■時評風に(現代俳句の可能性/作品番号15)
例えば、週刊俳句第16号(2007年8月12日号)橋本直「近代俳句の周縁2-80年前の俳壇総覧」にこんな面白いことを書いている。寄り道となるが紹介しよう。これは昭和4年刊の改造社『現代日本文学全集38現代短歌集・現代俳句集』(いわゆる改造社版の円本と言われるものである)に、当時の俳壇総覧として概観と170人余の作家の作品線が載っているものであるという。
ここで、短歌側では斎藤茂吉が解説「明治大正短歌史概観」68ページ(400字詰めで約260枚と推測)書いているが、虚子の手による「明治大正俳諧史概観」はたったの8ページであったと指摘する。
えらくアンバランスである。本のタイトルが「現代俳句集」なのに「俳諧史」と書くところもまたアンバランスだ。・・・(茂吉と虚子の)この圧倒的な分量の差は、それだけでは説明がつかない。虚子は書くのを露骨にいやがっている。冒頭部で自分はこんなものを書くのは適任でなく、改造社がどうしても書けというから書くが、子規より後のことは「ホトトギス」を出ていった連中や外の派のことはさっぱり知らないので「名前を列記するだけでも、『ホトトギス』一派のみ詳しくならうとする傾きがある。私は努めてこれを避けたいと思つたが、しかし尚遂にその譏りを免かれ得ないであらう」とちゃっかり書いている。
なかなか面白い指摘で、虚子には斎藤茂吉のような、客観的な俳句史には毛頭関心はなかったに違いない。しかしホトトギスの発展は、客観的な俳句史を踏まえたからと言って生まれるものではないことも確かだ。虚子の独断がホトトギスの隆盛を導いた。典型的な自己中心史であるが、その効果は絶大であった。
さて、平成20年度の海図が小川の『現代俳句の海図』とすれば、実は15年前にも似たような海図が出来ていた。それは、「俳句空間」第23号(休刊号)の「特集・現代俳句の可能性」(93年)だ。次のようなラインアップで作家論が示されている【注】。
谷口慎也
攝津幸彦
西川徹郎
宮入聖
金田咲子
久保純夫
筑紫磐井
江里昭彦
大屋達治
正木ゆう子(●)
片山由美子(●)
対馬康子
林桂
長谷川櫂(●)
夏石番矢
四ッ谷龍
田中裕明(●)
岸本尚毅(●)
紹介されているのは18人で、年齢順に並べられているから、昭和22年生まれの谷口から36年生まれの岸本まで、要するに団塊世代以降を一括りにして論じている。このうち●をつけたものは、今回の小川の『現代俳句の海図』にも登場する作家である。因みに、小川の本に登場する作家で、石田郷子、櫂未知子はともに平成8年に第一句集を出しているから、平成5年の「現代俳句の可能性」では候補に挙げられなかったのだ。
一方、中原道夫、小澤實を挙げなかったことには様々な議論があろうが、当時の時点において師系に密着しすぎている作家は、その故に外されたかもしれない。小澤實など現在においては全く師系に密着していないから、改めて加えることについては異議はないであろう。
『現代俳句の海図』の人選に対してはいろいろな批判が当然あり得るわけで、例えば高山れおなは、前衛派と言われている、林桂、夏石番矢(特に夏石番矢)が抜けていることに、「今日の俳句において伝統と前衛という区分はまだ意味を持っているのだろうか」と言いつつ夏石を選ばない小川に対して、「もし、小川が伝統と前衛の区分に意義を認めないのなら、なおさら彼は本書で夏石をとりあげるべきだった」と批判する(「「番矢なし」が俳句の五十五年体制の肝? 小川軽舟句集『手帖』及び『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』を読む」)。
私に気に掛かることは別なところにもある。それは、三村純也を小川が取り上げるにあたって、「本書で「ホトトギス」系から誰を取り上げるか、迷うところではあった。昭和三十年代には、年齢順に星野高士、稲畑廣太郎、坊城俊樹の三人の虚子の曾孫がいる。・・・本書の目的は、三十年世代が何を求めて俳句の世界に入り、何をしてきたか、何をしようとしているのかの検証にある。三人は家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在だ。それより自ら進んで俳句の世界を選んだ人のほうが、本書の目的には適うのではないか。悩んだ末に、この三人については・・・まとめて見送ることにしたのである」と述べていることである。これは果たして適切な判断であったろうか。
