2009年12月27日日曜日

あとがき(第71号)

あとがき(第71号)


■高山れおな

十二月二十三日の天皇誕生日、市ヶ谷の私学会館で、小生も編者としてかかわったアンソロジー『新撰21』(邑書林)の出版を祝う「新撰21竟宴」が開催されました。前半のシンポジウムには約二百人、それに引き続いての祝賀パーティーには百三十名程の方々がご出席くださり、思っていた以上の盛況となりました。心より御礼申し上げます。なお、おそらく二ヶ月後くらいになると思いますが、主催者である邑書林から、当日の記録集が刊行される予定です。特に前半のシンポジウムは、全発言が録音に基づき収録されることになります。すでに、ウェブ上では感想や論評がいろいろ出ているようですが、シンポジウム第一部における筑紫磐井氏と村上鞆彦氏のやりとりや、同第二部パネルディスカッションにおける関悦史氏の発言など、貴重な記録になりそうです。

冨田拓也氏の「七曜俳句クロニクル」もまた、このシンポジウム&パーティーを話題にしております。小生と冨田氏は、この日が初対面でもありました。あまりゆっくりとお話も出来なかったのは残念でしたが、文章を読むだに飄々たる風貌が脳裏によみがえってきて莞爾とせざるを得ません。中で、冨田氏が、村上鞆彦氏に「牛若丸(のような気品)」を感じたという一節があって、なかなか絶妙な譬えに思われます。それにしても村上氏が牛若丸なら、筑紫磐井氏は誰になるのでしょうか。平清盛?とか(笑)。

さいわい御好評を得ているらしい『新撰21』ですが、一部、妄言をなす人もあるようです。「俳句界」編集長で、同書で中本真人氏について小論を書いている林誠司氏が、自分のブログ(*)の十二月十五日付の記事でこんなことを言っております。

収録されている合評座談会で、対馬康子さんが「かなり偏った人選」と述べているが、21人のメンバーを見ると、私もそう思った。人選を高山れおなさんが中心となり、編集委員に高山れおなさん、筑紫磐井さんという3人中2人が「豈」のメンバー。選ばれた21人や小論執筆者に「豈」のメンバーがずいぶん含まれているので、もうちょっと懐の深いところを見せてもらいたかった。

本人も誤まりに気づいて後日の記事で修正しているようですが、収録二十一作者中、「豈」同人は、関悦史と中村安伸の二名だけです。他のメンバーの所属誌を確認しておくなら、対馬さんが編集長を務める「天為」が二名(五十嵐義知、矢野玲奈)、「澤」が二名(藤田哲史、相子智恵)で、ただし矢野氏は「玉藻」にも所属しておられます。以下、「銀化」(山口優夢)、「ハイクマシーン」(佐藤文香)、「THC」(谷雄介)、「鬣TATEGAMI」(外山一機)、「山茶花」(中本真人)、「鷹」(髙柳克弘)、「南風」(村上鞆彦)、「街」(北大路翼)、「雲」(鴇田智哉)が各一名で続きます。たしかに、編者や座談会ゲストである小澤實氏の関係俳誌が優遇されていますが、それはこのメンバーが企画・編集の労力を提供しているのですから自然な流れというものです。そして付け加えるなら、結果的に最も厚遇されているのは、労力の提供などとは関係なく三名が入集している「海程」(豊里友行、田中亜美、九堂夜想)であり、他に無所属が三名(越智友亮、神野紗希、冨田拓也)います。

先ほど妄言と言ったのはしかし、この件ではありません。同じブログの十二月二十五日付の記事で、林氏は新撰21竟宴に出席した感想を記していますが、次のような一節には眼を疑いました。

さて、話は変わるが、最近の俳人は、どうしてシンポジウムが好きなのだろうか。
私などはもっぱら体育会系で、角川春樹や吉田鴻司に、小理屈こねるな!とにかく作れ!と教えられてきたので、どうも違和感がある。
春樹さんはよく、俳句はなんでもありだ! と言っていた。
それは無季とか、定型を崩せ、というのではなく、ああだこうだ理屈をつけて、俳句を狭くするな、ということだった。
俳句は自由である、ということだった。

