余計なお世話風に、又は再びTwittter風に
・・・高山れおな
R_Takayama 朝日新聞の俳壇時評を担当することになった。五島高資の後任で、先だっての四月二十六日の朝刊にその第一回目の原稿が掲載された。我ながらおかしい程、緊張感が無い。だって月イチ、四百字詰二枚だよん。こちとら、週イチで何枚書いてると思ってるんだ、ってなものである。山口優夢に噛みつかれることを思えば、何百万読者も恐るるに足らず。
R_Takayama で、その第一回であるが、志賀康の切れ論のことを枕に振って、主には『シリーズ自句自解Ⅰ ベスト100句 池田澄子』(ふらんす堂)について書いた。いきなり同じ同人誌の仲間の本はまずいのだが、ここのところこれと言った句集が出ておらず、是非もない。茨木和生先生の句集は、こっちに書いちゃったし。とにかく、毎月最終月曜日の朝刊に載りますのでどうぞよろしく。
R_Takayama 池田といえば池田琴線女。いや、この人の何がというのではなく、この俳号が前から気になってならぬわけである。琴線に触れる女、ですか。一般名詞的にも使える言葉ではありますね。おお、我が心の琴線女たちよ。
R_Takayama 琴線女氏の作品はというと、「俳句年鑑2010年版」の諸家自選五句には、
美しく水流れをり初景色
昭和史の過渡期を生きて十三夜
吊橋の残りの距離の寒さかな
といった具合の句が並んでいてあまり琴線には触れません。しかし、繰り返しになりますが、この俳号は、ビビンときます。池田澄子も形無しである。
R_Takayama そもそも、池田澄子という名前は俳号としては綺麗すぎるであろう。田圃の水が澄む、というわけで、景色は見えるが、取り合わせとしては付き過ぎの難あり。どうせ付き過ぎなら、池田泥ん女、とかどうであろうか。泥ん女は、青嶋ひろのが自分の俳号にすると言っていたが、彼女はフィギュアスケートに夢中で、一向、俳句に復帰する様子もないし。
R_Takayama 急に琴線女のことなど思い出したのは、「全国俳誌ダイジェスト 俳壇抄」の第三十四号が届いたのをぱらぱらと眺めていたためである。一誌あて一頁で、上段に所属メンバーの近作十二句選、下段に活動報告記・エッセイという体裁で、五百二誌が載っている。池田琴線女は、大阪で出ている「うぐいす」の主宰である。
R_Takayama ひとくちに五百二誌というが、一誌一頁であるから、電話帳みたいな厚さになっている。出稿に金を取っているのかと思って磐井師匠に確認したら無料で、あまつさえ十二句選の各作者の分まで掲載誌を贈呈してくれるらしい。版元のマルホ株式会社のメセナなのですね。
R_Takayama これを見るともなしに見ていると、「運河」誌の頁で、くだんの茨木和生先生が「師系の一句」と題して書いている。
元日は若き二十の心かな 青々
句集『松苗 冬・新年』所収。昭和六年作。青々は昭和四年一月に丹波氷上郡の荒木よし江(咏子)と再婚している。青々六十歳、新婦は二十四歳である。この句は、昭和六年一月号「倦鳥」の「新年句」と題する八句の巻頭におかれている。青々は四月四日生まれだから、あと四か月で六十二歳となるが、新年にあたってのこの詠作は実に青春の気が漲っている。
六十歳で二十四歳と再婚! いや、すごい。これは周知の事実なのであろうか。「実に青春の気」とは、まことに洒落になりません。松瀬青々、尊敬します。買ったまま放ってあった『妻木』初版本、いよいよ読まなくては。
R_Takayama 青々つながりで、宝塚市から出ている「青門」という雑誌のこと。活動報告記のところは、名誉主宰・高木青二郎の著書からの抜粋になっている。その抜粋箇所がさらに、青々の「添削少録」という文章からの抜粋。
『見まわる』は『見まはる』が正しい。廻。『よわの月』は『よはの月』が本当。夜半。『ふさわしき』は『ふさはしき』。尚『なを』は『なほ』が正しい。薫『かをる』は『かほる』が正しい。(後略)
