2008年10月18日土曜日

小川軽舟「手帖」「現代俳句の海図」

「番矢なし」が俳句の五十五年体制の肝?
小川軽舟句集『手帖』及び
『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』を読む


                       ・・・高山れおな

小川軽舟の第二句集『手帖』(九月二十七日刊 角川SSコミュニケーションズ)と、同じく二冊目の評論集となる『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』(九月三十日刊 角川学芸出版)が、矢継ぎ早に出版された。高柳克弘の『芭蕉の一句 365日入門シリーズ④』(九月二十一日刊 ふらんす堂)の刊行もほぼ同時のタイミングであり、「鷹」誌首脳部の旺盛な活力に瞠目させられた。

二〇〇一年に出た小川の第一句集『近所』(富士見書房)は、まずなんと言ってもそのタイトルが驚きだった。これについては今回の『手帖』に寄せられた高橋睦郎の跋に、〈このありふれたというもおろかな題名に意表を衝かれた思いを味わった向きは少なくないのではあるまいか。〉とある通りだ。ただし、つづけて高橋が、〈もちろん、軽舟本人には意表を衝くなどの意志は毛ほどもなかったろう。〉というのは、どうか。評者にはなんだか見え透いたフォローのような感じがしないこともない。このタイトルは、同句集の巻尾に置かれた、

渡り鳥近所の鳩に気負なし

から採られているわけだが、当時も今も、評者には敢えて「意表を衝く」べく選ばれたタイトルとしか思えないからだ(この句が集名の典拠とするに足る出来であることはそれとして)。例えばそれは、櫂未知子の『貴族』あたりとは意匠的な方向性こそ百八十度違えているが、その衒気や意識された自己演出ぶりにおいて、じつは負けず劣らずなのではないだろうか。意表を衝く意志など毛ほどもない句集名というのは、例えば『鶏頭』とか『蕣』とか『健啖』のようなものであって、このほとんど投げやりな感じもそれはそれで自信の現われなのだろうが、岸本尚毅ほど自信家でない櫂や小川が、自らの第一句集のタイトルに関してはるかに注意深く振舞ったのは賢明なことだった。事実、彼らの配慮は(もちろんそれだけが理由ではないが)しかるべく報いられたのである。

一方、第二句集の『手帖』の名づけだが、その由来については「あとがき」に、

句集名は次の句からとった。

秋灯遺る手帖の未完美し  ⇒「美」に「は」とルビ

この手帖は先生が愛用した「湘子帖」という名の特製の句帖である。湘子帖には罫がない。最後の一冊から遺作を書き抜いたとき、あとに続く真っ白なページの潔さに胸を打たれた。

と、記されているのにあきらかだ。もとより、湘子といえば「鷹」に連載された「句帖の余白」の名エッセイストぶりはつとに知られるところだから、手帖が誰の手帖なのか、本書を手にした人の多くは「あとがき」を読むまでもなく察しはついただろう。『近所』なるタイトルが「鷹」のプリンスという華のある立ち位置にあっての「気負なし」という気負いの表明だったとすれば、『手帖』は『近所』以来の一作者としての志向の一貫性を保持しつつ、「鷹」新主宰として藤田湘子の句業を継承する意志を改めて示した、これまた絶妙なネーミングと言わねばならない。

小川の慎重さは、句集名の選択にばかり現われているわけではない。『近所』が湘子による序を戴いているのは第一句集だから当然として、もはや他人の序跋や栞文など必ずしも必要としないはずの第二句集であるにもかかわらず、大物の文章によって花を添えることを忘れていないのだ。すでに言及した高橋睦郎の「跋 丁寧に」である。その冒頭に、〈軽舟小川浩昭はそのほぼ初学時代から二十年余、比較的近い位置から私が見つづけてきた俳句作家である。〉とあって、小川が高橋に跋文を依頼した理由は了解できるが、それにしてもこの人選、少なくとも評者には充分予想外のものだった。高橋睦郎といえば湘子と対立して「鷹」を追われた小澤實と極めて近く、小澤が主宰する「澤」の後見人的な存在であることは周知の通りだからだ。

