2009年5月24日日曜日

一杯の茶と出っ歯の冒険 デイヴィッド・G・ラヌー『ハイク・ガイ』を読む・・・高山れおな

一杯の茶と出っ歯の冒険

デイヴィッド・G・ラヌー『ハイク・ガイ』を読む

                       ・・・高山れおな

小林一茶を主人公とした小説というと藤沢周平の『一茶』(*1)や田辺聖子の『ひねくれ一茶』(*2)などが思い浮かぶ。特に後者は、田辺の一茶に対する全身的な共感ぶりと、良い感じに砕けた語り口に煽られるようにして、だいぶ興奮しながら読んだ記憶がある。読後、わだかまっている謎がひとつあって、文中に

名月や江戸の奴らが何知つて

という句が一茶作として引かれている。いかにも一茶らしい、私怨と文明批評がないまぜになったような、痛快な作ではないだろうか。ところがこの句、信濃毎日新聞社の全集の索引には載っていないし、他の一茶本でも今のところ見かけない。出来栄えからして田辺の偽作とも考えにくく、いずれ典拠をご存じの方があればご示教を賜わりたい(※A)

こんど翻訳が出た『ハイク・ガイ』(*3)もまた一茶をめぐる小説で、しかし藤沢や田辺の本のようないわゆる評伝小説とはまったくおもむきを異にする。そもそも主人公にしてからが歴史上の一茶を元に造型されたイッサ、ではなくて、彼の架空の弟子デッパ、なのだ。ちなみにイッサは、英語版では「Issa」ならぬ「Cup-of-Tea」という名前を与えられているそうだから、デッパの方も出っ歯を意味する英語がその名になっているのかと思いきや、〈「デッパ」は「突き出した歯」という意味〉〈英語で言うならば「牡鹿の歯(バック・ティース)」〉になると説明されているところを見ると、そうではないらしい(※B)

本書のブックデザインは英語版のそれに倣っているらしく(本記事の下の関連書籍購入案内の写真を参照)、表紙カヴァーは黒地に大きく「ハイク・ガイ」と白抜きして、白隠禅師筆のギョロ目の達磨図(大分・万寿寺所蔵の「朱達磨」と通称される巨幅)をあしらっている。隠れもない真宗門徒・一茶をめぐる小説が達磨の絵で飾られているのを見た時点ですでにある予感が胸をよぎるのであるが、開巻劈頭、その予感はあっさりと的中した(と、評者は思った)。

むかしむかしのニッポン国でのお話。年の半分は凍ったままの湖を抱く山並みの奥ふかく、もの憂げな顔の牛が白雪をこんもりシルクハットみたいにかぶり、将軍さまご用達の街道がもっと重要などこか他の町へと向かうためにうねうねとつづいていく。春にはネズミ色の雪解け水が道の両わきに溝をふかぶかとうがち、雪がすっかり消えたと思ったらすぐに、真夏のでっかい蚊がブンブンと飛びはじめる。農民らが重い年貢のことを忘れようと、酒を回し、歌をうたい、沸騰せんばかりの風呂にかわりばんこにつかって真っ赤になって、湯気をたてるお湯がどんどん、ぞっとしない茶色に染まっていく。そんな貧しくて、ギイギイと骨の髄まで絞りあげられた土地にある寒村から、このお話は始まる。むろん西洋の地図なんかにはのっていないし、たぶん、未来永劫のるはずもない村だ。

と、こんなふうに本書ははじまる。歴史上の柏原村を元にした架空のカシワバラ村の描写であり、地理と社会をわかりやすく簡潔に俯瞰し、読者を“ここではないどこか”に存在する物語空間へと連れ出す巧みな導入と言ってよいかと思うが、一方で、妙な定型感を覚えないといえば嘘になる。なんだか時代物のハリウッド映画のイントロダクションぽくて、尺八の音(だったかな)をバックに神々がどうしてこうしてとナレーションがかぶさる『ラストサムライ』(*4)のそれなどを、連想しないわけにはゆかない。阿弥陀如来ではなく達磨が装画に選ばれるのも、明治維新・西南戦争を背景にした『ラストサムライ』にニンジャが登場するのと同様の、紋切り型の必死の要請というものだろう。日本人しか知らないジョードシンシューと違って、ゼンは普遍語なのだ。

