――又は、私の経験による「3ヶ月で同人雑誌を創刊する方法」
・・・筑紫磐井
「俳句空間」20号「特集/拡がるネット・いま、同人誌は」(1992年6月)で仁平勝氏は「結社・同人誌論」を書いていた。
9つの項目について書いているのだがその内の8つは
結社の批判であったようだ。即ち、
①先生論(結社には先生がいる)、
②出会い論(下手な先生についたのは弟子が悪い)、
③制度論(制度としての先生)、
④会費論(会費は所場代である)、
⑤閉鎖論(結社は閉鎖的である)、
⑥他流論(結社は他社との交流がない)、
⑦共存論(閉鎖的であるからこそ社交的であり共存できる)、
⑧習得論(まねをし、盗む才能が必要)、
である。
従って、同人誌について述べているのは、
⑨波風論(同人誌は徹底的に開放的であること、
それにより俳壇に波風を起こすこと)
だけであるようだ。
これでは余り同人誌の運営に直接役立たないので、
私の経験からいかにして同人雑誌の発行は可能かの条件を論じてみたい。
(1)経営論(存続条件1)
同人雑誌の運営に最も重要な要素は資金である。
収入―支出の均衡がなければ、
如何なる雑誌も発行不能である。
しかしこれは企業経営に一般・共通のことであり
同人雑誌発行の特別な事情ではない。
特に、この点については長けている俳人が多いので、
名目だけを列挙するにとどめる。
(2)サービス論(存続条件2)
同人雑誌は資金だけで成り立っているのではない。
編集企画、連絡、督促、校正、督促、発送、
会計経理、督促、広告、寄贈、名簿管理、照会応答などなど
無限の作業から成り立っており、
これをサービス(役務)としてとらえることができる。
当然役務であるから苦痛であり、
これを誰かに負担させなければならない。
その負担方法に、
①均等役務型と、②不均等役務型がある。
①均等役務型とは原則分業ないし協業方式で
同人全員が役務を負担する方式であり、
②不均等役務型とは限られた同人が負担する方式である。
同人雑誌の成否のキーポイントは
この役務負担方式をどのように組み立てるかにある。
これこそが同人雑誌運営の最重要事項である。
1)均等役務型と不均等役務型
①均等役務型は
多人数になればなるほど各人が期待する役務と
限られた役務提供者の提供する役務に乖離が生じ、
同人雑誌の維持を困難にすることとなる。
もちろん少人数だから乖離が生じないという保証はないが、
確率は比較的低くなる。
②不均等役務型では一部の同人に役務を課することになるが、
この場合は、一方的な役務負担をどのようにして合理化するかが重要である。
持ち回り型という方式があり1号ごとに担当する同人を変えるのだが、
これは長期的に見れば均等役務型と同じことでありここでは論じない。
純粋な不均等役務型では、
固定的に、発行人・編集人・編集部・事務局・会計などを決めることになるが、
彼らは作業の種類を問うことなく一団のボランティア組織であり
(一部の同人雑誌、あるいは多くの結社雑誌は
謝礼、時には給与を支払っていると聞くが、「豈」は全く無償である)、
同人雑誌の必須機関となる。
この組織機関と、個別同人の関係は複雑であり、
会費だけを支払ってサービスを享受する同人と、
会費も払い役務も提供する同人は対立緊張関係にある。
2)不均等役務型の本質
翻って、なぜ一部の同人が役務を負担するかを考察しなければならない。
当然対価はないのであるから、
主観的精神的満足に期待することとなる。
即ち使命感とか、事業達成意欲などである。
この主観的精神的満足の方向付けを同人雑誌の理念と名付けよう。
従って雑誌の理念とは、発行編集事務執行の役務に携わる者の理念である。
(抽象的な)同人集団の理念ではない。
参加している同人全体の総意としての理念があると誤解されやすいが、
一義的には役務提供者が提示する理念があり、
それに個々の同人が賛意を示したり
反発して最終的な雑誌の理念に収束するのである。
収束しない場合は、個人の場合は脱会となり、
マッスの場合は同人雑誌の解散となるのである。
再度言えば、
同人には
役務者(例えば編集部)に
自分が正しいと思う理念に基づく役務を要求する権利があるのではなく、
自ら役務者となって
自分が正しいと思う理念に基づく役務を提供する権利があるのである。
