2009年12月27日日曜日

俳句九十九折(63) 七曜俳句クロニクル ⅩⅥ・・・冨田拓也

俳句九十九折(63)
七曜俳句クロニクル ⅩⅥ

                       ・・・冨田拓也
12月23日 水曜日

邑書林の『新撰21』の竟宴へ出席。

普段は、滅多に人前に姿を現さない「引きこもり俳人」として、多方面から相当な顰蹙を買い続けている自分であるが、今回ばかりは流石に出席しないというわけにはいかないので、東京まで出掛けることにした。

新大阪駅から新幹線「のぞみ」に乗って東京へ。東京へ着くと、天皇誕生日ということで、道路など全体的にややものものしい雰囲気。そんな中を舗道の上の枯葉を踏みしめながら会場へ到着。

この日は、鼻炎の薬を服用していたため、その副作用から意識が半分朦朧とした状態となってしまい、いまひとつシンポジウムにおける重要な話をしっかりと聞くことや、参加者の方たちとのご挨拶や受け答えなどがまともにできない部分があり、そのことが少々悔やまれるところがあった。(まあ、薬を服用していなかったところで、同じようなものであったかもしれないが。)

また、今回は、いろいろな出来事や多くの人々に接することが多く、それゆえに記憶がやや混在、不確かなものとなっており、その内容については逐一よく覚えていない部分が少なくないのであるが、確か内容としては、シンポジウムの第1部が、筑紫磐井、小澤實、池田澄子の各氏が今回のアンソロジー誕生することになった経緯などについての話しで、その後に壇上に上げられた若手の俳人である北大路翼、松本てふ子、谷雄介、村上鞆彦の各氏がそれぞれにしっかりと質問に応えていたという記憶がある。そのときの印象を記すと、北大路翼さんからは「野獣系」、松本さんからは「度量の強さ」、谷雄介さんからは「図太さ(ゴキブリのような生命力の持主と称えられていた)」、村上鞆彦さんからは「牛若丸(のような気品)」といった言葉をそれぞれに連想するところがあった。

第2部は、高山れおな、関悦史、相子智恵、佐藤文香、山口優夢の各氏による討論。どれもなかなか簡単には済ませることのできない重い内実を孕んだテーマばかりで、その1が「形式」、その2が「自然」、その3が「主題」といった内容。やはりどの発言者の意見も相当レベルの高いもので、聞いていて圧倒されるところがあった。特に関さんという存在については、やはり一種の「ゴーレム」なのではないかという思いがするところがあった。このあたりの部分の内容については、どなたかがどこかで詳細に報告してくださることと思うので、ここでは自分の思い出せる範囲内で、いくつかの事柄について簡単に触れておきたい。

まず、その1の「形式」についてであるが、これは外山一機さんの論考をもとにした話し合いで、その論考の内容をものすごく大雑把に要約すると、もはや現在、俳句形式には新しい表現など残されておらず、過去のあらゆる成果を自らのものとして活用することが可能なだけである、といった内容のものということになる。

こういった意見については、自分は、現在70代の俳人の方から、いまから40年くらい前にも同じような言説が囁かれていたというお話をうかがったことがある。当時においても、最早すでに書くことがない、という意見は出ていたとのこと。また、この問題に対して現在の自分の個人的な考えとしては、俳句表現というものは、「全て」とは言わないが、やはりおよそ9割近くはすでに書かれてしまっているのではないか、という気もしないではないところがある(無論、自分のこの考えが果たしてどこまで正しいものであるか判然としないが)。

そして、この「既に俳句には新しい表現は残されていない」という意見については、どの発言者もおおむね単純には賛同し兼ねている様子であり、この問題をめぐっての発言の最後あたりに高山れおな氏が「自分もかつては同じような考えを持っていたが、このような方法によって句作を続けていると、自家中毒に陥る可能性がある」といった意味の発言をされていたのが非常に印象に残った。

しかしながら、これまでの作風とは異なる「新しいエクリチュール」とでもいうべきものを目指す、もしくは創出するとなると、実際のところ、多くの作者にとっては、当然ながらある程度の「才能」や単なる「努力」などといったものでは到底太刀打ちすることのできない現実的な壁に直面せざるを得なくなるといったケースも少なくないのではないか、という疑問も湧いてこないでもなかった。まあ、そういった成果をあげられるだけの才質を持つ少数の優れた作者の存在が新たな作風を切り拓くことによって、後続の作者たちもその作風を自らのものとして活用することが可能となり、またそこからその先の展望についても考えてゆくことが可能となるといった側面もあるのかもしれないが。