地誌的な概観から入る小説だっていくらでもあるでしょうにと言われそうだけど、それでもやはりこれはハリウッドだよと言わざるを得ないのは、導入に続いて提示され、物語の根幹をなすイッサとデッパの関係性が、神秘的な師に導かれた弟子の成長物語という、おなじみの説話的なパターンを踏襲しているためだ。『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(*5)におけるジェダイ・マスターのヨーダとルーク・スカイウォーカーから、『カンフー・パンダ』(*6)のシーフー老師(レッサーパンダ)とポー(こちらはジャイアントパンダ)にいたるまでいくらでもその例はあるだろうが、そのあたりは映画的教養に富む諸兄姉の方が、評者などより余程詳しいはずである。さらに『カンフー・パンダ』におけるマスター・タイガレス(虎です)やマスター・ツル(鶴です)、マスター・マンティス(蟷螂です)に相当する、やがて主人公に凌駕されることになる兄弟子たちという定番キャラクターも抜かりなく配されていて、それはこの小説ではシロ、クロ、ミドという、それぞれ白装束、黒装束、緑装束に身を包んだ三人の俳諧師である。

ハリウッド的ないしアメリカ的普遍主義による語りの枠組みに加えて、本書では、ニューオーリンズの創作グループのメンバーとして俳句小説を書きつつある作者自身の物語が同時進行する。さまざまな個性を持った小説家志望者たちが、お互いの創作を持ち寄っては批評し合い、またそこに作者自身の恋愛話などが絡んでくる――そういうメタフィクションの手法の採用もまた、いかにも今どきアメリカ文学風なのではないのかとふと想像される。創作グループではなくて読者サークルの話だけど、たしか『ジェイン・オースティンの読書会』(*7)という話題作が数年前に出ているはず。もっとも、評者はアメリカ文学の現況には蒙いので、これは全くの当てずっぽうにすぎない。

ここで作者のプロフィールを参照しておくと、作者のディヴィッド・G・ラヌーは、一九四五年生まれで、物語の語り手同様、ニューオーリンズに在住。ネブラスカ州立大学で英文学博士号を取得し、ニューオーリンズのゼイヴィア大学英文科教授として教鞭を執る。小説中の本人=ナレーターは、この実物を少しばかり貧相に、いわば俳諧風に“やつし”たものではないかと思う(これも当てずっぽうながら)。英文学科教授でありつつ俳句作家でもあるという立ち位置というか、アメリカの事情がよく飲み込めないのであるが、アメリカ俳句協会の有力会員として欧米の俳誌に俳句作品や俳論を盛んに執筆しているとのこと(しかし、考えてみれば本書の訳者である湊圭史も英文学研究者兼詩人兼俳人ではある。とはいえ、湊は日本人なので…)。ラヌーはとりわけ一茶には造詣が深く、二十年以上をかけて九千句もの一茶作品を英訳し、『一茶:一杯の茶の詩 Issa: Cup-of-Tea poems』(一九九一年)、『浄土の俳句:僧侶一茶の芸術 Pure Land Haiku: The Art of Priest Issa』(二〇〇四年)という関連の著書も二冊ある。『ハイク・ガイ』には、一茶の句が英訳と共にいくつも引用されるが、お手のものということであろう。

さて、小説の筋に戻ると、貧しい農民の子にして自称「村の詩人」であるデッパ少年は、高名な俳諧師イッサに弟子入りを願い出る。デッパが示した、

名月や死にたる猫の目のうちに
in the dead cat’s eyes / harvest / moons


という一句に驚いたイッサは、入門を許す。この句は一茶っぽくないこともないが一茶全集には無いから、つまりラヌーの作なのだろう。

 止まる、見る、聴く。
 イッサとデッパは、あらゆる動きののろいものたちを観察して、その一週間を過ごした。壁板を這うカタツムリを見つめつづける試練のまえの日には、草が伸びる音に午後のあいだじゅう耳を澄ませていた。ついには、暗くなりだしたころ、デッパはうえに伸びんとする草の葉が立てた、かすかな軋みを聴いた「気がした」。(中略)イッサは上機嫌だった。(中略)そのさらに前日はといえば、丘のうえの大根畑の裏の木立でカエルを一匹見つけるやいなや、イッサは低く身をかがめて、にらめっこを始めた。デッパには、にらみ合いが永遠につづくように思えた。カエルも俳人も瞬きひとつしなかった。結果は名誉の痛み分けだった。
 それでもまだデッパには、「止まる、見る、聴く」ことの大切さが理解できなかった。

