■異界のベルカント
―攝津幸彦百句[8]―
「春の昼やかんが丸見え」だけだとしたら、いたって平凡。まんがチックな日常の景です。この句の非凡さは、なんといっても中七のやかんを修飾する「不幸な」、にあるとみていいでしょう。不幸なやかんだって? 何それ! と思う人がいるかもしれません。
わたしは小学校の用務員室のやかんをとっさに思いおこしました。ボール遊びでガッチャーンと木造校舎の窓が反響して割れるや、「おじさーん、窓ガラスがわれちゃったよう。直してー」と駆け込み、トイレの蛍光管がジッーと音がしてついたり消えたりすれば「おじさーん、電気つかないよう」と駆け込みました。おじさん、おじさんと呼ばれていたのは用務員さんでした。私が小学校のころ、昭和四十年前半までは、おこづかいさん、と呼ばれていました。小使い室の土間にはダルマストーブがあって、蓋を斜めにずらしたやかんがいつも湯気をたててのっかっていました。
もしいままた会えるとしたら、校長先生には会いたくないけど、用務のおじさんには会いたいなあ。おじさんの大きな厚い手のひらで、「よく来たね」っていってもらいたいな。
茶どころ静岡育ちのわたしは、小学校の給食の時間といえば、大きなやかんを給食室からエッチラオッチラ渡り廊下などにこぼさぬように気をつけながら運んだものです。行きは熱いお茶が入っているので柄を提げて歩きましたが、カラになった帰りは、胸にほっこり抱くようにして給食のおばさんに返しにいきました。まるで大きなヨーヨーみたいなやかん。
そのヨーヨー型の山吹色にひかった昭和のやかんがこの句には似合っています。まあるくて金色のアルマイトがぴかぴか光ってよく目立つやかんです。ちなみに近頃のやかんは熱効率優先で、台形に近い底が張った形で、ステンレスの冷たい銀色をしています。
ところで掲句のやかんの味わいは、山梨県の右左口(うばくち)村生まれの民衆歌人、山崎放代さんによくうたわれる土瓶に通うものがあると思いますが、いかがでしょうか。
かたわらの土瓶のすでに眠りおる淋しいことにけじめはないよ 『右左口』
ろうそくの灯に照らされて顔だけが土瓶のように浮いておりたり 『こおろぎ』
かたわらの土瓶にそっと声をかけもくろんでいる年を取っとる 『迦葉』
もっとも、短歌と俳句の違いで、とうぜん攝津の句のほうが乾いているし、やかんと自分との距離は、親しさとともに俯瞰性をじゅうぶんに持ち合わせています。やかんや土瓶に対するいいしれぬ共感には共通するものがあります。そうした意味でも、攝津幸彦という俳人の表現の振幅と人間性のゆたかな幅とを感じさせてくれる一句です。
やかんは、来る日も来る日も水を容れられては火にかけられ、ちんちんちん、しゅっしゅっしゅっ、と沸騰するまで容赦なくこきつかわれます。沸騰すればしたでこんどは用が足りたとほっておかれる。あわれといえばあわれな存在です。毎日同じ役目を営々とこなして、当然。褒めてくれる人もない。まるでわたしたちの日常そのもの。不幸なやかんと見えたのは、作者自身でも、またわたしたち自身でもあったのでした。
また、この句のちょうど裏句として、先に鑑賞した「一月の弦楽一弦亡命せり」があります。丸見えのやかんとは、表現行為の対極にある存在の哀しみです。それは、スイングしないもの。亡命しないもの。ただそこに居続けるしかない肉体として、日々労苦に堪えるものです。しかし、まあるくて熱かったりぬるくなったりする人肌の通ういとしいものでもあります。畢竟、不幸なやかんとは、人間の運命であり、肉体です。「一月の弦楽一弦亡命せり」と、たとえ精神は天駆けるとしても、人間であるかぎり、この肉体は、日々の苦役に耐え、老い朽ち、病み衰えていかなければなりません。この春の日永に、そのようなものとして束の間の生存を赦されている人間。気付こうが気付くまいが、わたしたちはみんな、不幸なやかんを裡に抱きしめているのです。
一読したところは、ひょうきんで滑稽な句といえますが、この諧謔の奥には、攝津の慈悲がこもっています。「不幸なやかん丸見えに」と切ったそのあと、攝津のまなざしが、やかんの丸みをやわらかい優しい手のひらでさすろうとしているのが感じられます。
冷笑とかぎりなく遠いところに攝津のたましいはあります。限りないものへ亡命し続けてやまない表現者は、亡命など思いもよらないあまたの人間に、けっして斜に構えることはありません。亡命できない民衆の心に寄り添い、誰よりも哀しみに共感し、その声なき声を聴きとめ、いとおしみ労わってくれるのです。
何といっても、ありふれた春昼のやかんを「不幸なやかん丸見え」とつかんだ言葉のタッチは攝津の独擅場といえるでしょう。
「タッチはその内部に、熱気を孕んだいのちの消しがたい痕跡を(たとえ隠されていても)保っている。タッチというものはまさに無機と有機の合流である。」
杉本秀太郎の熟成した訳業でよみがえったH・フォションの『形の生命』に書かれたタッチは、石田波郷では気息に、攝津ではスイング感覚に置き換えてみることができそうです。
とまれ、こんな日は攝津の温かさにしみじみと甘えてみませんか。なんといっても、花びらのちらちらと舞う春の昼なんですから。
―攝津幸彦百句[8]―
・・・恩田侑布子
二層 露路裏
春の昼不幸なやかん丸見えに 8『輿野情話』所収
