■高橋修宏句集『蜜楼』を読む
・・・高山れおな
高橋修宏の『蜜楼』(七月一日発行 草子舎)は、前句集『夷狄』(二〇〇五年 草子舎)と対になるように書籍設計されている。『夷狄』がカヴァー無しの銀の表紙の平背本であるのに対し、『蜜楼』はやはりカヴァー無し、金の表紙の平背本。版型はもとより、天地の半分以上にもなる太く黒い帯が掛かっているところも同じである。収録句数が三百三十三句の三の字並びで一致するのもたまたまのことではあり得ない(三部作を考えているのか?)。内容的にも、雪月花をはじめとする比較的オーソドックスな俳句的景物を文明批評とないまぜにして作品化するという、基本の枠組において共通する。しかし、達成度の点では著しい差がある。『夷狄』も出版当時わりに好評だったと記憶するが、じつは佳句は寥々として少なく、構えの大きさにくらべて淡白な着地が目立つことに肩透かしを食ったような気がしたものだ。
蓮根を抜くとき揺れる国家かな
金融の闇から闇へ米こぼす
といった安易な詠み口は、高橋の師・鈴木六林男という以上に兄弟子の久保純夫の悪影響を思わせたが、国家と書けば国家が出現するとでもいうかのような関西前衛系の言葉遣いの雑駁さに辟易させられたのだった。この悪癖は、
蛇苺ここに国家のはじまれり
のごとく、第二句集にも持ち越されているのだが、しかし総じていえば『蜜楼』の言語は、前句集とは格段の正確さとしたたかさを実現し得ていると感じた。
尾の見えてすめらみことの更衣
おおきみのかたちとなりぬなめくじら
すめらぎのすきまだらけの芒かな
青芒以後は勅語を吐いており
すめらぎの抜けたる螢袋かな
行幸の枯野に伏せしはらわたよ
在りて無き桜の国の陛下かな
炎帝に黒き肛門ありぬべし
まいまいとなる直前の帝かな
なめくじり万世一系たどりたる
空瓶のひとつに入るエンペラー
『蜜楼』から、天皇幻想を直接的・間接的なモティーフとしている句を抜いてみたのだが、それぞれに魅力のある作ではないだろうか。全体としてネガティヴなニュアンスは隠れもないながら、単純な否定では決してなく、いわば蛇や芒やナメクジやカタツムリや蠅を媒介にしたエロスの対象としての天皇像が描き出されている。蠅というのは、空瓶に入るのを蠅と解釈したのである。アリなどでもよいが、「蠅の王」という言葉があるのに引かされたまで。それはともかく、これらの句の切ない昂ぶりは、ほとんど恋闕の情を帯びるがごとくでいて、しかも執拗な幻視はついに無力な草や小動物以上のイメージを結ぶことができない。ただ、それが無力な草や小動物であること自体に、積極的な意味を見出すこともできない相談ではない。
幼帝を神として奉仕する朝儀には、それについての十分な情緒的理由がある。わが国の伝統からは、皇帝君主を、政治権力や財力の、実体や象徴と考へることにそもそも間違ひがある。天皇が一切無所有無財産といふ考へ方は、幼帝に於て最も的確だつた。無欲無所有の幼天子を、ただ美しく礼儀正しく祭る形は、現世(ウツシヨ)と現身(ウツシミ)に天上浄土の現前する形と一つである。唯美的に考へると、何の目的もない院政時代の幼帝に危懼も不安もなかつた。(中略)古い神道と浄土観が、もう凡そ一つになつた。
保田與重郎『日本の美術史』(原著: 一九六八年 新潮社/引用は
新学社「保田與重郎文庫」版による)
院政期に幼帝が相継いだことについて述べた文章だが、無欲無所有という点では蛇もナメクジもカタツムリも、幼帝と異なるところはない。幼帝は愛らしく美しいが、蛇やナメクジやカタツムリは、卑賤にして醜穢ではないかという批判も当たらないだろう。なぜなら俳句形式において、これらの小動物は季語的存在としてあらかじめ救済されてしまっているからだ。掲出した句々には、俳句というシステムのもとで、高橋流に再解釈された〈古い神道と浄土観〉が出現しているのであり、そこでは巨大な「黒き肛門」すらもが、かぐわしく又なつかしく息づいているのだ。
苜蓿踏みし者より兵となり
風船はときに戦争運びけり
青嵐途中で戦士ふり落とし
蚊柱のあとすれ違うマーチかな
ふらここを墜ちてチグリス・ユーフラテス
戦場を持ち上げている霜柱
戦争や蠅取紙の裏表
天高し地球に戻る弾のあり
これらの句が表しているのは、戦争の遍在という主題であろう。例えば「風船は」の句は、日米戦争における風船爆弾について語っていると読める一方で、その辺の町中で子どもが手にする風船でさえ戦争につながっている、と言っているようでもある。もちろんその場合、風船を春の季語として認知する俳句という機構もまた戦争と無関係ではあり得ない。同様にして「ふらここを」の句では、近所の公園のブランコの下にイラクの戦場が広がっている。霜柱が持ち上げているのは、かつての北支や千島の大地かも知れないし、現在の我々の庭の土なのかも知れない。高々とあがった大砲の弾丸が落下するさまを「地球に戻る」と捉える視線も、「雁帰る」とか「燕帰る」とか「鶴引く」といった言葉に興ずる俳句の感性につらなっていよう。一連の中では、「青嵐」の句が最もすぐれていると思うが、こうなれば戦争は自然現象のうちにさえ瀰漫していることになる。戦争は世界大のシステムの一環としてなされるのだから、その意味では我々の日常そのものが戦争と通底しているのは自明のことだ。問題はその世界大のシステムの存在を、俳句形式によって照らし出すことであり、自明であるがゆえに我々が看過しているその自明性にもういちど驚いてみせることだ。高橋はこの難題に対してなかなか健闘していると思う。
