょうし、その勇気に見合う対価でもあるかと。それになにより我々は、というより俳壇はこの様々な言説がきっかけは外部の人間にもたらされたものであっても、最終的には俳人の仕事であったことを喜ぶべきなのでは?・・・・、ま、俳壇のひとたちは坪内稔典を外の人間だと見なそうとしているかもしれませんけどね。でも、俳句をしないひとたちによってごりごりと俳句が第二芸術サブカルチャーの領域に押しつけられることになったのではなく、俳句をしている人間がその「俳句」というジャンルについて客観的な位置づけを図った、そのことをもっと評価するべきであると思いますね。(後略)
上に引いた六月十四日の記述には、後略とした部分も含めて差し当たり拙稿への直接の言及はない。ただ、これから当方が書いてゆくことに、内容的に重要な関連があり、かつわたなべじゅんこなる俳句愛好者の基本的なスタンスがよく出ているので、ご紹介しておく次第である。まず、書きぶりの品のなさが目につくものの、これは副次的な趣味の問題であるから今は置くとしよう。ただ、一種、才気走り、上滑りした文章のところどころに、この人の認識の根本的な欠陥が露呈していると思われる点が一、二、見えるのは指摘しておきたい。ひとつは、わたなべが「俳壇」というものを何か妙に実体的なものとして捉えているらしいこと。「俳壇」というのは、俳人・俳句愛好者、結社や協会、メディア、そして俳句をめぐる言説それ自体によって曖昧に構成されるもので、ないとも言えないがあるとも言えないような、そういう輪郭不鮮明な存在であろう。少なくとも「坪内稔典を外の人間だと見なそうと」する「俳壇のひとたち」というようなあり方を、それがしていないことだけは確言できる。小倉・わたなべ往復書簡でも感じたことであるが、「俳壇」なるものを実体的に措定することで、論点が捏造されているきらいはないか。妄想的に実体化された「俳壇」を論述に導き入れることは、批評にとって余計なことであるし、ジャーナリスティックな振る舞いとしても平板という他はない。うかつにそういうことをすると、言説がクレーマー化してしまうのですよ。こういう微妙な言葉を使う際には、もう少し慎重になった方がよろしかろう。
それから「第二芸術サブカルチャー」なる言葉が出てくるが、これまたわたなべの言葉遣いの粗雑さには呆れるばかりだ。「第二芸術」にせよ「サブカルチャー」にせよ、もとより対になる概念があっての“第二”であり“サブ”である。「第二芸術」は「第一芸術」の対概念であり、「サブカルチャー」は「メインカルチャー」の対概念であるわけだが、俳句は詩の一体である以上、メインカルチャー/サブカルチャーの区分にあってはメインカルチャーに属する。これは形式的なカテゴリー分類の話であって、当節の俳句表現にどれだけの価値があるかないかとも、社会的な存在感とも、また俳人なる人種の能力や魅力とも、基本的に関係ない。これに対して第一芸術/第二芸術とはメインカルチャー内部での価値を問題にした概念である。それは芸術だとしても価値の低い芸術だから「他と区別するがよい」というのが、桑原武夫が「第二芸術」なる言葉を用意した理由であった。一緒にならないものを一緒にして「第二芸術サブカルチャー」などとは、わたなべじゅんこの俳句よりもはるかに高い表現価値を持つ星の数ほどのサブカルチャー作品に対して失礼というものである。
わたなべじゅんこのブログ 六月十五日の記述(その一)
夕べ、なんでもれおな氏がネンテン氏の桑原武夫学芸賞受賞についてコメントしてるとのことで覗きに行ってきた。うーーーーーん、なんかちゃうなあと思ったけど、11時からのサッカーの試合を見終わったらなんかそれもどうでもよくなった。
でも、さっき読み直してやっぱり違うなあ、という気持ち悪さが残るので自分の精神衛生上のために一言ふたこと余計なこと、を。
『モーロク・・・』が雑然とした印象、と言ってた?当然でしょ。俳句史に関わるさまざまな言及を集めた一冊であり、それは初出をみればどういう本にいつ掲載されたかがわかる。若書き(といっては失礼か?)の1980年代の文献まで入っているのだ。文体や内容が違うのは当たり前だし、それはどういう本に寄せる目的で書いたかによっても変わるだろう。それは時間の経過のなかで第二芸術論に対する言及の仕方が変わるのも同じではないのか。
それをどうしてそういう言い方をするのか?