私にしてみれば、二十一世紀の俳句を論ずるに当たってこの三人をことさら除いて俳句を論じることはまことに奇妙な気がする。もちろん「ホトトギス」系から誰を取り上げるかは、前衛系から誰を取り上げるかと同様どうでもいいことである(そういえば『現代俳句の海図』は前衛系からは一人も取り上げていなかった)。しかし俳句の特質は、皮肉にも、しばしば「家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在」のほうが、「自ら進んで俳句の世界を選んだ人」よりすぐれていることにある。戦後世代作家を論ずるに当たって、「家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在」だからといって、飯田龍太(父飯田蛇笏)を除くことがあり得ないのと同様である。小川が排除した「家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在」のほうが実は高い価値を持っていないかどうかはちゃんと検証して結論を出すべきで、「見送ることに」できる問題ではないだろう。小川が取り上げた10人よりこの3人のほうが現代俳句を論ずるにあたって重要ではないなどとは絶対いえない(私は10人よりはこの3人の将来のほうがいろいろな意味で楽しみだ)。
実は「現代俳句の可能性」や『現代俳句の海図』などは大した問題ではないかも知れないと思っている。虚子(龍太を含めてもいいかもしれない)の膨大な遺産について、賛否いずれの立場に立とうとも、正確な全貌を未だとらえず、また理論化して得ていないことにこそ現代の俳句の問題はあるのだ。星野、稲畑、坊城を同時代の人間として、あるいは我々自身の分身としてとらえない現代俳句の方法論は、結局何の有効性も持ち得ないことになるのではないか。小川はそれをわきまえているはずだと思う。それだけに、小川が3人について述べた、「悩んだ末に、この3人についてはいずれ論ずる」について責任を持つべきであろう。
ついでながら、小川が線引きに使った昭和26年生まれや36年生まれにさほど深い意味があるわけではないと思う。私の興味でいえば、「現代俳句の可能性」が15年前に岸本尚毅(当時32歳)にまで繰り下げた下限を、せっかくならば、小川を批判している高山れおな(40歳)や、高山の同世代の五島高資(40歳)、さらに彼らよりはるかに若い神野紗希(25歳)や、(せっかく句集が出たのだから)近々後続者になるであろう佐藤文香(23歳)などまで繰り下げて批評したら面白かろうと思ったものである。そうである、小川が本当にやってよかったもの、いや面白かったものは20代世代の品評であったかもしれない。昭和60年代生まれを最初に評価した人物として、(俳句がそのころまで残っているかはたぶんに疑問だが)50年後の歴史にまちがいなく名前が残るのではないか。
とは言いつつももちろん、こんなラインアップが人と時によって違うことは、当然のことで気にする必要はない。山本健吉は昭和14年の人間探求派の座談会で出席を求めた篠原梵を、以後切って落としている。これくらいドライに切り捨てなければ、歴史は見えてこない。小川がこうした新しい歴史観を示そうとするのならそれもまた見識である。
【注】こうした世代を取り上げた最初に近い企画は、更に遡って、(牧羊社が処女句集シリーズで大量の新人を粗製乱造(約200人!)し始めた直後である)昭和60年(今から23年前)の読売新聞に、「Front5――解纜する俳人」と題して当時2、30代の若手俳人の特集をたっぷり頁を取って行っているのが、それに該当するのではないかと思う。「解纜する」とは、海図を必要とする前の、出発したばかりの俳人丸のことであろう。この時の顔ぶれは、佐野典子(河)、皆吉司(雪解)、金田咲子(雲母)、田中裕明(青)、坪内稔典であった。今ではすっかり消え去った人もいるし、相変わらず名前を残している人もいるが、興味深かったのは記者が若き俳人たちに俳句の志を問うていることだ。今、どんな特集でも、俳句の志を問うなんてことがあるだろうか。
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・・・筑紫磐井
小川軽舟の『現代俳句の海図』は本ブログでも高山れおなが論じているし、いろいろな雑誌でもそろそろ年末に向けて書評がまとまりつつある。この本の読み方は2つあり、①客観的な俳句史としてどのように取り組むか、と言う視点と、②小川軽舟が自らの俳句形成で現在の俳壇をどう評価し自らの俳句に血肉化してゆくか、という視点と、である。読者は前者を先ず期待するのだろうが、後者がいけないと言うことは毛頭ない。例えば、週刊俳句第16号(2007年8月12日号)橋本直「近代俳句の周縁2-80年前の俳壇総覧」にこんな面白いことを書いている。寄り道となるが紹介しよう。これは昭和4年刊の改造社『現代日本文学全集38現代短歌集・現代俳句集』(いわゆる改造社版の円本と言われるものである)に、当時の俳壇総覧として概観と170人余の作家の作品線が載っているものであるという。