なにやら胡乱な話にかまけているようだが、言い訳をさせてもらうなら、この高橋の跋がそもそも、いささか生臭い人間関係の構図の中に小川の俳句を布置してゆくという性格のものなのだ。湘子が、小川軽舟という弟子をどのように見、どのように育てようとしたか、推測を交えつつふり返るのがその骨子ではあるが、湘子・實・軽舟の〈あえていえば三角関係〉について語るにあたっても遠慮がない。高橋ほどの筆達者であれば跋文ぐらいいかようにも書けたはずで、人間関係など捨象して作品の読み込みに徹することだってできたのに、なにやら週刊誌的なつぼの押さえ方をしたのは、そこに小川の俳句に対する高橋の批評を見るべきなのだろうか。無論、色とか欲とか事件性といった要素が小川の句の表面に現われているということではなく、小川の俳句世界が高踏的な美学に逃げ込むことをせず、日々の生活や俗事と地続きの位置を意志的に手放そうとしない、そのあたりの性質を汲んでという意味であるが。高橋は次のように書いている。

これは(「鷹」における小川の選評の類の無い丁寧さのこと……評者注)軽舟が公立銀行の誠実な行員であることを思う時、驚嘆のほかない。俳者小川軽舟が丁寧を極めた俳句作者であり、俳誌主宰であるように、行員小川浩昭は丁寧を極めた勤労者なのだ。どちらが真の姿で、どちらが仮の姿であるという種類のことではない。軽舟小川浩昭という人格は、みずからが選びまた選ばれた人生の細部を引き受け、そのひとつひとつを謙虚に丁寧に磨きあげていく。彼にとって、そのこと以外に生を、俳を向上させる方途はない。


そろそろ『手帖』の俳句そのものを紹介すべき時だが、高橋のこの「丁寧」というキーワードは、軽舟俳句の特徴をさすがによく捉えていると思う。これから、本書の帯に抜かれた小川の自選十五句、跋における高橋による十句選、さらに僭越ながら評者の十句選を順にならべるが、ほとんど句の重複がないと同時に質的なばらつきも余りない、そんな印象を読者諸氏は持たれるのではないか。それはじつはこの三十余句に限ったことではなく、句集全体としても作品の質にぶれがない。一句一句が丁寧に作られているのはもちろんだが、このぶれの少なさもまた丁寧・着実との印象を強くしているのであろう。まず、小川軽舟の自選十五句を掲げる。

鼠ゐぬ天井さびし寝正月
障子開いてこゑとこどもととび出づる
雪女鉄瓶の湯の練れてきし
岩山の岩押しあへる朧かな
ことば呼ぶ大きな耳や春の空
偶数は必ず割れて春かもめ
平凡な言葉かがやくはこべかな
卯の花や箸の浮きたる洗桶
鹿の子呼ぶ関西弁の吾子ふたり
秋の風豆腐四角き味したり
秋灯遺る手帖の未完美し
灯を消せば二階が重しちちろ鳴く
闇寒し光が物にとどくまで
泥に降る雪うつくしや泥になる
古暦北極星も沈みたく

「偶数は」「古暦」などの句は、ケレンの少ないこの作者としてはぎりぎりのケレンなのかと思う。それが、アイキャッチの役割を持つ帯にこれらの句を引いた理由なのだろうが、やはりこの種の作りようは小川の本領ではあるまい。想像力の飛翔が解放感をもたらすという具合には、言葉が働いていないところが少々もどかしい。「鼠ゐぬ」には月並調=似而非風流への傾きを感じる。「雪女」の句は感覚的にひかれるものの、ちょっと解釈に苦しむ。この中で最も感心したのは〈灯を消せば二階が重しちちろ鳴く〉。一階にいて、灯を消した二階の闇を感じているわけだが、「二階が重し」の措辞はすばらしいと思う。さらに戸外からは降るような蟋蟀の声。日本家屋の空間性と独特の寂しさを表現して間然するところがない。次に、高橋睦郎による十句選を掲げる。

不惑なり蝌蚪のあげたる泥けむり
蘆原にいま見ゆるものすべて音
うすらひや天心の日の繭籠
  ⇒「繭籠」に「まよこもり」とルビ
囲まれて門火は人の膝照らす
空を行く鳥の体温初氷
退きし雪の汚れや義仲忌
秋灯遺る手帖の未完美し
陸の山まつくらにして月のぼる
  ⇒「陸」に「くが」とルビ
二階から首出せば年新たなり
毎日に次の日のある土筆かな