上記のうち、「雑然とした印象」云々の部分は、六月十三日拙稿の次の一節に対する発言である。
じつは『モーロク俳句ますます盛ん』という本、構成としてはかなり雑然としている。長短十二篇の文章が収められていて、近代俳句史概論的な内容のものが多いのであるが、初出一覧によれば、最も古いのが一九八一年の「戦後俳句のゆくえ」で、一番最近の執筆は二〇〇五年の「俳諧から俳句へ、俳句から俳諧へ」。つまり、四半世紀にわたってばらばらに発表された論考の集成であって、この間、坪内の俳句観や文章の書きぶりに大きな変化があったのは周知のとおり。ゆえに、本としての統一感はあまり感じられない。
ある本があってその構成が「雑然としている」ので「雑然としている」と書いたまでで、そこには格別の含みもないのであるが、わたなべにはカチンときたらしい。お気の毒である。しかし、この記述は、千頁ある本を千頁あると書き、二段組の本を二段組であると書くのと同じ程度に客観的な書誌情報を述べているに過ぎず、それにカチンとくるのはカチンとくる方がおかしいのである。書き下ろしなのか、近過去二、三年の連載を纏めたものなのか、長年月にわたり種々なメディアに、種々なテーマのもとで発表した文章を寄せ集めたものなのかは、一冊の本の成り立ちとして決定的に異なっているし、それは場合によっては買う/買わない、読む/読まないの選択に影響を与えることがある(私の経験上はそうだが、わたなべほど雑な人間だとそんなことには無頓着なのかもしれない)。豈weeklyはブログタイトル下のコピーを見ればわかるように、わたなべのそれのような個人感情の垂れ流し用ブログではなく、俳句関連書籍の書評を第一目的にしているのであるから、対象となった本の成り立ちについて読者に情報を提供するのは当然の仕事である。ただ、拙稿にひとつ不備があったとすれば、引用箇所冒頭の「じつは」が何を受けているのかがはっきりせず宙ぶらりんなことである。この「じつは」は、『モーロク俳句ますます盛ん』というタイトルに呼応している。これが、『坪内稔典評論集成』というようなタイトルであれば、中身が雑然としている可能性が書名にも示されていることになるが、モーロク云々はそうは受け取れない。むしろ明確で統一的な俳句観を打ち出した本であるかに見えるタイトルであろう。そしてその打ち出された俳句観を評価して桑原武夫学芸賞が授与されたというのが、普通の受け取り方であろう。にもかかわらず、「じつは」内容的には長期間にわたって書かれた文章の集成であり、その論旨も必ずしも統一されているわけではありませんよ、と言っているわけである。なるほど、いささか不親切な記述だったかも知れないが、と言ってもそれはわたなべのように頭に血がのぼって、元々低いリテラシーがさらに低下した読者にとってはということである。文章には全体の流れというものがある。標準的な力のある読み手であれば、この程度の不備につまずくことなく、当方の意図をおおむね汲むことができたのではないかと思っているが。
次に、わたなべ発言中の「それは時間の経過のなかで第二芸術論に対する言及の仕方が変わるのも同じではないのか」の箇所は、拙稿の次の一節に言及したものである。今回のやりとりのキモになる記述を含んでいるので、やや長くなるが、略さずに引いておく。
それはともかく、「戦後俳句のゆくえ」が発表された一九八一年といえば、『過渡の詩』が一九七八年に、『俳句の根拠』が一九八二年に、それぞれ刊行されているのでもわかるように、坪内が俳句を“過渡の詩”として捉えていた時期にあたっており、実際この論文にはその言葉が出てくる。この「戦後俳句のゆくえ」こそは、本書中にあって真正面から第二芸術論と取り組んだ論考なのであるが、しかしそれは「私の俳句論は桑原武夫氏の第二芸術論の肯定から始まっている」といったあっけない話ではない。この段階での坪内の第二芸術論に対する態度は、ストレートな肯定というよりは否定の否定とでも称すべきものであり、第二芸術論をめぐる先行俳人たちの対応を批判的に検証するものであった。しかもその際、坪内の念頭にあったのは桑原の論それ自体ですらなく、むしろ、小野十三郎や(竹内好を援用する)臼井吉見の短詩型文学批判を視野に入れながら、第二芸術論の可能性の射程を問うことにこそ、論の主眼は置かれていたのである。可能性としての第二芸術論とは、単なる短歌・俳句批判ではなく、〈無数の人々に愛され、日本人の心性や日本語の基礎に深くかかわっている〉短歌的なもの俳句的なものへの批判を通じた日本文学・日本文化そのものの批判であるはずであった。
俳句史はいつでも、それを書く者の批評の深浅を問う試みであるが、これを書きながらいくども思いうかべたことばがある。それは、「第二芸術について」(「詩学」昭和二十三年一月)という坂口安吾の文章だ。坂口はきわめて簡潔に、俳句しか知らず、詩一般に通じていない者は、もともと詩人ではない、日本にはそんな詩人ばかりだ、とその文章で言っている。もちろん、坂口の言うのは知識や教養のレベルのことではない。一句を書くことが、あるいは俳句について考えることが、日本の詩=文学一般と深く交叉していないかぎり、そこにはほとんど意味がないのだ。
「戦後俳句のゆくえ」の末尾で述べられた、このような厳しくもまっとうな認識はしかし、三十年後にはなぜか、「菊作りと俳句作りの楽しさは同じ、そして俳句作りとパチンコをする楽しさも同じだ、と思うが、意外にも反発する人が多い」といったいささか的外れな隘路に入りこんでしまった。なるほど、ひとりの人間の生活において、俳句と菊作り、あるいは俳句とパチンコが等しく楽しく重要であることはあり得る、という以上にありふれた光景に違いない。そしてまた、それらの世界にも四Sのごとき伝説の名人や、藤田湘子のごときすぐれたハウツー本の書き手がいたりするのであろうが、坪内のような気難しい顔をした批評家がいないことだけは確かなように思われる。つまりやはり両者は同じではないのである。