だから、小難しい議論を聞いていると、結局は自分の俳句を縛ることになるのではないかな~、と考えてしまうのだ。

特に多くの人が、俳句の表現方法、形式に関心をもっていることを不思議に思った。
そんなものは二の次、三の次だろうと思うのだ。


あのう、あなたは確かに「俳句界」の編集長をなさっている林さんですよね? まあ、角川さんや吉田さんのおっしゃることはそれはそれでよくわかりますし、関さんの論などがあなたには猫に小判であったこともお察しいたします。しかしあなたは、「俳句界」編集長として、「俳句界評論賞」の原稿を募り(そのいちばん最近の受賞者が関さんなんですけどね)、座談会に人を呼んで「小難しい議論」をして貰うのを日頃のお仕事になさっているのではないのですか?

今、手元に「俳句界」の二〇一〇年一月号があり、ひらくと「俳句よ どこへ行く」という特集が組まれています。特集内の座談会では、池田澄子(豈)と今井聖と坊城俊樹の三氏が「小難しい議論」をし、筑紫磐井(豈)と横澤放川の両氏が「小難しい」論文を寄せています。あなたは、「結局は自分の俳句を縛ることになるのではないかな~」と腹の中で冷笑しながら、彼らに座談会や原稿の依頼をなさっていたのですね。あ、それだけではない。表3(裏表紙の見返し)には、「第12回 俳句界評論賞 作品大募集!!」の告知が出ていますが、これもやっぱり「結局は自分の俳句を縛ることになるのではないかな~」とか、君たちが書いてよこす「俳句の表現方法、形式」についての評論なんて「二の次、三の次」なんだよ、とか思いながら募集をかけていらっしゃる? おまけに、審査員は筑紫磐井(またですか~)と仁平勝(元「豈」同人ですよ)。まだまだありますね、表4(裏表紙)には、「第1回 北斗賞募集!!」とあって、審査員はと見れば石田郷子と五島高資(豈)と高山れおな(豈)じゃないの。林さん、あなたの雑誌、なんでこんなに「豈」関係者だらけなんですか。あなたの懐が深いせいなのですか、浅いせいなのですか。気になって眠れなくなりそうです。筑紫磐井も、仁平勝も、五島高資も、高山れおなも、「自分の俳句を縛る」「小難しい議論」ばかりしている評論書きですよ。なんでそういう「違和感がある」連中ばかりに仕事を頼むんですか。自分が何を言ってるかもわかってない、こんなのが業界二位の総合誌の編集長? 勘弁してよ。

というわけでみなさま、林君のことは忘れて良いお年をお迎えください。

(*)「林誠司 俳句オデッセイ」
http://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/31051380.html


■中村安伸

冨田さん、高山さんが述べられている「新撰21竟宴」に、私も21人のうち一人として参加させていただきました。ネット上にも様々なまとめや感想があがっています。

私はほとんど目立たなかったようですが、シンポジウム第三部ではすこし発言しました。

越智友亮さんが、参加者に現代仮名遣いの人が少ないんじゃないか、というご意見を述べられたのに関連して(私の作品は前半が現代仮名遣い、後半が歴史的仮名遣いだったので)司会の高柳克弘さんに指名されたのですが、結局弁明とも自分語りともつかない中途半端な発言で、時間ばかりとってしまったような気がします。

その少し前、中本真人さんの「俳句には師が必要なのではないか?」という主旨のご発言から議論が広がっていました。その場では発言できなかったものの、二次会で中本さんとその点についてお話しすることができたのは、有意義なことでした。


1 件のコメント:

さんのコメント...

関係者の皆様、明けましておめでとうございます、今夜松山の実家にゆくので、ゆっくりここに訪れることが出来ませんが、「俳句空間ー豈」と「俳句空間—豈—weekly」とが続く限り、何らかのコミットを致します、東京の方々、ご健闘ください。

新鮮,新撰21 大成功のようでおめでとう、内容は、これから味読鑑賞検討がひつようです、いじわるばあさんも元気を貰いました。関西の方方も、投稿しましょうね。また、どんどんこちらへもきてください。ほんと、おもしろい人がたくさんいます。(笑) 堀本 吟