春の昼です。やかんが丸見えです。それはそうです。やかんは丸見えでなければ危ない。やかんに服を被せるわけにはいきません。「春の昼やかんが丸見え」だけだとしたら、いたって平凡。まんがチックな日常の景です。この句の非凡さは、なんといっても中七のやかんを修飾する「不幸な」、にあるとみていいでしょう。不幸なやかんだって? 何それ! と思う人がいるかもしれません。
わたしは小学校の用務員室のやかんをとっさに思いおこしました。ボール遊びでガッチャーンと木造校舎の窓が反響して割れるや、「おじさーん、窓ガラスがわれちゃったよう。直してー」と駆け込み、トイレの蛍光管がジッーと音がしてついたり消えたりすれば「おじさーん、電気つかないよう」と駆け込みました。おじさん、おじさんと呼ばれていたのは用務員さんでした。私が小学校のころ、昭和四十年前半までは、おこづかいさん、と呼ばれていました。小使い室の土間にはダルマストーブがあって、蓋を斜めにずらしたやかんがいつも湯気をたててのっかっていました。
もしいままた会えるとしたら、校長先生には会いたくないけど、用務のおじさんには会いたいなあ。おじさんの大きな厚い手のひらで、「よく来たね」っていってもらいたいな。
茶どころ静岡育ちのわたしは、小学校の給食の時間といえば、大きなやかんを給食室からエッチラオッチラ渡り廊下などにこぼさぬように気をつけながら運んだものです。行きは熱いお茶が入っているので柄を提げて歩きましたが、カラになった帰りは、胸にほっこり抱くようにして給食のおばさんに返しにいきました。まるで大きなヨーヨーみたいなやかん。
そのヨーヨー型の山吹色にひかった昭和のやかんがこの句には似合っています。まあるくて金色のアルマイトがぴかぴか光ってよく目立つやかんです。ちなみに近頃のやかんは熱効率優先で、台形に近い底が張った形で、ステンレスの冷たい銀色をしています。
ところで掲句のやかんの味わいは、山梨県の右左口(うばくち)村生まれの民衆歌人、山崎放代さんによくうたわれる土瓶に通うものがあると思いますが、いかがでしょうか。
かたわらの土瓶のすでに眠りおる淋しいことにけじめはないよ 『右左口』
ろうそくの灯に照らされて顔だけが土瓶のように浮いておりたり 『こおろぎ』
かたわらの土瓶にそっと声をかけもくろんでいる年を取っとる 『迦葉』
もっとも、短歌と俳句の違いで、とうぜん攝津の句のほうが乾いているし、やかんと自分との距離は、親しさとともに俯瞰性をじゅうぶんに持ち合わせています。やかんや土瓶に対するいいしれぬ共感には共通するものがあります。そうした意味でも、攝津幸彦という俳人の表現の振幅と人間性のゆたかな幅とを感じさせてくれる一句です。
やかんは、来る日も来る日も水を容れられては火にかけられ、ちんちんちん、しゅっしゅっしゅっ、と沸騰するまで容赦なくこきつかわれます。沸騰すればしたでこんどは用が足りたとほっておかれる。あわれといえばあわれな存在です。毎日同じ役目を営々とこなして、当然。褒めてくれる人もない。まるでわたしたちの日常そのもの。不幸なやかんと見えたのは、作者自身でも、またわたしたち自身でもあったのでした。
また、この句のちょうど裏句として、先に鑑賞した「一月の弦楽一弦亡命せり」があります。丸見えのやかんとは、表現行為の対極にある存在の哀しみです。それは、スイングしないもの。亡命しないもの。ただそこに居続けるしかない肉体として、日々労苦に堪えるものです。しかし、まあるくて熱かったりぬるくなったりする人肌の通ういとしいものでもあります。畢竟、不幸なやかんとは、人間の運命であり、肉体です。「一月の弦楽一弦亡命せり」と、たとえ精神は天駆けるとしても、人間であるかぎり、この肉体は、日々の苦役に耐え、老い朽ち、病み衰えていかなければなりません。この春の日永に、そのようなものとして束の間の生存を赦されている人間。気付こうが気付くまいが、わたしたちはみんな、不幸なやかんを裡に抱きしめているのです。
一読したところは、ひょうきんで滑稽な句といえますが、この諧謔の奥には、攝津の慈悲がこもっています。「不幸なやかん丸見えに」と切ったそのあと、攝津のまなざしが、やかんの丸みをやわらかい優しい手のひらでさすろうとしているのが感じられます。
冷笑とかぎりなく遠いところに攝津のたましいはあります。限りないものへ亡命し続けてやまない表現者は、亡命など思いもよらないあまたの人間に、けっして斜に構えることはありません。亡命できない民衆の心に寄り添い、誰よりも哀しみに共感し、その声なき声を聴きとめ、いとおしみ労わってくれるのです。
何といっても、ありふれた春昼のやかんを「不幸なやかん丸見え」とつかんだ言葉のタッチは攝津の独擅場といえるでしょう。
「タッチはその内部に、熱気を孕んだいのちの消しがたい痕跡を(たとえ隠されていても)保っている。タッチというものはまさに無機と有機の合流である。」
杉本秀太郎の熟成した訳業でよみがえったH・フォションの『形の生命』に書かれたタッチは、石田波郷では気息に、攝津ではスイング感覚に置き換えてみることができそうです。
とまれ、こんな日は攝津の温かさにしみじみと甘えてみませんか。なんといっても、花びらのちらちらと舞う春の昼なんですから。
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