この十句選は、「秋灯」の句以外は、小川の自選と重複しない。これはたまたまなのか、読者の楽しみを考えてのことなのか、あるいは高橋一流の教育的配慮(?)なのか。「うすらひや」の句などはほとんど高橋自身の作と見まごうばかりで、この選には納得。「囲まれて」の句はたいへん美しいが、どこかしら類想感を覚える。「二階から」の句は軽舟流の諧謔が楽しい。先ほどの「灯を消せば」の二階とはずいぶん違う。もちろん、二階から初景色を見るのではなく、首を出すところが手堅い俳諧であろう。

〈不惑なり蝌蚪のあげたる泥けむり〉は、〈初蝶や吾が三十の袖袂 破郷〉とか〈蟾蜍長子家去る由もなし 草田男〉といった人間探求派の句をいやおうなしに思い起こさせる。内容的にも、手法の面においてもだ。小川の最初の評論集『魅了する詩型――現代俳句私論』(二〇〇四年 富士見書房)には、これらの句を素材にしてのすぐれた「取り合わせ」論が収められており、〈人間探求派が人事詠を詩に昇華し得たのは、このような取り合わせによって季語の寓意性、象徴性を発揮させる方法を手中にしたことに負うところが大きい。〉と明快に述べられている。小川の句でいえば、「不惑なり」に対して「蝌蚪のあげたる泥けむり」が寓意として働いているということだ。小川は同書で、〈二つのフレーズの間には深い切れがある。切れの間の空白を味わうのは読者の役割である。〉とも言っていて、読者=評者はどう味わったものか、今、考えこんでいるところである。なぜなら、評者も小川から遅れること七年にして、齢不惑に達したところだからだ。

実のあるカツサンドなり冬の雲  ⇒「実」に「じつ」とルビ
鷹峯雲放ちたる蕪かな  ⇒「鷹峯」に「たかがみね」とルビ
七夕や番茶の熱き洋食屋
うすらひや天心の日の繭籠
夕日なきゆふぐれ白し落葉焚
陵の空を鵜わたる遅日かな
道順の入りし頭や鰯雲
落椿空家まいにち日の暮るる
くみおきの水に楠の実秋初め
陸の山まつくらにして月のぼる

つづいて、評者も十句を選ばせてもらった。「うすらひや」「陸の山」の二句が、高橋の選と重複している。雲・日・月・七夕と、天空に関係する句が多くなっているのはどうしたことか。それも、どんよりとした「冬の雲」といい、早春の雲に「繭籠」してしまった太陽といい、やはり曇った冬の「夕日なきゆふぐれ」といい、日射しの強さではなく弱さを描いた句ばかりだ。「陸の山」の句にしても、月に照らされた海の明るさではなく、影になった山の暗さをことさら句にしているのである。「落椿」の句なども、家に人が住んでいようがいまいが毎日朝が来て、日暮が来るという当たり前への気づきというのは、決して晴れやかなものではない。評者の好みと言ってしまえばそれまでだが、それはまた小川軽舟という個性のおのずからなる反映でもあるのだろう。高橋及び評者が選んだ十句には夏の句が含まれておらず、小川の自選十五句にも二句しかない事実も傍証になりそうだ。ところで、〈実のあるカツサンドなり冬の雲〉には、清水哲男による名鑑賞(「新・増殖する俳句歳時記」)があるので、せっかくだからご紹介しておきたい。

この「実のある」という措辞を「カツサンド」に結びつけたセンスの良さ。加えて、食べた後(最中でもよい)の満足感を「冬の雲」に反射させた感度の良さに感心した。「実のあるカツサンド」を食べたからこその「冬の雲」は、単に陰鬱とは写らずに、むしろ陰鬱の充実した部分だけが拡大されて写る。そうした「冬の雲」の印象は誰にでもあるはずなのに、それを作者がはじめて言った。ささやかであれ、一般的に満ち足りた心は、直後(最中)の表現などはしない、いや、できない。そこのところを詠んだ作者の粘り腰に、惚れた。