座ったままの要求は同人雑誌にあっては考えられない。
3)不均等役務型の多様性
ただ、役務提供者の理念の形成や具体化には様々な流儀がある。
前号で「具体的に編集に当たっては、どこの雑誌もまねできないぐらい
同人にきめ細かく詳細なアンケートを行っている」と述べたのは
「豈」の理念形成・具体化の特殊な方式である。
これに対し専制君主的に代表が理念を実施している同人雑誌もある。
どちらがその同人雑誌の理念形成に効果的であるかは
それぞれの同人が決めればよいのである、
一概にどれが正しくどれが間違っているとは言えない。
ある時、どこかのブログに
「豈」の大会でホームページを作るべきだという提案を出したが実現されなかった、
と書いてあった。
おそらく役務提供者たちにホームページを作る能力がなかったから、
この提案は無視されたのだろう(私自身記憶がないので推測するしかない)。
これは、むしろ、ホームページを作るべきだから
自分にやらせろと提案すべきであったのだ。
そうでなければ永遠に実現しない。
自己の理念と同人雑誌の理念を合致させてこそ、
同人雑誌の総意となるのである。
現在のこのブログ「豈weekly」はまさにこのような考え方に基づいて、
自分にやらせろと提案した人たちが実践したからこそ実現できたのであって、
同人雑誌の趣意に適っている。
4)「豈関西篇」の特異性
従って、「豈」は、現在の役務提供者は誰でも編集を行うことが可能である。
これは前述のアンケートでも確認し、募集している。
しかし今まで実現した応募型の編集は1回しか行われていない。
前回紹介した、豈39-2号(関西篇)であり、
堀本吟氏をはじめとする豈の関西同人が総力を結集して刊行された。
東京の編集部では自ら以外に編集を行う有志を求め、かなり以前から
同人誌を発行した経験のある堀本吟氏に打診した(2002年末頃)。
もちろん、無条件ということでなく、
それまで東京編集部で行っていた同人に対する一定のサービスは維持した上で、
関西同人が独自の企画編集を行うというものであった。
それが確保されなければ、同人の賛意は得られないであろうと予測した。
当然そのためには東京編集部からの陰に陽に支援も必須である。
堀本氏の案が提示され(2003年7月頃)、
私と堀本氏、堀本氏と関西同人との膨大な打ち合わせが行われ、
「再発見/関西の戦後俳句」と「現代川柳と自由律」の特集で
原稿依頼をする段取りとなった(2004年5月)。
関西同人10人弱がこのテーマのもとに、
何を依頼するか、誰に依頼するか、の事務的な打ち合わせを、
壮烈な理念議論と平行して行い、
(この時、豈の理念は何かと問われ答えに詰まってしまった、
この文章(詩?)はその時の答えに当たる回答である)
完成したのは打診してから丸2年目だった(2004年12月)。
均等役務型の編集とはこのようなことであった。
立派な作業であったが、
一方で年最低2回は刊行したいという同人全般の要求に応えるには、
従来方式を捨てるわけにはいかないというのも一致した考え方であった。
事実、「関西篇」刊行後かなりの長期にわたり疲労困憊で、
関西同人たちは次の編集を考えるような状態ではなかったと聞いている。
多くの同人雑誌はこうしたやり方で進んで行くものらしいが、
それは小回りの利く少人数の同人雑誌なら容易かも知れないが、
70人を超す大所帯となった豈にとっては大きな負担となるのである。
(3)同人数論(収入、及びサービスに起因する条件論)
以上のような考察から
同人雑誌の運営に必要な指標は「同人数」である。
経営・運営・編集のほとんどすべてを決定する指標がこれなのである。
不思議に思われるかも知れないが、
私の20年近い経験則でも間違いのない実感である。
経営論から言えば同人数は多ければ多いに越したことはないが、
サービス論、特に不均等役務型サービス論では、
全同人数の得るサービスと、
限られた役務提供者の提供できるサービスが不均衡となり
破綻する状態が想定される。
おそらく(会費の多寡のもよるが)経営的に無理なく
同人雑誌を発行できる同人数の下限は30~40人程度と考えられる。
これに対して(提供するサービスの質、役務にたずさわる人数にもよるが)
サービス的に無理なく同人雑誌を発行できる
