2008年11月13日木曜日

身体俳句曼陀羅【第四回】

身体俳句曼陀羅
【第四回】胸/腹/ほと


                      ・・・江里昭彦

10 胸
乳・乳房・乳首・胸囲

胸部について、ハリウッド映画がひろめた肉体の美学の影響は甚大だった。男なら逞しい胸板と胸毛、女なら豊かに盛りあがった乳房こそが、強烈なセックス・アピールを発するという価値感が、多くの国の映画界と観客を汚染したのだ。かかる肉体の理想像が、はるかギリシア彫刻に淵源をもつとしても、あらゆる民族に規範としてあてはめるのは無理というものだろう。三島由紀夫のボディビル写真が、滑稽な悲壮感を漂わせているのを、ここで思いおこしておこう。

二十世紀の半ばまで、性の言説を独占してきたのは男だった。男は、女に官能と母性とを本質的属性として割り振りつつ、乳房について、うんざりするほど記述し描写し論じてきた。与謝野晶子が『みだれ髪』で性愛の視点から乳房を詠ったのは、こうした男の独占に罅をいれるものだったので、スキャンダルになった。一方、男の胸の性的魅力が、男色シーンを除くと、ほとんど話題とならなかったのは皮肉である。「わかものの藍の胸乳われ措きて或る日の不慮の死を飾らむと」は塚本邦雄の名歌。

〔例歌〕
大乳房たぷたぷたれて蚕飼かな  飯田蛇笏
蓑刎ねて垂乳さぐりぬ五月闇  川端茅舎
茫々と麦生つづけり胸の病  山口誓子
荒梅雨のひびきを薄き胸に受け  日野草城
雷落ちて火柱見せよ胸の上  石田波郷
新婚のおのが真胸を撃ちし中尉  渡辺白泉
ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき  桂信子
明日は
胸に咲く
血の華の
よひどれし
蕾かな
  高柳重信
授乳後の胸拭きてをり麦青し  飴山実
蒼き胸乳へ蒼き唇麦の秋  夏石番矢


11 腹
横腹・脇腹・へそ

腹部には内臓器官がぎっしり収まっている。腹は、なによりも「はらわた」の容器である。日本では、徳川時代中期まで人体解剖が禁忌だったが、日本独特の自裁法である切腹のおかげで、人々は腹には臓器がつまっていることをよく知っていた。『武士道』の新渡戸稲造は、切腹を己の潔白・忠誠心の極限的表明と考え、ゆえに、内臓を露出して「腹蔵のない」さまを証すことに文化的意義を見ていた。けれども、現代のわれわれには、ハラキリはグロテスクで陰惨な光景でしかない。自身切腹して果てた三島由紀夫は、小説『憂国』において、割腹場面をじつにマニアックに描写している。

次に、女性にとって、腹は子を宿しうる容器である。だが、奇妙なことに、世界各地には、聖性を帯びた存在が、産道を通らずに母の脇腹から生まれたという言い伝えが残っている。『リグ・ベーダ』の神インドラ、『シャー・ナーメ』の英雄ロスタム、『今昔物語』の釈迦などの逸話は、分娩の常識を破ることで、その神格性を示したのだろうか。

〔例句〕
芋腹をたたいて歓喜童子かな  川端茅舎
撫子や腹をいためて胤をつぎ  平畑静塔
忌々しこの狩の季節の水腹は  佐藤鬼房
腹割いて

花咲く
長門の墓
  高柳重信  ⇒総ルビ


12 ほと
膣・女陰

呼び方の種類やヴァージョンが多いのに、辞書に採録されることのほとんどないのは、性器の呼称だろう。世人の関心の深さ・強さに応じて、公的および教育的言説の場から締め出しをくらう程度も強いという、奇妙な相関関係がそこに見られる。女性器に係る豊富な表現と出会うために、ひとはポルノグラフィーにおもむかねばならない。

しかしながら、おおかたは男性によって書かれ描かれ撮られた作品は、オスの身勝手なファンタジーで女性器をもみくちゃにしている。それに異議を唱えて、フェミニズムは、自身のからだに属する性器を男から「奪還」するよう、女性たちを鼓舞した。歴史上著名な女性を性器におきかえて表現した、ジュディ・シカゴの連作「ディナー・パーティー」は、瞠目すべきアートである。その作品は、上野千鶴子著『女遊び』の装幀に使われて話題を呼んだ。

〔例句〕
露の光ほと毛を拾ふひそけさは  岸田稚魚
華麗な墓原女陰あらわに村眠り  金子兜太
陰に生る麦尊けれ青山河  佐藤鬼房
女陰の中に男ほろびて入りゆけり  堀井春一郎
羽搏いて折鶴のほと輝やかす  岸本マチ子
弓張月形に少女睡りクレーターの陰  大沼正明

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