清水が「粘り腰」と呼んでいるのが、つまり高橋がいう「丁寧」なのだろう。たしかにギラギラの太陽もしとどに流れる汗も、「丁寧」にとっては敵かもしれない。では、『手帖』において、「丁寧」の基調が乱れることはないのかといえば、一箇所だけある。句集も終盤にさしかかったあたりで、突然、こんな前書きと句が現われるのだ。

岸本尚毅氏曰く、小川軽舟「鷹」主宰、高柳克弘編集長のコンビは健気なる「幼君幼家老」の風情
幼しや水をさむがるかげぼふし


岸本の「幼君幼家老」発言は、いつだったかの年鑑に載っていたように記憶する。きつい皮肉というよりは寒いジョークのノリ(だから“岸”辺で水を“寒がる”のだろう)だが、もちろん小川にしてみれば良い気はしなかっただろう。ほんとに若い高柳はともかく、岸本と小川は一ヶ月違いの同年生まれなのだから「幼君」はずいぶんであった。ただ、こんな場合でもダイレクトな切り返しはせずに、むしろ受身な感じで、寂しげに立ちすくんでみせるところが小川らしい。ウサギとカメの好勝負の行方は末永い楽しみということにして、それにしても鷹羽狩行と金子兜太が、ああ言えばこう言うとか、啜りこむとか、盛大にやりあっていたのとはだいぶおもむきが違う。それがつまり、小川の新評論集のテーマとなっている「昭和三十年世代俳人」の流儀なのであろう。

『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』は、「俳句」誌上で、平成十九年一月号から十二月号にかけて連載された「くびきから放たれた俳人たち」を単行本化したものである。連載中もたまさか目にはしていたが、こんど本になったのを通読して画期的な重要性を持つ仕事であることを実感した。まず、目次を掲げる。

第1章 昭和三十年世代の行方
第2章 中原道夫――濃密な知と情
第3章 正木ゆう子――宇宙との交感
第4章 片山由美子――現代女性の抒情
第5章 三村純也――花鳥諷詠の世界
第6章 長谷川櫂――俳句的世界観
第7章 小澤實――感興の鮮度
第8章 石田郷子――静かな象徴
第9章 田中裕明――思索する詩人
第10章 櫂未知子――俳諧の原点
第11章 岸本尚毅――虚子に迫る
第12章 深い泉の新しい水
「現代俳句の海図」関連年表

第1章と第12章で全体の構図を描き、間の各章で計十人の俳人を論じる構成である。その十人を選ぶ根拠となるフレームが「昭和三十年世代俳人」。昭和三十年代の生まれということではなく、昭和三十年を中心とする前後約十年の間の生まれというのがその条件で、最年長が昭和二十六年生まれの中原道夫、最年少が昭和三十六年生まれの岸本尚毅であり、先ほど触れたように岸本と同い年の小川自身このグループの一員ということになる。目次を見ればわかるように、夭逝した田中裕明を除きこのメンバーは現俳壇の中心的存在であり、次の大家候補として綜合誌等で最もさかんに活躍し、中央紙の俳句欄選者としても登用が始まっている人たちである。現象としては誰の目にもあきらかになりつつあった事態を、小川が「昭和三十年世代俳人」というタームで真っ先に明確化してみせたわけだ。昭和三十年とはすなわち一九五五年であり、政治の世界ではとっくに崩壊した五十五年体制が、俳句界で返り咲いたような塩梅である。「昭和三十年世代俳人」という造語は、言葉としてはやや無理やりでこなれも悪いが、しかし実体の裏づけがある強みによって案外定着するかもしれない。

本書の登場は、昭和末年から平成にかけての近過去二十余年の俳句史が、いよいよ歴史的回顧の対象になり始めたことを示している。また、「あとがき」で小川が、〈本書で取り上げた……俳人たちは、ここに取り上げることのできなかった他の同世代の俳人たちとともに、すでに俳句の世界の中核として活躍しているが、彼らの作者像がまとめて論じられる機会は意外に少ない。〉と述べているように、これまでのところこれらの俳人たちはまともな作家論の対象には余りなっておらず、その点でも本書は貴重な叩き台を提供するものである。一人あたりの文章量は原稿用紙で約二十五枚でさほど長大というわけではないが、小川の「丁寧」さはここでも遺憾なく発揮されており、その記述のバランスの良さはこの種の同時代作家論として模範的と言っていい程のものだ。文章の調子は中庸を得て穏やか、上滑りすることのない確かな歩調で進んでゆく。だからといって内容的には決して微温的ではなく、しばしば手厳しい、本質的な批判を含んでいる。ここでは個別の作家論に深入りするつもりはないが、先鋒の中原道夫についてだけでも覗いておこう。

