――安井浩司的膠着について
・・・関 悦史
安井浩司の句には、ある特異なねじれがある。
部分と全体との関係が異様なのだ。
厠から天地創造ひくく見ゆ (『句篇』)
万物は去りゆけどまた青物屋 (同)
「厠」は「天地創造」の外に位置しており、「青物屋」もまた「万物」のうちに安らぐことはなく、別な場に取り残されたように存在する。
部分と全体というよりも、正確には全体と全体以外というべきか。『句篇』に続く現時点での最新句集『山毛欅林と創造』のタイトルも、同じねじれたありようを、これ以上はない鮮明なかたちであらわしている。
巷間よくいわれる安井浩司の「カオス」の印象の、大きな原因はここにあり、それに比べれば、蛇や牛をはじめとする、いわゆる汎アジア的な霊性を帯びたさまざな奇怪な存在の跳梁は枝葉に属する。いかに奇怪で周縁的な、まつろわぬものたちを並べたところで、それだけではそれらが生と死のはざまの領域に住み入っていることが鮮明にならず、平板な妖怪絵巻ができあがるだけであり、世界の構造に違和を生じさせて風穴を開ける渦とはなりえない。
全句集に蛇の句は無数にあらわれるのにも関わらず、新生の象徴となりやすいはずの「蛇の衣」の句はおそらく皆無である。此岸のうちだけで済んでしまう単なる脱皮では、別次元の生に参入するための、虚空の構造的ねじれを生じさせることができないからだ。
安井浩司は全体を目指す(作家当人の言い方では「無・黙」の世界となるが、とりあえずここでは別の用語法を取る)。
『安井浩司選句集』の著者インタヴューに「もどきの思想」について、「これは実は『もどき』を否定することであって、『もどき』の『もどきがえし』」なのだと聞き手が安井浩司に再確認をせまっているくだりがある。
その点を念頭に置いて「もどき招魂」にあたると、「もどき」は以下のように定義づけられている。
《翁とは、本来、すこぶる「神」に近いところに位置する人の長として、神の一歩手前のところにおいて、その神に水をつける役の恰好の者と思える。しかし、彼は、もともと神そのものではない。日常的には無用無骨な年寄、翁その人である、というところに独得の滑稽、反俗味が存在するようだ。民俗学の考証によれば、むかし人々の心の中に神が主役を演じていたころ、翁は、いわゆる神の唯一のもどきであった、という。神のすこぶる近くに存在しつつ、未だ神になりきれず、なりそこないの阿呆けた風姿は、周囲の人々にとって彼こそもどきを演ずるに充分な資格ありとみたのであった。
(中略)
もしや誤った私見かもしれぬが、もどきという言葉は、その深部において、副次的な、あるいは複数的な意味に象徴されるものをもつらしい。もどきとは、時として分裂を起こし、〈翁〉のような〈片割者〉を産むからである。そこに産まれたものが、またもどきと呼ばれる。もどきという言葉には、本来、真似る、という意味以上に、〈反対する〉という意味があったらしいから、もどきの分裂的性格は当然であろう。一般には、悪ふざけをする、茶化する、揶揄する、といった意味にも岐れているようで、それがいつのまにか、すでに固有の「もどき」という演劇的人格を獲得した言葉とさえなっている。》
《もどきは、人と神の間合いに、呪術的性格があり、神の掻乱者であると同時に、助勢者としての、いわば複合的な存在であった。おおむね、はれの場に出現し、メフィストフェレスぶった口吻で参上するや、何がしかの口宣を弄して、人神混淆の世界を解放する、まことに大切な役柄であろう。このような意味から、もどきという助っ人は、人々がおのれ自身をがんじがらめにする「自然」の中に見出しつつ、いわゆる神の方へ派兵した、もう一つの副次的生命として恰好な存在であったのである。》
(『俳句評論』昭和四十五年十月号所収
「もどき招魂 ――俳句にとって自然とは何か――」)
ここでは「もどき」は、言表不能な全体性としての「神」に対し、われわれ個別存在の側からの分類撹乱のための装置としてあらわれる。
最後の一節はことに重要である。