同人数の上限は70~80人程度と考えられる。
私が編集を担当したときの同人数は27人であり
直後40人に増えた。
その意味では経理的に困難な状態になったことはあまりなかった。
そして現在73人はほぼ限界に近づきつつあるように感じられる。
攝津幸彦は同人数が100名に達したら解散すると宣言したが、
不思議な宣言に思われるかも知れないが、それは間違いなく正しい。
100人の同人雑誌は成り立たない、自壊するのである。
仁平勝氏の「同人誌は徹底的に開放的であること」という説には
全く異存がないが、
だからといって「すべての希望者を無制限に入れよ」と言う原理は
成り立たない。
これには、同人数に制約がない限りという非現実的条件が付く。
入りたい人が入れないのは開放的でないといわれれば確かにそうであるが、
これは理念であって現実ではないからである。
現在豈は、新規の入会は制限している状態である。
(4)編集態度論
1)関西篇から見た豈編集の特殊性
前述した関西篇に対比して見てみよう、
豈の通常号の違いが浮き彫りになる。
第1回の「編集論」と重複することになるが、
編集形態を選ぶことも発行の責任であるとすれば、
「発行論」の中でぎりぎり論じておかしくはないだろう。
関西篇は「関西同人10人弱がこのテーマのもとに、
何を依頼するか、誰に依頼するか、の事務的な打ち合わせを、
壮烈な理念議論と平行しつつ行い、完成した」と述べたのは、
通常号の豈では行われていない方式だからだ。
発行人、編集人、ごくわずかの編集に関係する人々と打ち合わせの末、
極めて短時間にテーマと執筆者は決まる。
なぜなら、頻繁に行うアンケートにより、
幾つかの特集企画候補に対する同人の関心と
参加の意向が照会されているから
これに従って決めるだけなのだ。
特集候補企画には、
前回のアンケートで
同人から希望の寄せられたものと、
編集部が提案するものがあるが、
参加の希望が集まる特集は従来から編集部が提案したものが多い。
同人が提案するものは自分が書きたいテーマが多いが、
編集部が提案するものは同人が書きたいテーマを想定するから
当然であるかもしれない。
もちろん同人個人に書きたいものがあれば
適当なときに書いてもらうフレキシビリティは有している。
結果的に選ばれたものを見ると複眼的視点のものが参加を得られやすい。
中には強引にテーマを2つ、ないし3つ
くっつけ併せて複眼的視点にしてしまうものもある
(「伝統の黄昏/伝統の新興」は2つ、
「シュールレアリズム・思想・限界」は3つ)。
これは俳句的取り合わせ技法であり、
結構面白い企画になることが多い。
いずれにしてもテーマが決まれば外部依頼者も決まる。
テーマと外部依頼者の組み合わせは編集の妙である。
2)執筆依頼とアンケート(韜晦的編集論)
――この節は読み飛ばしてください。
特集テーマの性格は豈の編集の考え方を律している。
編集部は、このテーマで本当に執筆を依頼しているのであろうか?
執筆を依頼しているとすれば、答えのない執筆を依頼しないはずだが、
時折はどう考えても編集部が執筆の方向を見定めてない特集もある。
しかしそれは、世の常ある、強引に編集部の意向を押しつける特集とその依頼よりは
はるかにいいはずである。
特集を同人に対してアンケートしているのと同様、
遅ればせながら執筆者(特に外部の)に
この特集テーマは特集に値するかどうかを(内心)問うていると見てもよい。
長い論文が実は編集アンケートに対する回答と同じレベルになっていることさえある。
見開き2頁は深刻なアンケートの回答にはほどよい長さである。
これが前述の38号の「特集・戦後俳句の病理」の澤氏の論であると思えば納得できよう。
言っておくが、本格論文とアンケート回答と
どちらが生産的であるかはよく分からないのである。
かってあった社会性俳句は、
最初の角川の「俳句」の社会性俳句の特集より、
これを受けた「風」のアンケートで動き始めたと思われている。
「読者カード」が世界を動かすとしたら、
それは非常に楽しいことではある。
だから特集のテーマは表面的なほどそれ自体を問うていない。
「青年の主張」は「青年の主張」を問うていたであろうか?
「青年の主張」であなたは何を思い出すか?
「青年の主張」とは何なのか?
