2010年6月6日日曜日

豈weeky版ゼロ年代百句 検討篇

俳誌雑読 其の十五
「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする(検討篇)




                       ・・・高山れおな

「現代詩手帖」六月号で、「短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」という特集が編まれている。松浦寿輝、小澤實、穂村弘、岡井隆によるものと、城戸朱理、黒瀬珂瀾、髙柳克弘によるものと、二つの座談会を中心に、詩人、歌人、俳人多数が寄稿しており、たいへん読みでがある。反響も大きそうだが、中で上田信治が「100句選は、俳句ボロ負け?」と述べているのが目を引いた(*)。先週の「週刊俳句」に掲出された「『現代詩手帖6月号 短詩型新時代』を読む」の一節だ。

感想:この100句、短歌の隣におくと、ゆるくないですか?

短歌100首にだって、そりゃ、これってどうなの、というのはたくさんありますが、〈それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした 笹井宏之〉〈つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて 岡井隆〉に対抗するものが、俳句に・・・

あ、まあ〈空へゆく階段のなし稲の花 田中裕明〉〈おおかみに蛍がひとつ付いていた 金子兜太〉があるか、ははは。でも、なんかトータルの印象で言うと、J-POPの間に蓋棺録がはさまってる感じで、うーん、俳句って、もうちょっと、出来る子だと思うんですが・・・。

選者が「外部」を意識した結果のセレクトが、これだとしたら、「外」のお客はそんなに甘くないよ、と言いたい。

これは、城戸・黒瀬・髙柳の鼎談の附録として、黒瀬がゼロ年代の短歌を百首、髙柳が同じく俳句を百句えらんでいるのに対する感想。当方は別にそうも思わず、俳句は俳句で面白いと思って読んだのではあるが(単に自分が三句採られていて目が眩んだ?)、とはいえこれが最強の百句と考えたわけでもない。例えば、ゼロ年代になって二冊も句集を出している安井浩司は完全に無視。あの人もこの人もいないのに、飯島晴子四句? 正木ゆう子五句? 田中裕明八句? そりゃないわ――という感覚が全く無かったかといえば嘘になる(高山れおな三句そりゃないわと思った人ももちろん沢山いるでしょう)。大体、短歌の方は岡井隆ですら採録二首で、ほとんどの歌人が一首のみなのに、俳句は田中裕明への大盤振る舞いを筆頭に複数句を取られている人が結構いて、要するに人材に乏しいということなのかなと思ったりもしたことだ(いやまあ、乏しいのでしょうが)。

もちろん、こういうアンソロジーを作って万人が納得するなんて有り得ないわけで、繰り返しになるが、これはこれで面白かった。で、自分でやったらどうなるだろうかと、そんなことも考えた。そもそも髙柳は、芭蕉三百句選をやって、

水とりや氷の僧の沓の音
涼しさを我宿にしてねまる也
此秋は何で年よる雲に鳥
秋風や藪も畠も不破の関
振売の雁あはれ也ゑびす講
狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉
さびしさや華のあたりの翌檜

といったあたりの句を採らないような、なかなか我が道をゆくセレクションをする人である。当方のような温厚な常識人の選を比較のサンプルとして提示するのも一興ではないだろうかと妄想はむくむく膨らむが、いかんせん昨日の今日で調査のための充分な時間がない。そこで髙柳の百句選を土台として生かしながら、わたくしなりのバージョン違いを作ってみようというのが今週のお題である。あ、ここで忘れないうちに言っておこう。上田さん、是非、上田信治編「ゼロ年代の俳句100選」を読ませてください。それから冨田さん、名句ハンターとしてはどんな百句を選びますか。これも読んでみたい。というわけで本編へ。ちなみに選句の基準について、先の座談会で髙柳はこう発言している。

従来は「内部」を守るためにあえて排除してきた「外部」を意識するということが、むしろ俳句の「内部」に受け継がれてきた価値を鍛えることになるのではないか。そういう意味で、この百句を選ぶときにも、形式の可能性を拡大した句、つまり、従来の表現史のうえに新しいものを付け加えている句ということに留意して選びました。

髙柳版百句選を基にするのだから、当方もこの基準は踏襲する。ただ、「従来の表現史のうえに新しいものを付け加えている句」という基準は同じでも、その解釈と適用におのずから差が出るはずだ。それから、申し合わせがあったのだろうか、黒瀬・髙柳のアンソロジーには、彼ら自身の作は選ばれていない。これもゲームの規則として踏襲する、つまり髙柳の句は選の対象にしない。以下、髙柳アンソロジーを数句ずつにグループ分けし、取捨・差し替えの検討を加える。便宜上、通し番号を振った。

第一グループ
1 粽結う死後の長さを思いつつ 宇多喜代子
   『象』〇〇年七月 角川書店
2 夕刊のあとにゆふぐれ立葵 友岡子郷
   『葉風夕風』〇〇年七月 ふらんす堂
3 春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子
   『蒙古斑』〇〇年八月 角川書店
4 菜の花を挿すか茹でるか見捨てるか 
5 蝶われをばけものとみて過ぎゆけり 宗田安正
   『百塔』〇〇年十月 花神社
6 《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ 辻征夫
   『貨物船句集』〇一年一月 書肆山田
7 恋をして伊勢の寒さは鼻にくる 大木あまり
   『火球』〇一年二月 ふらんす堂
8 おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太
   『東国抄』〇一年三月 花神社

1番の〈粽結う死後の長さを思いつつ〉は、作者にとっても俳句にとっても少々気の毒な選択ではないかと思った。なにしろ短歌の百首選の巻軸が森岡貞香の

山行に母をおもふは山たづのむかへにか亡ぶるまでを生きたりき

韻律に曲折を尽くし、いかにも深読みを誘う一首(「山たづの」は「むかへ」にかかる枕詞)。同じ見開きの右頁の最後にこの歌がきて、左頁がこの句で始まる。しかも、モティーフは“死”で両者たまたま共通している。これでは上田ならずともボロ負けと判定せざるを得ない。「死後の長さを思いつつ」が凡庸な上に、「粽結う」も取って付けたような感じ。屈原の故事とか連想せよということ? しかし、それも無理っぽいなあ。出典の『象』には、同じく死をテーマにして、

天空は生者に深し青鷹(もろがえり)

という世評の高い作があった。やはり、こちらの方が佳いのではないか。句に、読み手の思いを誘う謎がある。「青鷹」の表記のうちに「天空」の“青”を嵌めこむ小ワザも悪くない。

2番の〈夕刊のあとにゆふぐれ立葵〉は当方も好きな句。自然はまだ昼間の明るさなのに、人間の営みがあらかじめの夕暮をもたらしてしまう――日常の中へ挿し込まれた、このほのかなペシミズム、ほのかな終末観がゼロ年代なのかも。よってママとする。

櫂未知子は、9番〈春は曙そろそろ帰つてくれないか〉と10番〈菜の花を挿すか茹でるか見捨てるか〉に加えて、27番〈火事かしらあそこも地獄なのかしら〉にも登場。二句削って一句にしたい。一句だけなら9番だろうが、うーん、古典の裁ち入れはわたくし自身いろいろやり過ぎて、正直これくらいでは満足できないところもある。同じ『蒙古斑』から採るなら、

雪まみれにもなる笑つてくれるなら

ではどうだろう。切迫感があって諧謔があって、味わいがより複雑である。こちらを入れよう。

5番〈蝶われをばけものとみて過ぎゆけり〉は、宗田安正のこの句集(『百塔』)から取るとしたらこの句だろうからママ。

髙柳克弘の第一句集『未踏』に、蝶の句が異様に多いことにはみな気づいているが、この百句選でも5番に続き、6番が辻征夫の〈《蝶来タレリ!》韃靼ノ兵ドヨメキヌ〉で早くも二句目の蝶。さらに67番に井越芳子〈夏の蝶檻のうちかとふと思ふ〉、81番に大木あまりの〈蝶よりもしづかに針を使ひをり〉が登場する。5番の宗田の句以外は、駄句とは言わないが百句選に取るほどの句でもないだろう。67番、81番はあとで考えるとして、6番の辻征夫は、

満月や大人になってもついてくる

の方が普遍的なポエジーを獲得しているのではないだろうか。出典は同じく『貨物船句集』。

7番は大木あまりの〈恋をして伊勢の寒さは鼻にくる〉で、彼女は先ほどの81番に加えて28番〈握りつぶすならその蝉殻を下さい〉でも登場。やっぱり三句は多い。しかも、28番、81番は上出来とも申しかねる。やめましょう。7番は見どころはあるが、上五の「恋をして」が何がなし弛んだ感じなのが物足りない。調子の緩みが実感の薄さをも招来しているだろう。大木は自讃句でもあるらしい、

火に投げし鶏頭根ごと立ちあがる

一句だけでよいのではないか。「根ごと」が強いと思う。

8番は金子兜太句集『東国抄』から〈おおかみに螢が一つ付いていた〉。兜太は、84番にも昨年の句集『日常』所収の〈子馬が街を走つていたよ夜明けのこと〉が採られている。しかし、8番のみでよいと思う。

兜太については二句採っている髙柳であるが、「海程」の重鎮・阿部完市からはなぜか採録がない。やはり昨年刊行の『水売』から、

きつねいてきつねこわれていたりけり

を選入しておきたい。可憐に壊れた晩年様式が魅力的だ。金子・阿部が登場したついでといってはなんだが、「海程」中堅の宮崎斗士の『翌朝回路』(二〇〇五年)と小野裕三『メキシコ料理店』(二〇〇六年)からも一句ずつ採っておこう(田中亜美は後出)。宮崎は、

ライラックの香りは四百字ぴったり

この比喩は斬新。小野は、

玉葱を切っても切っても青い鳥

メルヘンの甘みを、玉葱を切るという行為が俳諧に繋ぎ止めた。

第二グループ
9 わたくしに烏柄杓はまかせておいて 飯島晴子
    『平日』〇一年四月 角川書店
10 気がつけば冥土に水を打つてゐし 
11 かくつよき門火われにも焚き呉れよ 
12 葛の花来るなと言つたではないか 
13 いまならばかげろふの絃爪弾ける 佐藤鬼房
    『愛痛きまで』〇一年七月 邑書林
14 亡き人の香水使ふたびに減る 岩田由美
    『夏安』〇二年五月 花神社
15 水温む鯨が海を選んだ日 土肥あき子
    『鯨が海を選んだ日』〇二年七月 富士見書房
16 狼は亡び木霊は存(ながら)ふる 三村純也
    『常行』〇二年八月 角川書店
17 水遊びする子に先生から手紙 田中裕明
    『先生から手紙』〇二年十月 邑書林
18 どの道も家路とおもふげんげかな 

9番、10番、11番、12番と飯島晴子が四句もある。髙柳と同じ結社の大先輩であり、敬愛の気持ちはわかるけれど、これは全く当を失している。『平日』はそれほどの句集ではないし、実際、9番〈わたくしに烏柄杓はまかせておいて〉、10番〈気がつけば冥土に水を打つてゐし〉は調子が低い。11番〈かくつよき門火われにも焚き呉れよ〉は佳句だとしてもあえてという程ではない。冷え冷えとした荒廃の気配を湛え、強いインパクトのある12番〈葛の花来るなと言つたではないか〉のみ残せばいいのではないだろうか。さて、飯島を三句減らした代わりに、やはり「鷹」誌の大ベテランである星野石雀から一句採っておく。「鷹」の二〇〇〇年十月号に見える

白粥に女体を想ふ大暑かな

ではどうか。句形は古風だが、この老いの妄執には新味がある。虚子や風生などのように「老の春」などとうそぶくだけの豊かさがこの作者にはない。それが我々の現在なのでもあろう。さらに雀つながりで岩下四十雀の句も採っておくことにする。二〇〇二年に出た『覿面』は、チャーミングな不良老人句集だった。同書から、

夏富士やこのおろかなるミルク風呂

13番〈いまならばかげろふの絃爪弾ける〉は、佐藤鬼房の作。鬼房はゼロ年代に入って『愛痛きまで』と遺句集『幻夢』の二冊の句集があるが、抽んでた句があるという印象はなかった。前者にある〈またの世は旅の花火師命懸〉は、「命懸」が鬼房らしくて好ましいが、またの世云々はいかにも安直。で、13番の句であるが、最初、上五「いまならば」が曖昧で不満だった。句末の「る」を完了存続の文語助動詞「り」の連体形だと思っていたからである。しかしどうもこれは口語で、“爪弾くことができる”と言っているらしいことに気づいた。すると「いまならば」の高揚もよく理解できる。よってママ。これを見つけ出した高柳の眼力はさすがだろう。

14番、岩田由美の〈亡き人の香水使ふたびに減る〉は、印象に残る句ではあるけれど、「亡き人」が一向見えてこない憾みがある。同じ『夏安』にある

稲光して兄弟のうりふたつ

の方でどうだろうか。香水が使うたびに減るのも、兄弟がそっくりなのも当たり前のことだが、後者では当たり前の物事が、当たり前ゆえに帯びる不吉さが照らし出されている。

15番、土肥あき子の〈水温む鯨が海を選んだ日〉と、16番、三村純也の〈狼は亡び木霊は存(ながら)ふる〉は、どちらも印象鮮明な佳句。よってママとする。

17番、18番は田中裕明『先生から手紙』所収の句。田中は『夜の客人』からも40番〈木枯やいつも前かがみのサルトル〉、41番〈空へゆく階段のなし稲の花〉、42番〈あらそはぬ種族ほろびぬ大枯野〉、43番〈みづうみのみなとのなつのみじかけれ〉、44番〈詩の神のやはらかな指秋の水〉の五句が採られ、さらに『田中裕明全句集』から66番〈白湯を吹く海上の國かすみけり〉まで採録。全八句はいくらなんでも……。アンソロジーのようなものを編む場合、独断と偏見を排除したら旨味が無くなるが、一方で公平さをどう取り込むかへの意識も欠かせないだろう。実際の話、17番〈水遊びする子に先生から手紙〉は、田中裕明論を展開する際には欠かせない句かも知れないが、わずか百句の小アンソロジーに入れるのにふさわしいのか。18番〈どの道も家路とおもふげんげかな〉は共感を得やすい気分の良い句ではあっても結局は凡句だろう。また、44番〈詩の神のやはらかな指秋の水〉を、黒瀬の百歌選にある

どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を 佐藤弓生

の隣に並べるとかなり悲しいものがある。結論を言えば、田中裕明は41番〈空へゆく階段のなし稲の花〉と43番〈みづうみのみなとのなつのみじかけれ〉だけでよいと思う。さらにここで、田中裕明の弟子の満田春日も入れておきたい。二〇〇五年に出た『雪月』はたおやかな写生句の佳品を多く含んでいたが、田中が句集の栞で挙げている中から、

ぺらぺらの襟ごと吹かれ赤い羽根

を採ることにする。チープではかなくて、ひんやりと清潔だ。

第三グループ(27、28は検討済)
19 水の地球すこしはなれて春の月 正木ゆう子
    『静かな水』〇二年十月 春秋社
20 揚雲雀空のまん中ここよここよ 
21 もつときれいなはずの私と春の鴨 
22 ヒヤシンススイスステルススケルトン 同
23 おもしろかつたねと浮輪より出る空気 正木ゆう子
    「俳句年鑑2003年版」 「俳句」〇三年一月増刊号
24 山に金太郎野に金次郎予は昼寝 三橋敏雄
    「俳句年鑑2003年版」 「俳句」〇三年一月増刊号
25 卵より出る寂しさや冬の虹 高野ムツオ
    『蟲の王』〇三年三月 角川書店
26 水仙やしーんとじんるいを悼み 永末恵子
    「俳句研究」〇三年三月号
29 亀鳴くを聞きたくて長生きをせり 桂信子
    『草影』〇三年六月 ふらんす堂

19番〈水の地球すこしはなれて春の月〉、20番〈揚雲雀空のまん中ここよここよ〉、21番〈もつときれいなはずの私と春の鴨〉、22番〈ヒヤシンススイスステルススケルトン〉、23番〈おもしろかつたねと浮輪より出る空気〉と、正木ゆう子が五句。これも採り過ぎ。どれも見どころのある句ではあってもゼロ年代の百句という基準を当てはめれば、ここから残すのは19番だけでよいのでは。22番の尻取りも結構だけれど、別の髙柳氏が編んだ「日本海軍・補遺」というものもあるわけだし。なお、正木は、四句を削った代わりに、

地下鉄にかすかな峠ありて夏至

を追加しておく。地下世界の峠、天上世界の峠――ばらばらな両者をかろうじて統合する感覚がゼロ年代なのだ、ということにして。

24番、三橋敏雄の〈山に金太郎野に金次郎予は昼寝〉はママとする。

25番は、高野ムツオの〈卵より出る寂しさや冬の虹〉だが、名句集『蟲の王』からなぜこの句、という気分が拭えない。

その奥に鯨の心臓春の闇

に差し替えたいと思う。

26番、永末恵子〈水仙やしーんとじんるいを悼み〉は、いわゆる俗情との結託、であろう。感心せず。二〇〇三年に出た句集『ゆらのとを』から、

青鷺の奥へ奥へとねむる人

を採りたい。

29番、桂信子の〈亀鳴くを聞きたくて長生きをせり〉は、なんか嘘っぽくて好きになれない。境地ですらないポオズの俳句だね。『草影』には、〈雪たのしわれにたてがみあればなほ〉〈冬麗や草に一本ずつの影〉もあるし、句集以後では〈冬真昼わが影不意に生れたり〉がある。「亀鳴くを」を「冬真昼」に差し替えることにする。斬新とはいえないだろうが、まずまず“冬”が効いているだろう。

第四グループ
30 にはとりの血は虎杖に飛びしまま 中原道夫
    『不覺』〇三年六月 角川書店
31 寂しいと言い私を蔦にせよ 神野紗希
    『星の地図』〇三年八月 まる工房
32 來たことも見たこともなき宇都宮 筑紫磐井
    『セレクション俳人 筑紫磐井集』〇三年十月 邑書林
33 気絶して千年氷る鯨かな 冨田拓也
    『青空を欺くために雨は降る』〇四年三月 愛媛県文化振興財団
34 天の川ここには何もなかりけり 
35 うごかざる一点がわれ青嵐 石田郷子
    『木の名前』〇四年六月 ふらんす堂
36 帰る鳥翼ふれあふことあるか 
37 木の実落つ誰かがゐてもゐなくても 
38 まだもののかたちに雪の積もりをり 片山由美子
    『風待月』〇四年七月 角川書店

30番の中原道夫〈にはとりの血は虎杖に飛びしまま〉、31番の神野紗希〈寂しいと言い私を蔦にせよ〉、32番の筑紫磐井〈來たことも見たこともなき宇都宮〉は、いずれも穏当な選だと思う。よってママとする。

冨田拓也は、33番〈気絶して千年氷る鯨かな〉、34番〈天の川ここには何もなかりけり〉、さらに96番〈木の中のやはらかき虫雪降れり〉と三句が採られているが、34番一句のみにする。34番は、ゼロ年代百句選ならぬゼロ年代十句選にでも入ってよい句だ。時代がよく出ているから。

ところで冨田拓也といえば第一回の芝不器男俳句新人賞で登場したわけだが、本賞の冨田以外では関悦史が城戸朱理奨励賞、神野紗希が坪内稔典奨励賞を受賞しているのも目覚しいことだ。彼らのようには目立たないが、「小熊座」でその後も堅実に活動を続けている佐藤成之は齋藤慎爾奨励賞。応募作の中に、

かあさんはぼくのぬけがらななかまど

があって驚かされた記憶がある。これ、選入したい。さらに、第二回の不器男賞についていえば、本賞の杉山久子は後出。以前、杉山以外の一次予選通過者の応募作品もひととおり読んだことがあるが、瞠目したのが大石悦子奨励賞のことりであった。すわ、自由律ニューウェイブかと思って興奮した記憶がある(これを奨励賞にした大石悦子の大胆さに驚く)。深いわけでも巧いわけでもないが、すばらしくナマであると思う。その後は神戸から出ている「六花」誌に所属して、今ひとつ面白くない有季定型句を作っているようだ。それはともかく、一瞬のものだったとしても、このアールブリュット的爆発を記念して一句採録したい。迷うが、

夏をくひとめたいか蝉がまだ鳴く

にしよう。つづいて石田郷子。三句採られている。『木の名前』はすぐれた句集だから順当としても、そこをこらえて一句にする。35番〈うごかざる一点がわれ青嵐〉、36番〈帰る鳥翼ふれあふことあるか〉、37番〈木の実落つ誰かがゐてもゐなくても〉のうちでは、37番は低調で百句選に採るようなものではないだろう。35番、36番は結構だけれど、例えば、

ことごとくやさしくなりて枯れにけり

の方が心が深いか。こちらにしよう。

38番は、片山由美子の〈まだもののかたちに雪の積もりをり〉である。『風待月』では他に、〈しぐるるやほのほあげぬは火といはず〉〈空蝉やいのち見事に抜けゐたり〉などが目につく。しかしまあ、「まだものの」でよいのだろう。

第五グループ(40、41、42、43、44は検討済)
39 こののちは秋風となり阿修羅吹かむ 大石悦子
    『耶々』〇四年九月 富士見書房
45 ゆるむことなき秋晴の一日かな 深見けん二
    『日月』〇五年二月 ふらんす堂
46 万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 奥坂まや
    『縄文』〇五年三月 ふらんす堂 
47 樹下の椅子偶数なれば風死せり 
48 神護景雲元年写経生昼寝 小澤實
    『瞬間』〇五年六月 角川書店
49 目覚めるといつも私が居て遺憾 池田澄子
    『たましいの話』〇五年七月 角川書店
50 人類の旬の土偶のおっぱいよ 
51 バナナジュースゆっくりストローを来たる 
52 戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ 

39番は大石悦子の〈こののちは秋風となり阿修羅吹かむ〉である。所収句集の『耶々』では、むしろ〈口論は苦手押しくら饅頭で来い〉の方が記憶に残っている。とはいえ、前者は「こののちは」が思わせぶりだし、後者は面白くともそのうかれようはどこか真実味が薄い。で、わたくしも阿修羅好きなのでここは高柳の選に従い39番はママとする。

深見けん二は、当方には今ひとつ真価がわかりにくい作者だ。45番はその深見の〈ゆるむことなき秋晴の一日かな〉である。髙柳自身が述べる「従来の表現史のうえに新しいものを付け加えている句」という選句基準とどう整合するのかよくわからない。同じくわからないとしても、

日陰より眺め日向の春の水

の方がより濃やかな詩情を感じさせる。よってこの句に差し替える。さて、深見は一九二二年生まれで山口青邨門であるが、一九二一年生まれと全くの同世代で同じく青邨門の小原啄葉が、この百句選には漏れている。二〇〇〇年に出た『遥遥』にある

海鼠切りもとの形に寄せてある

は傑作だろう。これこそゼロ年代って感じです。是非、追加しましょう。

46番の〈万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり〉と47番の〈樹下の椅子偶数なれば風死せり〉の二句は奥坂まや。47番は面白がらせ方に中途半端なものがあるのではないか。よって46番のみに。

48番は小澤實の〈神護景雲元年写経生昼寝〉で、これは一句を漢字だけで表記しているところで選ばれたものだろうか。正木ゆう子の〈ヒヤシンススイスステルススケルトン〉の片仮名表記、田中裕明の〈みづうみのみなとのなつのみじかけれ〉の平仮名表記と三幅対とするのが髙柳の意図かと推察する。それはともかく、「神護景雲」の句は、蕪村以来の詠史の句の流れにあって、シャープかつとぼけた味わいに掬すべきものがある。よってママ。

続いて池田澄子が四句。49番〈目覚めるといつも私が居て遺憾〉、50番〈人類の旬の土偶のおっぱいよ〉、51番〈バナナジュースゆっくりストローを来たる〉、52番〈戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ〉である。不思議なのは51番のような句をなんで百句選に採るのかだ。49番は池田の代表作のひとつかも知れないが、ここで当方の独断と偏見を発揮させていただく。要するにさほど好きではないので外す。よって、池田は50番と52番の二句を残す。50番はゼロ年代の代表句のひとつだろうし、戦争詠・時事詠が多い短歌百首選への対抗上も52番は欠かせない。「近眼鏡」の具体性がなんとしてもすぐれている。さて、ここで池田澄子が、三橋敏雄とならんで尊敬していた山本紫黄から一句を採っておきたい。二〇〇七年、亡くなるのとほぼ同時に出た『瓢箪池』にある、

牛乳飲む片手は腰に日本人

実景としてはもちろん現在でもある光景であろうが、むしろゼロ年代には失われた何事かが詠まれているのであろう。

第六グループ
53 日輪の燃ゆる音ある蕨かな 大峯あきら
    『牡丹』〇五年八月 角川書店
54 土佐脱藩以後いくつめの焼芋ぞ 高山れおな
    『荒東雑詩』〇五年八月 沖積舎
55 秋簾撥(かか)げ見るべし降るあめりか 
56 麿、変? 同
57 綿虫のとほりし跡のあかるかり 鴇田智哉
    『こゑふたつ』〇五年八月 木の山文庫
58 十薬にうつろな子供たちが来る 
59 わが額に師の掌おかるる小春かな 福田甲子雄
    『師の掌』〇五年八月 角川書店
60 加速するものこそ光れ初御空 五島高資
    『蓬莱紀行』〇五年十二月 富士見書房
61 百合鷗よりあはうみの雫せり 対中いずみ
    『冬菫』〇六年四月 ふらんす堂
62 死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 藤田湘子
    『てんてん』〇六年四月 角川書店

53番、大峯あきらの〈日輪の燃ゆる音ある蕨かな〉は立派な句なのでママ。 

54番〈土佐脱藩以後いくつめの焼芋ぞ〉、55番〈秋簾撥(かか)げ見るべし降るあめりか〉、56番〈麿、変?〉と、高山れおなが三句。これも一句にする。55番か56番だが、稀少な時事詠であり、時事詠として特殊な詠みくちを持っているということで55番を残すことにする。もちろん九・一一テロを苦心惨憺して詠んだもの。そして同時多発テロといえば、なかはられいこが、

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ

と、傑作を作っている。なかはらは柳人なれど、わたくしは柳俳一如の筑紫磐井の弟子なので百句選に採るのはノープロブレムである。「逸」という雑誌で引用されているのを見たもので、初出は不詳ながら二〇〇一年か二〇〇二年の作のはずである(※)

57番〈綿虫のとほりし跡のあかるかり〉と58番〈十薬にうつろな子供たちが来る〉で、鴇田智哉が二句。これも一句にしぼる。58番を残すことにしよう。

59番は福田甲子雄の〈わが額に師の掌おかるる小春かな〉である。しかし、個人的な関係性に強く依拠した、かような句をゼロ年代の代表百句に採るのはなぜか、理由が見えない。この師も弟子も有名な人たちではあり、ゆえに俳壇人には或る感銘を与えないわけではないという機微はわかるが。『師の掌』ではなく、その前の句集『草虱』にある

葈耳を勲章として死ぬるかな

の反骨の方を採りたい。

60番は五島高資の〈加速するものこそ光れ初御空〉である。この句が載る『蓬莱紀行』より、ひとつ前、二〇〇一年に出た『雷光』の方が佳い句集だったように思うし、実際、〈山藤が山藤を吐きつづけおり〉〈口開けて叫ばずシャワー浴びており〉など、人口に膾炙した句はそちらにある……が、60番も悪くはないようなのでママとする。

五島高資とわたくしは、一九九三年に出た『燿―「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』というアンソロジーに一緒に入集したことがある。『燿』には前出の宮崎斗士も参加していたし、他に佐藤清美や水野真由美もいた。今は「鬣TATEGAMI」所属の佐藤・水野からも一句ずつ採りたい。佐藤は、昨年出た『月磨きの少年』所収の

降るは光八月六日九日と

で決まりだろう。水野は、一昨年の『八月の橋』から、

国よりも旗よりも美(は)しき馬の貌

61番は対中いずみの〈百合鷗よりあはうみの雫せり〉で、もちろん悪くはないのだが、「あはうみの雫せり」みたいな面白がらせ方は、手口が見え透いて感じられもする。ベターな作を探ると、〈道濡れてひかりそめたる初櫻〉もあるが、

今年藁夜空を白き鳥ゆけり

で、どうか。現代短歌で同じテイストを得るためには、どれほど全身をぐにゃぐにゃくねくねさせねばならぬことか。それをかくもさらっと詠めてしまうのが、俳句の強みならん。

62番は、髙柳克弘の亡師である藤田湘子の〈死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ〉である。遺句集となった『てんてん』所収。その前の『神楽』の充実に及ばないのはやむを得ないとして、たしかに「死ぬ朝は」の句などは中では佳い方であろう。ただ、髙柳が師弟の関係性からしてもこの句に思い入れを持つのは当然だけれど、こちらは弟子ではないので、
伊予にゐてがばと起きたる虚子忌かな

あたりを推したいわけである。

第七グループ(66は検討済)
63 年玉で銀行建てん國建てん 高橋睦郎
    『遊行』〇六年六月 私家版
64 金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ 八田木枯
    「俳句研究」〇六年七月号
65 初山河一句を以つて打ち開く 長谷川櫂
    『初雁』 〇六年九月 花神社
67 夏の蝶檻の内かとふと思ふ 井越芳子
    『鳥の重さ』〇七年九月 ふらんす堂
68 死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽舟
    「鷹」〇七年十一月号
69 ロボットも博士を愛し春の草 南十二国
    「鷹」〇八年五月号
70 少女みな紺の水着を絞りけり 佐藤文香
    『海藻標本』〇八年六月 ふらんす堂
71 (からかさのねばり開きや谷崎忌 山上実樹雄
    『晩翠』〇八年七月 角川書店
72 妖精にお尻ありけりさくらんぼ 小島健
    『蛍光』〇八年八月 角川書店
73 帰りたし子猫のやうに咥へられ 照井翠
    『雪浄土』〇八年八月 角川書店

63番は高橋睦郎の〈年玉で銀行建てん國建てん〉だが、これはお年玉を貰った子供が銀行ごっこをするということ? そんなややこしい遊びはしたことがないので受け取りかねる。諧謔を狙って滑った句のように思えるのだが。『遊行』から採るなら、〈八月の山悲しめりぎらぎらと〉〈山めぐる姥は時雨の名なりけり〉〈花散るやどぶの息して男(をのこ)ども〉〈火の如き木枯見たり厠窓〉など、重厚な詠みぶりの佳作が幾つもある。ここでは、

恋の闇来にけりけりと遠蛙

を選入しよう。文語助動詞の「けり」と蛙の鳴き声のオノマトペとが掛け言葉になっているわけだが、「恋の闇来にけり」という普遍的でもあれば根源的でもある認識が句の根底にあるから、言葉遊びには終わらない仕組みである。

ところで、自由詩・短歌・俳句の三詩型の遊行者・高橋睦郎が、現代の詩歌の最高の成果と評価したのは、二〇〇三年に出た安井浩司の『句篇――終りなりわが始めなり――』であった。安井はさらに『山毛欅林と創造』も出しており(しかも両句集とも収録一千句を超える)、ゼロ年代にあっても質量ともに屈指の仕事ぶりを見せている。その安井を完全に無視して、田中裕明から八句も採る髙柳の選はどう考えてもバランスを欠いているだろう。『句篇』の方から二句だけ採ります。

老農ひとり男糞女糞を混ぜる春
万物は去りゆけどまた青物屋

今や安井浩司の一の郎党といった感じの志賀康も、ゼロ年代に入って屈強な句作りを続けている。第二句集『返照詩韻』から、

木守柿万古へ有機明かりなれ

を採ることにしよう。それから志賀の仲間である九堂夜想も追加しておく。『新撰21』には入っていない

死に顔へ海市はこばれゆく夜会(ソワレ)

の不吉なうかれ気分は、さすがにかつての前衛俳句とは一味違う文体を獲得しているようだ。

64番は八田木枯の〈金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ〉であるが、『夜さり』という世評高い句集もあるのに、さしたることもない句をわざわざ雑誌から拾う必要もないことだ。『夜さり』所収の

櫻見にひるから走る夜汽車かな

でよいと思う。

65番は長谷川櫂の〈初山河一句を以つて打ち開く〉である。句集『初雁』の帯に大書されていたから自讃句なのであろう。作者本人が悦に入るのは勝手であるが、こんなのが当代の代表百句に入ってきた日には、俳人というのは知性も慎みもない奴らなのね、と思われても仕方がない。『初雁』から採るなら、

したたかに墨を含める牡丹かな

あたりの耽美主義が、角川春樹の(めつむ)れば紅梅墨を滴らす〉(『信長の首』)のような先蹤こそあれ、まずは無難ではなかろうか。と、ここで名の出た角川春樹、高柳百句選には入集していない。『流され王』や『補陀落の径』を読むことで俳句をはじめたものとしてはいささか寂しい。なるほど、近年の春樹は句作りがいよいよラフになっていて採りにくいのは確かであるが。中で、『JAPAN』(二〇〇五年)にある〈日本を唄ふ長渕蠅を打て〉なんかにも心ひかれるけれど、結局、句の格からして『いのちの緒』(二〇〇〇年)所収でかねて愛誦の

露地に棲む神武天皇さんま焼く

を採ることにする。

67番は井越芳子の〈夏の蝶檻の内かとふと思ふ〉であるが、この句そしてこの作者はゼロ年代百句選に是非とも必要なのであろうか。平凡な作り手に思えるのだが。というわけで、まったく唐突ながら井越の句を採るのはやめて、対馬康子の

初雪は生まれなかった子のにおい

を、代わりに選入したい。

つづく68番は小川軽舟で、〈死ぬときは箸置くやうに草の花〉。小川はさらに75番でも〈実(じつ)のあるカツサンドなり冬の雲〉で登場する。なにしろゼロ年代になってから『近所』『手帖』と二冊の句集を出しているのだから選句の材料には事欠かない。が、すでにおわかりのように、当方は一人一句を原則にしているので、ここは68番を削って75番のみを残すことにする。

69番はその小川の弟子である南十二国〈ロボットも博士を愛し春の草〉。「春の草」を可能な限り利かせて読むということなのだろう。「春の暮」だったら話にならないところ、「春の草」でぎりぎり成り立っている句。が、それはそれ、百句に入れるほどでは……ということで削ります。

70番は佐藤文香の〈少女みな紺の水着を絞りけり〉で、これはザ・ゼロ年代俳句のひとつゆえもとより異議はない。これと少女つながりで、大牧広の

夏の少女が生態系を乱すなり

を追加しておきたい。「生態系」などという言葉をうまく使ったものだ。大牧の、総じて格調高くない詠みぶりが、内容にフィットしたのがよかった。

71番は山上樹実雄『晩翠』より〈傘(からかさ)のねばり開きや谷崎忌〉で、「ねばり開き」には唸らされる。しかし、「谷崎忌」に示されたベクトルはこの百句選にはふさわしくないと思うのだが如何。山上は、ひとつ前の句集『四時抄』(二〇〇二年)に、

咳をして死のかうばしさわが身より

という、老醜を描いた凄まじい傑作がある。これですよ、これ。でもって、髙柳百選には入っていない草間時彦にも登場して貰おう。

年寄は風邪引き易し引けば死す

これぞゼロ年代の高齢化社会に相応う、死のフーガにして風雅だろう。出典は『瀧の音』(二〇〇二年)。

72番は、小島健〈妖精にお尻ありけりさくらんぼ〉。うーん、うーん、うーん。まあ、可愛いけど、この程度の見立て俳句をこの十年の代表百句に入れなくてはならないのかな、ほんとに。で、別の候補を探りたいのだが、当方は小島の句集類を所持せず。よって、作者ごと入れ替えることにする。名前が二文字共通する田島健一の、

さくら葉桜ネーデルランドのあかるい汽車

でどうだ。句もちゃんとさくらつながりにしてあります。同じ幼なぶりでも、こちらの方が三枚くらい上わ手だと思うが。まあ、これじゃあまりにアベカンだ、との批判はあろうが。

次は73番、照井翠の〈帰りたし子猫のやうに咥へられ〉。よいのではないでしょうか。

第八グループ(75、81は検討済)
74 筆談は黙示に似たり冬木立 綾部仁喜
    『沈黙』〇八年九月 ふらんす堂
76 百合の実のつめたさに猫とむらひぬ 杉山久子
    『猫の句も借りたい』〇八年十月 まる工房
77 ガーベラ挿すコロナビールの空壜に 榮猿丸
    「俳句」〇八年十一月号
78 煙突にあはれ枝なき良夜かな 眞鍋呉夫
    『月魄』〇九年一月 邑書林
79 セーノヨイショ春のシーツに移さるる 川崎展宏
    「俳句研究」〇九年春の号
80 「クローンは君」と囁く天道虫 津田清子
    「俳句研究」〇九年春の号
82 台風がいすわるウィトゲンシュタインも 坪内稔典
    『水のかたまり』〇九年五月 ふらんす堂

74番は綾部仁喜の〈筆談は黙示に似たり冬木立〉。出典の『黙示』は、喉の切開手術をして声を失なうという状況下で詠まれた句を集めた境涯句集であり、74番は綾部がおかれた状況を端的に現わした作であろう。が、一句として評価できるかというとまた別で、筆談が黙示だというのはあまりにも当たり前すぎる。当たり前をあえて句にすることで生じるおかしみや驚きもない。この句集には、〈一卓にひと隔てたる夜の秋〉〈たくさんの音沈みゐる冬の水〉〈声声の叫び走れる落花かな〉〈白菊に生者の顔が触れにけり〉〈乾坤に瞠いて花おくりけり〉〈草木より人傾ける夕立かな〉など、佳作は少なくない。ここでは、

たくさんの音沈みゐる冬の水

に差し替えることにする。続いては76番、杉山久子の〈百合の実のつめたさに猫とむらひぬ〉である。第二句集『猫の句も借りたい』からの採録で、これも悪くはないにしても、まず出来た取り合わせの句以上ではないだろう。やはり第一句集『春の柩』(二〇〇七年)から引くべきではないか。佳作はいくつもあるが、

あをぞらのどこにもふれず鳥帰る

が、繊細さとスケール感を兼ねていてこの場合にはよいかと思う。77番は、榮猿丸で〈ガーベラ挿すコロナビールの空壜に〉である。個人的好みからすると同じ「挿す」なら〈炎天のビールケースにバット挿す〉の方が好きだし、〈枯園にライトバン来ぬさぼるため〉のうらぶれぶりもなかなかだと思うが……しかし、77番が悪いわけでもないのでママとする。78番は眞鍋呉夫の〈煙突にあはれ枝なき良夜かな〉。これは文句なし。

79番は、〈セーノヨイショ春のシーツに移さるる〉で、作者は川崎展宏。川崎は、100番〈両の手を初日にかざしおしまひか〉にも登場。どちらも言葉の転調のさせ方が惚れ惚れする程みごとだが、これも雑誌からではなく、二〇〇三年の句集『冬』からの採録でよいのではないか。この百句、なお時事詠・戦争詠が少ないから、

歳月や地獄も霞む硫黄島

を選入して重くしておきたい。〈日米合同の最後の慰霊式(平成十二年三月十四日)〉と前書があり、さらに〈テレビで知る。生き残った者も遺族も老いて。〉と左注するが、省いても意は充分に伝わる。平成十二年とはまさに二〇〇〇年のことだ。「地獄も霞む」は、地獄の日々が歳月のかなたに霞むということと、そこが硫黄の瘴気に霞む地獄のような場所であるということが言い掛けられている。コンパクトな俳句的語法が、端的かつ痛烈。重くするということではさらに、柚木紀子を追加しておく。

未完に似ませ原爆ドーム風花

句集『曜野』(二〇〇七年)にある「ヒロシマ 十九句」の末尾の句である。柚木はもともと青邨門だが、今は「海程」にも所属していて、この句などは「海程」風が効果をあげているようだ。「未完に似ませ」のフレーズがとにかくすばらしい。心の深い句。

80番は津田清子の〈「クローンは君」と囁く天道虫〉で、クローンなどを俳句にしようとする津田の果敢さは立派だが、この句自体は成功していなだろう。残念ながら当方、ゼロ年代の津田作品の情報の手持ちがほとんどなく、ここは作者ごと入れ替えざるを得ない。津田と同じ昭和戦前生まれ女子のうち、髙柳百句選には黒田杏子が入っていない。『花下草上』所収の

涅槃図をあふるる月のひかりかな

などよいのではないか。クローンから涅槃図では、素材的には大後退だがやむなし。物足りない程の単純な表現と見えて、味わいは深い。次は82番で、坪内稔典の〈台風がいすわるウィトゲンシュタインも〉だが、当方にはどうもフィットしない。そもそもこの句が載る『水のかたまり』(二〇〇九年)より、前句集の『月光の音』(二〇〇一年)の方が出来はよかったと思う。中でも個人的には、「鬼たちの風景(二〇句)」という連作が好きである。〈空じゅうが天鬼(てんき)の目玉お正月〉〈雰囲鬼(ふんいき)という鬼もいる風車〉といった作り方で、〈死鬼たちが俳句をひねる冬木立〉などとシャレのきつい作もある。その連作から、

きさらぎの空鬼(くうき)の首に触ったよ

で、どうだろうか。さて、坪内が登場したところで、関西方面の作者で、髙柳の百句選に漏れている人たちをフォローしておく。まずは故人で、岡井省二。最後の句集『大日』が二〇〇〇年の刊行なのでぎりぎりセーフ。おもろい句ぎょうさんありますけど、

破芭蕉べらぼうに顎外れたる

が、短歌には真似できないべらぼうに俳句な俳句であると思う。さて、岡井の弟子では、先日、当ブログでも句集『阿字』を紹介した男波弘志がいる。

だんだんに梵字が読めて瓜を揉む

と、師匠ゆずりの放埓ぶりである。

一方、茨木和生は、『往馬』(二〇〇一年)、『畳薦』(二〇〇六年)、『椣原』(二〇〇七年)、『山椒魚』(二〇一〇年)と、ゼロ年代の十年間に四冊も句集を出している。質は高くぶれはなく、しかし、一句がピンで立たない感じがして、つまりアンソロジー向きの作者ではないのだろう。それを承知で、

(う)でもんといふは内臓(うちもん)薬喰

第八句集の『畳薦』より。

次は鈴木六林男門の久保純夫か。久保は二〇〇三年に『比翼連理』、二〇〇五年に『光悦』と句集を二冊出している。独特のエログロ俳句の作り手で、とりわけ『光悦』所収の

頭には男根生やし秋の暮

は、中年男子のセルフイメージとして容赦がない。高橋修宏も同じく六林男門で、久保の影響も強く受けている作風だ。政治的モティーフを詠もうとして失敗することも多いが、

すめらぎのすきまだらけの芒かな

は、頭韻が効果をあげている。久保や高橋が以前出していた同人誌「光芒」にいた曾根毅は、今のところ句集もなく、作品全体の水準も高くはないが、

鶴二百三百五百戦争へ

のみは、完璧な様式美とサタイアを一致させた稀有な成果となっている。作者としてではなくあくまで一句として採る。関西ではあと京都の竹中宏を忘れてはいけない。

わらうて呑みこむ山盛り飯か夜櫻は

二〇〇三年の句集『アナモルフォーズ』の巻頭句。この句集の読み方については、関悦史が当ブログの九十二号で論じた。これ以上にわかりやすい説明はこれまでなされていなかったはずで、是非、そちらをご参照いただきたい。

第九グループ(84は検討済)
83 いくつもの船がこはれて春をはる 今井杏太郎
    『風の吹くころ』〇九年六月 ふらんす堂
85 毛布からのぞくと雨の日曜日 加藤かな文
    『家』〇九年八月 ふらんす堂
86 桃の木の脂すきとほる帰省かな 山西雅子
    『沙鷗』〇九年八月 ふらんす堂
87 現れて一歩一歩や秋の海女 岸本尚毅
    『感謝』〇九年九月 ふらんす堂
88 日沈む方へ歩きて日短 同
89 全人類を罵倒し赤き毛皮行く 柴田千晶
    『赤き毛皮』〇九年九月 金雀枝舎
90 初雀来てをり君も来ればよし 相子智恵
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
91 冬の金魚家は安全だと思う 越智友亮
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
92 人類に空爆のある雑煮かな 関悦史
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
93 エロイエロイレマサバクタニと冷蔵庫に書かれ 

83番は、今井杏太郎の〈いくつもの船がこはれて春をはる〉だが、なにやら腰高でふらふらした句だ。そもそも当方は今井杏太郎の作風に好感しておらず、高柳が選句基準にいうところの「外部」に対しては存在を隠したいくらいである。これに代わる、腰が低くきまった好作として、矢島渚男の

短日や西へ灯す秋津島

を推薦したい。韻律は古風だし、こうした俯瞰構図は蕪村に先例があると言われそうだ。しかしそれは蕪村の感覚が突出していたのであって、このパノラミックな視線はやはり当世風としてよろしかろう。

84番が加藤かな文の〈毛布からのぞくと雨の日曜日〉、85番が〈桃の木の脂すきとほる帰省かな〉と、岡井省二門がならぶ。今井に続き加藤も個人的にはどうかと思っている作者。髙柳の百句選には、加藤とは同年輩の中岡毅雄が入っていないが、作品の質も量も加藤よりずっと上である。加藤の『家』と同じく昨年出た『啓示』から、

とととととととととと脈アマリリス

を採りたい。山西雅子は85番も悪くないが、髙柳自身の〈うみどりのみなましろなる帰省かな〉に似すぎていよう。似ていてもいいのだけれど、比較すれば髙柳の句の方が印象鮮明で華がある。山西にはどうせなら、視線の細かさを生かしたより純粋な自然詠を受け持っていただきたいもの。

貝殻の色して茸せりあがる

はどうだろうか。さて、87番〈現れて一歩一歩や秋の海女〉と88番〈日沈む方へ歩きて日短〉は岸本尚毅。一句にしたいので88番はやめ、87番のみ残す。「現れて」が近年の岸本の句を読む上で重要なキーワードであることは、山口優夢や関悦史が指摘している。それにしてもこの句の疲労感はただごとではない。

89番は〈全人類を罵倒し赤き毛皮行く〉で、作者は柴田千晶。異議なし。ここで柴田とは「街」誌の仲間ということになる、小久保佳世子『アングル』、西澤みず季『ミステリーツアー』からも採録をしておきたい。どちらも今年の一月に出たばかりの句集である。〈現代都市風俗や時代批判の要素が際立つ。〉というのは『ミステリーツアー』を書評した関悦史の言葉で、柴田・小久保も含めて三者共通の特徴であろう。小久保は、

謝る木万歳する木大黄砂

の文明批評を、西澤は、

大西日ミステリーツアーのバス連なる

の風俗性を採ることにする。〈商業企画に過ぎないいかにも浅薄な「ミステリーツアー」との対比で「大西日」のなかに連なる「バス」の大振りな量感がざっくり掬われ、そこはかとなく虚無も漂う参加者たちの気分の浮き立ちが下塗りのように透けて見えて、これは現代ならではの旅情を描いた佳句ではないか。〉とは、後者についてのこれも関悦史の評言。

90番は相子智恵で、ここからしばらく『新撰21』からの採録が続く。相子が採られているのは、〈初雀来てをり君も来ればよし〉で、これはもちろん相子らしい佳い句だが、ここはもう素直に、現時点での代表作と目される

一滴の我一瀑を落ちにけり

でよいのではないか。91番は、越智友亮の〈冬の金魚家は安全だと思う〉で異議なし。92番は〈人類に空爆のある雑煮かな〉、93番は〈エロイエロイレマサバクタニと冷蔵庫に書かれ〉で、いずれも関悦史。一句残すなら、大胆な破調が黒い哄笑をひきおこす93番であろう。

第十グループ(96、100は検討済)
94 原子心母ユニットバスで血を流す 田中亜美
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
95 焼跡より出てくるテスト全部満点 谷雄介
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
97 ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり 村上鞆彦
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
98 あぢさゐはすべて残像ではないか 山口優夢
    『新撰21』〇九年十二月 邑書林
99 酔ひし父引きずる運動会前夜 今井聖
    「俳句研究年鑑2010」「俳句研究」一〇年一月

94番は田中亜美の〈原子心母ユニットバスで血を流す〉。これも面白いけれど、ここは個人的好尚を押し通して、

雪・躰・雪・躰・雪 跪く

にさせていただく。文体的にもこちらの方がエッジが利いている。もちろん、当方がロック(というか音楽一般)を全く聴かない人間であるのが、「原子心母」に若干不利に働いている。95番の〈焼跡より出てくるテスト全部満点〉は、谷雄介の作品。異議なし。97番は、村上鞆彦の〈ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり〉で、佳品ではあっても、構図がやや図式的なのと感傷的なのとが気になる。感傷の中にもワンダーがある

枯蟷螂人間をなつかしく見る

に差し替えることにする。98番は山口優夢で、〈あぢさゐはすべて残像ではないか〉。よいのではないでしょうか。さて、99番であるが、今井聖の〈酔ひし父引きずる運動会前夜〉。済みませんが、状況がわかりません。いや、わからなくたっていいのだ、作者が九堂夜想なら。しかし、今井聖のような作風で意味が通じないのは、基本的には失敗作ということだろう。やむなく二〇〇七年に出た『バーベルに月乗せて』をチェックするも、採りたい程の作がない。ここは弟子に席を譲って貰うことにする。北大路翼の

たましひの寄り来ておでん屋が灯る

いのちのはてのうすあかり、にはさすがに及ばないとしてもかなり佳い句だと思う。さて、髙柳選の百句の検討はこれで終りである。だいぶ削ったので、百句まであと二句を付け加える余裕がある。まず、一句は恩田侑布子『振り返る馬』(二〇〇五年)から、

初夢のくちびるに来し檜の秀

檜の先端が口元にくるほどに巨人化していたのか、あるいは空を飛んでいたのか。夢だから、巨大な女神にでもなんでもなれるわけだ。恩田流の新古今美学のひとつの達成だろう。今回の作業を続けている途中までは、トリは西原天気人名句集『チャーリーさん』(二〇〇五年)にある〈とある日の全句にビートきよし臭〉か、と思っていた。しかし、実際に最後まできてみると、あまり皮肉なことはしたくなくなった。で、探ったのは津沢マサ子の句集。

枯れふかく深くわが名を書いており

を見つけた。もちろん、「わが名」に限らず、“書く”ことへの覚悟を詠んでいる。『津沢マサ子俳句集成』(二〇〇六年)の「『0への伝言』以後」の章にある。『0(ゼロ)への伝言』は二〇〇四年十二月刊行だから、まぎれもなくゼロ年代の作ということになる。

以上で髙柳克弘編「ゼロ年代の俳句100選」のチューンナップは一巻の終り。高山改選版の一覧は、見やすいように別の記事にして掲げたのでご覧ください。

(*)週刊俳句 五月三十日号
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/05/6.html

(※)なかはられいこ作品の出典を不詳としたが、その後、湊圭史氏より川柳誌「WE ARE!」の第三号(二〇〇一年十二月刊)である旨のご教示があった。

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■関連記事

俳誌雑読 其の十五 「ゼロ年代の俳句100選」をチューンナップする(一覧篇)   →読む

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■関連書籍を以下より購入できます。



5 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

いえいえ、もう私など、「麿、変?」が入っていただけで許すという(笑)。『荒東雑詩』は実際ステキな句集です(はあと!!!) (アマゾンで中古5万円で出ていたのを見たときに、一瞬だけ売ろうかと考えてしまったことは内緒です(笑)。ちゃんと大事に時々読み返します。)

そうでなくとも、高柳さまもアレ選ぶのは相当大変だったとは思いますし。

でも労作ありがとうございました!面白いです。トミタク編はまた要望するにとどめ、(すみません、思いつきでこんなことばっかり書いちゃって)楽しませていただきました。

佐藤文香 さんのコメント...

どうもありがとうございました。面白かったです。感想が長くなったのでブログに書かせてもらいました。しかしまぁ私の場合は感想でしかございませんが。

http://819blog.blog92.fc2.com/blog-entry-548.html

湊圭史 さんのコメント...

なかはられいこさんの句、

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ

柳人・丸山進さんのブログによると、初出は
なかはられいこさんと倉富洋子さん編集の
「WE ARE 3号」(2001・12月発行)だそうです。
http://blog.livedoor.jp/ssm51/archives/51548878.html

高山れおな さんのコメント...

湊圭史様

御報せ有難うございます。WE ARE!はいただいているのですが、句の存在に気づいたのは他誌に引用されているのを読んでということのようです。

匿名 さんのコメント...

ことり(本名:鳥川昌実)です。
こちらに私の芝不器男俳句新人賞の際の大石悦子奨励賞作品を1、2句ならまだしも、余りに多く羅列されておられます。
私、ことりはそれを承諾致しました覚えは一切ございません。
批評はどのように書かれようが、こちらは全く頓着致しませんが、これほど大量の無断作品掲載は明らかに著作権の侵害になりますので、即削除等のご対応をお取り下さい。