「もどきという助っ人は、人々がおのれ自身をがんじがらめにする『自然』の中に見出しつつ、いわゆる神の方へ派兵した、もう一つの副次的生命として恰好な存在であったのである」。
「自然」は包容的、親和的な相手ではないのだ。そしてもどきは、「自然」のさらに深奥にある生動する全体性としての「神」に「派兵」される、複数性を本領とする、人ならぬ断片として認識されている。
《考えてみるならば、山から山へかえす木霊のように、逆置的に拡大しうる詩の世界が、もどきの中の複数的存在として象徴されるとき、もどきそれ自身が、はれの機会に不意に分裂し、不意に相互浸潤をおこしたりするということは、つまり「俳句」の業をひとつの神事に見立てての、あのもどきの〈遊び〉わざなのだ。いや、〈遊び〉わざと言い切ってしまってはならない。敢えていうなら、もどきの、あの「神」にしたたかたてをつく邪しまさ、頑迷さ、ほがらかな悪意こそ、とりもなおさず俳人の汎神論そのもののあらわれである、ということである。これは、「俳句」にたてをつく人間は野暮だ、と笑う人間も野暮であるという、先師の風狂の消息にも通ずるものがある。もどきの風情は、いかにも「自然」の中で、いささか暦日的に皺を刻んでしまった老人たちの、頑なにして阿呆けた面白の風姿に、少なからずよく似ているのである。しからば、勿論、今日、俳句を書こうなどとするものは、もどきの副次的生命として、「自然」の中で阿呆けた老人の面白なくしては絶対にいけないのではなかろうか。しかも、「自然」まったきそのものとして、彼は実際に〈翁〉もどきでなくてはならない。》
(同前)
ごく簡単にまとめてしまえば、安井浩司は、俳人は「もどき」としての霊性を担った俳句づくりを目指すべしと言っているのではなく、「もどき」である俳句の悪意を介して(あるいは使役して)全体性そのものを目指すべしと言っている。
のちの『汝と我』(昭和六十三年)後記にある「私はもはや世で謂う詩人でも俳人でもなくてよいと思い始めている」という一節は、そうした自覚の深まりをあらわしていると取れる。
全体性は死後の領域をも含む。
というよりも、ことに初期の句において、全体性とは端的に死を指していた。
鳥墜ちて青野に伏せり重き脳 (『青年経』)
ここにも先の二句と同じ、ねじれた構造がひそんでいる。鳥の体というまとまりに対して部分であるはずの脳の重さが異様であり、両者は一体であるにもかかわらず脳が鳥から突出してしまっているのだ。単なる鳥が人格をもった存在に見えるのもこの「重き脳」ゆえだが、ただの鳥というより「鳥‐脳」と表記したほうが良いような複合存在と化した生命が、死ぬことにより「青野」という全体性に参入しようとしている。
この句では全体性が二重になっている。部分である「脳」に対する全体としての「鳥」と、その両者が参入する未だ神とも死とも名指されない言表不能の真の全体性である。こうした初期作品の未整理が消化されると、「万物は去りゆけどまた青物屋」と同じ構造が得られる。
高野素十も草蔭人(くさかげびと)になりにけり (『牛尾心抄』)
この句、単に高野素十も死んだというだけの意味では全くない。「高野素十も草葉の蔭に入りにけり」というのとは違うのだ。
これは高野素十が「草蔭人」という別次元の位格へと移行し、死後の全体性に参入することで別種の生を生き始めたという事態が語られている。「草陰」と「人」とを複合させて造語としている。これはこの世の周縁に住む怪物的存在を指示するための、単語のレベルにおける浩司句の典型的な技法のひとつであり、「鳥」と「脳」と同じく全体性とそこからはみ出す余剰との膠着である。膠着というあり方は浩司句のある本質的なところに由来している(語の複合の例としては「黒牡丹庭から海へ歩み去る」(『密母集』)といった、よりさりげないものもある。死の影を帯びた「黒」との複合を欠いたただの「牡丹」が海という全体性へ自力で歩いていく怪物になりえたかどうかははなはだあやしい)。
渚で鳴る巻貝有機質は死して (『青年経』)