そもそも「青年の主張」などはあるのか?
青年のする「青年の主張」でない主張とは何か?
かの『青年の主張』は今誰も「青年の主張」であったと思っていないではないか?
様々な問いはあるわけである。
そして様々な答え方も待っている。
確かなのは模範解答などは待っていないことだけである。
いや、こうした編集態度を、ぎゃふんと言わせる模範解答をこそ待っているのである。
3)「同人雑誌の理念」から編集態度へ
だから「同人雑誌の理念」((2)の3)の)も、
こうした編集態度となって現れることが多い。
発表すべき作品や評論の条件、
組むべき特集、
その執筆者(特に外部の執筆者を入れるかどうか)、
作品評、
同人句集特集の組み方など、
ある理念に従って実施されるのだが、
それは理念があって編集態度が生まれるのか、
編集態度から、遅ればせながら理念を彷彿させるのか。
部外者には分からない、
そして部内者にさえ分かっていないかも知れない。
ただ、「同人雑誌の理念」という言説だけが行き交って論争される。
編集の現場のないところに、「同人雑誌の理念」はないと思っている。
(発行論と言いながら、編集論に偏った発行論になっているのは、
編集しかやっていない筆者の限界である)
(5)動態的均衡論と解散論
以上から総合して生まれる同人存続の条件は
必ずしも安定的ではない。
かつ、個別々々の条件は変動的であり、
それらは静的に均衡に達するのではなく
動態的な均衡を取らざるを得ない。
人的構成が一切変わらなくても安定が破綻することもあるし、
人的構成がすべて変わっても
同人雑誌そのものは安定していることはあるかも知れない。
この動態的均衡をもたらすものを求心力といい、
それは個人の人的な性格・人格であることもあれば、
役務に携わる者の理念であることもある。
動態的均衡ないし求心力をもたらすものは
必ずしも現実の人間でなくてもよい
(例えば12年前に亡くなった攝津幸彦であってもよい)。
多分、豈の動態的均衡ないし求心力は
(発行人や編集人の)個人の力によるのではなく、
歴史とシステム(あるいはモデル)の力によるところが大きいと思われる
(システムの形成に、発行人や編集人は
微力ながら貢献しているかもしれないが)。
従って、こうした暗黙の容認がなくなったとき、
動態的均衡はなくなり解散することとなるはずなのである。
「豈」の前身、同人雑誌「黄金海岸」は、
荒川洋治の詩を掲載したことが発端になって解散したという。
編集が発端になっていることは
同人雑誌運営と編集の関係を深く暗示している。
このように同人雑誌は実に些細なことで解散する、
しかし一方で些細なことがないと
解散するのにも膨大なエネルギーが必要になるのも雑誌の特色だ。
離婚と同様、解散はエネルギーの根源的消耗である。
「豈」が現在も存続する理由はこんなことにある。
(6)公共使命論(新人育成)
以上で同人雑誌の存続の条件を一通り述べたのだが、
最後に付随的な条件も述べておこう。
韜晦気味に語った編集態度にくらべれば
こちらの方は分かりやすく説明できる。
同人雑誌は、決して公共空間ではありない
(「書きたいものを書く」という方針自体が
自己中心的空間であるから)が、
公共的役割を多少は果たしていいかもしれない。
それが作家育成である。
同人雑誌とは自己中心的なものだが、
そのわずかな外周部分で公共的役割を果たすという理念を
付随機能として持つことはあり得るものである。
その公共的役割の中に次世代の作家の育成は
イデオロギー色の薄い、もっとも公共的使命といってよいであろう。
豈はその一翼を担いたいと考えている。
これを1つの編集態度として持っている。
新鋭招待作家作品や評論を依頼する理由である。
大本義幸は、同人雑誌は一人の作家を生み出せば使命は達せられると言っていた。
かつて同人雑誌「黄金海岸」から生まれたのが攝津幸彦だそうだが、
「豈」(攝津幸彦の発行する第1次)から生まれたのが高山れおなとすれば、
現在の「―俳句空間―豈」(第3次)からは誰が生まれるのであろうか?
