三橋鷹女的迷宮について
・・・関 悦史
三橋鷹女の俳句世界は、二重の意味で《内部》に拠っている。
『月山』の作家森敦がその世界観を結晶させた短い特異な小説『意味の変容』に内部‐外部についての数学的・近傍論的な考察があり、これが森敦の思考の土台にある。円を描いたとき、内部と外部とを分ける境界線が発生する。この境界は内部ではなく外部に属すると森敦は云う。
任意の一点を中心とし、任意の半径を以て円周を描く。そうすると、円周を境界として、全体概念は二つの領域に分かたれる。境界はこの二つの領域のいずれかに属さねばならぬ。このとき、境界がそれに属せざるところの領域を内部といい、境界がそれに属するところの領域を外部という。(森敦『意味の変容』ちくま文庫 一九九一年 二十三頁 原文はゴシック体、親本は一九八四年刊)
『月山』の神韻縹渺たる雰囲気の土台にはこうした論理が潜んでいたわけだが、これがなぜ文学の問題になるかといえば、ここで云われる「内部」と「外部」とが、『論語』の「未ダ生ヲ知ラズ焉ゾ死ヲ知ラン」に重ねあわされ、そのままそれぞれ生と死の領域に対応するからである。
この円によって区切られた内部と外部を合わせたものが全体となる。だが一方、内部は境界を持たないゆえ、それ自体がまたひとつの全体を成している。これはわれわれの日常感覚に照らしても納得がいく。通常、自分がこの世に生まれた瞬間の記憶を持っている者はなく、自分が死んだ瞬間の知覚を持つ者もこの世にはいないからである。
森敦はこうも云う。
内部は境界がそれに属せざる領域なるが故に密閉されているという。且つ、内部は境界がそれに属せざる領域なるが故に開かれているという。つまりは、密閉され且つ開かれてさえいれば、内部といえるのだから、内部にあっては、任意の点を中心とすることができる。(森敦前掲書 二十九頁)
内部は内部としてひとつの全体であり、内部と外部とを総計したものもまたひとつの全体なのだ。「未ダ生ヲ知ラズ焉ゾ死ヲ知ラン」がわれわれの日常の時空を形成する内部である。その対偶命題を取ると「既ニ死ヲ知ラバ何ゾ生を知ラザラン」となる。境界を越えて、または無化して外部、つまり生前‐死後との対応関係を知りえた者には、そこからこの世での己のあるべき身のふり方が自ずと析出され続けていくことになる。
通常は俳句においてもこうした生と死の関係は近傍論的な対応関係としては認識されることは稀で、例えば藤田湘子「ゆくゆくはわが名も消えて春の雪」のような直線化された時間意識のモデルの中に回収されることになる。だが鷹女の句にはこうした常識的な意味での死後を然るべき遠近法のもとに視野に収めたものはあまり見られず、その句業の大部分はあくまで生=内部に留まっての探究作業となっている。第四句集『羊歯地獄』のあの名高い自序はこうした文脈で読まれたとき、その本当の位相をあらわす。
一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である
四十代に入つて初めてこの事を識つた
五十の坂を登りながら気付いたことは
剥脱した鱗の跡が 新しい鱗の芽生えによつて補はれてゐる事であつた
だが然し 六十歳のこの期に及んでは
失せた鱗の跡はもはや永遠に赤禿の儘である
今ここに その見苦しい傷跡を眺め
わが軀を蔽ふ残り少ない鱗の数をかぞへながら
独り 呟く……
一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である
一片の鱗の剥脱は 生きてゐることの証だと思ふ
一片づつ 一片づつ剥脱して全身赤裸となる日の為に
「生きて 書け―」と心を励ます
ここで語られてのは単なる苦闘の自意識や自己愛だけではない。死=外部を繰り込んだ統合性をその意識のなかに持たず、生=内部という境界なき全体のなかにのみ完全に自己同一化している意識が、それゆえに肉体の衰えに完全に同調してしまっているという事態であり、そうした主体は当然のごとく肉体の加齢とともに産出力を衰えさせていくほかはないのだ。
同じ『羊歯地獄』の後記ではこの句集が鷹女自身により、《小さな一粒の「薬」》《「不老不死」の薬》とすら呼ばれている。
煉り上げ、やうやくにして煉り固めた純銀色のこの薬を、私はもう間もなく、誰もゐない処で、こっそり嚥み下さうとしてゐる。私だけが飲む薬、私だけに効く薬! かうした念願をかけて創り上げたものではあるけれど、飲み下した後で、果してどれだけの効果をあげる事が出来るだらうか――。
倖にしてよい効き目を身に受け得ることが出来た、としたならば、今日まで続いて来た私のこの仕事は、この辺で終ることにならう。若し又不幸にして薬の効き目が現はれなかったならば、私は私の丸薬創造の上に、又々別の工夫を凝らしながら、これからも尚この仕事を続けてゆかなければならないと思つてゐる。
