2010年5月2日日曜日

宗左近大賞選考会報告

宗左近俳句大賞公開選考会レポート、または『新撰21』はいかにしてほぼ決まっていた「特別賞」を逃したか


                       ・・・関 悦史

去る二〇一〇年四月二十九日、新潟市の雪梁舎美術館に於いて、宗左近俳句大賞の公開審査が行われた。

宗左近俳句大賞は今年で第十一回を迎えた「雪梁舎俳句まつり」なるイベントの一環で、他に一般投句の表彰もある。

選考委員は金子兜太、黒田杏子、坪内稔典、中原道夫の四氏で、原則としてそれぞれが二冊ずつの句集を推薦。他に「識者」推薦の句集二冊が加わる。つまり通常ならば計十点の候補句集によって争われることになるわけだが、今年は二点の作者が辞退、代わりに黒田杏子氏が三冊目の推薦句集として『新撰21』を候補に加えるという異例の展開となった。単独著者の句集でないことも異例ならば、上限を超えた三冊目を押し込むというのも異例である。

候補作は以下の九点となった。

金子兜太推薦
『膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)』石母田星人(いしもた・せいじん)
『雪影』北村美都子

黒田杏子推薦
『馬淵川』木附沢麦青(きつけざわ・ばくせい)
『銀川(ぎんせん)』藤川游子
『新撰21』

坪内稔典推薦
『冬の阿修羅』浅井慎平

中原道夫推薦
『家』加藤かな文

識者推薦
『風音(ふうおん)』清水喜美子
『風の円柱(エンタシス)』下山田禮子

以下は例によって主に現場で私が取ったメモからの再構成で、終盤は録音を参照したが、全部が逐語的なテープ起こしであるわけではない。

かなり長いのでかいつまんで終盤の経過だけ説明すると、決を採る段になり、各選考委員が一点ずつ意中の句集を絞り込むことになった。

中原道夫→迷いつつ清水喜美子『風音』へ。
坪内稔典→北村美都子『雪影』へ。
黒田杏子→終始一貫積極的に木附沢麦青『馬淵川』。
金子兜太→蓋を開けたら候補作の中に「海程」同人が三人同時に入っていたので苦渋の選択。三人の中から誰か一人をということは出来ず、本意でなかった木附沢麦青『馬淵川』の名を止むを得ず出す。

受賞は木附沢麦青『馬淵川』に決定。

『新撰21』がたどった浮沈については後述する。

最も目立たぬ人物を犯人役に据えるというのは本格ミステリの常道であろうが、ここでもそれに近い、まさかと思う人物が決定的な影響を及ぼす結果となったのである。

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若月忠信(司会・文芸評論家) いつも思うことは、活字やテレビで見ている先生方を、生身でナマの声を聞いて感じられるというのがこの俳句大会の最大の成果というか楽しいことですから、私自身がそういうふうに思って、今年もその感を強くしております。ですから私は進行といってもほとんど諸先生におしゃべりいただいたり、時にはディスカッションじゃないですけども、ぼくらの俳句観を広げて楽しませていただきたいと思っています。

……それで、もうこれで始まったわけですが、去年も私は(司会を)やらせていただいて、どうやってやったかほとんど方法論は忘れております。ただ基本的に今申し上げたことだけは(聴取不能)。

まず何よりも、諸先生にご推薦の俳句のご紹介を頂きながら進めていただきたいと思います。

皆さんのところにも(パンフレットが)行っていますが、この順番で進めていただきたいと思います。

一つ目は『膝蓋腱反射』石母田星人、推薦者は金子兜太先生ということになっていますが金子先生、皮切りといいますか、おっしゃっていただきたいんですが。

金子 私は石母田星人さんを推してるんだ。どう言ったらいいかな。

その前に一言、じつはこの推薦の句集名を一覧表で拝見して困っている。石母田さん、北村さんのお二人を推薦しているわけですけど、北村さんは私たちの雑誌(「海程」)の同人さんなんですけど、同時に『風の円柱(エンタシス)』が識者――これはアンケート集計で点数が高かったということなんでしょうが、それと清水喜美子さんの『風音』も識者アンケートの結果として推薦句集に入っている。

下山田さんも私のところ(「海程」)の同人で、ここ新潟にもゆかりがある。それに加えて石母田さんと清水さんと、実力、年恰好が三人ともかなり上の方に行っている。差がつかない。しかも三人の句集に私はそれぞれ推薦文まで書いている。

○○さん(未詳。運営関係者らしい)に頼んで三人受賞にしてもらおうかなんて思ったくらいで、非常に困ったんですよ。だから石母田さんについての推薦の辞というのは出来るけど、北村さん、清水さん、下山田さんについては出来ない。つらくなっちゃった。そういうことを言うのが面倒くさい。宗左近の奥さんというのが厳しい人で、前に二人同時受賞に出来ないかとなったときに、全く駄目、去年二人の受賞なんて絶対にダメだとえらく怒られまして、あんまり怒られたので今でも夢に見ている(笑)。この方の前で「仲間三人に受賞を」なんて言えたものじゃない。進退きわまっております。進行の中で言うことはあるかもしれませんけど、そこでこのご三方については私は沈黙を守る。こちらの三人(他の選考委員たち)に任せる。どれがどうって(特別図抜けている)こともないんですよ。三人のどれが取っても(自分には)恩恵もありませんから。

石母田さんというのは、読んでもらえればわかるんですが、気骨稜稜、非常に潔癖、ユニークな人。男性の場合特にその中の一人(に数えられる)。しかも若い。作品も、現在ただいまの《私》の内奥を攻めてくれている。自己表現に徹底していて、自分の世界を作ろうとしている。写生中心の俳壇の中で、虚子の作り上げた「写生」というのが今の俳壇の句作りの基本にありますが、石母田さんはそうではなく、内面、自己表現を中心に出す、ですから象徴とかメタファーとかになってくる、そういう点で非常に特徴的な、若い、独自性の、自分の思うとおり、個性的なとっつきにくい変な句を作っている、そういう人の句でして、人類の中にこんな人いるんですねという句。いかにも現代的な俳人だと私は思ってます。

黒田 雪梁舎俳句まつりはその一回目から私、金子先生と選者をさせていただいてその推移を見てきています。それで色々思いまして今日に臨んだんですが、私自身は木附沢さんと藤川さんの句集二つを推しています。まずその二つについて。