とまあこんなことが書いてある。ところで前にも触れた話だが、薫は歴史的仮名遣いでは「かをる」になるが、青々は「かほる」が正しいとしている。これは青々としては歴史的仮名遣いではなく、近世の仮名遣いに従っていたということだろうか。青々は明治二年生まれなのでそういうことも充分あり得るだろう。
R_Takayama それから「其角座」という雑誌を発見。「俳句界」の誌上で、其角生誕三百五十年記念の俳文コンテストの募集広告を見つけて驚いたことがあるが、その募集主体である其角座継承會が出している雑誌のようだ。創刊は平成十九年と新しい。師系について書く欄に〈直接の師系はありませんが其角座の系譜を継ぐ〉とあるのがシュールだ。じつは私も直接の師系はありませんが、自称其角の系譜を継ぐ者なので、お友だちになりましょう。
R_Takayama 「豈」ももちろん載っております。十二句選と報告記は、昨年から同人に加わった北川美美が担当している。拙句も採られていてそれは、〈ムーミンはムーミン谷に住んでゐる〉というもの。北川美美はムーミンが好きなのだろうか。であれば、他のみなさんには申し訳ないがこの選もやむをえない。ほんとにこの句がいいと思って採ったなら、そりゃ問題だぞ。
R_Takayama 問題といえば、徳島から出ている「青海波」の十二句選に、こんな句があった。
水の地球ほどよき距離に春の月 甚上澤美
せめて季語くらい変えたら、と思うのであるが、まあ、どんな句を作るのも勝手である。問題は、この句を最初に採ったのであろう「青海波」主宰の斎藤梅子も、十二句選を担当した船越淑子という人も、原句を知らないのだろうなということ。あんなに人気の作者の、あんなに人口に膾炙していると思われる句を、主宰クラスですら認識していないわけで、ことほどさように俳句の流通範囲などというのはたかが知れているわけです。
R_Takayama 突然ですが、「―俳句空間―豈weekly」は、百号をもって終刊します。残り十号に全力を尽くしたいと思います。
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7 件のコメント:
え。やっぱり100号で止めちゃうんですね。。。(;;)。
止めちゃうんですよ。
私は哲子です。俳句野世界を食べ歩きしたくなりました。決まると快感。外れるとストレス。快感とストレスは天才と馬鹿のような関係に見えちゃうね。哲子の覗き窓シリーズ①「浴衣着てネオン灯して牛車待つ」
れおなさん。150号。7月あたりっておっしゃってませんでした?もうひとつふたつぐらいは載せたいな、と思っていたのに。ウェブ名物がひとつなくなってしまうのはそれはそれは残念。せっかく野村麻実さんみたいなたのしい読者があらわれたと言うのに。また「豈」は、ここからまたひとつかわるんじゃないかな、とおもってたものですから。
コメント専門できたけど、私のコメントが奇矯なので。ということではありませんよね?
続けなさいよ、頑張って・・。
堀本吟様
7月18日号が100号になる計算です。つまり7月あたり、です。150号では7月にはなりません。以後は作品制作を頑張る所存です。
れおなさん、そうでしたか。
きりをつけるポイントのおきかたのちがいで、受け止め方がちがったのででしょう。とにかくごいろいろと苦労サンでした。
まえに編集をとつぜんおりたときも、今度始めるときも、終わるときも、まったくれおなさんらしい、とおもっています。なかむらさんもまた、ペースのつくりかたが、ほんと、楽しい。若い未来人の散文の筆力も拝見できて、興味深い。いろいろ見えてきているので、このブログの幕を閉じても潜在席顕在的影響は大きいでしょうね。
高山れおな様
HP金子兜太、管理人の遠藤と申します。いつぞやは句集をいただきありがとうございました。
れおなさんが句集「日常」をお書きになって
いるのを気がつきませんでした。遅ればせながらリンクさせて頂きました。これからも外部のページをリンクして開いたページを作りたいと思っております。よろしくお願いします。
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