・・・恩田侑布子
三層 夢の肉
濡れしもの吾妹に胆にきんぽうげ 4
『姉にアネモネ』所収
濡れしものといっても、もちろん雨にではありません。いわゆる濡れ場です。歌舞伎ではご存じのように、江戸の荒事、上方の和事。濡れ事ともいう、やわらかみを持ち味とする男女のからみは関西歌舞伎のおはこです。
わたしが思いだす濡れ事の名場面といえば、高校の授業をさぼって歌舞伎座で見た「曽根崎心中」や「心中天の網島」です。ことに、「曽根崎心中」のお初徳兵衛の、あの天満屋の縁先の場面は忘れ難いシーンです。演じていたのは二代目鴈次郎と扇雀(現在の坂田藤十郎)の親子。鴈次郎の小柄でなよやかな声の抑揚と、軽くやわらかな足取りはまさに色男。恋敵に騙され追い詰められた徳兵衛を、天満屋の縁の下にかくまい、その縁先に遊女お初が客を背にして何食わぬ顔を装い腰かけています。お初が客に気取られぬように、心中の決意を問うて豪奢な着物から素足を垂らす。徳兵衛は縁の下から思わずその真っ白な足先を押し頂いて、自らの喉笛に当てる。死ぬる覚悟が一瞬に伝わります。思わず身を反らすお初。官能の痺れ。
濡れ事というのは、かように隠微で危険なもの。心中物を持ち出すまでもなく、文学や芸能や映画で描かれてきた濡れ場は、淫靡で、悲劇性といわぬまでも、悲しみを帯びたものが通り相場ではないでしょうか。しかし、この句は、濡れ場を描きながら、あどけないとさえいいたくなる幸福感に包まれています。
幸福感・秘密その二は、濡れしものを並べ立てていくリズムの良さです。わギもにキもにキんぽうげ、というギ、キ、キの三連続のキ音の力強い生命力の輝き。そこに、ぬれしモの/わぎモに/きモに/きんポうげ、とモ、モ、モ、ポ、の弾力に満ちた肉のなめらかさとはちきれそうな感じが重なります。両者の音素が交互に弾み、一句は嬉遊曲のような若々しい茶目っ気を奏でるのです。
幸福感・秘密その三は、濡れしものとして挙げられた「胆」です。辞書には、こころの状態を胆で表すことばが並んでいます。「胆が潰れる。胆が消える。胆を砕く。胆にこたえる。胆に染む。胆に銘ず。胆を煎る。胆を焦がす。胆を据える。胆を冷やす。胆を焼く…」。しかし「胆を濡らす」は辞書にはありません。攝津らしいウイットに富んだ造語です。恋人が濡れて、僕も一緒に、身も心も濡れそぼっちゃったんだ、とのたまうのです。幸福感・秘密その四。幸せのとどめは、なんといっても大団円の「きんぽうげ」でしょう。晩春の可憐な黄色い野の花。濡れそぼった恋人と僕は、きんぽうげの金色の円光の中にやさしくぽっかりと抱き取られます。朝露に濡れながら、きんぽうげの黄金に溶け込んでしまうのです。
よっぽど吾妹が好きなんだあ、とつくづくうらやましくなります。おのろけここに極まれりの、健康でノーマルな性愛賛歌です。のびのびとした大らかさで、「濡れ場」の隠微な既成概念の裏をかく、これが攝津です。ある句がこの句の表の句としてふと思い浮かびます。阿波野青畝の満月のような句といわれる〈葛城の山懐に寝釈迦かな〉です。青畝の句が円満具足の涅槃なら、これは円満具足の濡れ場ではないでしょうか。しかも、いま誰かを愛し愛されている人、もしくはかつて愛し愛された記憶がある人なら、その最高のひとときを、この句をつぶやくことで体感できるでしょう。
心弱りするときは、この句の出番です。「濡れしもの」といったあと、中七以下をリズムよく口遊んでみて下さい。わぎもにきもにきんぽうげ。心の中がなつかしい卵色に灯りませんか。ぽうっとぬくまるおススメのおまじないです。
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5 件のコメント:
> この幸福感の秘密その一は・・・
この解釈のあまりの可愛らしさに、いっぺんに好きになってしまいました!男の子らしい(笑)。かわいい~(>▽<)!!!
あと肝臓(胆が肝臓なのかどうかはわかりませんけれど)内臓、テカテカのうるおいったら素敵です。きゃ♪
レバ刺し大好き!手術中のあったかさも大好き!でも疲れるのでちょっといや(笑)。
また遊びに来ますね!
はじめまして。
いつも興味深く拝読しています。
はじめてコメントさせていただきます。
今回の「濡れしもの吾妹に胆にきんぽうげ」についての恩田さんの記事を読みながら思ったことなのですが「濡れしもの」の「濡れ」が「濡れ事」の「濡れ」というのはよくわかります。「吾妹」からも「胆」からも「濡れ」をイメージすることは出来ます。
しかし、「きんぽうげ」と「濡れ」はすこしつながりにくいように思うのです。なぜ、きんぽうげなのかということがもうひとつ腑に落ちません。
そこで思ったのは「濡れしもの」にかかるのは「吾妹」と「胆」だけで「きんぽうげ」はここでは季語として取り合わせてあるだけなのではないかということです。
つまり、「濡れしもの吾妹に胆に・・・/きんぽうげ」ということです。
「ワギモ」、「キモ」は一応韻を踏んだかたちになっていますが「キンポウゲ」は「キ」の音が重なるだけでリズムとしてはそれほど軽快ではないような気がします。わざと軽快さを避けたという見方も出来ますが、ここでは吾妹は恋人、胆はレバーではなく内臓の総称、つまり恋人の体内のことだとすれば「濡れしもの吾妹に胆に」までがいわゆる性描写ということになります。そして季語の「きんぽうげ」。
金鳳花には可憐な花というイメージもありますが、一方でトリカブトやクサノオウ、アネモネなどを擁する有毒植物、キンポウゲ科の総称でもあります。可憐な外見とは裏腹に内面に毒を秘めている。そこへ晩春のけだるさが加われば「濡れ」を支援するにはぴったりの季語ではないかという感じがします。
俗な例えでもうしわけありませんが甲斐バンドに「きんぽうげ」という曲があります。
一般的にはあまり知られていないかもしれませんが甲斐バンド・ファンなら誰でも知っている曲です。
『きんぽうげ』
詞:長岡和弘
曲:松藤英男・甲斐よしひろ
あなたに抱かれるのは今夜かぎりね
淋しすぎるよそんなセリフ似合いはしない
はずれた胸のボタン指ではじきながら
おまえは静かに部屋のあかり消した
暗闇の中 抱きしめても
おまえの心は逃げてく
嫌いになったらいつでも別れてあげる
口で言うほど冷たい女じゃないくせに
こぼれたテーブルの酒指でたどって
口ぐせのようにおまえは何度もつぶやく
暗闇の中 抱きしめても
おまえの心は逃げてく
ひび割れたガラス窓 街の色が
つまづいた昨日を悲しく染めてた
この歌詞、「濡れ」ています。
しかし、どこにも「きんぽうげ」という言葉は出てきません。
作詞者がこの歌詞に「きんぽうげ」というタイトルをつけた感覚は、攝津が「濡れしもの・・・」に「きんぽうげ」を取り合わせた感覚とかなり近いのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。
野村麻美さま
ご光来ありがとうございます。そういえば肝臓って写真で見てもヌレヌレしていますね。
「手術中のあったかさも大好き!(麻美)」とは、そうなんですか。手術って冷えているイメージがあったので驚きました。
わかりにくいとおっしゃっていた攝津の俳句に親しんでいただけて、「かわいい~」なんていっていただいて、わたしもすご~く幸せです。駄文にそぐわぬエールに感謝しています。恩田侑布子
山田露結さま
読み応えのある丁寧なコメントありがとうございます。その前に、露結さんには「NHK俳句」の「俳句王国」では大変お世話になりました。お正月に和服を素敵に着こなされたお隣の県の若き俳人ということで、つよい印象があります。もっとも画面の露結さんを誌上で草させていただいただけなので、お会いしたわけじゃなく一方通行でしたが、今回コメントいただき、円(縁)がつながったようでうれしいです。
ところでお話の本題です。攝津の俳句の解釈と鑑賞は百人百様の正解があっていいと思っているので、露結さんの中七で切れる感じの読みもあっていいと思います。
キンポウゲはかならずしも濡れていなくてもかまわないと思いますが、わたしとしては、やはり「濡れしもの」といって、数え上げていくスタイルの俳句で、しかも並立助詞の「に」で、座五まで続けて三つのものを列挙していると読んだほうが面白いのではないかと思います。おっしゃるとおりキンポウゲ科の花はいたって多彩ですが、キンポウゲ属のキンポウゲ(ウマノアシガタ)の黄色のつよい光沢がこの句の鍵ではないでしょうか。
光背につつまれるふたりだけの浄土、じゃロマンチックすぎますか。
ちなみに甲斐バンド、ユーチューブで聞きました。なるほどちょっと似た感性でタイトルつけていますよね。でも「姉にアネモネ」のほうが一九七三年刊で、四年ほど甲斐バンドに先行しているようです。もしかして甲斐バンドが攝津に影響受けた?んでしょうか。
露結さんのコメントであらためていろんなことを考えさせてもらえました。ここが攝津俳句についてのサロンになって、その俳句がゆたかに多様に読まれていけば異界の攝津もよろこんでくれるんじゃないでしょうか。
ちがう角度から光をあてていただき本当にありがとうございました。恩田侑布子
私のことをご存知だったとは恐縮です。
汗が出てきました。
>もしかして甲斐バンドが攝津に影響受けた?んでしょうか。
ありえないと思います(笑)が、もしそうだとしたら面白いですね。
攝津の句でわからないものは何となく言葉の響きだけ感じていればいいんだと簡単に思い込んでいましたが、恩田さんの記事を読みながらもう一度真剣に読み解いてみようと思っています。
これからも楽しみにしています。
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