そしてあと特別賞みたいな形で――本当は選考委員が推薦できるのは二句集までなので――普通の一人の作者の句集ではない『新撰21』いろんな若い作者の句を集めて邑書林が出した、この句集というのを推しています。

これはいろんな結社、協会、無所属の人の作品が21人ここに収められているんですけれども、私はNHKの『BS俳句王国』で、ここに入っている作者のうちの十二人、この回はゲストなしで選者が私、一月の初めの頃に連れ立って二週にわたって番組に出ました。前夜から、番組収録から別れまでの時間、半分くらいの人たちとご一緒して、非常に私自身が快適な良い時間をもらったんですね。私はもう七十一になりますけども、ここにいる人たちは非常に若い、そしていろんな流派がいて、結社にも入っていない、自分たちで同人誌をやっている人たちもいます。ともかく若い人たちの良さというか、若いということの力を感じ、それから一人一人の俳句に対する情熱というものを感じた。それを邑書林が、聞くところによると匿名のある方が、スポンサーとして出てきてくれてこういう本が出来た、そのことにも感動したんですね。やっぱりこういう本が出ないと自分の結社以外の若い人を知らないままになっていた。それで二冊プラスこの本を推しました。

木附沢麦青という人は、私より一つ二つ上で、この方がむかし角川俳句賞、それから大野林火さんについて「濱賞」を取った人だということもご存知ない方も多いかもしれない。私は師が山口青邨でしたから東北にも知り合いが多くて「花寿司」(木附沢麦青が経営していた鮨店)にも行っている。

山崎和賀流という人も角川俳句賞(一九七三年、第十九回)を取ったが若くして亡くなった。それから中原さんの親しかった福永耕二も早くに亡くなってしまった。そういう人たちが今生きていたらどんな良い句を作っただろうと思う。

木附沢さんは私より上で、他の候補者たちは皆先生についている立場ですが、木附沢さんは唯一、主宰者、選者として選句でもって東北で指導する立場にいる。眼力をもって選者としても活動しているということで、これは佐藤鬼房、成田千空に続く存在だと私は思ってます。

句集は控えめで穏やかで、二度病気をされていて、もっと良い句も(会場で配られたパンフレット掲載の十句以外に)あるし、人を育てながら実直に、今度の句集も角川書店やふらんす堂みたいな(名の通った)ところではなく地方の印刷屋さんみたいなところから(結社の)二十五周年ということで押されてようやく出している。

この句集を夜読むと、とても安らかな気分になって、安眠出来るんですね。こういう句集というのも敢えて(候補に)出したい。

『銀川』の藤川游子さんは(パンフレットの作者紹介が)「昭和十三年、京都にて生れる」しかない。藤川さんは高柳重信についていて、中村苑子が『花隠れ』を出したときに生前葬のようなことをやって、その催しを私がプロデュースしたんですが、そんな昔から知っていた人ではないけど、中村苑子が繋いだ友人として精神的に強く結ばれています。

「遊俳」という言葉がぴったりで、俳壇に打って出ようとかいうのを持たない、人生を俳句で表現したいという人。木附沢さんと、私と同年の藤川さんの悠々たる世界、センスがあって大変なインテリでというのとを出すことが出来て嬉しく思っております。(他の)全員について(講評を)言えますが一旦やめます。

坪内 僕は今年は困っている。ここには載っていませんが、本当はもう一つ眞鍋呉夫さんの『月魄』という句集を推したんですね。そうしたら事務局から「既に有名な人のようだけど推していいのか」と問い合わせがあって、いや、有名かもしれないけどあまりちゃんと人に読まれていないからと言ったんですが、本人が辞退すると下ろされるらしくて、多分辞退されたので上がっていない。『月魄』については蛇笏賞にこの前決まったので、蛇笏賞の人たちもちゃんと見てくれたということで、下りてしまわれたが文句はない。

浅井慎平を推しているのは、俳句から離れた人を推したかった。そうでないとどんどん俳句というものが業界、仲間内の文芸になってしまう。作っていない人も読めないと面白くない。浅井さんは毎年のように句集出していますが、ある意味シンプルです。《曇り日や苺は赤く皿白く》なんて構図がシンプル、作者が写真家だというのがなるほどという感じ。《一月の水甕に浮く雲ひとつ》もそう。《金蠅や旦那とよんで糞の上》なんて金満家を諷しているみたいで金子さんが作りそうだが、専門の人からは出てこない。《玉虫の仰向けに死す法隆寺》は玉虫厨子というのがありますが、それに使われたのか(寺で玉虫が)仰向けに死ぬというのが楽しい連想がはたらいて、面白いなあと思っている。

司会 あの、眞鍋呉夫というのは檀一雄の弟子の人ですか。俳句やってるというのは初めて聞いて、驚いてるんですが、その人と一緒の……。

坪内 俳句界から離れたところで、ずっとやってきています。

會津八一を撮るという企画の選者でもありますが、浅井慎平は全て新鮮です(歌人會津八一は雪梁舎のある新潟の出身。『「会津八一の歌を映す」写真コンテスト』は會津八一記念館主催で二〇〇八年発足、浅井慎平が審査委員長という地縁がある)。

中原 私も推している人が一人消えている。高柳克弘を推したんですが辞退されてしまった。宗左近俳句大賞はその年の出色のものを顕彰することになっていて、それに異存はないが、これを突破口にということで二点、加藤かな文さんの『家』と高柳克弘さんの『未踏』を推そうとしたんですが、この後加藤かな文の方はその後俳人協会新人賞を取って、高柳克弘の方は取り逃してしまうという妙なことになってしまった。加藤かな文に関しては俳人協会新人賞がもう一石を投じたわけですが、そうでない高柳克弘の方が辞退してしまっているという。

金子兜太さんから見ると私でもまだ若いかもしれませんが、この前日の二十八日が誕生日でそろそろ六十にかかる、五十九歳になりました。加藤かな文もじつはそんなに若くないですね。昭和三十六年生まれ(四十九歳)でそれにしては軽い。生掛けというか、人生の苦渋はその後の句集となるのではないか(「生掛け」は陶磁器用語で、素焼き前の状態の素地に化粧土を掛けること)。加藤かな文が俳人協会新人賞を取ったので順位が変わってしまった。

