2009年6月28日日曜日

「村人」的時間 ―廣瀬直人『風の音』を読む・・・岡村知昭

「村人」的時間
―廣瀬直人『風の音』を読む

                       ・・・岡村知昭


先ごろ「第43回蛇笏賞」を受賞したこの句集に収められた作品は、ふたつの「村」が描かれている。ひとつは作者がただいま住んでいる現住所「笛吹市一宮町」であり、もうひとつは作者が俳人として過ごしてきた長い時間を通じて求め続けてきた、理想の境地としてのわが内なる「村」、さらに言うなら自らが求めた俳句そのものということになろうか。

このふたつの「村」で繰り広げられるのは、たとえば農耕であり、祭りであり、動植物との出会いといった日々の生活の様であり、時には村を離れての旅、そして親類・友人・恩師との永別といった場面で口を衝いて出る詠嘆であるのだが、どのような場面においてもまずは淡々と、そして徐々にはっきりと現れてくるのは、同じ陰影、同じ質感を保とうとする作者の姿勢そのものだ。『俳句』6月号の蛇笏賞小特集での、宇多喜代子氏の選評にある「広やかで明るい世界、人も村も草も木も、人の世の吉兆の様までが同じ呼吸で句の中で生きている爽やかな心性が際立ってくる」との一節は、句集の背後でかすかな響きを立てて流れ続けるものについて的確に述べているが、さらに言えば「広やかで明るい世界」は、一句の背後に広がる時間の安定感に対しての作者の絶対的な信頼感あってのもので、その信頼感の源となっているのは、実際に生活を営む舞台としての現実と、自らが長年育んできた内面とが等しいものとして成立するという積み重ねを通じて手に入れた、疑いようのない自信そのものだ。

葱下げて蛇笏の村の女の子

日脚伸ぶ村の錆色おのづから

春の猫村を離るる気などなし

梟の闇村の闇別にあり

村へ引く水鼯鼠(むささび)の森通す

一句の中に「村」が出てくる句を挙げてみて気がつくのは「蛇笏の村」の句とそのほか4句との間にある立ち位置の微妙な違いである。作品が書かれた2002~2008年の間には合併により自ら住むところの古くからの名前が変わるという大きな変化を迎えることになったのだが、「日脚伸ぶ」の句に出てくる錆色とは変化と共に訪れた現実の「村」を覆う軋みの現れとも見て取れるし、「村を離るる気などなし」との断定の裏側には、この場を離れるか離れざるべきかを悩む隣人たちの姿が見え隠れする。天然自然の「梟の闇」と「村の闇」との対比からは、人々の中に漂う不安感の在り様も伺えるし、田畑を潤し、生活に欠かせない水が通るのではなく「通す」と書かれることにより、生活空間の一翼を担ってきたムササビの棲む森が切り開かれ、「村」にも影響が及ぶことを暗示しているかのようである。

一方、「蛇笏の村の女の子」との把握は、自ら住むこの「村」が、どのようなものであるべきかとの想定をもとに成立する。このとき「蛇笏」とは偉大な先達としての飯田蛇笏という存在にとどまらず、かつてこの村で生きた祖父母・曾祖父母と連なる係累と同じく、いまこの村を背後から支える一種の地霊的な存在として、いまここに生きる自ら、葱を下げながら家路を歩く少女と同じように「村」に息づいている。彼女も含めた村人、そして草木や獣たちもまた、かつてこの「村」に生きたものたちの支えを受けながらいまがあるとの確信のもとで、少女は作者が思い続けるわが内なる「村」を流れる時間の中に組み込まれる。

真つ先に鴉甲州百日柿

かりがねの道に雁坂甲斐の冬

存分の雷鳴北に甲武信嶽

どのような変化が現実に村を訪れようとも、ここは甲斐の国であり、遠くには険しい山々が連なり、季節は変わることなく流れるとの確固たる思いは揺るがず、空間を規定する。この3句に登場する甲斐に甲州もまたただの国名にとどまらない、自らがあるべき場所の名として深く刻まれた存在である。村人より先に鴉がついばみに来る柿、まわりの山々から雁坂に吹きおろす冬の風、そして険しい山々の向こうで高く鳴り響く雷、どれもが自らが抱える内なる「村」の一光景として、その姿は「村」の時間の中に位置づけられている、すべてが「存分」に。蛇笏賞選評で金子兜太氏は「気合を込めて郷土の厚みを抱き取ろうとする体があり、その野暮ったさを多としたいのである」と述べているが、その厚みは時間の流れの確かさを、わがものとして引き受けるところからはじまり、自ら求め続ける「村」と生活空間との幸福な一致によって成立して、そのとき現実の土の匂いは必要最小限にとどめられる、生活もまた「村」の一部である以上、自らの想念を乗り超えるようなことは、決してあってはならないのである。おそらく金子氏は「野暮ったさを多としたい」と言いながらも、この句集には「村」で生活する自らのからだを通じた葛藤の様子をなかなか窺いしれない、つまり「野暮ったさ」が感じられない点も見逃していなかったのではないだろうか、からだを流れているのはほとんどが「村」を覆う時間そのものであることを。
 