安井浩司の句業の始まりに位置するこの句も、今になれば、単なる虚無的な心象、イローニッシュな把握を象徴化した句などという読解には収まりきらないことがわかる。
この巻貝は死んだにも関わらず渚で鳴っているのではなく、死んだことによって別次元の生に到達しようとしているのだ。「死鼠を常のまひるへ抛りけり」(『阿父学』)の死鼠も死ぬことによって全体へと参入している。
安井浩司は『聲前一句』の中で西東三鬼「枯蓮のうごく時きてみなうごく」に触れ、「彼の世界は、『枯蓮』の句をもって終の絶頂とし、生涯これを越えることが出来なかったということを、これが判るのに情けなくも二十年近くかかった」と記している。安井浩司はこの句に死後の生の示現を見て取ったのではないか。三鬼の句を通しての自己発見であり、自分の句たちが何をしようとしているのか、この時点では既に一応の確認を果たしているものと思われる。
もう一つの重要な散文テクスト、「海辺のアポリア」(『俳句研究』昭和五十二年五月号所収)では芭蕉の「暑き日を海にいれたり最上川」「閑さや岩にしみ入蝉の声」の二句を引き、「いれたり」「しみ入」の呪気と邪気に、自分と俳句形式との関わりの根幹を見出している。これも別次元への参入の話である。
巻貝の句を含む三十句を第二回俳句評論賞選考委員として目にし、評価というより瞠目したのが詩人吉岡実だった。吉岡実の「死児」や「僧侶」は死んだままでこの世に存立する、死の側から生の世界へとシュルレアリスティックな侵入を果たした存在だが、安井浩司の巻貝、そしてそれ以降に登場するあらゆる怪異な生物たちはみな丁度この逆方向の志向を示している。吉岡実は自分にきわめて近い資質の登場を直覚したはずだ。
遠い煙が白瓜抱いて昇るらん (『密母集』)
これが他界への、ある奇跡的な参入の景であることは容易に見て取れるが、ここで特徴的なのは瓜が「白」を帯びることによって「煙」と膠着、キメラ化し、重い実体を保ったままで天界へ上っていることで、これは美しく瑞々しいままでの即身成仏・ミイラ化というに等しい、生身の個体性を保ったままでの全体への参入である(吉岡実であれば逆に煙の方を稠密に現世に固体化させていくところであろう)。
この特異なねじれによって「全体」に接続される「全体以外」、これが安井浩司という主体の位置である。
菩提寺へ母がほうらば蟇裂けん (『赤内楽』)
浩司句に登場する「母」や「父」も、作者の個人的記憶を反映する存在としてではなく、血縁という自己でもなく他者でもない間の領域に位置する周縁的怪物のひとつとしてあらわれており、この句では「母」がわが家から死後の永遠の虚空にいたる入り口としての菩提寺と、生身の個体的完結に自足する蟇との媒介者としてふるまっている。
この人の姿をとった周縁的怪物は、のちに「汝」としてあらわれる。
汝も我みえず大鋸を押し合うや (『汝と我』)
「汝」とは、「我」と同じだけの内実を持つことを意識されながら関わる者であり、「汝」との関係に巻き込まれることによって「我」の個人的完結は「蟇」と同じく引き裂かれ虚空へと流れだす。「汝」は「我」の個人的完結、言いかえれば「有機物」を死なせるために到来する者である。
膠着というありようは造語だけにとどまらない。
「よのつねの作家は句集に意味があるのではなく、そこに収録されている俳句に価値があると考えているから、句集を解体して全作品集にして再度選をかければ容易に選集はできる。しかし安井浩司は句集に意味があり、一つの句集の中で作品が緊密な構造となって組み入れられているのである」(『安井浩司選句集』収録 筑紫磐井「安井浩司俳句入門」)。よって再構築を経た今回の選句集は、過去の十四冊の句集と対等の新句集だと話は続くのだが、これは全句集と選句集とがそっくり「全体」と「部分(または全体以外)」が分離し同時に癒着してもいるという、浩司句特有の関係のパターンをなぞっているということになり、骨絡みの方法の頑強さが一貫している。
これは生と死の境を越え、死や非在のあらゆる潜在性を含む全体という感知しえぬ虚空を言語のなかに引きずり出し定着させるための、なかば必然的な方法である。石が地にひとつ置かれただけであればそれはただの石に過ぎないが、三個の石が置かれれば人はそこに非在の幾何学的図形、三角形を知覚する。数十数百の石が配置され、その全てに同じような苦悶の相を思わせる奇怪な文様が刻まれていれば、なにか名状しがたい異状を感知しないわけにはいかない。そのようにして安井浩司の句群は虚空をからめとり、支配していく。
このことは浩司句の受容に決定的な影響力を持つ。
代表句とされる幾つもの名句、「御燈明ここに小川の始まれり」(『阿父学』)にせよ「麦秋の厠ひらけばみなおみな」(『密母集』)にせよ、みな単独で鑑賞はできるがそれらはすべて美しい誤解に近いものになりかねない危険と隣り合わせであり、そうした事情が安井浩司に永遠に未知の作家の相貌を帯びさせることにもなる。「御燈明」の湧出感から小川への飛躍はごく容易に直感的に受け入れられるであろうが、しかしこの句一句から死をあらわす仏前の燈明から小川という別乾坤への参入という契機を見て取るのは容易ではないし、おみなばかりがこもっている「厠」が後に「天地創造」の外に位置し、「全体以外」を示す特権的な場所になりおおせることは、この句からだけではわからないのだ。「はたはたはうぐいと同じ数にして」(『汝と我』)に至っては、はたはたとうぐいが活躍する一連の句を見た後で、いきなりこの二者の同一性が提示されるから啓示的なので、これだけで鑑賞することは不可能に近い。
句集の構築性とは別に、個別の状態の句からは見て取りにくい特徴がある。
五感を介し、五感に頼ったかたちでの事物の再現(表象)の断固たる排除である。
安井浩司の句は外界の再現を目指しておらず、さわる、聞く、味わう等、うつし身の感官に訴える作りを避ける。場面の提示はなされるのだから、視覚だけは残っているのかと思うと、提示される景はおよそこの世の肉眼では捉えられぬものばかりであり、その都度一回限りの認識にひっかかった事物同士の特異な関係である。浩司句におけるさまざまな存在たちの出会いと膠着は、俗流シュルレアリスムばりに奇怪なイメージを現出させるためのものではない。感覚と世の常の知見で把握しうる世界を殺戮するためのものである。さらに浩司句には情動や感情の直叙もなく、箴言じみた定義づけといったかたちで外界を一定の距離に安置するといった身振りも、あの世の視点を現在に繰り込むことで現在の安息を得ようといったつましい欲望も見られない。自然や外界とのあるがままの姿での宥和の可能性は、ない。
膠着性の別次元のあらわれとして、全体に句の切れが弱いという特徴も挙げられる。切れ字が使われている場合でも意味上明確に切れている句は多くはないのではないか。ことに末尾が「かな」で切れる句に至っては、全句集に収載された三千数百句のうち、わずか三十八句を数えるのみ。これには「かな」の詠嘆が、否定すべき目前の現実の全肯定と化しやすいという事情もからんでいると思われる。
また表記法が一貫して旧かなづかいではなく新かなづかいになっているのも、表記と発音の間のずれというかたちで虚空めいたものをあらかじめふくよかさとして含みこみ、日本の「伝統」に随順しているかに見える旧かなよりも、虚空に鋲を打ち込んでいくような作業にはタイトな新かなの方が句の生理に合っていると直観しているためではないか。
余談に及ぶが、私が去年聴いた現代俳句についてのシンポジウムでは、現在の俳句は言葉がツルツルで何の手ごたえもないという把握のもとに、その原因と対策を探るといった動機づけのもとに俳句における日本語の「身体性」が追求され、意味の明示に直接奉仕しないすべてのノイズ的な領域、音韻、オノマトペ、隠喩や象徴による意味の多重化、カタカナ/ひらがなという表記の問題、発声の際の身体の運動の違いにもとづく個々の母音の印象の相違、詠まれる素材としての人間の身体とその感覚にいたるまでが未整理に話題に上っていた。
しかし、その後で岩山のように動かしがたい実在感を持つ安井浩司の句群を読み返すと、皮肉なことにというべきか、浩司句はそれらの要素の大部分をぞっくり欠落させているということに気がつく。安井浩司の句は、そのようなプレテクストを参照するようなかたちの個人の身体性への依拠とは無関係である。言語芸術に最も実在感と抵抗感を与える要素は音韻でもなければ意味の多層性でもなく、素材としての物質や情動といった此岸性をまぬがれた虚空的なものであり、その虚空をとらえうる言葉とは、ゆるぎのない構造性を持った律法や数式に近いものである。その他はすべて枝葉末節の小細工に属するのではないかとの思いも浮かぶ。
虚空の新たな構造の発見が俳人のなすべき仕事の中核にある。俳句形式の「最終ランナー」を自認していた安井浩司(ふらんす堂版『攝津幸彦句集』解説での安井浩司の言による)を驚かせた後続、攝津幸彦の句の力もそこに発している。一見浩司句とは対照的な、しなやかなやわらかみのある作風と見えるが、流体には流体の構造がある。
単独ではわからぬ特性がまだある。
安井浩司の句はそのいかにも象徴性の強そうな見かけの印象とは裏腹に、隠喩・寓意・象徴によって読み解かれることを期待してはいない句だということである。象徴という言葉、ここではとりあえず何らかのイメージを提示して別の何かを指示するものという程の意味で用いているが、安井浩司の句は隠された真の意味に到達することで安らかに読解を終えられるという作りには、ほとんどの場合なっていない。
稲の世を巨人は三歩で踏み越える (『霊果』)
この世を三歩で踏み越える闊歩する神格といえばヒンドゥー教の主神の一人、ヴィシュヌを想起しないわけにはいかないが、ここではそのイメージが「巨人」にずらされている。
浩司句にはヒンドゥー教から取ったもの密教から取ったもの等、宗教的な語彙が犇いているが、安井浩司の営為は、何らかの特定教派の教義に随順し、その世界観に過不足なく収まって安心立命を得ようという性質のものではない。全句集を通読するとその多様さは、何でも取り入れることによって結果としてどの特定教派も無効化することに主眼があるのではないかとすら思えるほどだ。
他の句たちも、たまたま何らかの寓意や隠喩として読み解けてしまうように見えるものがあったとしても、どのように「意味」が探りあてられたとしても、確かに句の核心に触れたと感じることはおよそ至難のはずだ。どんな意味を見出し、還元したにせよ、意味一般には還元しきれぬ残余、その句一回限りの事件性、具体性が常軌を逸して大きく、不穏だからである。
安井浩司の句の最大の特徴のひとつはこの、どこにも還元できない単独性である。
選句集解説「ありかの詩学」(志賀康)において、「いきなり現れるものの代表的なもの」として挙げられる「みがきにしん」もまさにそのような仕方で存在する。
秋雨にみがきにしんと遊びつくす (『中止観』)
ズボンよりみがきにしんを友に出す (同)
みがきにしん噛みつつ隠し念仏へ (同)
個別の状態では鑑賞がほとんど成り立たないにも関わらず、いやそれゆえにこそ単独性が強固なのだ。
単独者のみが普遍・神に直に対峙しうるという、ほとんどキルケゴール的な事情が、句の一つ一つにまでしみとおっているようにも思える。絶対の孤独。そして孤独のままの奇跡的な膠着。安井浩司の句においては特に「意味」や「内容」よりも、その「行動」「ありよう」がこそ読まれなければならない。
象徴という手法は直接取っていない(「ヴィシュヌ」を「巨人」に置きかえて打ち消す土台として使われるのみ)にも関わらず、象徴主義的な翳りの中の俳人たち、河原枇杷男や高柳重信との親近性が感じられるとすれば、それは技法や素材のレベルの話ではない。ひとえにこの、「全体」の中に位置しながら「全体以外」として締め出され、締め出されながら膠着し、およそどんな宗教的安息からも遠い未聞の世界を窺い知らんとする主体の、絶対的な孤独によってである。
釣り過ぎの鮒を戻せどただ死ぬだけ (『句篇』)
死が必ず目出度い膠着をもたらし、全体への(ねじれながらの)参入を果たせるわけではない。単なる数量的過剰しか得られなかった鮒は「ただ死ぬ」。こういう恐ろしい寂しさをたたえた句が、近作の『句篇』に至って出現している。
個々の句は全体たる「句集」に参入し、その「句集」たちは全体たる「安井浩司」に参入する。そして「安井浩司」は全体そのものになろうとする。全体を垣間見るのではなく。
中沢新一は明治期に「幸福」という訳語を新造されることになった英語の「happiness」、フランス語の「bonheur」などがいずれも時間に関係していることを指摘している。
《「happiness」は「happen」という言葉に語源的なつながりがあります。突然、思いも掛けなかったような形で、神のおぼしめしが与えられた、という意味がこめられています。また「bonheur」というフランス語は「bon+heur」ですから、やはり「恵まれた時に会う」という時間概念を含んでいます。
(中略)
時間概念に関わりをもったこれらの西欧語の背景には、神の恩寵をめぐる宗教的な思考がひかえています。神の恩寵は日常的な時間を垂直に切り裂くようにして、人間の世界に突然に降ってくるものです。平凡に流れていく日常世界の時間のなかに、突如として異質な構造をもった時間が垂直に侵入してくる、その時間の亀裂をとおして神の恵みが豪雨のように注がれてくる――そういうキリスト教に独特な「神の恵み」についての考えと、これらの言葉は関わっています。》
(中沢新一『対称性人類学 カイエ・ソバージュⅤ』講談社)
説話論的には、これはちょうど物語と小説の関係にあたる。物語はそれなりの起伏や構成を持ちつつも神話と同じく登場人物の類型や状況を要素に還元し、構造を抽出しうる均質な連続であり、物語るとは途中を飛ばして短絡させないということである。ここに幸福が入る余地はない。この連続体を垂直につらぬく契機を導入しえたものが小説と呼ばれることになる。
俳句という形式はこの契機を「切れ」というかたちで制度化させ、内在させている、言いかえれば、俳句における「切れ」とは「幸福」と関係するのではないかと私は予感するものだが、もしそうだとすれば、此岸にいて切れ目から差し込む光にときに触れるのではなく、切れ目の向こうの全体そのものを目指す安井浩司の営為はおよそ幸福とは縁遠い、小昏い達成を示し続けることになるのではないかと思われる。中有全域を物質化してこの世に固着させていくような。
これは「俳句とは何か」ではなく自分にとって「なぜ俳句なのか」を問うてきた大力の作家が、逆説的に達成した俳句形式の可能性の中心、その完璧な陰画であろう。
安井浩司の句を読みつぐときのあの相反する二つの印象、俳句という形式の可能性を最大限に深く掘り下げているという確かな手ごたえがあるにもかかわらず、石壁に囲まれたような密閉感も、ときに感じないわけにはいかないという矛盾したありようは、おそらくここから生じている。
『乾坤』以降、安井浩司の句は天地創造というモチーフが次第に顕著になっていく。
「縄文」であったり「ガイア」であったり、過去のどこかに回帰すべきポイントを仮構し始めたのだとすれば、詩的営為としては衰弱を疑う必要があるが、安井浩司の場合は様相が違うようだ。
緩慢ながら着実な歩みの果てに達した、詩にとっての起源や始原は過去のどこかにあるのではなく書きつつある現在、いまその都度の永遠にこそあるという認識の深まりが天地創造というモチーフを呼び起こしたのだとも考えられる。
渚で鳴る巻貝という小さな骸から始まった探求が、長い歳月を経て山毛欅林の豊かさと複雑さにまで進歩したという話では、おそらくない。
広大無辺の潜在性は、小さな巻貝のうちにはじめから一度に与えられていた。その全景を明るみに出し続ける過程が、そのまま安井浩司の歩みになっているのではないか。
2008,6,25
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4 件のコメント:
おお!これが現代俳句評論賞の佳作だったという論文ですね。
面白かったです!
最後の納め方はその通りである。後年の作迄よんでゆかないと、最初の「巻き貝」にこめられた全景(パースペクティブ)が読みきれなのもたしかでしょう。
書き出し。
「部分と全体の関係が異様なのだ」(貴文)
なるほど、ね。でも、たとえば。汎生命的な世界観がその特徴であるとともに、「蛇」があらゆるかたち(文字も生け垣も、編んだり曲げたり出来るものとして))の原型としてイメージされているのではありせんか?
「安井浩司」が膠着しているよりも、安井浩司論を「撞着させて」くるような俳句世界のなげだしかたですね。
彼自身の内的世界はあんがい明晰でナイーブ
なのではないか、と思ったりします。
世界観のモデルが幾つかありそれが組みあわされている、としたら、今まで、皆さんが気がついたものを、選び出してならべたら、文脈から解る範囲のこたえはもうほぼ出てきている、と言うか・・。
でも、私が一番わからないのは、安井氏は何であんなに蛇が好きなんでしょう。蛇が大嫌いなのに「蛇」という文字をたくさんかかねばならないので、私の安井浩司論はなかなか膠着しております。
(笑)
貴方の力編楽しかったです。
野村麻実さま
ありがとうございます。
何となく既にお見せしたような気になってしまっていましたが、考えたら長い方はこれが初めてだったのですね。
吟さま
安井氏の蛇好きも、安井氏の場合神話だとか象徴性の強い生物とかを使う場合でも、独自のバイアスがかかってそれで微妙にずらしながら自分の世界に取り込んで使うといった動きが目立って、蛇の場合でもただの蛇ではなくて空を飛んだりスガメだったりいろいろしていますから、普通の象徴体系と安井世界での使われ方と両方見なければならないのでしょうね。
意外と明晰でナイーブなのではないかというのは、私もそう思います。
お二人とも、返信遅くなって大変失礼しました。
お返事のことは気にしないでください。どちらむきにも、反応はなければないで、はりあいがないでしょう?ありすぎてもご迷惑なものです。
「特異なねじれ」というのは関さんの安井観の標語みないなものですね。
「蛇の場合でもただの蛇ではなくて空を飛んだりスガメだったりいろいろしていますから、普通の象徴体系と安井世界での使われ方と両方見なければならないのでしょうね」
蛇は蛇でも只の蛇ではない。(これで三回も蛇,と書いてしまった!!)のですが、神話にしたいのか、詩的映像にしたいのか、ということだと思います。表現と認識は、深く関係しながら、でも思考体系の違う部分が発動しているのでしょう?
そこが人知では明晰にはわからない、ということを安井さんはある程度わかっているそう言う明晰さがあるのだと、これは最近の読み方、また変わるかも知れませんが。ご自分の思索の嗜好に沿って歩いていたら、文学を抜け出した、ああいう原野(幻野にでられた、ということではないかしら)
「明晰でナイーブなのではないか?」
と、これが、私が言う意味です。
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