2009年4月19日日曜日

「俳句空間」No.15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(1)・・・大井恒行

「俳句空間」No.15(1990.12発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(1)

阿波野青畝「蝶多しベルリンの壁無きゆゑか」

                       ・・・大井恒行

昨年の12月31日、かつての「俳句空間」を発行していた(株)弘栄堂書店が会社解散・閉鎖となった(筆者は奇しくも同日定年退職)。その折、事務所の撤収で、わずかに残っていた「俳句空間」関係の書類を整理していたら、B5の茶封筒の中から、思わぬものが出てきた。それは「平成百人一句鑑賞のための自信作5句」の各俳人の原稿である。注として、「平成元年1月から平成2年7月までの作品からお選び下さい」とある。それにはさらに、「発表誌 年 月号 もしくは句集名など」また「生年月日」「著書等ご記入下さい」の各欄もある。現在のようにワープロ・パソコンの普及もいまだしの頃、すべて自筆である。今では、かなりの方々が鬼籍に入られている。このまま、埋もれさせるのは、忍びないと思い、筆をとることにした。

「俳句空間」は雑誌ではあったが、書籍のように、帯には「20歳代の新人から阿波野青畝まで」の宣伝文句も付けられていた。無謀なことに、この各俳人自選5句の中から、編集部が(といいっても私一人)、鑑賞してもらう一句を選び、指定して、各鑑賞者に原稿依頼をするという、厚顔無恥な振る舞いをしていた(思えば身が縮む)。つまり、作者、鑑賞執筆者の意向など、ほとんど無視されていたのである。平成に年号が変わって、わずか1年半のことであった。もう20年前のことになる。私も歳をとるはずだ。当時の編集後記には「作者、執筆者の希望はほとんど無視されている。(中略)この偶然によって、一句が輝きを増す場合もあるし、逆に一句の輝きほどには鑑賞文が届いていない場合もある。読者はそれらを自分の力で読みとって楽しめば、これらは平成俳句の格好のテキストになるだろう。ただ気がかりなのは、百人は百人であって百人ではない。もっと選ばれるべき人がいたであろうということである」と記されている。

さて前掲出、阿波野青畝句の鑑賞者は、気骨ある誠実の印象深い島谷征良である。鑑賞の結びには「俳人が世界情勢を詠まないといふのは実情を知らない人の言ふことで、多くの人が詠んでゐる。だが、報道の焼き直しみたいなものが多いので、注目すべき作品がない、といふのが実情だ。青畝氏のこの句、末尾の『か』に、まことの俳句のできへた人の感覚があると思ふ」と述べている。

島谷征良の指摘ではないが、阿波野青畝は、世界情勢をよく詠んでいる。1991年の湾岸戦争時にも、かつての社会性俳句を推進してきた俳人が、ほとんど詠まなかったのを尻目に、「俳句」(91年4月号)には「湾岸戦争を憂ふ」と題して「カシミヤの毛布ぐるめは避難民」「寒波にも髭のフセイン意地ッ張り」「湾岸の不幸な記事と福寿草」など。写生という方法は、単純に言えば、外界にあるものを写しとること、写生に忠実であれば、自ずと現実の風景を切り取ってくることになる。つまり、写生の特質は詩想が常に外界にある(無尽蔵)ということである。

因みに、阿波野青畝(明治32・2・10生)の平成の自信作5句は、以下。

  九十に一の足し算明の春           「かつらぎ」平2・3月号
  十七字憲法が有り初詣 (明日香橘寺)      〃      4月号
  睨めども平常心の鷹ならん            〃      5月号
  冴返る金毛閣は人を容れず (大徳寺山門)    〃      6月号
  蝶多しベルリンの壁無きゆゑか          〃      7月号

阿波野青畝には、他にも思い出がある。「俳句空間」No8(1989・3)、〈特集・さらば昭和俳句〉でも、「昭和初期のホトトギス」と題した宇多喜代子によるインタビューに同席させていただいた。たしか、宇多喜代子が森田峠を介して実現したもので、甲子園の御自宅にお邪魔したのであった。幼少時からの難聴で補聴器をしておられたが、実に明解に答えておられた。談笑の折に、作句の際に一番大事なことは何ですか?と単刀直入に尋ねたら、「それは、言葉ですよ」と即座に返ってきた。高柳重信が「水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首」青畝の句を絶賛し「言葉の蛇」となりきったと述べたことが頷かれた瞬間でもあった。玄関まで送っていただいた庭には万両の実が鮮やかだった。

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1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

大井さん おげんきですね?
参加、大歓迎。「俳句空間—豈—weekly」、すこしペースができてきましたね。このトポス、必ずもっと活性化するとおもいます。

今回は、自分以外の全稿にコメントつけたい。(冨田さんとこへは夜があけてからゆきます、眠たくなったから。)
それぞれ、自分の位置から俳句への関心をちゃんと読み込んでいるという感じがします。
あらためて、関西には、阿波野青畝。西村白雲郷、橋閒石。永田耕衣、大橋嶺夫等が、おられたのだなあと思いました。みな、すごい人たちですよ。
青畝のことは、退陣してしまったけど島一木さんがお好きで、良く話を聞きました。
この句はとてもおもしろいです。こういう社会の読み方、あるんですね。
それから他の4句もひょうひょうとしていますね。これから楽しみにします。