続いて、その2で取り上げられたのは「自然の問題」で、この問題についての討議の内容については、その内容が盛り沢山であったゆえ、いまひとつ詳しい部分についてまでははっきりと憶えていないところが多く、これから書く内容については誤っている箇所も少なくないかもしれないが、当日配られた資料と併せてなんとか思い出してみると、確か、自然そのものの存在がどんどん生活の場から駆逐されてゆく現在の状況に対して、これから俳句そのものが一体どうなってゆくのか。そして、そういった状況であるのならば、自然の存在しないこの現在の状況そのものを俳句としてそのまま表現すべきであるのか、また、そういった状況であっても俳句において「自然」を表現しようと思うのであれば、これからは現実とは無関係な「言葉」によってのみしか「自然」というものは表現できなくなるのか、といった問題が討議されていたような気がする。(あと他に吉本隆明の現在の若い詩人をめぐっての評価である、自然が全く存在せず得体の知れない「無」だけがある、といった意見に対する言及や、斉藤斎藤の短歌についての自然の有無などの鋭い言及があった。個人的には、確か吉本隆明の言語観というか詩歌に対する考えの根底には、折口信夫の日本の詩歌の発生論と解剖学者の三木成夫の植物と動物の関係をめぐる考察といったものが深く内在していて、それを基軸としての若手の詩人への評価ということではなかったか、という気もするところがあった。また、俳句と自然といった問題を考える際には、飯田蛇笏、飯田龍太、福田甲子雄の作品といったものをそれぞれに読んでみれば、なにかしらヒントとなるようなものが見つかるかもしれないという予感がするところがある。あと、「言葉」と自然の関係ということでは、平安時代の和歌は机上の作であったという事実や、連歌では実際の実感をそのまま言葉として表現することは「卑しい」こととされていたこと、また、蕪村の空想詠などといった存在が、次々と思い浮かんでくるところがあり、この俳句(もしくは詩歌)と自然をめぐる問題というものは、やはりそれこそ随分とややこしい問題を含んでいる、ということになるようである。こういった問題については少し考えてみただけでも、そもそも俳句には必ずしも自然(もしくは季語)の存在が必要であるのか否かという問題からはじまって、他には、実際に自然を眼前にして句作する方法と、題詠などの空想によって句作をする方法における差異や各々の長所と短所、また、季語と実際の自然を目の前にした場合における季感と実感のずれの問題、などといった様々な問題がいくつも思い浮かんできて、正直自分の手には負えないところがある。)

ともあれ、個人的には、現在こういった自然そのものが駆逐されてゆくといった問題が、俳句全体に及ぼす影響といったものはやはり小さなものではないという気がするが、この自然の欠落による弊害というものは、自分の考えでは、俳句の問題のみにとどまらず、実際の問題としてこれから「人体」そのものへと直接大きな影を投げかけてゆく結果となるといった可能性も少なくないのかもしれない、という思いがするところもあった。

現在、人間の多くは手つかずの自然の世界から離れ、都市という強固に整備された一応安全な環境の中で管理され暮らしているわけであるが、こういった現在の堅牢な都市環境の中においては、人が本来的に持っているはずの生命力というものが徐々に削り取られてゆく結果となってしまっているという側面もあることは否定できないところであろう。人間というものは、よくよく考えてみると、そもそもは「動物」であり、それゆえまさに「自然」の産物以外の何物でもなく、さらにいうなれば「もののけ」そのものということになるのであるが、そういった存在が、現在の都市という人工的な環境の中で管理され「自然」の環境から離れた安全ながらも生死ともにあやふやな状況の中で、生れてから死ぬまで(さらには何代にもわたって)生活を続けるということになった場合、生存本能そのものが機能しなくなってしまい、まるで鶏や魚の「養殖物」のように脆弱な個体へとなってゆくほかはなく、それが将来的に様々なかたちで「病気」として多くの人々の上に顕在化してくる可能性が高いのではないかという気がする。(実際に、現在、一応長寿国と見られているこの日本においても、天寿を全うした結果として訪れる「老衰」による死亡者というものは、100人の割合の中で僅か2人しか存在しないらしい)。

そして、これまでの歴史を省みても明らかなように、ありとあらゆる文明というものは隆盛をきわめたあと、宿命的に衰退し自壊へと向かう運命にあるという動かし難い事実があるが、そういった事態が否応なしに発生する要因のひとつには、おそらくこの「病弊」や「人の生命力の衰退」といったファクターが、文明というものが進んでゆくにつれて免れ難く人々の上に作用してくる結果となるゆえではないか、という風につねづね自分は考えている。歌人の林和清さんに〈銀杏のにほひの占める午後ふかく人も国家も内よりほろぶ〉といった短歌が存在するが、この1首の内容はまさしくこのような国家という文明社会の黄昏時における実質というものを、そのまま手摑みにした1首なのではないかという気がしてならない。