境川村小黒坂いつか夏

評伝といふ顔があり亀鳴けり

ありありと欅遥けき九月かな

句集後半のハイライトとなる恩師・飯田龍太との永別は、現実としても大きな衝撃であると同時に、自らが抱える内なる「村」にとっても大きな打撃となったことだろう、蛇笏から龍太とのつながりは、作者が認識する「村」の在り様を揺り動かす一大事でもあろうからだ。ここに挙げた3句では「境川村小黒坂」の句に「すでに百日」、「欅遥けき」の句には「偲ぶこころを」と詞書が付され、どちらも永別のときからしばらくの時間の経過を置いて書かれたのだが、句集に登場するほかの死者たち、たとえば「冬椿人に全き死などなし」と詠嘆した従弟のときや、盟友と自ら述べていた福田甲子雄氏などの俳人たちへの追悼とは異なり、自らの時間を支える大きな柱を失ったことへの衝撃の深さが、時を経るさらに実感されてきたことが伝わる。そこには自らにも訪れる肉体的な老いへの思いもあるのだろうが、あくまでもその点は注意深く避けながら、恩師との別れを自らが抱く内なる「村」の中にどのように自ら位置づけ、引き受けてゆくかを考えながら次の1年を迎えることになる。

龍太忌の砂とぶ丘の小学校

前景の村の月の出龍太の忌

龍太先生紛れずに春ひとり

1年後の3句からは、「龍太」が現実の人物から「村」の地霊的存在として位置づけられようとする様子が、改めて窺いしることできる。砂埃を上げながら小学校のグラウンドを駆け回る子供た地の姿の向こう側に、またあるときは村に訪れる月の出のはじまりとともに、「龍太」という存在が確かにいま、この「村」にいるという思いが、実感とともに確かめられる。そしてあまりにも大きな存在であったことへの思いが「春ひとり」の句にある。「龍太先生」はいまだに他の「村」の先人たちと違って生々しい存在であり、これから他の先人たちと同様に「村」の住人たちを流れる時間を支える存在となりながらも、先人たちの間に紛れ込むことなく自らの中を流れ続けるであろうことを、自らに言い聞かせるかのように確かめる、甲斐の「蛇笏の村」の住人であった自分はこれから、「龍太の村」の住人となるのである。その圧倒的な確信が根底にある限り、淡々とした筆致はむしろ時間そのものとして一句の中を流れてやまないわけである。

噎せるほど煙流れて桃の花

山々に気負いなどなし桃の花

千体の土偶の在所桃の花

空が一枚桃の花桃の花

ふたつの「村」を流れる時間の中にあって、精彩を放っているのがこれらの句に登場する「桃の花」だ。噎せるほどの煙の中で、あるときは土偶たちの背景に、そっと置かれたように佇みながら、「村」を彩ってやまない花々。繰り返し描かれる花の姿を見るとき、実際の生活の場とわが内なる「村」との幸福な一致を求めた作者の精神にとって、桃の花は求め続けた空間の在り様にもっともふさわしい花として目の前に、そして内面に咲き誇る。そこには「気負いなどなし」との思いを花と共有し、一面に広がる青空のもとひたすらに桃の花を堪能する自分の姿、そして村人たちの姿がある。「村」の時間を生きることこそが自らの俳句であると念じて、長い歳月を過ごしてきた人物の姿をそこに見て取ることは、実は相当に難しい、なにより自らの葛藤をいかに「村」の時間の奥底に静めるかに、これまでの全力を注いできたであろうから。

いまいる「村」はこれまでも、これからもずっと蛇笏や龍太の住むところであり、そこには必ず桃の花が咲き誇る。いかなる変貌が現実の空間に訪れようとも、わが内なる「村」には穏やかな時間が淡々と流れ、桃の花が咲く季節が、また訪れる。

3 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

岡村知昭様

御投稿有難うございます。
廣瀬さんの句集、読みそこなっておりましたが、お蔭様で楽しませていただきました。豈本誌48号の御作も面白いですね。

さっきから首相の貌の焚火かな

なんて爆笑ものです。

白昼は謝りつづけ紙おむつ
遠縁の敵機さすがに昏れにけり
鵺よくも絶縁体を嗅ぎにけり
ふたことめには倫敦の寒の鯉
調律はいちばんさいご寒卵
おむつするたび白鳥の声である

なども、言葉の組み合わせの自在さに惹かれました。「あとがき」で中村さんが少し書いていましたが、こういう作風の岡村さんが、廣瀬さんの句を読もうとすることが意外でもあるし、しかし俳句は俳句なのですから、やはり不思議ではないのかも知れません。今後ともよろしくお願いいたします。

岡村知昭 さんのコメント...