「それは時間の経過のなかで第二芸術論に対する言及の仕方が変わるのも同じではないのか」とわたなべは言うのであるが、拙稿は見ての通り、「言及の仕方」が変わったことを批判しているわけではない。坪内が、桑原武夫学芸賞の「受賞のことば」の中で、「私の俳句論は桑原武夫氏の第二芸術論の肯定から始まっている」と述べているのは、事実に反していると言っているのである。坪内の俳句論はそんなところから始まったわけではないだろうと言っているのである。それも、本人すら書いたことを忘れているような大昔の文章をどこからか探し出してきて、そのようにあげつらっているわけではない。他ならぬ桑原武夫学芸賞の対象となった本自体に収められた主たる論文のひとつと、「受賞のことば」とが矛盾しているのではないかと言っているのだ。蛇足を付け加えれば、拙文は「受賞のことば」に示された坪内の現在ただ今の俳句観は受け入れ難いが、受賞した本の中に入っている論文(具体的には「戦後俳句のゆくえ」)は素晴らしいとも言外に言っている。ただし、こう書きながら当方は少し絶望的な気分になっている。というのも、繰り返しになるが、わたなべじゅんこの文章読解力はとても低く、彼女には「戦後俳句のゆくえ」のような難しい論文で坪内が言おうとしたことなど、ほとんどわかっていないのではないかと想像されるからだ。そもそも「戦後俳句のゆくえ」が読めないような人間に、ここでの当方の発言がまともに通じないとしても無理はないのだ。以上が、「それをどうしてそういう言い方をするのか?」という間抜けな疑問への回答である。
わたなべじゅんこのブログ 六月十五日の記述(その二)
他者を仲間に入れ替えるというくだり、あれもヘンだ。坪内のいう他者は「個人」以外の誰か、という意味であって、それを仲間に置き換える、っていう発想がおかしい。
この発言は、六月十三日拙稿の以下の部分に対するものである。
坪内は近年、俳句の特質として句会の存在意義を説くことが多いようだ。『モーロク俳句ますます盛ん』でも、所収のいくつかの論考でその考えが示されている。一九九五年に書かれた「近代俳句小史」は、タイトル通り、明治から昭和初期までの簡潔な通史であるが、そこでは〈子規が俳句を発表する場は新聞という近代のニューメディアであったが、俳句をつくる現場は句会であった。〉と述べて、さらに次のように説明がなされる。
自分の作品が他者にどのように読まれるかを通して、句会では添削や推敲が行われた。別の言い方をすれば、句会における個人は、他者を受け入れ、他者とともに創造する個人である。俳句が表現する個人の感情とは、そんな他者に開いた個人の感情であった。
こうした認識が、それが俳句に固有のものであることと並んで、坪内が句会というシステムを高く評価する根底にある理由だと言っていいだろう。しかし、問題は本当に句会に他者など居るのかということで、上記引用の「他者」を「仲間」に入れ替えても文章が完璧に成り立つのでもわかるように、実態としても句会に居るのは他者というよりは仲間であろう(だから句会が悪いと申しているわけではありません、念の為)。自己の作品そのものが備えている他者性、否それどころか自己こそ他者であるという認識にこそ批評の出発点があるとすれば、制作行為が他者にひらかれてあることと句会とはとりあえず関係ない。一方で、仲間でしかないものを他者と呼び替えて、制度的な実体として固定化してしまえば、本来の批評は隠蔽され、その先にあるのはナルシシズムでしかなくなる恐れはないのか。実際、「e船団」における坪内の仲間褒めのはなはだしさを見ていると、その危惧が半ば当たっているような気がしないでもない。
わたなべの発言についての当方の感想は、おいおい、そんなふうに師説を勝手に矮小化してよろしいのか、というに尽きる。「坪内のいう他者は『個人』以外の誰か、という意味」とわたなべは述べるのだが、そうではないだろう。「坪内のいう他者」は、西洋哲学の他者論を踏まえて一九八〇年代以降、現代思想の方で盛んに言われるようになった他者概念を援用して、自説を補強したものだとばかり思っていたよ。いや、実際そうに違いないので、それを「『個人』以外の誰か」に過ぎないとされては坪内も立つ瀬があるまい。もちろん坪内は、俳句史家としての発見や〈三月の甘納豆のうふふふふ〉の受容のされ方など、みずからの体験の中で他者概念を育ててもいったのであり、単に現代思想の秀才たちの祖述をしているわけではない。わけではないが、坪内の個人史の時間と現代史・現代思想史の展開の時間の相関関係を見れば、両者が没交渉ではあり得ないことくらいわかりそうなものだ(ちなみに、甘納豆連作が載る句集『落花落日』はまさにニューアカブームさ中の一九八四年刊)。拙文が問題にしているのは、甘納豆句の反響などのうちに他者に自作を読まれるとはどういうことかについて深い実感を得た坪内が、その実感を句会というシステムの効能の問題に簡単に横滑りさせてしまったことだ。句会がたとえ「他人」との共同の場だとしても、その「他人」はほんとうに甘納豆の句が出会ったような「他者」なのかと言っているのだ。そうではないだろう、そこにいるのは「他者」ではなくやはり「仲間」だろうと言っているのだ。もちろん仲間にだって他者性が皆無なわけではないが、それはあくまで、私は君の句を読む、だから君も私の句を読め、という対称性のうちにあるものだ。不特定多数のうちに紛れた、存在するのかしないのかもわからない読み手に向けて、いかにすればみずからの作品が届くのか、ほんとうにそれは届くのか、それが届くとはどういうことなのか――そんな、半ば恐怖にも似た体験にみずからを賭ける行為と句会とは、やはり同じものではないだろう。といったようなことはしかし、「第二芸術サブカルチャー」などという卑陋粗忽な造語(?)を嬉しそうに振り回し、みずから俳句の可能性を閉ざしていることにさえ無自覚なわたなべなどには、所詮実感は出来ぬのであろう。