この「自然」そのものを駆逐してゆく「都市(文明)」主義というものが抱懐するその限界と病理については、人間という存在そのものがその生誕の時点から「自然」的な側面と「反自然」的な側面というやや矛盾した要素をその内側に併せ持っていたがゆえの免れ難い問題ということになるのかもしれない。

そして、このような現在のやや危機的ともいえる状況の中で、俳句における「主題」(その3のテーマ)というものが、俳句作者にとって大きく眼前に迫り出してくる局面があるとするならば、やはり、多くの個人にとって不可避となる可能性の高い「重い病気」や「貧窮」などといった情け容赦のない「現実」そのものの持つ強大な力というものが直接降りかかってきた時ということになるのかもしれないな、などといったことを、今回のシンポジウムの話を聞きながら、ぼんやりと考えた。

そのあとの、第3部で、高柳克弘さん、神野紗希さん、田中亜美さんや生野毅さんなどが色々と発言をされていたような記憶があるが、その内容について聞きそびれてしまうところがあり、その発言内容についてはいまひとつ思い出せないところがある。あと、「結社と個人」といった内容について、自分も少し喋らせていただいたのだが、いまから考えると、やや偉そうな内容の発言をしてしまったような気がして、少し冷汗が出るようなところがある。あと、「第二芸術論」についての話も少しばかり出たような気がするが、こちらも具体的な内容についてはしっかりとは覚えていない。(確か、田中亜美さんが俳誌「翔臨」において、「第二芸術論」について論じたのでそちらを機会があれば読んでみてください、といった内容の発言だったと思う。)

その後はパーティーで大きな句会のようなものがあり、自分も投句したのであるが1度も選ばれず、がっかり。また、今回3句を選ぶという選者も務めさせていただいたのであるが、上田信治さんと外山一機さんの句(もう一人の方についてはお名前を失念してしまった)を選ぶことが出来て、すこし安堵するところがあった。

しかしながら、表現者というものには、やはり少々尋常でないところがあるというか、それこそいろいろな方がいらっしゃるなという思いが、今回ほどしきりにすることはなかった。詩人の小笠原鳥類さん(喋っている内容がほとんどモノローグに近い)や、怪奇小説家で俳人(「豈」所属)の倉阪鬼一郎さん(髪の毛を染められていて、それだけならばまだしも、肩の上に黒猫のぬいぐるみを乗っけておられた)等々。

あと、今回は高柳克弘さんのおかげで、歌人の黒瀬珂瀾さんにもご挨拶することができた。他にも、鴇田智哉さんや、榮猿丸さん、九堂夜想さん、中村安伸さん、田島健一さん、橋本直さん、矢野玲奈さん、さいばら天気さん、酒井佐忠さん、堀本吟さん、樋口由起子さん、櫂未知子さん等々、結構大変な人達に直接に会うこととなり、なかなか吃驚してしまうところがあった。また、ご挨拶をしそびれてしまった方々も少なくなく、その点がなんとも心残りであった。

しかしながら、倉阪鬼一郎さんといえば、思えば『夢の断片、悪夢の破片』(同文書院 2000)に所載の俳句に関する文章や、『幻想文学』(アトリエOCTA)という雑誌に連載しておられた俳句の書評コーナーなど、自分が俳句をはじめたころに随分と熱心に読んでいたという記憶があるが、そんな方に実際にお目にかかる日が来ようとは思いもよらないことであった。

小笠原鳥類さんにしても、『素晴らしい海岸生物の観察』(思潮社 2004)所載の「虹色濃湯、ながれ」などといった現代詩における傑作を、若くしてすでに自らのものにした詩人であり、そういった方と実際にお会いしたりしているのであるからつくづく驚く他ない。

そのあと、二次会で、とある有名な俳人の方がいらっしゃっていて、自分の作の悪い部分を1句1句例にとって、懇切に(執拗に?)注意して下さり、相当こたえた。

そうやって今回の1日は終了をむかえたのであるが、ともあれ初対面の方に会うのはつくづく苦手だな、といったことを再確認しつつも、それでもなかなか楽しい1日でもあったと思い直し、ホテルの部屋にて眠りについた。