黒田杏子さんの推した『新撰21』がまさか上がってくるとは思わなかったんです。今までずっと一人の句集だけでやってきて、昔は牧羊社の出した二十代の精鋭アンソロジーのシリーズなんかがあって、あれだってまとめればこういうのの候補になったのかもしれませんが、こういうものが上がってきたというのは画期的でもあるし、異常事態でもある。この中の誰かが残ってきて一人が(単独句集を出して候補に)上がってきて、その時にあげたい。ここに来ることを期待したい。既に雪梁舎賞を取ってしまっている人もそこにいる(今回の第十一回「雪梁舎俳句まつり」において、宗左近俳句大賞と同時開催の一般投句の顕彰で、『新撰21』収録作家である九堂夜想が最高賞の「雪梁舎賞」を《虹色に濡れて海市から来たという》の一句で射止めてしまっており、授与式に備えて最前列に着席していた)。そういう萌芽がもうあることを嬉しく思いました。こういうアンソロジーが賞の候補になるというのが時代へのアプローチになるという感じはしたんですね。

司会 私も素人なもので加藤かな文さんの句集、「加藤かな・文句集」と読んで、句と文一緒なのかと思いましたが、『新撰21』が黒田さんと中原さんで共通項もありますし、これを検討の時間もほしいような、大勢の人が集まって出した句集で初めて入って……これも、あれ考えて…。

通してお話しいただいたんですが。その、どう、各論、詳論に入るか、次のステップに行くヒントを……。順番はどういうふうにいたしましょう。

黒田 眞鍋呉夫さん、加藤かな文さん、高柳克弘さんは(候補の中から)おられなくなったけど、他は皆全部見ているから、私の希望としては全部に対して一言ずつ欲しいんだけど、司会しちゃって悪いけど、中原さんどう?

中原 『冬の阿修羅』については、私も広告業界で浅井(慎平)さん知っているので、ここに今日本人が来なくてホッとしている。言いにくいことも言ってしまいそうで。彼だって写真家が余技で俳句をやっているという言われ方は心外だと思うんですが、前作の『ノスタルジー』に比べて、坪内さんのおっしゃった俳句を長くやっていることの澱みたいなものが出て、俳句らしくなりすぎてきているんではないかと思うんです。《蚊帳匂う星の香りと思いけり》。良い句ですよ。それから一番最初に驚いたのが《雪霙霰青空五合庵》、新潟の五合庵を日本海側の天候がくるくる変わるところに五合庵とポンとつけている、こんな句も作れるんだ。《六月の蒟蒻握る水の中》なんてカメラマンの目を感じる。多作になった分、俳句らしいというか、骨法を踏まえた句が現れていると思いました。だから今これだとイエスとは言いません。

『雪影』の北村美都子さんは、十日町出身の方で三人の師に恵まれて(それが見えて)ああなるほどと思うんですが、五七調の調べの重厚さにうまく乗っていかない感じから始まる。それが齊藤美規さんについてからか、調べが良くなったと思って、読み終わるとむしろ破調の方が印象に残るという不思議な現象が出てきてしまう。「黙深き一人は冬鳥」とか「停電多き」とかの句は、ゴツゴツしたところのないものを上げても新潟(の俳人)とわかる。三(人の)師のミックスを期待したい。

『銀川(ぎんせん)』(藤川游子)ですが、私の好きな橋閒石なども出てきて、《天体は人体に満ち豆を撒く》なんて「豆を撒く」から天体まで広がったものはなかったのではないか。《一世紀たんぽぽ行方くらませり》の句は在来の日本タンポポをセイヨウタンポポが駆逐していくといったことも思わせる。《半夏生わが足裏も貌のうち》の「半夏生」の湿った季感も私好みだし、《一月の鬼籍の人らひと束に》は寒の入りとかによく人が亡くなりますが、それが一束にされて、自分もやがてということまで思いが及ぶ。長く俳句で煮しめたという感じで好感を持ちました。

石母田星人さんは既に加美俳句大賞(元・中新田俳句大賞)で鮮やかに出てきて、今更あまり出したくないというか、われわれと同格で活躍されていて、その作者の「おっ、第二句集が出たな」というふうに見える。《窯変を促してゐる鶴のこゑ》は化学的なものから始まって猫だましのような句、《流れくる椿の覆ふ大広間》は今ならコンピュータアートかなんかで出来てしまいそうですが、どの句にも虚と実があって、私の目指しているものに近い。と思って読むと《明易し山気簷まで来てゐたり》《「この男ソプラノだつた」薺打》なんかは平凡。普通のところを見せ始めているわけではなく、年齢なのか鳴りを潜めきている。まだまだ何回か読んでみて引っかかるものがありそうですが。

『風音』の清水喜美子さんは若々しい。年齢を見てびっくりで、兜太さんと大して変わらない。《百日紅の百を信じてシャワー全開》はサルスベリだと音が出てこないのでヒャクジツコウでしょうね、《月光にぶつかりぶつかり越後かな》新潟を思わせてニンマリしましたが、《雪女郎たかが生物ではないか》というしたたかさ、こんなに長く生きていると、女性では普通ですけどね、怖いものなし。《蕗の薹母の畳にとく出でよ》の腐りもしなければ畳からフキノトウが出てくるという句は想念に驚く。幅があって、中村苑子と、鬼房さんののところにいた栗林千津みたいな要素と両方感じました。女性の方が長く生きると巫女に戻るというか神がかっているような感じがして、何度も読んでその度ケラケラ笑って、ねじ伏せられた句集であります。

『風の円柱(エンタシス)』(下山田禮子)父恋・母恋のレクイエムでひたすら父よ父よ父父母父母父と続く。このやり方、私の意見では故人の父母を私は知らないわけで、編年体の編集の中で例えば父の日などに毎年父の句が出てきてその思いが変貌していくとかだったらともかく、他人ですからゲッツリ――これ新潟の方言で食傷するするという意味ですが――してしまう。だんだん進むとニュートラルな句も出てきて《狐火やちちははの家売りにけり》には共感しますが、《冬の鳥葛布のような母でした》の「でした」は疑問で、韻文でやるんだろうなと思っているときに「ああ」と思ってしまう。《妣はまだ梅林のなか立ち游ぎ》はああわかると思う。伝統にくるまっているというか、島田牙城さんの装丁、キモノの部分がモダンに見えるのに、中身が伝統に近いのが出ると他の人に譲るべきではないかと思ったり、櫂未知子に跋文で直喩の名人と書かれるとまたそうかと思うが、《人想うオクラの粘りほどにかな》などを見るとそんなに飛んでいない。全体は好印象ですが序盤が父父父父母母母母なので、先に後ろの方を読むと納得します。