ここで語られている不老不死の術と句作との奇怪な結合は、鷹女が無意識裡に自分が生=内部にのみ留まっていることを感知していることをあらわしている。死=外部とのパースペクティヴを欠いた不老不死の探求、つまり己の身命を維持したままでの全体性と聖性の探索行は、半ば必然的に身体の寸断化へと向かう。
あばら組む幽かなひびき 羊歯地帯 (『羊歯地獄』)
羊歯原の清水を掬ふ 頭蓋骨
蘖ゆる 切断局部微熱もち
バラバラにされ、全体性の再構築のために供犠に差し出される身体の出現とは、聖性への通路としての身体の発見と同義である。《詩に痩せて二月渚をゆくはわたし》《日本の我はをみなや明治節》(以上第一句集『向日葵』)のようにもともと句の中に自分が入ってしまうことの多い鷹女の句の、いわば当然の帰結であり、ことに《詩に痩せて二月渚をゆくはわたし》には早くも詩(句作)と身体の衰弱との相関関係、そして渚という境界線をめぐる放浪(さらに云えば、その歩みは境界線付近をなぞるだけに留まり、海=外部へと進入することは考えられないという特質的な限界)の主題までもがあらわれている。
以上は生‐死のレベルでの内部の話であり、二重の意味での《内部》と云ったそのもうひとつが、いわゆる精神的な内界である。この内界は必ずしも心情や感情、または思念、思想といったものとイコールではない。例えば精神科医新宮一成は『無意識の病理学』において、《道徳的な価値が内面化されてパーソナリティそれ自体の本質的な部分を構成するというフロイトの発見が、家庭環境と個人の発達をめぐるその後の諸研究の中で決定的な里程標となったことはいうまでもない。しかし、この発見を論ずる際に忘れられがちなのは、個人の内面というものに関して、フロイトが何を考えていたかという点である。》という一節に続け、次のように云う。
彼が外界に対立する内界としてとらえていたものは、実は欲動にかかわるものによって形成されている。言い換えれば、われわれが「自分の内部」として感じとる領域は、欲動に基づく体内刺激が感じとられている領域である。欲動自体は精神的なものとして現われることはないが、欲動と同じ形式をもった諸観念によって内的な精神ができ上がる。
われわれが目をつぶると、痛みや痒み、尿意便意、睡気や性欲などが感じとられ、時にはそれに刺激されて過去の思い出が頭に浮かぶ。これらの感覚や観念は他人とは共有できない、われわれ一人ひとりの体内空間に生起している。この空間は人とは分かち合うことはできないし、自分自身にもふだんは意識されない。むしろ、この空間が意識されると、人は日常的な交わりを続けることができない。たとえばパーティーで便意を催した人はしかるべき場所へ引き下がらなければならないし、そのような事態を極度に恐れる過敏性大腸の患者は、人前に出ることを嫌い身近な家族の中に引きこもる。内面化された家族像というのは、この体内空間へ写像され、そこに貯えられた家族像に他ならない。(新宮一成『無意識の病理学―クラインとラカン』 金剛出版 一九八九年 二十六―二十七頁)
つまり内界とは欲動と身体感覚と内面化された家族像全てに関わる領域だということである。
第三句集『白骨』前半は、戦時の暮らしのなかで家族の無事を思う句が目立ち(「吾子陸軍経理学校入学」の前書きを持つ《花吹雪校門吾子を入らしめぬ》のような句からもわかるとおり、伝記的事実として鷹女の長男は出征している)、後半はおのれの老いの主題が際立ってくる。
白露や死んでゆく日も帯締めて (『白骨』)
老いながら椿となつて踊りけり
みみづくが両眼抜きに来る頃か
こうした有名句のほかに、次の第四句集『羊歯地獄』での身体壊乱を予告するような《キクキクと肋骨きしむ鵙の晴》《白骨の手足が戦ぐ落葉季》といった句も既に後半から見え始めている。
家族を思う常識的で穏当な句と、老いた心身から発生する怪奇な刺激に富んだ句との際立った分裂について、高柳重信は「鷹女ノート」(『三橋鷹女全句集』に解説として付されたもの)において《たしかに、我が子を俳句表現の中に持ち込んだときの鷹女は、もちろん技巧的にはすぐれているが、その切り込み方においては、他の女流たちと同じように、ごく普通の母になってしまうのである》とした後、母を詠んだ《かなかなや母を負ひゆく母の里》《古里に母を置き捨て黍嵐》等にも触れて、こう続ける。《だが、しかし、あるいはそれ故にと言うべきかも知れないが、この鷹女の母情俳句には、早くから多くの読者が存在した。ただ、ここで問題となるのは、なぜか、この母情俳句の愛好者たちが、より強烈に鷹女の特色が出ていると思われる作品に対するとき、きまって判で押したように、みな一様に背を向けてしまうことであった。》