さて、拙文引用箇所末尾の部分に対して、わたなべは次のような発言もしている。
坪内の仲間褒めというが、目のあるところでいいものは仲間であろうがなかろうが褒める、という立場であるだけで、別段仲間だけを褒めているわけでもない。それはきちんとみてればわかることなんだけれども、氏はお忙しいからそこまでの目配りをしていない、ってことだろう。
かような揚げ足取りに対しては、揚げ足取りで返しておくのがまずは分相応であろう。いったい拙文のどこに「仲間だけを褒めている」と書いてあるのだ。拙文にあるのは、「『e船団』における坪内の仲間褒めのはなはだしさ」という記述である。すでに「仲間褒め」と言っている以上、感心しているわけではないのは確かだが、だからといってそのこと自体を特に批判しているわけでもない。そもそもこのセンテンスの内容は、そのすぐ前の「一方で、仲間でしかないものを他者と呼び替えて、制度的な実体として固定化してしまえば、本来の批評は隠蔽され、その先にあるのはナルシシズムでしかなくなる恐れはないのか」という一文を受け、その実証例としてしかも「半ば」という保留を付けつつ挙げられているだけであって、それ自体に大した意味はない。大事なのは前文の方なのだ。大体、「e船団」は坪内のメディアであり、坪内がそこで何を書こうがもとより坪内の自由である。また、坪内が弟子の面倒を見なくてはならない立場にある以上、指導者として弟子たちを鼓舞すると共に結社外へアピールしようとするのも自然な振る舞いには違いない。問題はしかしその弟子、しかも仲間内では結構優秀とされていると目される弟子というのが、坪内が指導者として発言している部分とそうでない部分を識別する能力すら欠いているらしいことだろう。「いいものは仲間であろうがなかろうが褒める」ですか。わたなべじゅんこというのは、ほんとうに他者抜きの俳句ライフを送ってきたらしいな。おめでたすぎるわ。
わたなべじゅんこのブログ 六月十五日の記述(その三)
〈1〉そういう俳人がどこに住んでいるか――日本語の辺境だ、というあたりのことも、なんかずれている。
〈2〉まず、伝統的に(と敢えて言っておく)文学の中心はうた(和歌)にあり、そこでは歌語(雅語)が使われるのがルールであった。〈3〉それを変則的に変えていったのが、連歌であり、さらに日常語を使ったり漢語を使用することで、あるいは俗な内容を取り込むことで言葉を卑近なものにし、一部の文学を大衆化せしめたという立場(これは概ね定説と言っていいところだと思われるが)、その立場からみたとき、まず俳諧(俳諧連歌)は雑俗なものとして文学の辺境則ち日本語の辺境にあったことを意味する。〈4〉それを現代に比しても同じことが言えるだろう、と坪内はいっているのだ。〈5〉たしか、某元総理の「友愛」を例に挙げていたが、あれはまさしく日本語のど真ん中にあるべき言葉だろう。〈6〉それはなぜかというと、イデオロギーや何らかの価値観を語るための重要なターム(先の東浩之『動物化するポストモダン』では「大きな物語」という言葉に収斂される言葉でもある――「大きな物語」は現代思想の重要なタームの一つ)であるからだ。〈7〉坪内はそういう種類の言葉とは違うところに俳句の言葉はある、といっているのであって、それは「平和」でも「愛」でも「協働」でも「革新」でも「生活第一」でも構わないのだ。〈8〉そういう言葉がある、ということなのだ。〈9〉その言葉を使って正義が行われたか、とか、謳った政治家がいたかとかそういうことは問題のすり替えであろう。〈10〉そしてあろうことかそういうタームのあるべきところに今、俳句があり、転じて自分もそこにいる、と・・・・・。〈11〉「面白い……が、まさにこの診断こそが誤まっており」とはまさに自分自身のことではないのか。
記述の便宜上、各センテンスの頭に通し番号を振らせて貰った。わたなべじゅんこの“誤読力”もここにきわまれりの感じがする。対象を完膚なきまでに読み損ねた上で、独り相撲の大立ち回りというわけだ。上記引用部分が批判しているのは、以下に引く、六月十三日拙稿末尾の一節である。『モーロク俳句ますます盛ん』所収の「俳句レッスン1から10」という文章について言及しつつ擱筆している部分。
(「俳句レッスン1から10」は)坪内の俳句に関する近年の考えのエッセンスをコンパクトに纏めており、いろいろと興味深いポイントを含んでいるがここではレッスン10だけを覗いておく。いわく、「俳人――日本語の辺境に住む」。坪内は、俳人の条件として、〈①無責任であること。〉〈②軽いこと。〉〈③は遊び好きであること。〉を挙げ、〈以上の三条件を身につけたら、かなり高度な俳人が出現するはず。〉と述べる。
その俳人はどのあたりに住んでいるのかというと、おそらく日本語の辺境である。自己、正義、理念などを主張する颯爽とした日本語ではない。また、科学や法律などの理路整然とした日本語でもない。謎々、早口言葉、悪態、ことわざ、しり取り、隠語などの遊びとの境目が明確でない日本語。だからまともな大人だとやや馬鹿にする日本語。日本語のそんなところに俳人は住んでいるだろう。
面白い……が、まさにこの診断こそが誤まっており、それがあのちょっとおかしな「受賞のことば」に帰結しているということはないのか、そんなことを考えた。「自己、正義、理念などを主張する颯爽とした日本語」ですって? 坪内さん、そんなものがどこにあるのですか。日本語・日本人・日本国が、「自己、正義、理念」を説得的に主張したことなど、歴史上ほとんどなかったのと違いますか。鳩山前総理のように「友愛」などという普遍的な理念を掲げるのは、日本の政治家として例外中の例外であるのはご存知の通りです。普遍的な「自己、正義、理念」を抱くことが必然的に“宇宙人”であることを意味するような環境が“日本語”なのでは? 俳人という人種の稟質からすれば、当然、日本語の辺境に住んでいるはずだとわたくしも思い、また辺境に住んでいるべきだとさえ思いますが、じつは俳句というのが全然辺境でなかったりする可能性はないのでしょうか、日本語においては。「自己、正義、理念」が位しているべき場所に、よりにもよって「俳句」が席を占めている。二十年来のわが国の政治状況を見ながら、わたくしの中で半ば確信となりつつある悪夢です。恐怖と申しても過言ではありません。第二芸術論は結局のところ無力だった、ということでしょうか。不幸にもなのか、幸いにもなのか、なにがなんだかわかりませんが。