『馬淵川』(木附沢麦青)は開いてすぐ《ふるさとのよき山ひとつ霞みけり》という句が出てきて、おや、こういう句で全体が埋まっていたらトーンダウンしていると思ったら、麦青さんが「私のなんか古い句で」と言われて、何を以て古いとするのか、自己更新をしているか、一歩でも前に出ようという足掻きが見られるかと思ってみると、次の夏の章からが違う。その影に、生きて、大病をなさって、病気を体が乗り越えたということで、精神風土もやむを得ず変化している。《おふくろも胃袋もなし年の暮》なんてこういう洒落とか、兄弟ともに胃がなくなった中でガンを笑うとか元気だったら出来ない。「やませ」の句とか、こういうことをやっていけば古いなんて言えないのではないか。

司会 大体、推している順番に…。

坪内 一つというなら浅井慎平さんを推しているけど。

金子さんのところの三人は伯仲だけど、その中では北村美都子さん。金子さんが挙げていない句では「雪雪雪」とか、「新潟県停電」は《暗黒の関東平野火事一つ》で金子さんから発想としては学んでいる。この人の中にちょっとある遊び心が顔を出していてて、これはあとの二人にはない。新潟に、雪に執着していて好ましい。一番成功しているのは《雪雪雪雪雪ねむくなるくすり》。僕はまず北村さんの句集は推したいというふうに思います。

その次は石母田星人さん。ただこの人の俳句はやや難しい。《街中に冬夕焼の棲む扉》《鬣や音無き方へはしる野火》とかはわかる。題になっている《立春の空へ膝蓋腱反射》となると難しい。じつはこの人の句集を読むと犀という動物にこだわっている。その中に《陽炎のみなもとにある犀の角》というのがある。これが一番素敵だなと思った。ただもうちょっとはっきり犀が出てくると良い。坪内稔典の河馬とは言いませんけど、石母田星人の犀というのがもうちょっと出た方がいい。僕はそっちの方に期待するので、今回は二番目か三番目。

それから簡単に木附沢麦青さんのに触れると《他人(ひと)ごとのやうに吾病む雪明り》。自分のことを客観視出来て余裕があるのが好ましいと思いました。

藤川游子さんの『銀川』というのは黒田さんが推してますが、僕の隣人に近い人なので僕が推すのはまずい。自分の仲間内の句集は推さないようにしようという約束をここでは二三年前からしてまして、僕はそれ取っ払った方がいいと今年は思ってるんです。金子さんがもう取っ払っている。金子さんの視点に賛成なんですよ。俳句では仲間内ではない他の先生なんかに読んでもらう機会というのは非常に少ないので、二冊推薦枠があったら一冊は仲間内の句集でもいいから推してもいいとした方が作品のバラエティが広がるんではないか。これ今回直接関わる話じゃありませんけども。

もう一つ言いたいのは『新撰21』に賞を与えることは反対です。

なぜか。

去年既に佐藤文香さんに賞(宗左近俳句大賞)を与えました。それから冨田拓也君というのは僕も選考委員をやっている芝不器男俳句新人賞を取っているし、神野紗希さんもそこで賞をもらっている。ここにいる若者たちは自分の力で切り開いていくべきだと思う。さきほどの黒田さんのコメントに抵抗を示そうとしている。あまり優しくしたくない。自分たちの力でやるのが一番良い。しかもさまざまな視点で賞を受けているわけだし、ここの賞で甘やかす必要は全くないというふうに言いたい。

司会 特に『新撰21』については黒田さんに……、じゃあ…。

黒田 今坪内さんが『新撰21』のことをおっしゃったんですが、『新撰21』は合同句集のようなものですから、私がこの本を推したいのは、この本を出したということでこの中の作者をということではなく、これを出した人、及び編集した人、この本を具体化した人に特別賞みたいな形で話題にして、賞を出すということを言ったつもりです。

で、私のコメントに行きます。

石母田星人さん『膝蓋腱反射』。私はあまり存じていないんですけども金子さんや中原さんは加美(俳句大賞)でですか、そこで知っているということで、今回の本も若い人というか、将来性もあるし、今後この人の行き方でどんどん突き進んでいただきたい。かつてですね、金子先生90歳ですけどもかつて若い頃がありまして、私が山口青邨に、金子兜太という人をどう思いますかと訊いたら、あの人はあの人の行き方があるから、あの人はあの人の道を突き進むから良いと言ったんですけども、その言葉をこの人に差し上げたいと思います。

北村美都子さんの『雪影』とても好感の持てる句集でした。足が地について全体に実直。ですが、私はこの句集をですね、三人の先生の支えがあった、そして雪国に住まわれた、この句集をスプリングボードに大きく飛躍出来る人だからそういうふうな道を期待する。ここに上がっている十句の中では《天に声あふるるときは雪とならむ》とか《白のほかは何も見えざり白鳥来》《玻璃をうつ霰は華よ待ち合わす》《ちちははのくにより音もなく雪夜》が共感出来るものでした。

次は木附沢さんについてはさっき言いましたけども、私この人に執着していますので、ちょっとつきあってください。この方の句に梟が沢山出てきます。《梟は自分と話すやうに鳴く》とか面白いと思った。それと梟の句じゃないんですが《まだ出番あるかも知れぬ枯蟷螂》これが木附沢さんを象徴していて、私、木附沢さんが生きていてくれるのが嬉しいんで、「出番あるかも知れぬ枯蟷螂」じゃなくて、生きて木附沢ワールドを皆さんに広めていただきたいと思います。

藤川さんについても既に言いました。藤川さんを昔から知っているのでコメントしないという坪内さんに不満を持っています。

『新撰21』の人たちについては今言いました。

それから浅井慎平さんについては、私、中原さんと同じように広告店に定年まで勤めておりました。浅井さんもよく知っています。最短詩形である俳句の核の一つは定型感覚とリズム、調べだと思いますが、そこにこの方の句集は今回不安定なところがある。そこが惜しまれます。

加藤かな文さんは賞をもらってしまったけども、非常に安心して読める句集です。俳人協会新人賞というのがこの人に相応しかったと思います。

それから『風音』清水喜美子さん、鬼房のところにいた栗林千津さんの名前が出ました。この方(清水)は大正十二年、栃木県生まれと書いてある。瀬戸内寂聴さんと同じ年、戌年ですね。栗林さんが栃木県生まれで、私は栃木県に疎開して育った人間なのでそのことだけでも親近感を持って嬉しいと思いました。齋藤愼爾さんの「俳句界」の選句などでも浮上してきた方だそうです。ともかく六十歳から句作を始められて、私も行ったことありますけど、秩父の兜太道場とか、東京例会とかそういうところへ出てこられて、兜太スクールで学ばれて自己の表現形式としての俳句をしっかりと掌中にされているというは見事だと思います。年齢がどうとかいうことじゃなくて、この方の硬質なポエジーが、単なる花鳥諷詠の俳句とは違うんですが、抒情もあるし立派な句だと思いました。《淡きははなり白地着て母在り》《次の世もわが母である雪降りしきる》というような句がとても私は好きでした。

それから下山田さんですけども、若々しい情熱というのがまずあって、意志と意欲の作家である、期待したい人であります。ただ櫂未知子さんが(句集の跋文で)書いておられたんですが「ような」「如し」の直喩、《字足らずのように父着て雁来紅》《絶島のような男来かりんの実》《立葵奇襲のような美童かな》《辺境の晩夏のごとし高階は》《俳優のごとき一樹へ雪婆》《寒満月まんだらのごと夫と寝る》とかが、私は櫂さんが褒めているようには受け取れなかったです。比喩がそんなに、どうなのかなと思いました。これだけファイトと情熱と意志のある人ですから、もっと自分の内奥の奥処をじっくりと掘り下げて独特の言霊をじっと待つことも重要である、一句の形成を早まらない方がもっとこの人の本質が出てくるという感じを持ちました。

私からは以上です。

司会 はい。ありがとうございました。じゃ、金子兜太さん。

金子 この合同句集『新撰21』ですね、これについては私は、坪内さんが言うように中に当選されている作者、いろいろと賞をもらっている方もいますしね、ここの賞ではどうかということもありますからね、むしろ今後を見たいということは賛成。ただですね、こういうアンソロジーが出せる、出したということは今まで俳壇では非常に珍しい例でしょう。しかも非常に奇特な女性のバックアップで出せたというのは非常に私は美談だと思いますね、そういう点でも。それからこれ編集が上手ですしね、私はこの本を出したということ自身に本を出すという形は一つ考えていいんじゃないかと。個人的な賞(本賞)は別としてね。そう思いますね。黒ちゃん(黒田杏子)も言ってるけど、そういうもっと広い視野のことも考えてですね、また育てようということも考えてササベさん(主催者?)というのは立派な実業家ですから、こういう人がやる賞だという意味でもですね、企画とか、出版物そのもの、出版のやり方とか、そういうことで、一人じゃなくて、集合の新しい形として推していいんじゃないか、むしろそういうことにこの賞の一つの意義が出てくるんじゃないかという気持ちがある。それは冒頭に申させていただきたいと思います。検討していただきたい。

それから個人的に非常に迷って、メモを取って考えていたんですが、何で迷ったかというと、私が良いと思った石母田さんにしてもね、そんなに若くない、昨年の佐藤文香は、あの人は本当にホヤホヤで湯気が出ていた、それからすると若くはないし、中原君も言ったようにわれわれ加美俳句大賞の頃から立ち会ってますから、あの頃から見てね、新鮮さが加わっていない。生々しく現実に触れていかないと駄目だというのが大前提なんです。常に現実に生々しく触れてくれないと魅力がないというのが。その現実にはもちろん社会が含まれ、自然が含まれる。石母田君はちょっとあの頃から見てその辺が鮮度が足りないというか、逆に言えばややマンネリ化というか、そんな感じがありまして《街中に冬夕焼の棲む扉》とかそれを感じますね。

加藤かな文というのは句柄が小さいですね。非常に小さな特徴を面白く使っているという感じ、賞になるほどには。俳人協会が賞を出したというのは俳人協会がネタ切れになったということなんじゃないかと思いますが。ちょっと小さい、新人としても小さい。新人なんてものはもっとデケエものを持っていないと駄目だと思うんでとても対象にならない。まあ中原君というのはわりあいでかいところがあるから、逆にこうちっちゃいのが好きなんだよね。人間ってのは対照的なものが好きですから。そういう点で私は若い人の中で適材がないと思う。

(自分の門下の)三人はちょっと抜かしますけど、逆に年配者、木附沢さんの句ね、それであの浅井さんの場合はこれは前回のこの人の句集よりもうんと衰えてます。もうやっぱりこれはさすがに年齢ですか。ものを表現する人はね、年齢と戦うという意識がなかったら良い作品は出来ませんよ。私だってね、こんなところでベラベラ喋ってるけど、結構戦ってるんだ。戦ってるから良いかってわけじゃなくてね、その気構えがないと。気構えが写真に取られちゃってますね。やっぱり年取るとね、二つの使い分けは出来ないんじゃないかな。何か気の毒なくらいに穏やかになっちゃって、息抜きにやってる気配が強くて、私は最初からこの句集は「ああ、もう慎平、俳句の時期は過ぎたな」と思いましたね。今度あったらズケズケ直接言ってやろうと思いますが、それによって逆に写真が良くなってくれば、(俳句は)安全弁になってくれる。安全弁に賞は出せない。

それから眞鍋(呉夫)さんはね、これも出ましたように、蛇笏賞が出ましてそこで熱烈に推しましたから、今またここで熱烈に推す気はないです。そんな二番煎じはやってもね。熱烈はいっぺんで結構。

木附沢さんが私は一番或る年齢層、それから藤川游子さんも或る年齢層に入るかと思いますが、この方の場合は一言で言って生々しく現実に触れてそのままじかに映像を結んで書いてるという、この書き方を私はずっと若い頃からやってきているけど、その基本から言うとね藤川さんの句はやや文芸趣味、昔でいう文人趣味で私はあまり賛成してない。文人趣味の良い匂いです。だけどちょっと匂いが強すぎる。これは私の好みが大きいですよ。ですけど生々しいものを何で藤川さんらしく年齢相応に書かないのかなあと思うんだな。どこかでレトリックで書いてる感じがするんですね。この人の教養とか。かなり教養のある人だと思いますね、文芸に対する。高柳(重信)の悪い癖が出てる(笑)。高柳の場合は藤川さんほどの教養はないと私は思う。あれはフランスの詩集一冊二冊を手元に置いて作っていたという感じが。私はそれ高柳にじかに言ってますから、陰口じゃありませんけどね。藤川さんは特に日本の古典の教養がありますけどもそれを使いすぎる、そのレトリックが使い過ぎになるんだな。その雰囲気に入りすぎてると思う、もっとナマでやってほしいね。藤川さん、頼みますからシュミーズを一枚脱いでください(笑)。

それで年配の中で木附沢さんが残ったんです。私の仲間の三人以外で誰かとなったら木附沢さんに持っていって、最高年齢者、私とほとんど違わない年ですから、そこへ持っていって、去年と同じく若い人にならないように、雰囲気が若い人に傾いてるんですよね、選考委員が。横で良くない良くないと黒田杏子先生が言っておりますが、この方(兜太)も年を取ってきたとそう思ってるんじゃないか(笑)。十年前は若いのにやれ若いのにやれと言っていたのにと。とにかく若い人に傾いている賞では特徴がない。だからうんとここでは年配者に出したいという気が出て木附沢さんにはかなり好意を持ちました。三人の方が言っていた句と違って例えば私はこういう落ち着いた句が、本当に風土に根を下ろした句が好きで、《色鳥や娘嫁ぐをこひねがひ》早く自分の娘が嫁いでくれよと願ってる、こういう句を読むと彼のいる岩手の山河をフゥーーッと感じるんですけどね、あ、青森か。あんまり変わらない(笑)。東北だから。《冬山のいづこを見てもまなこ老ゆ》《うしろ手に障子を閉めて火星見る》《あやまちの一弁もなし曼珠沙華》一人の過ちもないというこの見立ての鋭さかな。やはり東北のああいうところに住んでる人の感覚だなと強く思う。そういう点非常に惹かれましてね、木附沢さんはもう私は本当に傾いたな。

傾いたんだが(笑)、ふと思い出すと仲間の三人の句が出てくる。ここで「木附沢さん」と言うわけにいかねェという、非常に切なる気持ちがありまして、これはもうあと三人の方(選考委員)に委ねちゃおうと、こう思いました。

それからワカイさん(?)からさっき言われまして、やはりこの仲間とは言いながら仲間の目でその作風をご説明した方がいいんじゃないか、皆さん全然知らないでここにおられるわけだから。ただ三人の方のお話聞いてると、みんな見てますよ。やはりさすがに選者ですよね。俳句を一生懸命読んでよく読んでわかってますよ。当たり前ですけどね。感心したんでこの三人の三人に対する批評をもって皆さん方もお考えいただきたいと思います。

司会 (ここで一気に決めるか、トイレタイムを入れるか、トイレ休憩を一分三十秒入れると言いつつ、誰かの質問に答えてそのまましゃべる)いまお聞きしている私のメモの中では皆さんが推しているのは金子さんの推薦された『雪影(せつえい)』ですか、これが最も集めているような感じがします。『馬淵川』も今かなりいいところまで行ってるんですが、そんなところが印象ですが、私のメモもそんなに正確ではありませんので。どういう形で。

黒田 投票しましょうよ。

司会 あ、わかりました。

坪内 投票というか一つどれを推すかというのを。

司会 わかりました。金子さんが帰られたら、投票が多い、多いというか、あの……。

運営者 一旦休憩に入ります。二時四十分までにお戻りください。


司会 それでは宗左近俳句大賞を決めさせてもらいたいと思います。

それであれですねお一人ずつ、これっていうふうに挙げてもらうか、それとも、あの、私のメモの『雪影』が、まあ平均して皆さんの……。

黒田 (各委員の推す一点を)拾っていった方がいい。

司会 それでは、どうしましょう。中原さんから、あの、一冊ずつ。

中原 ……エイッとばかり、エイッとばかり、エイッとばかり…(迷いつつ)、私は、えー、……清水喜美子さんにします。

司会 えー、…。はい。ううう。えーと。

中原 『風音(ふうおん)』。

司会 『風音』。はい。

それでは。

坪内 僕はさっき言ったとおりで、一冊にするとしたら北村美都子さんの『雪影』。

司会 はい。

じゃ、黒田さん。

黒田 私はもう最初から一貫していますので、木附沢麦青さんですね。

司会 『馬淵川』?

黒田 はい、そうです。

司会 …金子さん。

金子 まあ、そういうわけで、私も木附沢さんになっちゃうんだけど、…弱るな。

いや、その仲間の三人が捨てがたいんだよ。
ううん……、しょうがねえなあ。
木附沢さんにいくしかないか。
木附沢さんです(拍手)。しょうがない。

司会 そうしますと……。さっき記録が、えー……『馬淵川』の木附沢さんで……(聴取不能)。

黒田 今の採点で言えば木附沢さんが二点で、他の二人は五分五分。

司会 ……(聴取不能)……

金子 いやだから希望としましてはね。

司会 はい。

金子 この三人で、私を除く三人の人でね、今一度話をしてみてもらいたいなというのがあるんですよね。

司会 そうしますと、あのー。

黒田 (金子)先生は除外してね。

金子 うん。私は除外してもらって。

司会 ……うー、木附沢さんかー、…『雪影』のー……。

黒田 だから三冊上がったわけよ、この三人で。私が木附沢さんでしょう。で『風音』の人と『雪影』でしょう。

司会 はい。

黒田 私は終始一貫しておりますから。木附沢さんです。

司会 はい。(誰かの囁き指示する声「木附沢さん」)
……じゃ、稔典さん。

坪内 『馬淵川』(木附沢)という選択は、僕の中では全くないです。

賞を考えなければ確かに面白い句はあるんですが、正直言ってこの賞にわれわれが推さなければいけないのか? 僕は率直にそう思います。長く俳句作られてきて、それはそれである僕らの及びもつかない境地があるというのはわかるんですが、今までやってきたこの賞の経過を踏まえて、この賞のコンセプトは去年の最も注目すべき良い句集に出そうということですから、そういう点で言うと考えるとやっぱりちょっと抵抗がありまして、今上がっているのでいうと、北村さんの『雪影』を選びます。

司会 ……わかりました。うー、それじゃ、あの、中原さん。

中原 そうすると私が実質決めることになる(笑)。稔典さんの言ってることもわかるんですよね。ただ多分稔典さんのいる世界と木附沢さんのいる世界がこんなにも違うというところで多分折伏されたくないというのはわからないことはないんですが、私自体は、どちらかというと伝統の生まれですから、こういう行き方もあるなということで、半分以上は木附沢さんをわかってるし、それと稔典さんの言う去年最高かというとそうではないということもわかる。長く俳句を作ってきたと言ってもですね、長老の清水さんのような方がこんなに知的なエネルギーを蓄えて持っているという驚きの方が、木附沢さんと比べて、僕は今要するに俳句を作る力としてどちらが優れているんだといって訊かれた場合には清水さんを採りたいという気持ちもあります。

ただそれだとずっとパラレルで平行線のままで行ってしまいますので、私がどちらかにポンと足を踏めば、ねえ。ドツボにはまりそうでイヤだ…。

金子 一言言わせてもらうとねえ。

司会 はい。

金子 私は当初より推しているのは北村さんの句集ですよね。(選考委員推薦枠の)二冊の中に入ってる。このことは動かせない大きな一つだと思ってますね。だけど今いろいろとこう、思案しているうちに、木附沢さんに私も一応落ち着いたというだけのことであって、これは気持ちの問題でして、……難しいんだよなあ。

司会 結論は。

金子 夜逃げしたい気持ちですな。

黒田 夜逃げしないでちょっとやってください、しっかり。

司会 中原さん、キーマンになる可能性がありますが。

中原 ……木附沢さん…で、行きましょう。

司会 わかりました。それではまあ、金子さんは、あの、一番最初に、あの途中で三人に任せると言いましたがそれでよろしいですか。もしそうでなければ二対二になりますけど。

『雪影』が、あの、金子さん、坪内さん、『馬淵川』が黒田さん、中原さん。

金子 いや、だからねえ。あのね、元々は石母田さんと北村さんを推しているわけですね。気持ちの問題ですけど。

司会 はい。

金子 ただ、この発表の状態を見たら、北村さん(「海程」所属)については主張することが出来なくなっちゃったということですね。

司会 はい。

金子 下山田さんと清水さん(どちらも「海程」所属)が出現したからね。だから私は言えないです。だから皆さんにお任せしてるんですが、この気持ちの切なさよということです。ですからそれをわかって何とかうまくやってくださいよ。

司会 はい。

金子 それでね木附沢さんも出したから、木附沢についても言うが、私は止 む を 得 ず落ち着いているということですよ。これはねえ、もう、しょうがねえ。三人の他に、だって残ったのが木附沢さんだけ、これ木附沢さん消しちゃったらどこか××(聴取不能)にでもぶっこんどくしかねえ。しょうがねえから木附沢さんにしてる。それだけの力はお持ちの方ですよ。ですけども、それは何たって私は三人の仲間の方に気持ちが動いていることは間違いねぇ。それは一緒にやっているんで。

司会 ええ。

金子 しかも俺の好きな作者たちだからね。これは当たり前なんで、だから木附沢さんには敢えて、止むを得ず、しょうがないから手を挙げた、手を挙げたんだか足を入れたんだか知らないけど、そのつらい気持ちを汲んでもらいてェなーーー(苦渋に満ちて)。

司会 じゃあ決定で『馬淵川』の木附沢麦青さん(拍手)にまとめさせてもらいます。

その他、あのー、『新撰21』については、何人かの方がおっしゃったような方向性で、次回あたりから、混ぜて(?)いただきたいと思います。

これでー、終わりますがー、あ、終わりますというか、第一部はこれで締めますが、何かございましたら、特に意見ございましたら。

会場及び来賓の方、そちらの方で、あのー、どうこうせよということではなくてナマの感想いただければ良い締めになると思うんですが……。

中原 最終的に、いつも思うんですけど同門下はですね、まとまって句集を出さないでください(笑)。先生が悩むだけですから。

坪内 僕は、途中茶々を入れましたけどね、今のところわれわれに命じられているのは二冊推してくれ、自分の仲間は推さないということですよね。でもこの二人はそういうことを平気で冒した。兜太さんは仲間を推し、黒田さんは三冊推した(『新撰21』を追加した)。

『新撰21』についても、もしね、幾らかこの二人的なわがままが許されるんであれば、僕、出版企画賞みたいな賞を出したら良いと思います。

ただ今までそういうコンセプトがなかったから、急に作るというのは、やっぱり賞のある意味公正さからまずいのではないかというふうに思いますけど、(出版企画賞みたいな賞を出すと)決まったら僕は、そのことについては、毎回不満があったり喜んだりしているわけですから、何ということもありません。これ(『新撰21』)で新しい俳人に出会った感じでいます。

司会 ありがとうございます。じゃ黒田さん。

黒田 私はもうずっと推してきたから木附沢さんで涙が出て止まらないというところであります。終わり。

司会 ありがとうございます。金子さん、締めになりますが…。

金子 繰り返しになりますが、非常に複雑な心境でございます。鳩山さんより悩んでます。

司会 ありがとうございました。では会場の皆さんもこれで宗左近大賞については…(以下聴取不能。ここで進行役が運営側の女性に代わり、突然何を言っているのか会場誰もが明瞭に聞き取れる発音・発声となって、そのまま一般投句の表彰式へ)。

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お読みいただければわかる通り、『新撰21』は推薦してくれた黒田杏子氏をはじめ、本賞に推すという機運はなかったのだが、その代わり、かなり早い段階で「特別賞」「出版企画賞」といったものを臨時に設けるという形で処遇するという流れが出来上がり、反対していた坪内稔典氏も最後の発言では『新撰21』への授賞を見越して黙認するというスタンスとなった。