受け取る側の問題はともかく、この家族俳句と意識の深部を探った怪奇な句とは見かけほどの径庭があるわけではなく、「家族」も「老い」も鷹女の内界にあるという点で地続きであり、作品総体としての《三橋鷹女》にとっての不和はむしろ、内界とそれに理不尽な刺激をもたらすものとしての外界にある。
《日本の我はをみなや明治節》や《夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり》(どちらも第一句集『向日葵』に収録)などのおかげで、鷹女といえば癇走った、強烈な表現の、気の強い女性俳人というイメージが定着しているが、じつはこれらの句の土台には外部の刺激に対し、ほとんど耐性を持つことが出来ないという繊弱さがある。明治節の句なども、単独で見れば国家意識民族意識を背負って昂然と胸を張った句と見えるが、句集内での元の並びを見ると少々印象が違ってくる。
花屑 四句
母に似て細き面輪や秋袷
吾もまた淋しき性よ秋袷
花屑の淡き模様の秋袷
ぢみな色をわれは好めり秋袷
日本の我はをみなや明治節
羽子板の裏絵さびしや竹に月
秋冷や粥にそへたるちりれんげ
「花屑」と題された四句の後にこの明治節の句が来るのだが、「細き」面輪、「淋しき」性、「淡き」模様、「ぢみな」色をわれは好めりと、強さとはベクトルが逆の形容ばかりが続き、さらにその後にも「さびし」「粥にそへたるちりれんげ」といった儚さ、弱さを打ち出した句が並ぶ。この一連に戻してみると「日本の」「をみな」の句も「をみな」が儚いものとして捉えられており、決して昂然たる句ではないのではないか。鷹女の句の強さと見えるものは概ね、刺激に対して鋭敏すぎる神経の、弱さの自覚の上に立ち、その弱さと比例するかのような強烈すぎる反射・反発である(その背景に、死=外部との関係が全く定位出来ていないという事情がある。死を意識した《白露や死んでゆく日も帯締めて》にしても、鷹女は厳然と此岸に踏みとどまっている)。
高柳重信は先の「鷹女ノート」で、《富沢赤黄男》への反発として第四句集『羊歯地獄』の世界が、《永田耕衣》への反発として第五句集『橅』の世界があらわれたという機微をも語っているが、この刺激への反発は、何も先行する大作家に対してばかりではなく、より身近なあらゆるものに対して働く。
そのひとつが、「黄色いもの」である。鷹女の第一句集はその題名を『向日葵』という。『向日葵』に限らず、鷹女の句には黄色に反応したものが多い。赤や白など別の色ももちろんあらわれるのだが、赤が例えば《煖炉灼く夫よタンゴを踊らうか》《父の墓赤いけいとうは侘し過ぎる》《この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉》のように人格的統合性に支えられた情念の句に、いわばコード化された形であらわれるのに対し、黄色は単に明るいというだけでなく、工事現場の標識や蜂の体表のように警戒を促す色でもあり、遠くからでも一目で感知せざるを得ない、精神的な「深み」といった意味性と関わることのほとんどない、意味作用以前に神経を直撃する色であり(小学生の傘や帽子等に黄色が多用されるのはこの理由による)、鷹女の俳句世界では黄色の登場の度合いは他を圧して高い。ざっと拾っただけでも以下のような句がある。
ふところの菜の花雛はしぼみけり (『向日葵』)
カンナ緋に黄に愛憎の文字をちらす
つはぶきはだんまりの花嫌ひな花
あすが来てゐるたんぽぽの花びらに
茱萸は黄に乙女めくなり吾がちぶさ
向日葵に見られ働けりひたすらに
向日葵を咲かせ心に兵がある
大き花の向日葵咲けりをみならに
亡びゆく国あり大き向日葵咲き
向日葵黄に一碗の水を尊み住めり
書よめば卯月は黄なりあやめ草 (『魚の鰭』)
鉄を打つ一瞬カンナ黄に眩み
白き飯カレーと置かれあやめを言ふ
黄雀風は吹けり脈拍異状なし
博物館を出たり黄雀風があら
向日葵の駅々は車輪灼けて過ぐ
向日葵黄に汽罐車貨車を牽き来る
ひまはり黄に毛蟲のごとく汽車停る
向日葵は駅長の帽章の上に咲く
ひまはりの昏れて玩具の駅がある
蜻蛉群れ朝の街路樹黄にさやぐ
夜のあなた黄菊白菊吾を憎む
人は喪に真冬のいろを上げし石蕗
石蕗真つ黄一茎を剪り壺に挿す (『白骨』)
花南瓜黄濃しかんばせ蔽うて哭く
向日葵を剪るみほとけの花ならず
向日葵の一茎がくと陽に離る
八方に向日葵芽生ゆ安からず (『羊歯地獄』)
白骨の眼窩に芽生えた向日葵一基
詩は切れ切れ金の兜の向日葵よ
ひまはりかわれかひまはりかわれか灼く
俗名や月の向日葵陽の向日葵
豪雨に咲いた宿命の向日葵
向日葵とあり退陣の鼓を鳴らし
声なき終焉眼をみひらいて向日葵よ
向日葵を斬つて捨つるに刃物磨ぐ
眼光の枯向日葵となりて佇つ
枯向日葵となり千手観音像となる