もともと中原の句は、いくら知的に構成されていても、一句から濃い情感の立ち上るところに特色がある。それは、中原の詠む対象が、すべて中原の主観に触れて擬人化された性格を持つからだ。この特色は出発点である〈白魚〉の句から変わっていない(白魚のさかなたること略しけり……評者注)。それを一種の抒情と呼んでもよいのだが、いわゆる抒情的という印象はない。仮に仏教用語を借用するなら有情の俳句といったところか。すなわち、生きとし生けるもの、さらに木石や言葉までがそれぞれの感情を有している世界。といっても、自然界のすべてに霊的存在を見るアニミズムとは違う。中原の世界はあくまで人間が中心にある。/そのような有情の世界がもたらす情感が中原の俳句の通奏低音を成す。同じく機知的な作風で知られる鷹羽狩行のドライな作品世界とは肌触りが違う。その情感を現代の「もののあはれ」と呼んでもよいかもしれない。

中原の知的構成、機知性については誰もが言うが、そこからさらなる一歩を踏み込んで間然するところがない。そのさらなる一歩の部分であるが、評者を含め他の多くの人たちも漠然と感じていたことには違いない。しかし、漠然と感じているだけなのと、それをはっきり言語化するのとでは百歩の径庭がある。その言語化の労を惜しむのが、われわれ俳人一般の怠惰さなのであった。小川の勤勉さとごまかしのない明晰さは、讃えられるべきだろう。さらに中原論から引く。

最近の中原の作品を挙げてみた。ああ中原の句だと誰もが安心して読めるのは〈雪うさぎ〉の句だろう(雪うさぎゆきのはらわた藏したる……評者注)。これが俳と詩のアマルガムだと言われれば、それなりに納得できる。機知と情緒が均衡している。しかしこの句は、基本的に〈白魚〉の句と同じ仕掛けである。嘘を言い切ることによって詩的真実を得る。〈白魚〉と同じ第一句集の〈鯛燒を割つて五臓を吹きにけり〉の延長線上でもある。情感はより濃やかになっても、機知というものは進歩しにくい。読者が自分に求めている句だとわかっていても、出発点の繰り返しだという無力感が中原を襲うことはないか。

中原にとってはなかなか痛いところを突かれた評言であろう。第四句集『銀化』以後の中原が、創作欲は衰えぬながらに、長い惑いの季節に入っていることはこれまでも指摘されてきた。しかし、失敗作をあげつらうのではなく、むしろ近年では上々に属する作品をとば口に、その惑いの内実に入り込む小川の手際はひときわ鮮やかだし、論じられている方としては逃げ道があるまい。それでいて嫌味な印象をもたらさないのは、相手を論じる向こうに実作者としての小川自身の自問自答が透かし見えるためであろう。これは中原についての場合に限らず、十本の作家論のすべてに言えることで、本書のトーンを爽快なものにしている。

さて、ここまではよい。しかし、あらゆる美点にもかかわらず、本書には大きな欠陥があると評者は考える。簡単明瞭な話である。「昭和三十年世代俳人」という枠でくくりながら、そこに夏石番矢がいない。このような人選に正統性を認めることができるだろうか。小川は第12章「深い泉の新しい水」で、本書の人選が〈ベストテン選びを意図したものではない。〉と、例によって慎重に予防線を張っている。〈他にも取り上げたかった俳人はいるが、この世代の全体像を俯瞰することを意識して選んだ結果がこの十人だった。〉というわけだが、万人が納得する人選は不可能としても、なお夏石を除外する選択はあり得ないと思う。