この文章を書いた時、テーマは大きく、執筆の最後にかかって体は疲れ、自分でも書ききれていない感じが残った。が、改めて読み返すと、十全ではないものの、文意が混濁しているわけではなく、論旨は充分通じるようなので安心した。実際、しかるべく読まれている証拠をあとで示す。逆に言えば、わたなべじゅんこほど的外れな感想、批判を述べるのはかえって難しいのである。その的外れの度合いたるや反論するのに困難を覚えるほどであるが、本稿冒頭でも述べた、困難は分割せよの格律を、より細かいレベルで実践することで対応してみようと思う。
〈1〉そういう俳人がどこに住んでいるか――日本語の辺境だ、というあたりのことも、なんかずれている。
ふむふむ、いったい誰がずれているのか、これから確かめてみましょうね。
〈2〉まず、伝統的に(と敢えて言っておく)文学の中心はうた(和歌)にあり、そこでは歌語(雅語)が使われるのがルールであった。
「文学の中心」という場合、それが各時代の当事者たちの意識においてのことなのか、あるいは近代になってから遡行的に形成された“文学史”においてのことなのかが区別されていない点は遺憾。しかし、このセンテンスでは要するに、近代以前の和歌は、基本的に用語を歌語に限っていたということを言いたいのだろうから、さしあたりこれでよいとしよう。
〈3〉それを変則的に変えていったのが、連歌であり、さらに日常語を使ったり漢語を使用することで、あるいは俗な内容を取り込むことで言葉を卑近なものにし、一部の文学を大衆化せしめたという立場(これは概ね定説と言っていいところだと思われるが)、その立場からみたとき、まず俳諧(俳諧連歌)は雑俗なものとして文学の辺境則ち日本語の辺境にあったことを意味する。
「変則的に変えていったのが、連歌であり」とあるが、連歌も基本的に歌語を使用するルールは踏襲したのではないか。「一部の文学を大衆化せしめた」というのはどういうことか。「俗な内容を取り込む」ことや「日常語を使ったり漢語を使用する」ことは、平安後期から鎌倉時代にかけての説話文学や軍記物語や今様などでもやっていることだが、この「一部の文学」にはそれらも含まれるのか。当方もわたなべも俳句の話をしており、とすると常識的にはここでは和歌→連歌→俳諧連歌という、短詩形の展開史が述べられていると思うのだが、それなら「一部の文学」などという言い方はせずに、はっきりと範囲を限定した方がよくはないか。というかこのセンテンス、全体に筋道がぐちゃぐちゃだぞ。それから「雑俗なもの」だから「文学の辺境則ち日本語の辺境にあった」と言っているが、近代小説は雑俗をきわめたものだが、文学の中心を占めている。わたなべが言っている話は、“雅”が価値観の中心にあった上ではじめて成立することで、じつは江戸時代においてすら怪しい話なのだ。あとで現代の方へ話が展開してゆくわけだが、前提が異なる時代の文学の布置をどうあてはめようというのかね、お手並み拝見です。ついでに言っておくと、坪内は発生史からすれば俗なるものを担うべき俳句が、現状では大きく雅に傾いているのではないかと処々で批判しているが、そうした師説との整合性は大丈夫なのかな。もし現代俳句の大勢が雅なるものなら、この一文でわたなべが言っている基準を当てはめると文学の中心に来てしまうわけだけど。
〈4〉それを現代に比しても同じことが言えるだろう、と坪内はいっているのだ。
言わんこっちゃない。「それを」って何ですか。さっき言ったように、現代の文学は、雅を価値観の中心に置いてるわけではないのだから、たとえ俳句=雑俗だとしてもそのこと自体が辺境性の根拠にはならないの。
〈5〉たしか、某元総理の「友愛」を例に挙げていたが、あれはまさしく日本語のど真ん中にあるべき言葉だろう。
こういう場合は、「某元総理」なんて言わない方がいいと思うよ。文章が下品になるから。しかも元総理ではなくて前総理だし。それはさておき、私は次のように述べていたわけです。
日本語・日本人・日本国が、「自己、正義、理念」を説得的に主張したことなど、歴史上ほとんどなかったのと違いますか。鳩山前総理のように「友愛」などという普遍的な理念を掲げるのは、日本の政治家として例外中の例外であるのはご存知の通りです。普遍的な「自己、正義、理念」を抱くことが必然的に“宇宙人”であることを意味するような環境が“日本語”なのでは?
わたなべが言う通り、「あれはまさしく日本語のど真ん中にあるべき言葉」なのだが、そのど真ん中あるべき言葉がど真ん中にないのが日本/日本語なのではないかと拙文は見通しを述べている。この箇所、誤読の余地はほとんどないと思うのだが。
〈6〉それはなぜかというと、イデオロギーや何らかの価値観を語るための重要なターム(先の東浩之『動物化するポストモダン』では「大きな物語」という言葉に収斂される言葉でもある――「大きな物語」は現代思想の重要なタームの一つ)であるからだ。
うんうん、その通りだね。しかし、東浩之を引っ張り出してくるまでもなく、私の文章の中に「普遍的な理念」という言葉が使われてるんだからそれでいいじゃないの。「普遍的な理念」というのは、狭い共同体や国民国家の範囲を超えて、世界中の人々が共有したり、目標にしたりする(少なくともその可能性がある)価値観のことだよ。「大きな物語」というのとはちょっと違うと思うけどね。Do you understand?