(追加)書式訂正のお詫び
「自叙伝風に(編集論・発行論・同人論)」を執筆中に、
堀本吟氏の「書物の影」の回が進み、
前回の連載「評論詩」について言及しているので、
私のこの連載も連載途中から改行を頻繁に行って、
評論詩のスタイルで書いてみることとした。
表題も、「自叙伝風・評論詩風に」に改めてしまった。
近く編集論(作品番号17)も遡って改行して、
全体として矛盾のないシリーズにしてしまおうと思う。
いずれこの評論詩を評論集にまとめて収めるときには
改行をすべて外しそしらぬ顔で散文に戻してしまうのだから
全く途中の作業に過ぎず、
筆者としては散文詩時代があったことは口をぬぐっていようかと思う。
こんなことを言うと、
また高山れおな氏から、「詩をバカにしている」と言われそうであるが、
詩に効用はいろいろあって実用的な詩を否定するいわれはない。
実際評論詩を書いてみて、
評論の論旨の点検がしやすくなって助かっているところはある。
ただし、形式が内容を作ることもあり、
困ったことに語り口が通俗的になり、
内容が薄手になっている気がしなくもない。
何ごとも一長一短があるものだ。
これもまた高山れおな氏から、「詩をバカにしている」と言われそうである。
詩人は寡黙でなければならない。
現在隣のコーナーで堀本吟氏が何を論じているかは分からないが、
この論はその一歩先を行っていると思う。
なぜなら、堀本氏が論じているのは、
詩で俳句を論ずることはローカルである。
俳句を論ずる際に「切れ」を論ずることは(俳人が見ても)
更にローカルである。
ローカルの中のローカル、
そこに自ずと俳句の精神が生まれる。
* *
「評論詩」を書くことが俳句的なのである、
評論詩で「切れ」を取り上げることが俳句的なのである。
という私の旧思想であるが、
いまや私も1週間ごとに進歩していると思っている。
最近では、結社誌と同人雑誌について書くことが俳句的であり、
評論詩でこれらを取り上げることも俳句的であると思っている。
俳句は文学から見てコントロコレンテ(反流)であり、
結社誌を常態とする俳句において
同人雑誌は一層コントロコレンテである。
かって唱えられた「結社の時代」とかいう
カストリ的主流に対しても、コントロコレンテ(反流)である
(若い読者には「カストリ」的という意味は分かるだろうか。
「青年の主張」以上に混乱する形容詞だ)。
同人雑誌における発行人や編集人と同人の緊張関係は
評論詩で韜晦的にしか書けないであろうという意味で、
適していると考えたのである。
余儀なく選ばれる評論詩の形式も美しいと思う。
だから延々としたこの評論詩のポイントは、
また同人雑誌の本質であり、
決して結社誌との比較などではない、
発行人や編集人と同人の相克と協調の「間合い」なのだ。
そして「豈」39-2号(関西篇)の編集をした堀本吟氏であればこそ分かる
微妙さである。
いずれ、「書物の影」で言及されることがあれば幸である。
■関連記事
自叙伝風に(編集論/作品番号17)・・・筑紫磐井 →読む
6 件のコメント:
隣のページは、年末年始は、お休みです。
今回の貴文の趣旨の項目は
1「俳句空間—豈—」(最初の「豈ではない、短詩形文学空間化した現在の「俳句空間—豈)の編集論の原論です、そろそろこういうのが出てくるだろう、と期待していた、その時期です。大いにたたきだいとしましょう。
いろんな立場から意見が述べられる優れた原案だと思います。こめんとしましょうよ。とくに関西の人。組み込んで書いてくださるわよ。
2,「俳句空間—豈」関西篇(39−2)の特異性について。
特異性というならば、関西的な余りに関西的な、特異性でした。いろんな場所から吹き出ている「毒気」に当てられて、元締めが疲労困憊致しました。
しかし、なかなかああいうコンセプトの特集は出来ないだろうと思いました。その意味で、すくなくとも私にとってはおおいなる財産となりました。
関西の状況は、結社制度がくづされつつある全国俳句状況の先取りである、とある若い同人が言いました。
あたっているとおもいます。
関西俳壇の関係性が、その当時といまとはだいぶん違ってきていますから、これは今後若手の論争や積極的な活動に期待するほかはありません。
また、異ジャンルに等しい要素の同時的な掲載
:川柳、自由律、俳句、
それぞれに、伝統と反伝統の歴史的な対立があるので、それらは、各ジャンルで深めて貰うにしても、これに
「自由詩」との関わり、「短歌」との関わり、と言う視点を入れなければなりません。むしろ「戦後文学」を大きく越える、あたらしい論の場所が必要だと思います。
3、「評論詩」はたいへん興味があります。私の文章が、貴文を材料にする限りあなたの方がつねに一歩先になる(時間的に先に書かれる)のはあたり前です。そのうち、とつぜんお説を予知し先取りするやもしれません。理論的進歩というのはそう言うものです。
また、長いコメントになり失礼。後の方はここをとばしてください。
こんにちは!
