tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post2707119139888006145..comments2023-05-14T20:15:48.690+09:00Comments on ―俳句空間―豈weekly: 筑紫 現代俳句の可能性yasnakamhttp://www.blogger.com/profile/08671629243313330081noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-4734103401000226006.post-25859513660530498992008-12-07T18:37:00.000+09:002008-12-07T18:37:00.000+09:00筑紫磐井様御稿興味深く拝読。しかし、小生は『現代俳句の海図』のラインナップに林桂氏が抜けていることな...筑紫磐井様<BR/><BR/>御稿興味深く拝読。しかし、小生は『現代俳句の海図』のラインナップに林桂氏が抜けていることなどいささかも批判はしておりません。お間違いです。批評家・林桂は最高に尊敬しておりますが、作り手としての林氏をさほど高く買ってはいないことは、ブログ上の小生の過去の記事をお読みいただければ一目瞭然です。<BR/>「ホトトギス」系三羽烏だか三馬鹿大将だかの将来が楽しみな由ですが、あまり社交にいそしまれるのも、策士策に溺れるの言葉もあることとて、老婆心ながら心配です。あの人たちは散文に関してはまともな日本語の綴り方さえ怪しい水準ですが、それを思えば俳句の方はずいぶんまともですね、確かに。しかしだからと言って蛇笏・龍太を引き合いに出すのは正気の沙汰でしょうか。<BR/>橋本直氏が指摘している、茂吉と虚子の解説文の質量格差の問題、要するに“戦略”だけがあって“公共”を欠いた俳人の態度の問題に帰着するように思います。俳句の内部では神様のような虚子も、文学者全体の中での器量はそんな程度だとも言えるわけで、淋しいことですが仕方ないのでしょう。軽舟氏が誰を俎上に乗せ、どう論じようと烏の勝手でしょうと言ってしまえばそれまでですが、いちおうあのように絡んだのは“公共”の立場を仮構したかったからであり、小生としては軽舟氏の仕事に敬意をもって応じたつもりです。磐井さんのように、軽舟氏を烏並みに扱われるのも、それはそれでもちろん有り、なのでしょうが。Anonymousnoreply@blogger.com