〈7〉坪内はそういう種類の言葉とは違うところに俳句の言葉はある、といっているのであって、それは「平和」でも「愛」でも「協働」でも「革新」でも「生活第一」でも構わないのだ。
確かに坪内さんはそう言ってるね。しかし、私がいつその点を読み間違えているだろうか。私が坪内の言っていることを読み取れていないという思い込みがわたなべにはあるようだが、私はちゃんと読み取っているよ。いったい、どこに読み取れていない兆候があるのだろう。いやもう驚くね。
〈8〉そういう言葉がある、ということなのだ。
うん、あるんだね。
〈9〉その言葉を使って正義が行われたか、とか、謳った政治家がいたかとかそういうことは問題のすり替えであろう。
「問題のすり替え」??? 私が何をどうすり替えたのだ。坪内は先に引用した箇所で、中心にあるべきものが中心にあり、辺境にあるべきものが辺境にある状態が日本/日本語において実現しているという前提で発言している。そして私ももしそうなっているならそれが望ましいが、日本/日本語の現実はそうなっておらず、中心にあるべきものが辺境にあり、辺境にあるべきものが中心にあるのではないかという疑念を述べているのだ。日本語は、倫理学も論理学も政治学も自然科学も発達させてこなかった。正義とは何か、幸福とは何か、自然とは何かということを論理的につきつめて思考してこなかったのが日本語なのである。では、日本語は何をしてきたのかといえば俳句を作り、短歌を作ってきたのである。現在、一見すると日本語は、倫理学や論理学や政治学や自然科学を所有しているかのごとくであるが、それらは真に日本語のものになっているわけではない。そうした実際を思い出させてくれる好適の事例として、日本の政治家が普遍的理念を語った稀有のケースである鳩山の「友愛」の悲喜劇をひきあいに出したのである(たまたま政治家が例にあがっているとしても、もとよりことは政治家に限られるわけではない)。坪内はそのような歴史的現実からずれたところに日本語の秩序を幻想し、単に幻想するのみかそれを事実であるかのごとく語ってしまっているのではないか、理想と現実の混同があるのではないかと拙文は問うているのである。坪内の正面切った提議にたいする、正面切った問い返しであり、これが問題のすり替えに見えてしまうような脳味噌に付ける薬は当方も所持していない。
〈10〉そしてあろうことかそういうタームのあるべきところに今、俳句があり、転じて自分もそこにいる、と・・・・・。
このセンテンスに対する答えは、前節の記述のうちにすべて含まれているのではないだろうか。なお、坪内にせよ高山にせよ、中心といい辺境といってもそれは比喩だからね。念の為。
〈11〉「面白い……が、まさにこの診断こそが誤まっており」とはまさに自分自身のことではないのか。
以上、縷々、再説明したわけだが、それでもこのご意見は変わらずなのでしょうかね。わたなべの読解力からすると再説明そのものをまた読み違えてくださりそうでおそろしい。それにだいたい、こんな補足説明などしなくても、拙文はちゃんと読み取れるのである。以下は、他ならぬ「船団」に所属する久留島元のブログにある記述。
曾呂利亭雑記 六月十三日の記述の一部
高山氏の「悪夢」というのは、六十年前の桑原武夫氏的な恐怖、些末な断片主義こそが日本文化の中枢に居座っているという恐怖ないし嫌悪と捉えて良いのだろうか。そうだとすると、その恐怖が結局は日本の伝統文化的なるものと西洋文化的なるものとの差違に過ぎず、その差違をなくそうとした桑原的衝動は「西欧中心主義への反省が欠如していた」(講談社学芸文庫版『第二芸術』まえがき……引用者)というべきなのは自明ではないのか。またその中心主義が中心に据えてきた価値観自体が揺らぎつつあり、いうなればすべて中心ではなくすべて辺境たりうる、という世界的現状全体に対する悪夢というべきであり、日本語に特化した問題ではないように思う。
ほんとうはわたなべの文章ではなく、久留島元の拙文への言及(引用はほんの一部で全体はかなり長い。ご興味あれば直接そちらをご覧願います)の方がはるかに内容豊富で答え甲斐のあるものなのだ。批判的な意見を述べている場合でも、拙文の読み取りそのものは正確だから価値観をめぐる議論も可能だろう。わたなべなんてすべては価値観の話以前、文章読解力の問題に帰してしまうのだからまことにしょうもない。
さて、久留島さん、上記引用の第一センテンス、要はそういうことです。第二センテンスは、桑原への批判と高山への批判がちょっと混線してるけどね。第三センテンス、これこそ大いに議論すべきところでしょう。俳句の未来だってここで貴兄が述べているような問題と決して無関係ではない。しかし、今はその用意がありません。ですが、六月十三日拙稿中で、〈桑原武夫に対する憎しみだけははっきりと表明しておいた次第である〉とまで述べる私が、部分的にせよ桑原と日本文化批判の視点を共有しているのは不思議に思われるかも知れませんから、そこだけ補足します。私ははっきり言って、西欧近代の学問・芸術・政治システム等は、人類史の至宝だと思っております。そして、それは桑原にしても同じでしょう。だからと言って俳句に関する意見が同じになりはしない、と言ってしまえば、もう話は終わりのようなものですが、私が「憎しみ」を抱いているのは桑原の論文自体ですらなく、「第二芸術」という悪魔的なフレーズの成功そのものなのです。桑原の論文は、それ自体はどうということもないもので、文章の最後で「第二芸術」という言葉が登場せず、したがって論文名にも冠せられなかったら早々と忘れ去られていたはずです。桑原がさまざま挙げている俳句批判の根拠などは、すべて相対的なものに過ぎません。しかるに、「第二芸術」なる言葉の悪しきジャーナリズムの成功たるや、六十年後のこんにちにいたってもわたなべのような胡乱な脳味噌にたやすくとりつき、種々妄言をなさしめるほどの力を保っているわけです。