天皇や戦争を詠むことの難しさにくらべれば、
羽抜鶏跳べばあらわになるアジア
黄沙降るたびに波立つ石舞台
わが爪を飛ばせばアジアなり良夜
日盛りの猫背の影の大東亜
などに見るアジア幻想、ましてや、
涅槃図に行方不明の父の居て
母という楽器を拭いている花野
姉に憑くおしろいばなの奈落かな
消しゴムで消えし月下の核家族
あたりの家族幻想は、俳句にとってすでに自家薬籠中のものでありすぎて、ことさら高橋の手柄として言い立てるにも及ぶまい。この種の佳句も少なくないよと告知さえしておけば、書評者の義務は果たしたことになる。その上で、どうしても評者にとって外せないのは次の二句だ。
制服の中までつるべおとしかな
地球より出る細胞の鬨の声
何の制服なのだろうか。詰襟の学生服か、女子高生のセーラー服か、あるいはマクドナルドの、病院の、軍隊の、警察の……。妙にピトレスクな、どことなくルネ・マグリット風の幻想との類縁を感じさせるこの句がはらんでいるのは、制度の没落感情のようなものであろう。世界と私の間にある中間項――国家や家族、企業、宗教やイデオロギーなど、かつては私の救いともなり得た制度がもはやリアリティを失ない、むき出しの個人がむき出しの自然にさらされながら漂流するような感覚。しかし本当のところその自然すら制度的なものなのだから、「つるべおとし」自体が「つるべおとし」に消えてゆくことを免れないのではないか。だとすればこの句の伸びきったゴムのような韻律は、自然そのものの疲弊の比喩となっているのだ。
『蜜楼』一巻の掉尾を飾るのが、この句集には珍しい溌溂とした声調を持つ「地球より」の句。閉塞した社会からの脱出願望ということでは、塚本邦雄の〈日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも〉が思い合わされるが、塚本のペンギンや飼育係りの願望がかなえられることは決してなく、凡庸な日常性への埋没が続くだけなのに対して、高橋の元気な細胞たちはあっさりと地球脱出を果たしつつあるようだ。高橋の細胞たちは、塚本の皇帝ペンギンや飼育係りのような戯画的キャラクターではない。高橋の句で戯画化されているのはむしろ、おのが細胞すら統御できずにいる人間たち、より正確に言えば遺伝子工学などの発達によって人間という存在の全体性すらが危機に晒されている、その事態こそが戯画化されている。
崩れゆく螢まみれの摩天楼
秋涛や手筒で探す塔二つ
これらは、ことさら佳句というのではないが、『蜜楼』という書名にかかわる作としてあげておく。高橋は、本書の「後記」の中で次のように記している。
句集名である「蜜楼」は、言うまでもなく私の造語である。甘い蜜によって造られた楼閣をイメージする言葉であるけれども、どこかに二〇〇一年九月十一日のニューヨークで起こった同時多発テロの映像が深く影を落としているように思う。(中略)二つの高層ビルディングが蜜のように崩れていく映像は、私の中で安易な解釈を拒んだまま疼きつづけてきた。
さて、高橋の俳句に不満があるとすれば、結局のところは作者主体を温存したままのイロニーに過ぎないのではないかという疑いを拭えない点だ。全体として川柳の穿ちに近接している印象が強いことも、その疑いの傍証となる。よく見ると、「や」「かな」などの切れ字もそれなりに使われているにもかかわらず、韻律が平板・単調なまま終始するのもいささか物足りない。使用語彙の平俗さとも相俟って、この句集から言葉のレベルでの揺さぶりを受けることはなかったことを告白しておかなくてはならない。宗田安正は、東京新聞の俳句月評(九月三十日付)で、〈高橋はこの句集で、現代の「最前衛」とでも言ってよい新しい場―表現世界に踏み込んだようだ。〉と述べているが、この賛辞はあきらかに過剰である。最後にもう一句だけ引用しておく。ちょっとグロテスクな、しかしとびきり美しい抒情句だと思うがどうだろうか。
淋しくて乳房浮かべる銀河かな
*高橋修宏句集『夷狄』及び『蜜楼』は、著者から贈呈を受けました。記して感謝します。
1 件のコメント:
高橋さんは、こんどの句集の方が確かに充実していますね。でも、第一句集の、父をもとめて野原を彷徨うような「父恋」のルサンチマン、若書きゆえの詩情は魅力的でした。
今回、風景があまりにもアジア的又豊葦原瑞穂の國的であるという「デ・ジャ・ビュ」の感慨を抜けられないような気がします。
日本浪漫派、前川佐美雄等が開拓している表現としての「国家像」が俳句にあらわれた気がします。直感的な印象なのでさしたる深刻な認識ではありませんが。れおなさんが抜き出した「国家」の句は、像としてできすぎているような・・・。巧いとか下手とかいうのは一つの評価法ですが、彼については、いまのところ、私にはそういう興味はありません。
(もちろん、高橋修宏さんを戦前の超国家主義者だとか、そうきめてゆく、と言う意味ではありません。あくまで、俳句と言う詩型に何処まで国家などと言う大きな物語の仮構する力があるか。という関心の中での印象です。)
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