目次に戻って顔ぶれを確認すればわかることだが、実作者としての多力ぶり(端的に句集の数を考えてみよ)、キャリアの息の長さ、俳句に関する見識の射程の深さ広さ、対社会的活動の旺盛さ等々、「昭和三十年世代俳人」なる一群を代表する双璧はどう見ても夏石番矢と長谷川櫂なのである。引き合いに出すのは心苦しいが、正木ゆう子・片山由美子・三村純也・石田郷子・櫂未知子あたりは、今後は知らずこれまでのところ俳人としてのスケールにおいて到底、長谷川・夏石の敵ではない。本書所収の十人が揃って夏石に勝っている点があるとすれば、角川系の俳句雑誌での露出度だけだろう。ちなみに、夏石はまさしく昭和三十年の生まれである。本書所収の十人には昭和三十年ちょうどに生まれた者はいない。夏石不在の「昭和三十年世代俳人」とはその意味でもまるで悪い冗談のようなものだ。

こうした事態をもたらしたのは、すなわち小川の俳句観そのものであろう。先に引いた部分につづけて、小川は次のように述べている。

それにしてはいわゆる伝統派に偏っているという指摘はあろうと思う。確かにこの十人は、全員が有季定型の俳句を作り、旧仮名遣いで表記している。そういう意味では伝統派ということができる。しかし、今日の俳句において伝統と前衛という区分はまだ意味を持っているのだろうか。前衛という立場は、開拓すべきフロンティア、すなわちそれまでの表現者が対象としなかった未知の表現領域があってこそ成り立つものだろう。ところが昭和三十年世代には、皆で競って開拓できるような目に見えるフロンティアが残されていなかった。表現のフロンティアを求める近代俳句のさまざまな運動は、昭和三十年世代の登場までに、それぞれの使命を終えてしまっていた。

さしあたりここで問題になるのは引用の前半、特に〈今日の俳句において伝統と前衛という区分はまだ意味を持っているのだろうか。〉の部分。もし、小川が伝統と前衛の区分に意義を認めないのなら、なおさら彼は本書で夏石をとりあげるべきだった。夏石を除外する唯一正当な根拠があるとすればそれは、本書がこの世代における伝統派の「全体像を俯瞰すること」を目的としており、したがって前衛派の夏石は対象外なのだというものであろうからだ。ところがその区分には意味がないと小川自身が言っている。語るに落ちたというべきではないか。最も大きな島のうちのひとつを測量せずにおいて、現代俳句の“海図”を名乗るのでは看板にいつわりありと言われても仕方がない。あの島は嫌いだから海図に載せませんでは用をなさない(逆に、評者が長谷川・夏石を双璧などと持ち上げるのは彼らが好きだからではない。当ブログ第四号、第六号の拙稿参照)。そのような海図を使って航海すれば、座礁は必至だろう。

引用の後半、俳句表現のフロンティアの消失については、小川のみの意見というわけではなく、ある程度、俳句界のコンセンサスを得た見解であろう。〈どのようなフロンティアも、多くの人が足跡を残せば、それはフロンティアではなくなっていく。昭和三十年世代にとっては、金子兜太も高柳重信も攝津幸彦も、すでに古典であった。〉とも小川は述べていて、似たようなことは小澤實も言っていたはずだし、当ブログ前号に冨田拓也が引用するところ(コメント欄)では佐々木六戈も同様の考えを漏らしている。なにより、評者自身にとってその感覚は親しいものだった。〈定型や季語や切字といった俳句の形式は、それが制約だとは少しも思われなかった。〉という点でも評者は小川と意見を異にするものではない。しかし、〈昭和三十年世代は、俳句の形式をめんどうな束縛と考えるのではなく、たった五七五の端切れのような言葉を詩にするために、昔から考えつくされた機能であると考えた。〉というところから、能や茶における型の問題へと話を展開するあたりには、看過しがたい飛躍があると思う。

そのような姿(俳句形式の機能を借りて自分を表現すること……評者注)は、能や茶のような伝統文化に似ていると言えるかもしれない。能も茶も基本は型であり、その型は長い時間をかけてゆるぎなく完成している。型そのものには個性はないのだが、能役者や茶人は型に手を入れることによって個性を発揮しようとは考えない。むしろ、型を徹底的に習得し、ついには型を意識しなくなったときに、型から自由になれると考える。彼らの個性は、そこまで行ってはじめて花開く。