高山れおな様

返信遅れまして、失礼いたしました。
今回の拙文、さらには48号の拙作にコメントいただき、心より御礼申し上げます。

『風の音』を取り上げようとしたのは「蛇笏賞」受賞作という点が大きかったのですが、書きながら一句集を読み、どのように対象について書くかを考える作業の難しさを改めて実感したものでした。

そういえば思い出したのですが、所属している同人誌「狼」のかつての同人の奥様が「白露」に所属していたのです。その人の作品は見る機会がなかったので、誌面の雰囲気も含めていまだにわからないままなのですが。

今回の経験を次の一文、次の一句につなげるようにしていければと願う只今です。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

Unknown さんのコメント...

岡村さん。敢然と関東に乗り込んで論陣をはったことを先ず評価します。
 それから、同人誌派と思える岡村知昭が、伝統俳句結社の正統と見なされる「雲母→白露」の系譜の長を選んだ着眼点。現状を見る目。を評価します。「狼」でも、京都、大阪での短詩形、や詩歌の活動で、色々な傾向、詩型の実験を重ねてこられているので、対象世界への目配りはひろいですね。

さて、本文、「ふたつの村」というコンセプトの作り方が面白かったです。
「自分の居住地信濃」、「俳句が生きる内面の理想の村」の二重奏として廣瀬直人の「村」観念を句で追ってゆく論法、なにやら和辻哲郎の「風土」を想い出すところがあり、または手元に飯田龍太の『俳句、風土。人生』(講談社学術文庫)があるのですが、この飯田龍太の手の内にはまってしまっている気配もあり、これは、でも大半の人はここからしかまず論をたてられません。
 しかし、「雲母」の系譜の発想からは、あなたのこの村観念の二重性を突き出すことは出来ませんから、新世代のそれもかなりゼンエイっぽい若者から見た、ユニークな「伝統俳句論」となっていると、感心しました。

引用
一句の中に「村」が出てくる句を挙げてみて気がつくのは「蛇笏の村」の句とそのほか4句との間にある立ち位置の微妙な違いである。作品が書かれた2002~2008年の間には合併により自ら住むところの古くからの名前が変わるという大きな変化を迎えることになったのだが、「日脚伸ぶ」の句に出てくる錆色とは変化と共に訪れた現実の「村」を覆う軋みの現れとも見て取れるし、「村を離るる気などなし」との断定の裏側には、この場を離れるか離れざるべきかを悩む隣人たちの姿が見え隠れする。天然自然の「梟の闇」と「村の闇」との対比からは、人々の中に漂う不安感の在り様も伺えるし、田畑を潤し、生活に欠かせない水が通るのではなく「通す」と書かれることにより、生活空間の一翼を担ってきたムササビの棲む森が切り開かれ、「村」にも影響が及ぶことを暗示しているかのようである。
一方、「蛇笏の村の女の子」との把握は、自ら住むこの「村」が、どのようなものであるべきかとの想定をもとに成立する。このとき「蛇笏」とは偉大な先達としての飯田蛇笏という存在にとどまらず、かつてこの村で生きた祖父母・曾祖父母と連なる係累と同じく、いまこの村を背後から支える一種の地霊的な存在として、いまここに生きる自ら、葱を下げながら家路を歩く少女と同じように「村」に息づいている。彼女も含めた村人、そして草木や獣たちもまた、かつてこの「村」に生きたものたちの支えを受けながらいまがあるとの確信のもとで、少女は作者が思い続けるわが内なる「村」を流れる時間の中に組み込まれる。(岡村知昭、本文)

 長い引用で済みません、上記のここなんかは、貴文の本音にせまる鋭い指摘だと思いました。

 私は、筑紫磐井氏の『飯田龍太の彼方へ』(深夜叢書社)が、「伝統俳句」観の既成概念を半歩でも一歩でものりこえた、あるいはその呼び水になった、という直感があります。いま相馬遷子を読みながら、彼らがつきだそうとしているのは、その広瀨さん達が理想としてきた「桃源郷」である村の理想と現実の葛藤が、意識の内部の葛藤をおこし、表現上の葛藤へいたっている、そのことです。
とくに磐井さんのまとめ方にはその問題意識が強く感じられます。

 岡村さんのこの論は、上記引用の場面からさらに進展して、今後そういうことにも触れて進展するはずだと思います。ひきつづき、さまざまなテーマに挑戦してくださることを楽しみにしています。(堀本吟)