ラヌーは、『ハイク・ガイ』は俳文ではなく「俳句小説(ハイク・ノベル)」であると称しているそうだ。さらに、〈フィクションをよそおった「句作マニュアル(ハウ・トゥ・ライト・ハイク)」〉を狙ってもいるらしく、それが本気なのか冗談なのか評者には判断つきかねるものの、とにかく上に引いたような記述がその「句作マニュアル」的部分にあたるのであろう。イッサ自身はこの場合のように俳句の要諦を行動で示すだけで、はっきり言語化しようとはせず(なにしろ神秘のマスターだから)、それは農民の子デッパを相手にした場合でも、大名を相手にした場合でも変わりはない。江戸に住む冷酷な美女スモモ太夫への恋に悩むカガ公は、わきあがる胸の思いを俳句に託し、一日一句ずつイッサに見て貰うが、イッサは公の句が書かれた和紙を黙って牛糞の山に突っ込むだけなのだ。イッサがようやく首を縦に振ったのは、カガ公がイッサのもとに通いはじめて百日目で、しかもイッサはその、

老いらくの冬の焚きつけ積むばかり
the old fart / stacks the winter / kindling

というカガ公の句に、〈「よし」〉と言うだけなのだった。ちなみに、カガ公は、柏原を通って参勤した加賀の前田家の殿様に相当するわけだが、本書ではシナノの国の領主ということになっている。居城はカナザワ城ではなくマツモト城である。いや、こうした混乱にけちを付けようというのではない。ラヌーはもちろん正しい知識を持った上で、日本の歴史や地理について何も知らないアメリカ人読者に向けて書いているだけのことだ。しかし、日本人読者にとっては、この種のアレンジはこの小説をより一層ファンタジックなものとして印象づける効果をあげるだろう。

ファンタジーといえば花火である。カガ公が、〈自作の句が師匠に初めて認められたことを祝して〉湖のほとりで花火大会を催す場面はだから、花火なしのディズニーランドがありえぬように、この小説にとって必然の前半の“山場”なのだ。『ラストサムライ』の最初の戦闘シーンみたいなものだ。そして、〈カガ公のお付きの者たち、それに村中がこぞって参加して、「おおっ!」とか「ああっ!」とか歓声を上げる〉のに混じって、〈浪人ザムライ〉〈村外からやってきた旅の芸者の出で立ち〉をしたニューオーリンズにおける語り手の仲間たちの姿が見られるのも、ファンタジーとしてはいたって自然と言うべきだろう。一歩間違えば、ネズミやアヒルの化け物、スカートを膨らませた中世のお姫さまや小人の木樵りたちが現われかねないところだ。その仲間たち、〈メラニーとチャズ、それにミッキー〉のうち、メラニーは花火大会のずっと後までこの架空の日本に滞在しつづけて、デッパの初恋の人にさえなる。こうした、モダニズム文学風でもあればエンタテインメント風でもある花火大会の外側からの描写のあとで、ナレーターは〈偉大な詩人〉の様子を、こんどはイッサの側から語り直す。これまた冗談とも本気ともつかぬ、「ハウ・トゥ・ライト・ハイク」として。

俳句とはカラテ・チョップのようなもの、サムライの刀の後悔を知らぬひと突きのようなものだ。迷いだとか、考え直しだとか、ましてや「書き直し」などはあり得ない。物知り顔の人間がいう俳句の「推敲」とは、実際には新しい句をつくるということなのだ。