小川は、俳句形式と能や茶の型とを類比的に語ろうとしているが、これは表現と文化の危険な混同というものであろう。世阿弥や利休の時代には表現だったものが、表現としては死ぬことで「伝統文化」となりおおせたのである。実際問題、小川は二十五歳で俳句をはじめてひとかどの作者となったわけだが、「伝統文化」の世界でこのようなことがあり得るだろうか。二十五歳で謡を始めて、四十歳で名の通った能役者になるなどということが考えられるだろうか。彼らは必ず幼児の時から始めるのだ。文化とはそういうものだ。われわわ常凡の家に育った日本人が、いつの間にか常凡なりに日本人らしい立ち居振る舞いを身につける、それが文化で、そのうちの凝縮され、鍛えられ、洗練されたものを型という。表現とはそのようなものではない。二十五歳どころか、六十歳で表現し始めて驚くべき高みに達することもあり得る、そういうものだ(最近知った例でいうとアボリジニの画家エミリー・ウングワレー。彼女は80歳で描き始め、亡くなるまでの数年で3000点の絵を残した。型の習得をしている暇はない)。

昭和三十年世代は、型を完璧に習得することによって、型を意識しない自由を得たのだ。(中略)その自由とは、俳句形式から逃れることによる自由ではなく、俳句形式を完全にわがものとすることによる自由なのである。

こうした驚くべき発言も、小川は本書でしている。これは昭和三十年世代の一員としての小川の作り手としての実感なのであろう。小川にとっては、たかだか「定型や季語や切字」をひととおり使いこなせる(その程度なら評者にもできる)ことが、「俳句形式を完全にわがものとする」ことと等価なのであるらしい。この時、小川の視界からすっぽりと抜け落ちているのは、表現されたものの価値の問題ではないか。『現代俳句の海図』には、各作家論の後に小川による五十句選が付いている。意地悪を言うようだが、こころみに大正世代の代表的十作家で同様の五十句選を作成して、どちらに表現として分があるか比較してみるとよいだろう。それも、できるだけ百年後の人間になったつもりになって。

繰り返すが本書は、貴重かつ有意義な書物である。上のように述べたからといって、評者として昭和三十年世代俳人を否定しようと思っているわけではない。そもそも評者自身、長谷川や夏石や岸本を、直近の手本として背中を見ながらやってきたのだし、時に昭和三十年世代が大正世代(さらにそれ以前の世代)よりも魅力的に見えたことがあったことさえ事実である。しかし、本書のような回顧的視点が可能になったまさにその瞬間に、果たして彼らの表現はどこまで時代を超えられるのかという疑いが萌すのを抑えがたいのだ。

表現が表現である限り、型の習得で水準を維持することは出来ない。型の伝習のみでは水準は確実に落ちるのである。それは古今の文学史と芸術史にあきらかなことで、小川とて先刻承知のはずの鉄の法則である。それにもかかわらず、小川がかく奇妙にオプティミスティックな認識を抱くにいたったところに、なるほどある時代のリアリティの現われを感ずる。本書の編集に関する限り、そのリアリティは最も有力な俳人のひとりを排除する方向で働いたのであるが、そのこと自体、昭和三十年世代の強さよりは弱さをあかしだてている気がしてならない。しかも、そのリアリティはいつまで有効なのだろう。本書は意外に、俳句の五十五年体制の終わりの始まりを画する本として記憶されることになるのではないか、とこれはまあ評者の動物的直観である。

*小川軽舟句集『近所』『手帖』、同じく評論集『魅了する詩型 現代俳句私論』『現代俳句の海図 昭和三十年世代俳人たちの行方』は、著者から贈呈を受けました。記して感謝します。

*高柳克弘著『芭蕉の一句 365日入門シリーズ④』は、著者から贈呈を受けました。記して感謝します。

------------------------------------------------

■関連記事

俳誌雑読 其の一
「切れ」の大問題とは復本・長谷川問題ならずや・・・高山れおな   →読む

俳誌雑読 其の二
夢と怨念あるいは二十五年後の編集後記・・・高山れおな   →読む

------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。


0 件のコメント: