下に掲げるのは、高山れおなに宛てた江里昭彦氏の手紙である(九月二十六日付)。第六号の拙稿に記したように、先日、高山は江里氏から「京大俳句」のバックナンバーの贈呈を受けた。その御礼かたがた、第六号までの当ブログの全文章をプリントアウトして江里氏にさしあげた。江里氏がパソコンを使わないのはかねて承知していたが、もともと江里氏に当ブログを読んでいただきたい気持ちは強かったからでもある。
このプリントアウト送付に対する礼状が下記。だが、その内容はたんなる手紙ではなく、俳句界の現状についての興味深い分析と、四半世紀にわたって俳句批評の第一線に立ち続けた人ならではの洞察に満ちており、そのまま篋底に秘めるには惜しいものであった。さいわい江里氏のご了承を得て、ここに掲げさせていただくことができた。手紙文ゆえ、前後は挨拶の文言がつづくが、これについては省略した。文章がやや唐突にはじまり、唐突に終わる感じがするのはそのためである。諒とされたい。(高山記)
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次に、寄稿依頼の件ですが、書いてもいいと考えます。でも、「たまに」です。常連の戦力として、あてにしないでください。この消極性は、私の熱意の減退に起因するものです。それを、以下で説明します。
お送りした「京大俳句」の終刊号の後記が明るいトーンだというのは、そのとおりです。あの頃の私には希望がありました。周辺には批評を書ける若き人材が多くいて(その代表的な顔ぶれは、高山さんが列挙した人々です)、この人たちとともに、批評による公共的な言説空間が形成できると、本気で信じていました。また、彼らも私と同じ目的意識を有していると思っていました。しかし、とんだ思い違いでした(これについては、後日語るやもしれません)。
それより問題なのは、一般俳人の気質です。端的にいって「私を見て、私を見て、私に注目して!」とせがむ輩ばっかり。そうでない俳人もゼロではないけど、俳句総人口との対比でいうと皆無にちかい状態です。この連中が批評に要求するのは、ただひとつ、自分の俳句を褒めてくれることだけ。批評の使命が公共的な言説空間の形成にあることには、まったく無頓着です。その意義と必要性など、これっぽっちも考えません。そういう連中を相手に、「でも、発言しつづけるうちに、少しは状況が変わるだろう」と、私はせっせと批評を書いたのでした。二十年ちかくも。
そして、ようやく夢から醒めたのです。ほんとに世間知らずというか、公共的な言説空間を念頭においた論述を、それを欲してはいない連中にむけて語りつづけるという、まぬけな道化役を演じつづけていたわけです。
よく、現在の俳句商業誌には毒にも薬にもならない文章しか載らない、と批判する方がいますが、それは話が逆というもの。例えばの話、私が編集者だとして、江里昭彦を起用するかというと、答えはノーですね。ニーズのないところに持ってくるのは場違いだし、商業誌として自殺行為に等しい。編集者は読者をよく知っているのです。
一般俳人がもっぱら求めるのは、入門書・鑑賞・作句の手ほどきの類です。なぜなら、自作を褒めてもらうには、俳句がうまくなる必要があるから、それらが欠かせないわけです。入門書はうんざりするほど先例があるのに、つぎつぎに新著がでるのはそのためだし、「俳句上達のコツ」なんて企画は、永遠の定番です。ニーズにしっかり対応しているから、やらない手はない。
まあ、こうした苦い覚醒が、熱意の減退の主因です。
ところで、なぜ俳人は「私を見て、私を見て、私に注目して!」という輩ばかりなのか。これは「人間には誰しも自己顕示欲がある」といった一般論だけでは説明できません。私の仮説は、俳句における〈過密〉が関係しているのでは、というもの。一定の空間のなかに、鼠(兎や鶏でもいいけど)の数を増やしていく過程で、ある限度を超えると、個体の攻撃性が急カーブで強まるものですが、それと類似の症状が俳人に生じているのではないか、と考えます。何百万もの俳人が、せっせと作品を産み、発表しつづけている現状は、飽和というより過密なのでは? 無意識のうちに感受するその空気圧が、俳人たちの焦りといらだちを増幅しているのでは?
俳人のこの性癖は、今後も変わりません。だとすると、高山さんが「俳誌雑読 其の二」で述べられた「批評の居場所は結局どこにも無かった」という、私の心中への推測は、ブログを開始された高山さんたちにも、将来あてはまることになりそうです。
冷水を浴びせるようですが、有権者がその民度に応じた政治しか持てないのと同じく、俳句批評でも、民度に応じた批評――入門書・鑑賞・作句の手ほどきの類を、いちおう批評と呼ぶとして――が主流となるのは無理からぬところであるという認識を、まず据える必要があるのではないでしょうか。
なぜ、政治とのアナロジーが成りたつかというと、理由は俳句人口の規模です。「詩人三万、歌人三〇万、俳人三〇〇万」説がありますが、小規模な詩人社会では、先鋭な詩論の主唱者がリードすることが可能です。事実、戦後詩はずっとそういう動きをしました。短歌規模に膨らんでも、塚本邦雄・岡井隆・寺山修司らの前衛歌人がリードした時期がありました。しかし、俳句規模にまで拡大すると、もはやそんな可能性は消滅します。代わって、母集団、つまり日本人一般の傾向・性格がそのまま反映することになります。だから、民度に応じた俳句批評が主流となるのです。
けれども、選挙結果に不満があるからといって、他国に移住するわけではないのと同様、鼻もちならぬ連中が多いからといって、俳句界を去るわけにいきません。俳句が好きなら踏みとどまるべきだし、むしろ自分の居場所をどう確保するか、智恵をしぼるべきですね。誰かさんのように、怨念をぶちまければ済む話ではない。
苦い覚醒を経て、熱意がいささか減退した私には、「鬣」は好適な居場所です。そして、政治の世界において少数野党の果たす役割が厳としてあるのと同様、俳句においても、状況を悪化させないために、本格的な批評を発信しつづける必要があります。その場合、「決して多数派になることはない」という冷徹な認識と、「それでも言いつづけねばならない」という責務の自覚、このふたつを具えてこそ、持続的発信が可能となります。
現在の私は、自分の批評活動を、誘蛾灯のようなものとイメージしています。暗闇のなかで輝く誘蛾灯へ、光に惹かれて虫たちが集まる。そのように、少数の読者が(まだ会ったことのない何人かを含めて)共感の声を手紙で寄せてくれます。飛来する共感の声を蛾にたとえるのは失礼なふるまいですが、でも、私の批評活動の位置と役割をあらわすのに、誘蛾灯のイメージはぴったしです。
「鬣」と「夢座」という二つの紙媒体にしか書かない私にすら、こうした確実な反応があるのだから、インターネットという広大な空間にのりだした高山さんたちのブログには、もっと多くの反応が寄せられるでしょう。しかし、決して、状況をおおきく変えられるといった、だいそれた幻想は抱かないように。二十年ちかくも湿地に杭を打ちつづけた私の徒労感を、味わってほしくありません。
ところで、「夢座」160号の私の文章に言及してくださって、ありがとう。
「夢座」には書きませんでしたが、私が俳句ブームの衰退に気づいたのは、一時雨後の筍のごとく乱立していた俳句コンクールが、数を減じたことです。投句料によって運営経費を賄う俳句コンクールが減ったのは、経済的な困窮がひろがって、俳人たちが投句料を節約しだしたからでしょう。高齢俳人の死が急増したという話を聞きませんから、原因はそれ以外考えられません。格差の拡大・貧困の広がりと、俳句ブームの終焉は密接に結びついています。
私は、俳句ブームの終焉という結論に自信をもっています。二、三年もすると、どんなに鈍感な俳人でも認めざるをえないほど、事態がはっきりします。しかし、問題はその先にあります。カウンセリングの現場でよく言われることですが、つらい現実とむきあうには精神的にも体力を必要とします。タフな精神のもちぬしでない俳人たちに、いくらデータや論拠を示してブームの終焉を語っても、顔をそむけるだけでしょう。だから、「夢座」に載せた私の一連の文章は、「うつ」の俳人を増やす結果になりそうです(笑)。
笑いごとでなく、「俳句」や「俳句研究」も「うつにならないために、俳人はどうしたらよいのか」といった特集を組んだらいいのにね。それこそ時代のニーズに適った企画です(のはず)。どこもやらないなら、「豈」で実施したらどうですか。貴兄が指摘されたとおり、「鬣」には「近代日本文学の空間がはるかに色濃く残って」いるから、こんな企画は却下です(笑)。
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■関連記事
俳誌雑読其の二/夢と怨念あるいは二十五年後の編集後記・・・高山れおな →読む
1 件のコメント:
失礼いたします。
こちらには始めてになります。
江里さんが嘆息しながら述べる、
>端的にいって「私を見て、私を見て、私に注目して!」とせがむ輩ばっかり。
とのご指摘、よく言われているかもしれないと思いつつ、このような形ではっきりと打ち出していただき、自分だって逃れられていないなと大いに嘆息したものです。
読みながら実は、ついつい一般論になってしまいそうですが、江里さんが求めてきた「批評による公共的空間」以前に、いまの問題は「見て見て、注目して」と言い続けるために必要なはずの「表現を発するための公共的空間」の存在すら危ういところにあるのではとの思いにかられていました、
そして危うい空間のなかでの自分の在り方について。
拙い感想となり、失礼いたしました。
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