一方、坪内さんの場合ですが、意図的に桑原の論を俳句本質論に読み換えて、自説の宣布に利用しているということではないでしょうか。というのも、桑原論文は素直に読めばあくまで時局的な啓蒙家の発言であって、決して俳句本質論などではないからです。桑原論文をひとことに煎じ詰めれば、俳句なんかくだらないものはやめてしまえ、といっても好きな連中はやめないだろうから、せめて学校教育から締め出して欲しいと言っているわけです。坪内さんは、桑原賞の「受賞のことば」で、「第二芸術論的地平に立つ私は」云々と述べていますが、本気で第二芸術論的地平に立つのならなんで小学生と一緒に俳句を作ったりするのですかね。それこそ桑原が一番やめさせたかったことだと思うのですが。私も自分の俳句のためには利用できるものはなんでも利用するつもりですが、坪内さんには元より理想とする俳句の姿があり、その理想のためなら桑原論文でもなんでも使えるものは使う、ということでしょう。その坪内さんの理想は、世代的なことから考えても、本来は一九六〇年代の反芸術などの動きから来ていると私は推測しています。坪内さんとは直接にはつながらないでしょうが、これをさらにさかのぼればダダや未来派などの西欧の前衛芸術運動まで行き着きます。しかし、反芸術というのは結局、エリート主義の一変種ですから、俳句の現実にはあまりうまい具合にフィットしない。虚子における九十九人の凡人発見に相当するような転回の時が坪内さんにもあり、それが第二芸術という枠組といささか錯綜した関係を取り結ぶ結果を生んだのではないでしょうか。
わたなべじゅんこのブログ 六月十五日の記述(その四)
いずれにせよモノゴトの些末に目が行って、本質を見極められていないのは実はご自身ではないか。
ついでに。
その前の号だったかで、彼は船団時評往復書簡のやりとりについてこのように触れている。「小倉~わたなべ往復書簡中にも、関東/関西の差異についての発言があったのですが、決して出鱈目ではないにもかかわらず全く首肯し難い小倉氏の意見を読みながら、地域性などを持ち出しての議論の不毛さを承知の上で、結局そういうことなのかしらと言ってしまいたい誘惑も感じるのです。」
だから、それは出鱈目なんですか、出鱈目なんですね?じゃあそれをこの上、どうしたいんですか?否定したいんですか?肯定したいんですか?認めたくないけど認めたくなるのですか?どないしたいねん、はっきりせんかい!(あ、取り乱してしまった。これは失言です。伏してお詫び致しますm(__)m)・・・・奥歯に物の挟まったというか迂遠なものの言い方というか、まあ、そこまで遠回りするほど触れたくないことなのだ、というぐらいなことの意思表示かもしれませんが。
「船団時評往復書簡」については、続稿で述べるつもりなので今は置いておく。それにしても、低読解力に基づく揚げ足取りをさんざんやった挙句、「いずれにせよモノゴトの些末に目が行って、本質を見極められていないのは実はご自身ではないか。」だものなあ。わたなべじゅんこの終始一貫ぶりはいっそ天晴れという気分になってきた。とにかく私が坪内の本に関して述べたことは、どれもそれなりに本質的な大事なことばかりだよ。
わたなべじゅんこのブログ 六月十五日の記述(その五)
さて、これは船団女流10句集(だったか????もう忘れた)を読んだときにも覚えた違和感。
そこまでけちょんけちょんに言っといて「著者から贈呈を受けました。記して感謝します。」っってなんなんだ?むろんこれこそ大いなる諧謔なのであろう(もちろん、確信犯であるとお見受けする)。
まあ、たしかにいただいた本もすべて褒めたくなるような本ばかりではないことについては譲歩しよう。
でもその挙げ句に
この本、アマゾンで買えます、とか。
笑える。
もはや、言葉もない。わたなべさん、あんたガキですか。つづく
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■関連記事
モーロクの辺境の反対なのだ 『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び』をめぐって・・・高山れおな →読む
わたなべじゅんこのブログ「junk_words@」
久留島元のブログ「曾呂利亭雑記」
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3 件のコメント:
ご無沙汰しています、毎週興味深く拝読しております。リンクも張らず議論の端を捉えボソボソ呟いている拙稿を引用していただき、恐縮です。
>一方、坪内さんの場合ですが、意図的に桑原の論を俳句本質論に読み換えて、自説の宣布に利用しているということではないでしょうか。
その通りだと思います。エリート主義の反転・虚子の凡人発見との共通性というのもきっとその通りで、「第二芸術」の呼称を開き直って認め、知識人的遊びと捉えること、遊べるだけの余裕を広く期待すること、それが坪内氏の境地と思えます。
諸々、現状の認識には首肯するところが多いのですが、なぜそれを「的はずれ」とするのかが私にとってわからない。おそらくそれが、高山さんと私との「西洋中心主義」との距離の差なのだと思います。私は西洋芸術一般に不勉強ですし、あまり大きな魅力を感じることなく今まで生きてきたので。
わたなべblogへの論及ということで期待していたのですが、感情的な反発を取りあげて迎撃する論法、いささか不快でした。わたなべさんは私も大変お世話になっている方で、私見とおそらくは同じ地平から出発していると思います。一連の文章はきちんとした反論でなく自身の備忘録的に書かれたものと思いますが、結局は
>第二芸術論を肯定的に見るという逆説的展開(当時)がコペルニクス的転回であり、結果的にそれは正しかったかもというのが外部からの見解であった、ということ。
の部分に尽きており、わざわざこの部分を引かれたにも関わらず高山さんご自身が坪内氏の転回に対して感情的な反発しか示されていないと見え、それが私にとっても不審不満でした。
もしかするとこのあたりは本当に感情論(好き嫌い)でしか表現できないのかもしれず、改めて俳論を個人的なblog形式でやりとりする歯がゆさを感じた次第です。
取り急ぎ、思ったことだけ。長文すみません。
久留島
久留島元様
コメント有難うございます。
>諸々、現状の認識には首肯するところが多いのですが、なぜそれを「的はずれ」とするのかが私にとってわからない。おそらくそれが、高山さんと私との「西洋中心主義」との距離の差なのだと思います。私は西洋芸術一般に不勉強ですし、あまり大きな魅力を感じることなく今まで生きてきたので。