影に影磔け枯ひまはりと在り
夕日が来て枯向日葵に火を放つ
向日葵の白骨人柱ともならず
枯向日葵へし折つて我がちから減る
枯ひまはりとなり枯木等に混れり
ろんろんと魂潰えて眼の向日葵
菜畑の黄に染まらんと浪がしら (『橅』)
連翹の夜毎黄が濃し何かある
老年金の杖曳くたんぽぽにこがれ (『橅』以後)
少年の傘に黄の雨河馬に天
うつうつと一個のれもん姙れり
分布の割合からすると黄色は、自分の深層への探究が予感されはじめたと思しい『魚の鰭』(後に鷹女は「一片の鱗の剥落」の比喩で自身を魚になぞらえることになる)で頻出し、戦争という色彩どころではない大きな刺激と遭遇した『白骨』の時期に激減、老いの自覚の中で自己探究と自己解体が進んでいった『羊歯地獄』で再び増加、《白骨の眼窩に芽生えた向日葵一基》《ひまはりかわれかひまはりかわれか灼く》などでは、理不尽な不快な刺激としての黄色と、危機意識と、鷹女自身とが毀れつつ組み合わさり、一つの強度へと変質しつつある様が見て取れる。そして第五句集『橅』以後また激減する。これは『橅』の序にある心境の変化と無関係ではない。
“自虐”をもつて生き抜くことの苦悩の底から、しあはせを摑みとりながら長い歳月を費やして来た私の過去であつた――。
これからの私は、“自愛”を専らに生きながらへることの容易からざる思ひにこころを砕きながら、日月の流れにながれ添うて、どのやうなところに流れ着くことであろうか……。
刺激という点で忘れてはならないのが『向日葵』に収められた初期の句、《ひるがほに電流かよひゐはせぬか》だが、この句は句集内では「ひるがほと醜男」と題された六句の連作の第一句であり、並べてみるとやや印象が異なってくる。
ひるがほと醜男
ひるがほに電流かよひゐはせぬか
鼻のない男にみえるひるがほが
昼顔や人間のにほひ充つる世に
しんじつは醜男にありて九月来る
九月来る醜男の声の澄みとほり
九月来る醜男の庭に咲く芙蓉
単独で見れば、単に蔓の先に質感の薄いほとんど水分ばかりで成り立っているかのような花を咲かせる植物の存在感に対する感覚的鋭敏さによる把握が際立っているという句だが、六句の連なりに置きなおすと、題名通り「ひるがほと醜男」との交流が描かれていることがわかる。醜男というものが俳句のモチーフになった例を寡聞にして他に知らないのだが、この醜男は鼻がないことが二句目でわかり、五感のうち嗅覚を欠いて昼顔に接している。三句目の「人間のにほひ充つる世に」で、この昼顔が人間界から隔絶した位相に位置していることが示され、四句目「しんじつは醜男にありて」でこの人界から隔絶した昼顔が醜男には正しい相において感知されていることがわかる。「鼻のない男」は自動的に「人間のにほひ充つる世」のノイズを免れることになるためである。五句目でいきなり聴覚に転じ、醜男の美声という予想外の特質が示される。この「しんじつ」の声に召喚されたのか結句では昼顔とは無縁の芙蓉が唐突に咲く。六句全体で見ると前半三句には「ひるがほ/昼顔」があらわれ、後半三句には「醜男」があらわれるというほぼ左右対称なつくりとなっており、「電流かよひゐはせぬか」などとも疑われる神経過敏な昼顔が、五感のひとつを欠落させた、他界的な異形の見者たる醜男との間だからこそ成立した交感の果に「芙蓉」という別種の境地へ抜け出るといった行路が浮かび上がってくる。第一句集であらわれたこの奇妙な交感と無意識界探索のモチーフは、後年の『羊歯地獄』の世界を遠く予告しているようにも見える。
後半三句に繰り返しあらわれる「九月来る」とは何を指しているのか。秋になった、盛りを過ぎて衰滅の相へと画然と移ろいだす季節であるとともに、それまでの過程が実りへと収斂していく季節に入った、そのときにこれまで「ひるがほ」とは別の「芙蓉」へと進む道が開けるとも取れるが、ここで気になるのはむしろその音韻で、「クガツクル」という音韻が自動的に「句が作る/句が尽くる」をも共示してしまうということである。鷹女自身が言葉遊びやダブルミーニングに興味を示していた形跡は特にないにも関わらず、だからこそというべきか、身近にあった高柳重信の解説によるとあまり読書家ではなかったらしく、それゆえにであろう、既成の大宗教や神話、伝説の類から単語、象徴、概念の類を借りてくることもほとんどなく、単身手探りで自己解体の深みへと潜入していった鷹女の句に、作者がではなく句自身が非日常・超感覚の世界を作りだしてゆき、作者はその運動の媒介としてそこに立ち会わされ、それと同時に、句が尽きる、鱗が剥落していくことによって作者自身の老化とパラレルに産出力が低下していくという事態までをも、この連作は知らず識らずのうちに予告してしまっているようなのだ。