12月24日 木曜日

翌日、目が覚めると、朝の7時ごろ。

テレビのニュースをぼんやりと見ながら、もそもそと朝ごはんを食べ、9時頃にホテルを出て、地下鉄へ。

東京に来たからといって自分にはあまり行きたいと思うようなところもないのであるが、せっかくここまで来たので、いくつか大きな書店を廻ってみた。

まず、池袋のジュンク堂へ行ってみることにした。池袋の地下鉄から外に出たところで、方向が判らなくなり、早くも半分迷子。それでもなんとか場所を把握して、広大な駅の建物をやや驚きの目で眺めながら歩き、10時を数分過ぎた頃になんとか目的地に到着。

詩歌の棚が随分と充実していて、海外詩など結構珍しい書物まで取り揃えてあった。現代詩の棚には若手の詩人の詩集がいくつも並んでおり、岸田将幸さんや中尾太一さんの新しい詩集を手に取りながら、一体自分はいままで何をやってきたんだろうな、と軽く落ち込む。

また、俳句のコーナーを見ると『俳句空間-豈』や『未定』なども置かれてあって、やや驚くところがあった。そして、『新撰21』も何冊か置いてあって、歓喜。

別所真紀子『雪はことしも』(新人物往来社 1999)、『続・小池光歌集』(砂子屋書房 2001)、江代充『梢にて』(書肆山田 2000)などを購入。

その後、神田の東京堂書店などにも寄ってみたが、それほど特殊な品揃えばかりというわけでもないようである。

何年も前、池袋の「リブロ」の詩歌専門店「ぽえむ・ぱろうる」へ1度訪れたことがあり、その品揃えの充実振りに大いに驚いた記憶があるが、現在では既に閉店(2006年までの営業だったらしい)とのことで、つくづく残念な思いがした。

東京駅から新幹線に乗って、もそもそと1人でお弁当を食しながら、帰宅。


12月25日 金曜日

先日の23日に、湊圭史さんから『ハイク・ガイ』(三輪書籍 2009)を、そして黒瀬珂瀾さんから第2歌集『空庭』(本阿弥書店 2009)をいただいた。

たまに俳句の集まりなどに出掛けると思いもかけない、いいことがあるな、と素直に思った。

黒瀬さんの歌集については、第1歌集『黒燿宮』(ながらみ書房 2002)の頃から拝読させていただいているのであるが(あと『街角の歌』という「ふらんす堂」から出版されている「街」の短歌で編集された優れたアンソロジーの存在もある)、今回のほぼ7年振りの第2歌集『空庭』(「くうてい」と読むらしい)については、第1歌集におけるやや耽美色が強かった傾向と比べると、今回の内容は、そのような耽美的な傾向の作は無くなったわけではないが、どちらかというとやや控えめとなっていて、全体的に世界との交錯への苦くも強い意志に貫かれているということになるようである。

今回の歌集の収録数は全部で大体630首ほどで、やはりなかなかの多力の作者という印象が強い。装丁については「クラフト・エヴィング商會」ということになっている。

そして、この歌集における作品の全体的な内容についても、野心的な連作の存在もいくつか見られ、第1歌集と比べて、今回の第2歌集における内容は、作者としてさらに一歩駒を進める結果となったという印象が強く感じられるところがあった。

以下、『空庭』よりいくつか。

見送りのために買ひたる漆黒のネクタイわれはわが日に還れ

敗戦日前夜舞城王太郎読みし車窓のくもりさびしも

立つたままメタファーは殺されてゆき野分に遭はぬわが街の鬱

眠りから眠りへ渡る一瞬を身過ぎと呼べば早春の雹

ああ吾は誰かの過去世まなかひに雪ふる朝を地の底として

けはしかるまみさへさつき やみぬちに立つときわれも夜のかきつばた

死がこはい世界がこはい水のない海へと歩む僕の魂

春暁にほのぐらく浮く冷蔵庫唸りあげをり鶏卵を抱き

ししむらを持つゆゑ飛べず春雪をかづけば無言なる遊園地

わが目指す出口は劫に踏み込めぬ雪景の底としての水面

悲しみを眠らせまいとデニーズが光を撒けば僕らはわらふ

生きることすなはち他者の生を吸ふ姫赤立羽(ヒメアカタテハ)コスモスに舞へ

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2 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

以前、人と会うのが苦手とお書きになっていらっしゃったので、大丈夫かな~と心配していましたが、無事のご帰還と投稿を見て安心いたしました。
それでも楽しかったということで、よかったなと喜んでおります。

今後もご活躍をお祈りしています。

冨田拓也 さんのコメント...

野村麻実様

コメントありがとうございます。

当日は結構、いろいろと面食らってしまうところがありましたが、一応無事に帰ってきました。

野村さんにも、いずれお目にかかりたいところです。