産婦人科医の野村麻実と申します。
筑紫様には初めての投稿をさせていただきます。
私自身は、社会的活動の多い、純朴な医師の多い中、「闘う」「社会活動性」のある医師ですけれども、(ある意味で大変な有名人です)
>これは、むしろ、ホームページを作るべきだから
>自分にやらせろと提案すべきであったのだ。
>そうでなければ永遠に実現しない。
あ~まったくもってその通りでございます。
しかし、本業を持ちながら「名乗る」「行動する」ほど勇気と労力と自分自身の貴重な時間を労するものはありません。
それだけに本当に「必要なもの」「できるもの」を考えながら大局的にやらなければならないのではないかと思っております。
なかなか「自分」でできることがすくないのが辛いところです。
その点、 ―俳句空間―豈weeklyの活動には注目させていただいております。
俳句、結社という、ある面において「完成された」逆に「ひょっとしたら行き詰りかけている」システムの突破口になることを期待している面もあります。
トップほど辛く孤独な職業はないと思っています。頑張ってくださいませ。応援しております。
野村様
こんな変な連載をご覧頂きありがとうございます。
私がコメントを避けるのは、自分で書くとなるとコメント欄では字数が不足するのと、コメントと普通の評論とで意識が変わってしまいかねないので、<執筆者の私>として「嫌だ」というだけで、コメントいただく分にはありがたく思っています。
皆様のコメントはまじめに読んで次の評論には反映させていただきます。難しそうなことを書いていますが、発行人・編集人の愚痴です(大井さんも同感だと思います)。文中の抽象的概念は、みな編集途中のトラブルに裏打ちされております。お知りになりたい方は胸に手を当ててよくお考えください。
堀本様
「自叙伝風に」は次回をもって強引に大団円としてしまいます。ハッピーエンドなどんでん返しで打ち止めとさせていただきます。ご協力ありがとうございました。
読者の皆様へ
お知らせの原稿を付け忘れました。ただし、前号と変わりはありません。
これから、数日母のもとにゆきます。帰ってから、次回の構想を練ります。
関西では、
1月10日神戸で、震災と表現についてのシンポ(神戸文学館。大橋愛由等企画)。1月18日、少人数の詩人たちとの安井浩司読書会(大橋さんたちの「めらんじゅ」)、二月に、大本さんの句集をよむお祝い会(北の句会)、「俳句空間ー豈」46号の読書会。(岡村、堺谷中心)。川柳人は別に企画がある様子。林田紀音夫読書会(野口裕中心)は、さきになりますが、完遂しましす。
私たちは、かんがえつつ行動しています。
あなたの構想(編集原理)も、お互いが活きるならばむろん組み込みます。
近辺で関心ある方はぜひ、諸イベントに参加してください。(豈。「非」豈、いっしょに、連帯できるところでやるのが、私の目下の豈活動です。
書物の影は、1−2回休むかも。でも、丁寧に読んで、動きの本質をみきわめて、ま他、書きます。
磐井さんたちがしっかりしてくれているので、たすかります。吟
筑紫さま、アツい方でいらっしゃるのですね!
いえ、私としましては、「研究費」「COE」とかなかんとか、ご前歴を聴いてしまうだけで連想語句が多く、かなり引いてしまうのでありましたけれど(笑)。
(あ、もちろん、冗談でございます)
豈の「機関誌」そのものの書評が始まったことに関しても、評価しています。
私のようなものに反論など(-_-;)。。。
今度からピリッとせざるを得ないでしょうね。
(とド素人が外野から好きなことを言ってみます)
結社ではなく、医学雑誌のようにいろんな方がいろいろ公募でかける場所があるといいですね!
というか、みんなができることを少しづつ、というのが一番理想的な姿だと思います。
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