例えば、カガ公の湖岸花火大会の夜、イッサは空が明るく輝くたびに一句を吐き出していた。そのたいていは似通っていたけれども、それでもそのすべてが、雪のひとひらひとひらのようにユニークだった。他の見物たちが「ああっ」「おおっ」をくりかえすあいだ、イッサは句作に余念がなかったのだ。

残念なことに、これらの即興句のなかでデッパが思い出すことができたのは、ただ一句だけだった。デッパは後世のため、この一句を日記に書き留めている。

どをんどんどんとしくじり花火哉
Boom! boom! ka-boom! / so many duds… / fireworks

(中略)俳句はピカソによる十秒のデッサンみたいなものだ。まえもっての計画はなし、後悔の余地なし、迷うひまなし。とにかくバットを振る!

そして俳句とは人生であり、人生は俳句である。

「どをんどんどん」の句が出てきたとき、こういう句が一茶にあってもおかしくないのは承知していたが、しかしいくらなんでもこれはないだろう、一茶調を誇張したラヌーの偽作ではないかと一瞬疑いがきざし、調べてみると『八番日記』にある文政四年(一八二一)の作に間違いないので、おのれの無知を恥じつつ、一茶の過激さに改めて驚いた。この後、カガ公は居城へと戻り、替って江戸からクロ、ミド、シロの三人が師イッサを訪ねてやってくる。彼らは師との交歓を果たしたのち、故郷を出奔して旅に生きることで俳句を究めようとするデッパの案内役として、一緒に長崎にまでゆく。この三人の弟子は、語り手の俳句理解を縦横に表明する媒体という意味ではイッサ以上に活躍しており、いかにフィクションとはいえ、実在の一茶と紐帯を有するイッサにあまり無体なことを語らせるわけにもゆかないことから生み出されたとおぼしい、かなり人工的なキャラクターである。もちろん作者としてもそれを隠すつもりのないことは、その不自然なネーミングからして明らかだろう。すなわち、クロはこの世界がブッダが見る夢であり、仮象であると観ずる無常観の象徴である。ミドは酒に目がなく、瞬間瞬間を楽しむことを奨め、自分の心から抜け出すことが俳句の要諦であると説く。最も問題含みの人物はシロで、彼は、〈純粋なる詩というものは、「ぴんと」なる言葉の外の直感、言葉が決してとらえることができない非言語的完全性のひらめきとしてのみ存在しうる〉と考える沈黙の俳人であり、その作品は沈黙の実践そのものとされる。

三人組がそれぞれに表明する俳句観をデッパが乗り越え、みずからの俳句を見つけ出す成長記を骨格としつつも、小説後半の舞台はもはや“むかしむかしの”カシワバラを離れ、京都や長崎、現代のアメリカへとめまぐるしく移り変わり、最後は再び登場したカガ公と語り手の失恋譚の重奏のうちに幕を閉じる。スラップスティック・コメディ風なスピード感で小気味よく走りきっていて、まずは楽しめる小説であるが、読みながらずっと思い出していたのはじつは冒頭で触れた藤沢周平や田辺聖子の一茶小説ではなくて、小林信彦の『ちはやふる奥の細道』(*8)の方だった。ご存じの人も多いと思うが、半可通のアメリカ人日本研究者ウィリアム・C・フラナガンが著した芭蕉本を、そのでたらめを承知で小林が翻訳するという体裁をとったパロディー小説。「作者ノート」によれば、一九六八年八月三日の朝日新聞夕刊に載ったイギリス演劇の紹介記事を読んだことが執筆のきっかけになったのだという。小林が「作者ノート」に全文引用しているその「誤解は創造の始り」と題された新聞記事を、こちらも全文孫引きしてしまおう。長くなるが、小林信彦をインスパイヤするだけあって、すごく、面白いので。

いまイギリスで、バショーという人物を主人公にした「奥の細道」(Narrow Road to the Deep North)という芝居が話題を呼んでいる。作者はエドワード・ボンド、一九六五年の「救われて」で不良少年の嬰児虐殺の現場を舞台にのせ、議論をまき起した新進劇作家である。イギリスのコベントリーで開かれた「大衆と都市」についての国際会議の余興として、委嘱されたのがこの新作である。