ここで、短歌側では斎藤茂吉が解説「明治大正短歌史概観」68ページ(400字詰めで約260枚と推測)書いているが、虚子の手による「明治大正俳諧史概観」はたったの8ページであったと指摘する。
えらくアンバランスである。本のタイトルが「現代俳句集」なのに「俳諧史」と書くところもまたアンバランスだ。・・・(茂吉と虚子の)この圧倒的な分量の差は、それだけでは説明がつかない。虚子は書くのを露骨にいやがっている。冒頭部で自分はこんなものを書くのは適任でなく、改造社がどうしても書けというから書くが、子規より後のことは「ホトトギス」を出ていった連中や外の派のことはさっぱり知らないので「名前を列記するだけでも、『ホトトギス』一派のみ詳しくならうとする傾きがある。私は努めてこれを避けたいと思つたが、しかし尚遂にその譏りを免かれ得ないであらう」とちゃっかり書いている。
なかなか面白い指摘で、虚子には斎藤茂吉のような、客観的な俳句史には毛頭関心はなかったに違いない。しかしホトトギスの発展は、客観的な俳句史を踏まえたからと言って生まれるものではないことも確かだ。虚子の独断がホトトギスの隆盛を導いた。典型的な自己中心史であるが、その効果は絶大であった。
さて、平成20年度の海図が小川の『現代俳句の海図』とすれば、実は15年前にも似たような海図が出来ていた。それは、「俳句空間」第23号(休刊号)の「特集・現代俳句の可能性」(93年)だ。次のようなラインアップで作家論が示されている【注】。
谷口慎也
攝津幸彦
西川徹郎
宮入聖
金田咲子
久保純夫
筑紫磐井
江里昭彦
大屋達治
正木ゆう子(●)
片山由美子(●)
対馬康子
林桂
長谷川櫂(●)
夏石番矢
四ッ谷龍
田中裕明(●)
岸本尚毅(●)
紹介されているのは18人で、年齢順に並べられているから、昭和22年生まれの谷口から36年生まれの岸本まで、要するに団塊世代以降を一括りにして論じている。このうち●をつけたものは、今回の小川の『現代俳句の海図』にも登場する作家である。因みに、小川の本に登場する作家で、石田郷子、櫂未知子はともに平成8年に第一句集を出しているから、平成5年の「現代俳句の可能性」では候補に挙げられなかったのだ。
一方、中原道夫、小澤實を挙げなかったことには様々な議論があろうが、当時の時点において師系に密着しすぎている作家は、その故に外されたかもしれない。小澤實など現在においては全く師系に密着していないから、改めて加えることについては異議はないであろう。
『現代俳句の海図』の人選に対してはいろいろな批判が当然あり得るわけで、例えば高山れおなは、前衛派と言われている、林桂、夏石番矢(特に夏石番矢)が抜けていることに、「今日の俳句において伝統と前衛という区分はまだ意味を持っているのだろうか」と言いつつ夏石を選ばない小川に対して、「もし、小川が伝統と前衛の区分に意義を認めないのなら、なおさら彼は本書で夏石をとりあげるべきだった」と批判する(「「番矢なし」が俳句の五十五年体制の肝? 小川軽舟句集『手帖』及び『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』を読む」)。
私に気に掛かることは別なところにもある。それは、三村純也を小川が取り上げるにあたって、「本書で「ホトトギス」系から誰を取り上げるか、迷うところではあった。昭和三十年代には、年齢順に星野高士、稲畑廣太郎、坊城俊樹の三人の虚子の曾孫がいる。・・・本書の目的は、三十年世代が何を求めて俳句の世界に入り、何をしてきたか、何をしようとしているのかの検証にある。三人は家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在だ。それより自ら進んで俳句の世界を選んだ人のほうが、本書の目的には適うのではないか。悩んだ末に、この三人については・・・まとめて見送ることにしたのである」と述べていることである。これは果たして適切な判断であったろうか。
私にしてみれば、二十一世紀の俳句を論ずるに当たってこの三人をことさら除いて俳句を論じることはまことに奇妙な気がする。もちろん「ホトトギス」系から誰を取り上げるかは、前衛系から誰を取り上げるかと同様どうでもいいことである(そういえば『現代俳句の海図』は前衛系からは一人も取り上げていなかった)。しかし俳句の特質は、皮肉にも、しばしば「家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在」のほうが、「自ら進んで俳句の世界を選んだ人」よりすぐれていることにある。戦後世代作家を論ずるに当たって、「家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在」だからといって、飯田龍太(父飯田蛇笏)を除くことがあり得ないのと同様である。小川が排除した「家系によって俳句の世界のほうから選ばれた存在」のほうが実は高い価値を持っていないかどうかはちゃんと検証して結論を出すべきで、「見送ることに」できる問題ではないだろう。小川が取り上げた10人よりこの3人のほうが現代俳句を論ずるにあたって重要ではないなどとは絶対いえない(私は10人よりはこの3人の将来のほうがいろいろな意味で楽しみだ)。