第四句集『羊歯地獄』の羊歯のモチーフは、偶発的な事態からもたらされたらしい。全句集の年譜によると昭和四十一年(鷹女六十八歳)の記述に、《かつて陽一が庭内に愛培した百種に余る薔薇は、主の留守のため虫害と自然老化により衰え、かわって栽培の容易な羊歯類が占領し、薔薇園は変じて羊歯園の様相を呈する》とあり、翌年には、老齢の故歯科医は廃業した夫剣三が羊歯植物に傾倒したとの記載がある。昭和四十一年の前半には鷹女自身が「慢性胃炎」のために入院しており、退院後も句作上は空白状態が続く。その間に長男の薔薇園が羊歯園に変じてしまったようなのだが、心身の衰弱と、それと同時に起こった黄色ならぬ暗緑の繁茂という外部からの刺激という偶発事により、鷹女の内界への深い潜入が始まる。赤黄男や耕衣、あるいは向日葵などへの「反発」が作句の動機となるという事情については先に述べたが、こうした鷹女の反発は、反発したものを真似、似通いながらそこから離脱するという経路を辿ることが多く、『羊歯地獄』の句群は羊歯たちに似通い錯雑する。しかしこの徹底的に内界探索のみに徹し、例えば「人生」といった統合性にすら回収されるあてのない錯乱は詩的には却って強度ともなり得る。
宗教や神話等、己よりも大きい象徴体系に縋ることなく、自分の内界のみに頼って自分の生死との折り合いを探っていくという苦しげな試行は、当然迷宮を成す。「迷宮」と「迷路」はしばしば混同されるが、この二つは構造上全くの別物であり、迷宮は右へ左へとあたかも舞踏ででもあるかのように迂回を続ける遠心的な行路を強いられるが、迷路と違って枝分かれするところはなく、道をたどっていきさえすれば強制的に終着点へと導かれる。言い換えれば、迷宮では迷いようがない。その意味で『羊歯地獄』は迷宮である。自分の身体、自分の内界のみに即した探索行は、最終的には老いと同調する以外に道がないからだ。
わが死後やかくて夜更けの走馬燈
では、珍しく自分の死後への言及があるが、それも年表的な直線の時間という一種の虚構を得心することもなく「走馬燈」によって内界の想念へと引き戻されるという動揺が見られる。
枯蔓は焼くべし焼いてしまふべし
葉牡丹の渦のまんなか我が一生
蔦枯れて一身がんじがらみなり
十方にこがらし女身錐揉に
縋るものなし寒風に取り縋る
枯蔦となり一木を捕縛せり
陽が渦巻く月が渦巻く 野分後も
などでは、生とは無縁の、害意を持つかのような渦状体・流動体に取り込まれた己の身への、切迫した危機感があらわである。
煮凝や指紋は常に悪に似て
そしてその謎めいた渦状のエネルギー体は、指紋という形で己の身にもくっきりとその刻印をあらわしている。
九月詩の悶絶首に虹を巻き
「ひるがほと醜男」で予見された「九月」がついに到来したというべきか。非物質たる「虹」までが渦状をなして首に巻きつき、内界の言語化作業は「悶絶」を強いるようになる。
煮凝や磁石が示す北南
氷らんとしては泥沼泥の泥
生き地獄血の池地獄氷り初む
煮汁は煮凝となり、泥沼や地の池地獄は氷ろうとする。この凝固は死の暗喩と見るほかはないだろう。生ける者が必ず死ぬことは磁石が北南を指すのと同等のごまかしようもない自然の摂理である。だが「泥沼」や「血の池地獄」など内界の欲動としての流動体は氷ることを何とか先延ばししようと、恐怖のなかでもがき続ける。
何者か来て驚けと巻貝ころがる
おのれ躬を巻き永遠の巻貝よ
また渦があらわれる。「躬を巻き」、形状において渦と同化した巻貝はそのままで永遠となり、いわば「死」を僭称することで主体を驚かす。だが鷹女自身は易々と「躬を巻」いて安心を得ることは出来ない。彷徨が続くのだ。
薄氷へわが影ゆきて溺死せり
消炭を夕べまつかな火に戻す
「影」は本人に先立ち早々と「溺死」を遂げてその行く末を見せつけ、主体はそれに逆らうように「消炭」を「火」へと賦活‐復活させようとする。
やがて「亡母」があらわれる。
枯木山枯木を杖に亡母遊ぶ
枯曼陀羅亡母の声音どこにもなし
亡母貝掘る らくだの背のやうな海面
枯木を杖に遊ぶ亡母のいる世界はだがしかし、本当の他界ではなく、まして極楽などではない。「内面化された家族」のなかの最重要人物として想起されているだけだからで、醜男の澄み通った声と同じく本当の亡母であることを証し立てるものとなるのであろう「声音」はどこにもなく、「らくだの背のやうな」得体の知れぬ生命感を漂わせる海面を背に、賽の河原のごとく貝掘りに勤しむ亡母は到底先に目出度く往生を遂げたものの姿とは思えない。
そしてこの苦しげな探索は、ついに人体解体のモチーフにまで到達する。
木の葉髪 降るよ降るよと頭蓋の酒盛り
饐えた臓腑のあかい帆を張り 凩海峡
羊歯地獄 掌地獄 共に飢ゑ
青焔の あすは紅焔の夜啼き羊歯
拷問の谿底煮ゆる 谷間羊歯
噴煙や しはがれ羊歯を腰に巻き
あばら組む幽かなひびき 羊歯地帯
脱走や 羊歯の谿底階展け
羊歯原の清水を掬ふ 頭蓋骨
滴りの ああなまぬるき岩間羊歯
谿底のどん底羊歯に 麝香猫
ここには先述した供儀としての自分の身体という、身体そのものを他界や全体性、聖性回復への通路と捉える視線が潜んでいる(『聖なる陰謀』等によると、ジョルジュ・バタイユも若い頃に自分の身体を実際に供犠として捧げる計画を練っていたことがあるらしい)。だが鷹女の世界には「地獄」を除けば仏教的な語彙すらほとんどあらわれず、他界との行路や関係を定める概念装置はないに等しいのだ。その混乱のなかで身体は次第に「羊歯」に覆われた地誌と有機的な関係を取り結んでいくに至るのだが、羊歯たちは他界への導き手には一切ならず、《羊歯地獄 掌地獄 共に飢ゑ》と身体の側の「地獄」を嘲うかのように真似て「共に飢ゑ」ているだけなのだし、「あばら組む幽かなひびき」を立てて、「羊歯地帯」と一字空けによって切れつつ身体だけでも再統合を図ろうとするや、「羊歯の谿底」に「階」を「展け」て見せ、反射的な「脱走」を主体に促して再びバラバラにしてしまうのだし、その壊乱と引き換えに得た「頭蓋骨」で行き着いた先の「羊歯原の清水」だけは掬うことが出来るが、その後には「なまぬる」い「滴り」と、およそ何の好意も援けも期待できそうにない唐突な「麝香猫」がいるばかりなのだ。
この「頭蓋骨」を機に、斬首のモチーフが明確に浮上する。
首の無い埴輪の首に吸ひつく 生首
氷上に卵逆立つ うみたて卵
後者は一見「斬首」とは無縁に見えるが、「生首」の句との構図的な相似が目立つ。この「生首」は《詩に痩せて二月渚をゆくはわたし》に見られるごとく自身が句のなかに入ってしまうことの多かった鷹女的主体の変容した姿であろうし、「うみたて卵」も「うみたて」であることによる繊弱さを全方位にさらして超感覚的世界に孤立する様は、神経過敏な切断面を外界にさらして宙を舞う生首と明らかに同位にある。
鷹女の句において、宙を舞うというモチーフは実は以前から何度か潜在的に出てきてはいた。
蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫 (『向日葵』)
この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 (『魚の鰭』)
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし (『白骨』)
といった辺りがそれで、最初期の《蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫》では「蝶」と「菫」との相似から生命感の連続を見て取って飛翔を夢見たごく可憐で穏健な句だが(とはいえその変容の舞台として「掌」が登場する辺り、『羊歯地獄』での《掌に皺を刻む春水うづたかく》《羊歯地獄 掌地獄 共に飢ゑ》といった、もはや健やかな飛翔には到底結びつき難い呪術的磁場と化した「掌」を閲した後で振り返るとまた別の感慨があるが)、後者二句では、地を離れることが性愛的な激情と結びついている。「夕紅葉」の紅の呼応して樹に登るという突発的で不可解な激発に身を貫かれる《この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉》、激しい性愛のテーマをより明確に打ち出しながら「鞦韆」という地を離れての反復運動に身を委ねようとする《鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし》と、この三句いずれも地から離れることを想像するだけであって、実際には飛んでいない。《首の無い埴輪の首に吸ひつく 生首》でははっきりと宙を飛んでいるのだが、しかし何という変容を被った後であったことだろう。
《たっぷりと見せつけられた斬首は、可視のものがそこで終わる終点を刻印している》と『斬首の光景』(星埜守之・塚本昌則共訳 みすず書房 二〇〇五年)のジュリア・クリステヴァは云う。
『斬首の光景』は西洋美術に頻出する斬首のイメージが何に由来するものかを探った書物だが、「斬首」に関するクリステヴァの基本的図式は、概ね以下のようなものである。主体と客体の区別も未だ知らぬ幼児はやがて対象とさえならず自分と一体となって全面的依存を強いている母親を「アブジェクト(おぞましいもの)」と見なし、ここから離れようとする。この苦痛を伴う分離・対象化を経ることによって人はイメージを形成する力を得る。その分離の局面を示す代表的な図像が「身をくねらせる蛇の髪を生やした、ぬるぬるした頭」が女性器を連想させずにはおかないメドゥーサのペルセウスによる斬首であり、西洋美術の至るところにあらわれる「斬首」はイメージを形成する力の入手という事件自体に関わる根源的な光景なのだというのだ(この辺り、当該書の塚本昌則に解説に拠る)。
鷹女の「生首」と「うみたて卵」は、死ではなく誕生‐分離という遡行の方向で突き当たった内部の限界点であらわれた啓示的イメージである。「鞦韆」や「夕紅葉」など未だ飛翔・浮遊の果たせぬ句ではまとわりついていた性愛のイメージは最早ない。これは恋情・心情というのは人格的統一の上に成り立つものであり、ここでは最早そうした統合性が失われて文字通りバラバラの欲動にまで戻っているということである。この先に遡行することはもう出来ない。
クリステヴァの『斬首の光景』の中に、ジョルジュ・バタイユが『無頭人(アセファル)』誌第一号(一九三六年六月二四日)に発表したという「迷宮」という文章が引用されているので、これを孫引きする。ほとんどそのまま『羊歯地獄』の解説になり得ているからである。ちなみにバタイユは一八九七年生まれ、鷹女は一八九九年生まれ。わずか二歳違いであり、この二人はほぼ同世代に当たる。
人間は受刑者が牢から逃れるように、おのれの頭部から逃れる。彼は自らの彼方に罪の禁止である神ではなく、禁止を知らない存在を見いだしたのだ。私であるところのものの彼方で、私はある存在に出会うが、その存在は頭部をもたないがゆえに私を笑わせ、無実と罪でできているがゆえに私を不安で満たす――彼は左手に鉄の武器をもち、右手には[イエスの]聖なる心臓にも似た炎をもっている。彼は同じひとつの純化のうちに、〈誕生〉と〈死〉とを結び合わせている。彼は人間ではない。神でもない。彼は自我ではなく、自我以上のものである――彼の腹は、そのなかに彼自身が迷い込んでいるとともに、彼が私を迷い込ませている迷宮であり、そしてそのなかで私は自分を彼として、すなわち、怪物としてふたたび見いだすのだ。
血みどろの手袋 手も 血みどろ
この句では自分の外部「手袋」と自分の一部「手」との見分けも最早怪しくなっている、これも一つの迷宮である。
最後の句集『橅』ではやや統合性と距離感覚が復調したと見られる句と、身体が相変わらず混迷・錯雑を呈している句とが混在している。
囀や海の平らを死者歩く (『橅』)
沖浪や死者の体温梅が保つ
死ぬも生きるもかちあふ音の皿小鉢
これらの句では死者との距離感が一応回復しているが
こめかみに土筆が萌えて児が摘めり
喰ひ臥して暮春や額に恋慕角
辺りになると身体が未だ迷宮化している。それでも後者の句では恋情のモチーフが復活しており、錯乱にも余裕が生じている気配がある。
麗や鶴にとさかのなきことも
この「麗」さは、あり得ない異形の飾りを頭部に幻視しつつそれを否定し、「メドゥーサ」のモチーフを引き寄せつつ身を離すことに成功していることによっているのではないか。全句集の巻末近くには、「『橅』以後」として次の句が収録されているのだ。
藤垂れてこの世のものの老婆佇つ
大量の蛇のごとき蔓植物の花房に頭部を荘厳されつつ佇つ老婆、それも「この世のものの」と、「この世のものとも思われぬ」凄惨なまでに衰え果てた容姿を暗示されながらも他界‐死との円満な関係を探り当てることも出来ぬままあくまでこの世に留まり続ける老婆とはメドゥーサ以外の何者でもない。これは誕生‐分離とは反対側の断崖、そのぎりぎりのところにまで至り着いた鷹女の自画像であり、鷹女の句にしばしば鷹女自身が入り込んでしまうという現象も、ここまで来ると単なる自己愛や我執というよりも、生‐死、内部‐外部の図式のなかでの主体の定位に困惑し続けた鷹女が、代わりに描く‐描かれるという関係のなかで自分に然るべき分離を施そうとした、その模索のあらわれだったのではないかとの思いも浮かぶ。しかしここで起きていることは、そこから身を引き剥がすべきおぞましいものとしての母への自己同一化であり、斬首されるべきものに自分がなりおおせてしまったという事態である。
全句集の最後に収録されているのは次の句である。
寒満月こぶしをひらく赤ん坊
「『橅』以後」には《樹に笹子うぶごゑ以後は赤子の啼き声》という、母からの分離そのものを詠んだような句もあるが、ここでの「寒満月」にも斬られた首のイメージが揺曳している。この赤ん坊はことによったら『羊歯地獄』に頻出していたバラバラになった身体と紙一重の危うい形象なのかもしれないのだが、この句には奇妙に静謐な安息感と、相変わらず超感覚的な世界のなかでだが、再統合へと向かう生命の意志力のようなものが漂っている。赤ん坊はさしあたり頭部たる「寒満月」とは分離して安定した距離を保っている。「こぶしをひら」けば「掌」があらわれる。《掌に皺を刻む春水うづたかく》《羊歯地獄 掌地獄 共に飢ゑ》では身体に刻まれた迷宮・地獄の相を呈し、最初期の《蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫》では健やかな生命の連続感のもとに変容を促す場としてあらわれていた掌がである。鷹女の句業のほとんど全行程が潜在的に窺われるような句であり、それが宇宙的な孤独感を漂わせつつも、一応ここまでの円満な姿に落ち着いたことを嘉とすべきだろうか。