サトリを求めて北国を旅していたバショーが、帰途、「九つの槁の都市」を通る。ここは今ショーゴーという暴君に支配されているが、バショーも三十年前に通ったことがあって、そのとき捨てられた赤ん坊を見かけたのだった。ショーゴーの暴虐ぶりに慄然としたバショーは、北国で会った異国人たち(大砲を引きずった白人提督とその妹の伝道師)を呼寄せて、町を乗っ取らせる。かくしてキリスト教が剣に代って独裁的支配を行う。最後の巻返しに出たショーゴーは、白人の擁する子供皇帝を殺そうとして、結局、おのれの残虐さに見合った残虐さをもって殺される。――この都市がこうして貪欲と流血と冷淡の渦と化したのは、いかなるのろいのせいなのか。ショーゴーの死体が運び出されるのを見ながら、瞑想するバショーの胸に、答えがひらめく。三十年前に自分が「北国へ向う細い道」のかたわらに見捨てた赤ん坊、あれがショーゴーだったのだ。

日本人から見ると、これはまたなんと芭蕉の世界と似ても似つかぬ、肉食人種的(?)な物語か、と思われよう。しかし「やっぱり東は東、西は西か」と肩をすくめる前に、「ボンド日本へ行く」と題した「オブザーバー」紙の次にような劇評に耳を傾ける方が大事ではあるまいか。

「ロンドンが世界演劇の首都たることを例証する一行事は毎春恒例の〈世界演劇季節〉だが、去年の日本の能の公演は、ボンドの新作においてみごとな実りを結んだ。これはサルまねではない。押えた詩情と直截深遠なビジョンをもつボンドの演劇的才能が、能によって、最も深いところで触発されたのだ。形式的にもボンドの最良作であるこの劇は、能の衝撃なしには生まれなかっただろう。今年の〈世界演劇季節〉もこのような効果を及ぼしつつあることを期待したい……」

能の公演のほかにも、最近「奥の細道」英訳がペンギン文庫にはいったとか、三島由紀夫の「近代能楽集」の人気とかの事情も考えるべきだろう。また八月のエディンバラ・フェスティバルでは能「隅田川」を下敷きにしたベンジャミン・ブリッテンの新作オペラが上演されるそうだ。ともあれ「東は東」式のシニシズムや純潔主義は創造的ではない。

一九一六年にイェイツが若き日の伊藤道郎を使って、能めかした「鷹の井にて」を発表し、同じころエズラ・パウンドがフェノロサの暗示によって俳句の富を現代詩に奪取したとき、彼らの輝かしい仕事は厳密には多くの「誤解」にみちていたではないか。俳
句が学問的にかなり「正解」され理解がゆきわたってきた今日のアメリカでは、皮肉にも俳句は真の詩的影響力を失って、ホビー(道楽)の一つに堕した感があるのにくらべ、イギリスはいま創造的「誤解」の季節にあるというべきか。

『ちはやふる奥の細道』は、もちろんボンドの戯曲ほど無茶苦茶なわけではなく、むしろ『おくのほそ道』と元禄時代の歴史を正確にトレースしながらずらしたもので、引用される芭蕉句に施されるこじつけの解釈が、物語全体に対して奇妙につじつまが合っている、というあたりの手際がパロディー作家としての小林の腕の見せどころになっている。そこで笑われているのは西欧人のしばしば頓珍漢な日本理解であると共に、芭蕉を文化的権威として崇める一部日本人であり(つまり私やあなたのことです)、かつまた芭蕉忍者説のようなものに血道をあげる奇説好き・裏読み好きの人たちであり、さらに誰よりパロディーをパロディーとして理解できない人たち、ということになろう。