実は「現代俳句の可能性」や『現代俳句の海図』などは大した問題ではないかも知れないと思っている。虚子(龍太を含めてもいいかもしれない)の膨大な遺産について、賛否いずれの立場に立とうとも、正確な全貌を未だとらえず、また理論化して得ていないことにこそ現代の俳句の問題はあるのだ。星野、稲畑、坊城を同時代の人間として、あるいは我々自身の分身としてとらえない現代俳句の方法論は、結局何の有効性も持ち得ないことになるのではないか。小川はそれをわきまえているはずだと思う。それだけに、小川が3人について述べた、「悩んだ末に、この3人についてはいずれ論ずる」について責任を持つべきであろう。
ついでながら、小川が線引きに使った昭和26年生まれや36年生まれにさほど深い意味があるわけではないと思う。私の興味でいえば、「現代俳句の可能性」が15年前に岸本尚毅(当時32歳)にまで繰り下げた下限を、せっかくならば、小川を批判している高山れおな(40歳)や、高山の同世代の五島高資(40歳)、さらに彼らよりはるかに若い神野紗希(25歳)や、(せっかく句集が出たのだから)近々後続者になるであろう佐藤文香(23歳)などまで繰り下げて批評したら面白かろうと思ったものである。そうである、小川が本当にやってよかったもの、いや面白かったものは20代世代の品評であったかもしれない。昭和60年代生まれを最初に評価した人物として、(俳句がそのころまで残っているかはたぶんに疑問だが)50年後の歴史にまちがいなく名前が残るのではないか。
とは言いつつももちろん、こんなラインアップが人と時によって違うことは、当然のことで気にする必要はない。山本健吉は昭和14年の人間探求派の座談会で出席を求めた篠原梵を、以後切って落としている。これくらいドライに切り捨てなければ、歴史は見えてこない。小川がこうした新しい歴史観を示そうとするのならそれもまた見識である。
【注】こうした世代を取り上げた最初に近い企画は、更に遡って、(牧羊社が処女句集シリーズで大量の新人を粗製乱造(約200人!)し始めた直後である)昭和60年(今から23年前)の読売新聞に、「Front5――解纜する俳人」と題して当時2、30代の若手俳人の特集をたっぷり頁を取って行っているのが、それに該当するのではないかと思う。「解纜する」とは、海図を必要とする前の、出発したばかりの俳人丸のことであろう。この時の顔ぶれは、佐野典子(河)、皆吉司(雪解)、金田咲子(雲母)、田中裕明(青)、坪内稔典であった。今ではすっかり消え去った人もいるし、相変わらず名前を残している人もいるが、興味深かったのは記者が若き俳人たちに俳句の志を問うていることだ。今、どんな特集でも、俳句の志を問うなんてことがあるだろうか。
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1 件のコメント:
筑紫磐井様
御稿興味深く拝読。しかし、小生は『現代俳句の海図』のラインナップに林桂氏が抜けていることなどいささかも批判はしておりません。お間違いです。批評家・林桂は最高に尊敬しておりますが、作り手としての林氏をさほど高く買ってはいないことは、ブログ上の小生の過去の記事をお読みいただければ一目瞭然です。
「ホトトギス」系三羽烏だか三馬鹿大将だかの将来が楽しみな由ですが、あまり社交にいそしまれるのも、策士策に溺れるの言葉もあることとて、老婆心ながら心配です。あの人たちは散文に関してはまともな日本語の綴り方さえ怪しい水準ですが、それを思えば俳句の方はずいぶんまともですね、確かに。しかしだからと言って蛇笏・龍太を引き合いに出すのは正気の沙汰でしょうか。
橋本直氏が指摘している、茂吉と虚子の解説文の質量格差の問題、要するに“戦略”だけがあって“公共”を欠いた俳人の態度の問題に帰着するように思います。俳句の内部では神様のような虚子も、文学者全体の中での器量はそんな程度だとも言えるわけで、淋しいことですが仕方ないのでしょう。軽舟氏が誰を俎上に乗せ、どう論じようと烏の勝手でしょうと言ってしまえばそれまでですが、いちおうあのように絡んだのは“公共”の立場を仮構したかったからであり、小生としては軽舟氏の仕事に敬意をもって応じたつもりです。磐井さんのように、軽舟氏を烏並みに扱われるのも、それはそれでもちろん有り、なのでしょうが。
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