⇒このあたり面白いお話ですね。ただ、近代西欧の学問・芸術・政治システム等が、人類史の至宝であると考えるというのは、別に西洋芸術が好きとか嫌いとかということとはあまり関係ないと思います。関係なくはないとしても決定的ではない。西欧の美術や文学に大して興味がなかったとしても、久留島さんのこれまでの生活そのものが西欧起源の社会システムなしではあり得ないのですから。
>わたなべblogへの論及ということで期待していたのですが、感情的な反発を取りあげて迎撃する論法、いささか不快でした。わたなべさんは私も大変お世話になっている方で、私見とおそらくは同じ地平から出発していると思います。一連の文章はきちんとした反論でなく自身の備忘録的に書かれたものと思いますが、
⇒今回の拙稿を読んで愉快になる人はあまりいないと思いますよ。しかし実際、わたなべさんの文章というのが「感情的な反発」以外の要素をほとんど持っていないのですから、他にどうなりようもなかったということです。不快であろうとなんであろうと、議論の場では議論を尽くすだけです。そもそも私は自分から氏のブログへ出掛けて行ったわけではなく、あちらでリンクを貼り、そのことをコメント欄に記されたわけです。ということは豈weeklyに書いたのと同じです。当然、あちらもリアクションのあることは予期していたのではないでしょうか。要は、「きちんとした反論でなく自身の備忘録的に書」いたものならそのまま言い放しにしておけばよかったので、リンクなど貼る必要がなかったのだし、リンクを貼るくらいなら拙稿をもう少しきちんと読んで書けばよかったのです。言い放した記事の存在にのちのち気づいたとしても、それにいちいち反応することは当方もしておりません。わたなべさんのなさりようが中途半端だったということです。
結局は
>第二芸術論を肯定的に見るという逆説的展開(当時)がコペルニクス的転回であり、結果的にそれは正しかったかもというのが外部からの見解であった、ということ。
の部分に尽きており、わざわざこの部分を引かれたにも関わらず高山さんご自身が坪内氏の転回に対して感情的な反発しか示されていないと見え、それが私にとっても不審不満でした。
⇒第二芸術論を肯定的に見るのがそんなにコペルニクス的転回だったのですかね。そんなことないのではないかな。第二芸術論へのリアクションは実にさまざまだったわけで、そんな単純なことではないと思いますよ。しかし、それはそれとして坪内さんの「戦後俳句のゆくえ」はすぐれた論文だと思いましたが。
⇒わたなべさんも久留島さんも、「外部からの見解」なるものを過大視しすぎているように見えます。ああいうジャンル横断的な人文系の賞などというのは全くの水もので、お墨付きとかそんなものではありません。賞を貰った本人がちょっと良い気分になればそれでいいのですし、それ以上の意味はないです。坪内さん自身、なんら幻想を抱いてはいないと思いますよ。これが桑原賞ならぬ蓮如賞だったら、小生もお祝いの手紙の一本でも書いて終わった話です。たまたま桑原賞だったので、ジャーナリスティックな意味が生じたためそれを書いたのが朝日の小生の時評や六月十三日の拙稿だったわけです。
⇒坪内氏の転回に対して感情的に反発しているなどということはありません。そのことに興味を持ち、考えてゆきたいとは思っていますが。あくまで桑原賞に対して感情的に反発しているのです。そしてそれは小生だけのことではなく、「船団」外部の俳句関係者にはある程度共通した反発ではないかなと想像しております(もちろんこの件を知らない人、無関心な人の方が、さらにはるかに多数を占めると思いますが)。ただ、それをわざわざ文章にして発表する物好きが小生くらいだということです。
れおなさま
御説拝読。
御説は続く、ということなので続きの方も楽しみにしています。
早速ですが、この章のタイトルが「セックスと嘘とビデオテープ」のモジリかな、と嬉しくなりました。あの映画について恩師木股知史が『イメージの図像学』(1992 白地社)にて論及。懐かしく映画と師の著書を思い出しました。視点のズレ、それぞれの台詞を交叉させながら真実、というかあらゆる可能性の提示へアプローチしていくソダーバーグ監督の手法、・・・この章のタイトルにふさわしいのかもしれません。最高のオマージュをいただいたと。ありがとうございます。ついでながら、文学研究、文学評論の世界では、いわゆる「文学」、言語化された表現のみならず映画、コミックなどの視覚的媒体も「語り」「言葉」などをテーマにしつつ論が及んでいます。余計なことですが付記しておきますね。
ところで、先日いただいたメールに「短詩型文学論」(八雲書店)を手に入れた、とのことでしたので、いまここから新しい議論が可能になるのだろうか、と少々不思議に思いつつ、またわくわくもしつつこちらもそのつもりで準備をしておりました。そちらへの言及が少なくとても残念に思っております。できればそちらへの建設的な論及をいただければなお幸甚です。
それにしましても、卑怯者になりたくない一心で貼ったリンクが氏を一層不快にしたようでその点申し訳なかったと。心よりお詫び申し上げます。
また、いちいち本文を参照しながら書くということがweb上ではしづらいのできっと私の意図していないところで誤解が生じることと思いますがその点についてはなにとぞご寛恕願いたく。
曾呂利さま
おっしゃっていただいたように拙ブログは備忘録程度のもので、いずれ俳句について考える手掛かりやきっかけになる事柄を、無節操に書き並べているものです。そういう無節操なメモ書き程度のブログが、このような一見理路整然とものを書いているかに見えるブログにリンクを貼ったのがそもそも間違いなのだ、というれおな氏のおっしゃることはごもっともかもしれません。
論を立てて来るなら来い、と。そこまでの認識がなかった、それが私の甘さだったと言われればここは甘受せざるを得ません。
とは申せ、私はもっと本質的な話をしたいと思っています。いずれそういう相手がみつかればいいなあ、と。これは素直な気持ちとしてあります。
当ブログへの言及、ありがとうございました。
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