ところで、朝日新聞の記事の段階ですらアメリカでの俳句理解が相応に正確なものになりつつあったとすれば、まして四十年後のこんにち、九千句もの一茶作品を英訳した人物の日本や俳句についての理解がよほど精緻になっているだろうことは想像に難くない。にもかかわらず『ハイク・ガイ』が『ちはやふる奥の細道』を思い出させるとしたら、前者は私小説的な形で、後者はパロディーとして、“アメリカ人が書いた”ということを誇張気味に強調しているゆえだろう。とはいえ、類似はそのあたりまでで、そのコミカルなのりにもかかわらず『ハイク・ガイ』は決して何かのパロディーというわけではない。指摘したようなハリウッド風の語り口も、あえて言うなら「オリエンタリズム批判・批判」、すなわち批判の批判として折り返されたオリエンタリズムなのであって、底にひそめられた俳句への志向(小林信彦にはもちろんそんなものはない)がストレートで真摯なものであることに疑問の余地はない。それでいてなお、この小説の俳句理解に違和感があるとすれば、それはラヌーが近世俳諧と現代英語俳句を直結することで、近現代の日本俳句を捨象してしまっているからではないだろうか。いやしかし、違和感を申し立てたいのはラヌーの方かもしれないとも思う。じつのところ、当節の俳人・俳句愛好者のほとんどが、一茶はおろか芭蕉さえ意識することなく作品を作っていると知ったら、彼は驚くだろう。評者だって未だに驚いているくらいなのだから。

(※A)冒頭で触れた〈名月や江戸の奴らが何知つて〉の句について、関悦史氏からご教示を得た。千葉県の我孫子市役所の敷地内に句碑があること、しかし存疑の句らしいこと。また、〈蕎麦の花江戸の奴らが何知つて〉の句形もあること。しかし、この「蕎麦の花」バージョンも全集索引には見当たらない。こちらもあくまで伝一茶ということであろうか。(5.26追記)

(※B)本稿アップ後の五月二十五日夕方、筆者のラヌー氏、訳者の湊圭史氏にお目にかかる機会を得、英語版の一部を抜粋したプリントを入手することが出来た。それを見るとデッパは英語原文では「Buck-Teeth」となっている。よって拙稿に引用したデッパの名前に関する説明は、翻訳に際しての処理ということのようだ。(5.26追記)

(*1)藤沢周平『一茶』 原著:文藝春秋 一九七八年/文春文庫 一九八一年
(*2)田辺聖子『ひねくれ一茶』 原著:講談社 一九九二年/講談社文庫 一九九五年
(*3)デイヴィッド・G・ラヌー『ハイク・ガイ』 原著:二〇〇〇年/邦訳:二〇〇九年五月十日刊 湊圭史訳 三和書籍 
(*4)『ラストサムライ』 エドワード・ズウィック監督 二〇〇三年 アメリカ・ニュージーランド・日本合作映画
(*5)『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』 ジョージ・ルーカス製作総指揮 一九八〇年 アメリカ映画
(*6)『カンフー・パンダ』 ビル・ダマスキ製作総指揮 二〇〇八年 アメリカ映画
(*7)カレン・ジョイ・ファウラー『ジェイン・オースティンの読書会』 原著:二〇〇四年/邦訳:二〇〇六年 矢倉尚子訳 白泉社
(*8)小林信彦『ちはやふる奥の細道』 原著:新潮社 一九八三年/新潮文庫 一九八八年

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4 件のコメント:

さんのコメント...

れおなさま。41号のあとがき欄と後先になる書き込みです。京都での私の「ハイクガイ」体験に照らし合わせてこの欄に短く感想をつづけてゆきます。これは、「異文化」領域にふれるいわゆるカルチャーショックの心理がビビッドにあらわされている、面白いマージナルな虚実皮膜の世界でした。そして現代の若いハイクガイである翻訳者の功績がおおきいですね。



どをんどんどんとしくじり花火哉
Boom! boom! ka-boom! / so many duds… / fireworks

「どをんどんどん」の句が出てきたとき、こういう句が一茶にあってもおかしくないのは承知していたが、しかしいくらなんでもこれはないだろう、一茶調を誇張したラヌーの偽作ではないかと一瞬疑いがきざし、調べてみると『八番日記』にある文政四年(一八二一)の作に間違いないので、おのれの無知を恥じつつ、一茶の過激さに改めて驚いた。
(れおな、文)

以上の貴文、私もそれに近いことを考えたのですが、れおなさんに「負けた」のは、私は原本まではしらべなかった。(笑)

でも仮にラヌー氏の作品であっても、「偽作」というのは正確ないいかたではないです。「イッサ」は小林一茶その人ではないのですから。
ただし、私からの注文は、この小説が小林一茶の伝記や彼の句の世界に多くを負っている以上、巻末にでも、これこれは「小林一茶作」の引用か、あるいはそう言うこととは無関係に著作権に関係ない句をもちこんだのか、と言うことがわかるように註を付けて頂かないと、この種の誤解や場合によっては悪印象が出てくるとおもいます。(日本人の俳句作品についての認識、文化水準の問題ですが)。

いまの日本人の古典教養では、専門俳人でも小林一茶の全句に通暁している人は、先ずいない、です。でも私はラヌーさんの研究者としての当然の知識を信じたわけです。私は、国籍はともかく、一茶に関する素人の一般読者ですから、このような句を小林一茶が残していたとは、とおどろきました。(でも「痩蛙」の句などとつらなるリアルにありがちなことへの観察なので、言われてみると、そう不思議ではありませんが。)芭蕉ファン、あるいは取り澄ました俳句人も一茶嫌いの原因はこういうところにあるのでは?
でも、米国に住む外人のラヌーさんが、これを取り出して日本の俳人に、一茶の存在理由在り所を示した、ここに実はカルチャー・ショックを受けたのです。

(イッサと兄弟子たちが、雪の上に排泄しのこした不完全な上句に見習い弟子のデッパが
ヤハり排泄物で続けて、句をかんせいさせるでしょう?あそこの場面はほんとに秀逸です。文字通り「ハウ・トゥー・ハイク」=共同製作の過程をあらわしています。そこに完成された「イッサの句」は、イッサものなのか、また、兄弟子達の「句」はラヌーさんの作なのか、そういうところがわかりませんね。ここらが研究者としては、説明された方がいいようにも思いました。


ラヌー氏の「日本語」理解についての貴文の揶揄めいた指摘については、語学力ゼロの私としてはなんともいいかねますが、日本人の「自国の古典」理解と水準をあわせているのかもしれません。
一茶研究者の側から接近してきている氏の一茶の本質についての理解は的を射ていると思いましたし、荘子の世界の渾沌(津田清子さんのはなしからの受け売りですが)、壇林の奇想、などと通底する原感情のアナーキーな部分にふれる何かを捉えています。

また、「日本文化、日本人の心性」理解については、れおなさんの指摘のような面があります。どこまで自覚されているかはともかくこれは一種の日本文化論、批評を含んでいるようにも思われまして・・。漫画劇画の映像的方法が観じられる、と言う意味では現代的な俳句理解でしょう。

湊圭史の、日本語への翻訳の言語感覚は優れているとおもいました。それを引き出した原テキストの英文「ハイクガイ」にあらわされた、D・ラヌーの文学や日本文化への知性もなかなかのものだと思います。


以上が、自分の経験と貴文の読みから触発された私の最初の感想です。
高山れおなの書評は、原作の真意と読み手の興味をつなぐ辛口の正確さと親切さがあり快調ですネ。これが好きか嫌いかで散文家高山れおなへの人気が二分するかも知れませんが(微笑)

それにくわえて、私の、書評そのものを批評的に読むコメントが、「俳句空間—豈—weekly」という媒体のインタラクティヴな要本質をひきだし、エスプリ汪溢する役割をもてたならば、嬉しいことです。(堀本吟)

三和書籍 さんのコメント...

はじめまして。
三和書籍の藤田と申します。
弊社の書籍を紹介していただき
ありがとうございます。
つきましては貴兄のこのページを
弊社のHPより
リンクさせていただきたいと
思いますが、いかがなものでしょうか?
よろしくお願いいたします。

高山れおな さんのコメント...

三和書籍様

リンクの件、どうぞお進めくださいませ。

三和書籍/藤田 さんのコメント...

高山れおな様

こころよいお返事、
ありがとうございます。
早速、弊社HPのTOPのハイク・ガイの
バナーよりリンクさせていただきました。
よろしくお願いいたします。

三和書籍
藤田