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4 件のコメント:
関悦史さま
ネット上のこのような長文の論評は、夜にはすでに鳥目現象をきたす者にとっては、内容の把握以前に、ある生理的な苦痛を伴いながらでなければ、知的再構築が出来ないような懼れにとりこまれます。
が、鷹女の俳句のキーワードを掘り起こし、つぎつぎと、象徴論的解析を下すところを読むと、散文をおyむと言うより詩を読む快感を感じさせます。大変興味を持って拝見しました。
彼女の俳句世界の原イメージに、メドゥーサを措いたことは、他に見られない独自の尺度です。(またしても蛇ですが、)
それから、斬首の句をここまでクロースアップして来られた鷹女論としては初めてでしょう。自己の詩の志を鱗の剥落にたとえているところとあわせると。これは「サロメ」ですね。
自己劇化の世界を、近代女性の自我の問題に回収するのではなく、もうすこしふるい祖型に持って行ったことは、批評軸としてはそれほどむづかしいことではありませんが、三橋鷹女論の新機軸となるでしょう。
それから、もう一つ感じたことは、こういう批評軸は、俳人全部に応用出来るものではなく、テキストをえらんでしまうでしょう。
それはでも仕方のないことでしょう。いつも力作を楽しんでいます。
批評を批評することは、思いの外野暮になるものなので、まあしばらくは印象批評でお許し下さい。(笑)
(堀本 吟)
堀本吟さま
ご負担をおかけしました。また内容紹介もしていただいて、ありがたいことです。
本文を通読していない人でも堀本さんのコメントで、大体どんな感じのものなののかつかめることになったのではないかと。
「テキストをえらぶ」というのはその通りでしょうが、別に方法が先にあるわけではなく、素手で読んでいて相応しいアプローチを探っているうちにこうなったという感じです。
私も画面上での長文は少々きついですよ。
先日出先で倒れまして(単なる睡眠障害の疲労でしょうが)、まだグズグズしているもので今は特に。
それから後書きで高山さんがお書きになっていた「愛情」について。
鷹女をその辺にいるように感じつつ読み込んでいたこともあって、この辺り当人には却って自覚しにくいのですが、相手が愛読者も少なくはなく、俳壇史的にも然るべき位置を占めている存在であることから、自分が何とか無理解を晴らしてやらなければという念は希薄だったかもしれません。
関様、その人について文章を書きたくなる心理のあやは、その通りです、れおなさんの良さはそう言うとことがわかることですね、
私は、この「俳句空間—豈—weekly」ブログ全体を「愛している」ので、でてきたものはちゃんと読むわけです。
鷹女、安井両スターは、さすが、重信を師とするだけあります。愛を持って語る人が多いです。が、論を持って愛する人たちはまだすくないようです。ご健闘下さい。
それから後書きで高山さんがお書きになっていた「愛情」について。
鷹女をその辺にいるように感じつつ読み込んでいたこともあって、この辺り当人には却って自覚しにくいのですが、相手が愛読者も少なくはなく、俳壇史的にも然るべき位置を占めている存在であることから、自分が何とか無理解を晴らしてやらなければという念は希薄だったかもしれません。
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私のコメントの最後のブロック「 」(関悦史)さん)を忘れているので、わたしの文章ではありません、おわりとはおもいますが。この部分に触発されて、上のコメントを史亜mした。批評の批評は、引用の連続なので、自説との境界がしだいにこうさします。
積算のような書き方の文章に触れるととくに。
これは、安井さんの文章もそうですね。
重信は近代の散文術を身につけていたせいか、韻文と違う散文批評の論旨がはっきりしていますね。
重信と、れおな、関さんらの散文の書き方を比べていると、いままでの文学批評、俳句批評と、これからの若い世代の批評スタイルの違いを示される気がします。
もうひとつ注目しているのが、磐井さんの文章スタイル、です。これもまた不思議な素っ気なさと蠱惑性があります。
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