当然本賞決定後、その場にいた関係者の誰もが「出版企画賞」授与の確認に入るものと思っていた。

ところが、授賞決定の際の兜太師との(その意向を全く汲めていない)やり取りに顕著だが、その立場に大変に不向きな人物が司会者の座に据えられていたのである。

選考委員が合意した事柄が、司会者によってスルーされた。

選考会の終了後、会場の上空に巨大な「?(クエスチョンマーク)」が浮かんだ。

「え? これで終わり?」

一冊のアンソロジーの企画が、匿名の篤志家の無償の出資というあり得べからざる行為によって始まり、多くの人を巻き込み、その努力と志により、ついに書物の形を成すところにまでこぎ付けられた。先達俳人の一人がその意気に感じ、異例を押して賞の候補に押し上げた。選考委員たちの真剣な討議を経て、それは顕彰の機会を与えられた。

しかしその機会はかくしてなし崩しに日本海の彼方へと消え去ったのである。


付録:会場配布パンフレット
「第十一回雪梁舎俳句まつり/宗左近俳句大賞/選者識者推薦句集/平成二十二年四月二十九日」

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金子兜太先生推奨句集

「膝蓋腱反射(しつがいけんはんしゃ)
作者 石母田星人(いしもたせいじん)

街中に冬夕焼の棲む扉
鬣や音無き方へはしる野火
銀紙に包む晩夏の音ひとつ
郭公の高さの蒼の軋みかな
立春の空へ膝蓋腱反射
冬麗の流木にある黙秘かな
流体の蝶ならば彗星を裂く
夕芒未完の塔は地にささり
矮星の終焉真雁塒入り

作者紹介
昭和三十年  宮城県生まれ
平成七年  「滝」同人
平成十四年  第一回滝俳句賞
平成十七年  第十回加美俳句犬賞、宮城県文芸賞
現在 「滝」同人「俳句スクエア」編集長、現代俳句協会会員

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金子兜太先生推薦句集

「雪 影」 作者 北村美都子

天に声あふるるときは雪とならむ
地面の海かがやく雪降る盆地にて
白のほかは何も見えざり白鳥来
リラの花感覚的に布を裁ち
おのが音に憑かれし滝の落下かな
琉璃をうつ霰は華よ待ち合わす
ほんとうの闇知りつくし螢飛ぶ
降る雪の今日の一心不乱かな
ちちははのくにより音もなく雪夜
みほとけに厚きまなぶた小鳥引く

作者紹介
昭和四十年 「海程」入会、四十六年同人
平成十五年 海程同人各集年間賞受賞
平成十六年 第五回海程会賞受賞
平成二十年 第四十四回海程賞受賞

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黒田杏子先生推奨句集

「馬淵川」
作者 木附沢麦青(きつけざわばくせい)

元旦の戸ロ出て聞く山のこゑ
鷦鷯(みそさざい)なら飛べ笹子ならば鴫け
他人(ひと)ごとのやうに吾病む雪明り
もの言はぬ民のみならず蕨生ふ
晩年とおもひ思はれさくら見る
頬こけてどれも似合はぬ夏帽子
海猫(ごめ)の子の出入りを許す島社
西瓜売りたうたう土に坐りけり
爺死ぬる妙丹柿をもぎ尽し
ばんどりの跳ぶも飛んだり月夜なり

作者紹介
昭和十一年  岩手県二戸市生
昭和三十九年 「北鈴」に参加 「濱賞」「角川俳句賞」受賞
昭和五十九年 「北鈴」解散を受けて「青嶺」創刊
句集「母郷」「南部牛追唄」「青嶺」
現在 「青嶺」代表。俳人協会評議員

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黒田杏子先生推薦句集

「銀川(ぎんせん)」  作者 藤川游子

天体は人体に満ち豆を撒く
水送り水取りまでをうねる闇
赤い椿白い椿よ生きておれば
千年の一樹を以って椿山
遠國へ空馬返す杜若
源は寧夏銀川水位なし
水の秋勾配ゆるやかにして生きる
文化の日榛原という駅に立つ
ひとり棲み大鍋洗う紅葉山
稜線のうちとけてゆく寒暮かな

作者紹介
昭和十三年 京都にて生れる
現在 現代俳句協会会員、大阪俳人クラブ会員

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黒田杏子先生推薦句集

「新撰21」

二十一世紀にデビューした二十一人による鮮しい成果の集成
越智友亮   中本真人   五十嵐義知
藤田哲史   高柳克弘   矢野玲奈
山ロ優夢   村上鞆彦   中村安伸
佐藤文香   冨田拓也   田中亜美
谷 雄介   北大路翼   九堂夜想
外山一機   豊里友行   関 悦史
神野紗希   相子智恵   鴇田智哉

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坪内稔典先生推奨句集

「冬の阿修羅」  作者 浅井慎平

冬尽きて土蔵にひとすじ光かな
流氷やわれの殺意の行きどころ
木枯しや中原中也のゆやゆよん
曇り日や苺は赤く皿白く
遠花火美空ひばりの夢芝居
雪の日の数学解けず灯点す
金蠅や旦那とよんで糞の上
玉虫の仰向けに死す法隆寺
一月の水甕に浮く雲ひとつ
晴天や部屋覗きこむ冬の薔薇

作者紹介
写真家、作家
写真集『ビートルズ東京』『巴里の仏像』等
小説『セントラルアパート物語』『早稲田界隈』等
句集『二十世紀最終汽笛』『夜の雲』『ノスタルジア』等
詩集『ラッキーストライク』

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中原道夫先生推薦句集

「家」  作者 加藤かな文

巻きついて昼顔の咲く別の草
朝日から鳥の出てくる寒さがな
こぼすもの多くて鳥の巣は光
毛布からのぞくと雨の日曜日
仕事仕事梅に咲かれてしまひけり
向日葵や夜を囲んでゐるやうに
つばくらめずいぶん雨に濡れながら
百日紅雨が降るからやめておく
木枯や吾より出づる父の
卒業の涙を笑ひ合ひにけり

作者紹介
昭和三十六年 愛知県生れ
平成九年  第六回槐賞受賞
平成十三年 「槐」退会、「家」創刊同人
現在 「家」編集発行人、俳人協会会員

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識者推薦句集

「風 音」  作者 清水喜美子

はさみ合う母の白骨花八ツ手
百日紅の百を信じてシャワー全開
月光にぶつかりぶつかり越後かな
人日や水脈(みお)の及べる島を見る
十薬咲くあの世この世に声かけて
虚と実と口切りの茶事おもい出づ
父の思想ほのと匂いし草の中
淡きははなり白地着て母在り
次の世もわが母である雪降りしきる

作者紹介
大正十二年  栃木県生まれ
昭和六十三年 「海程」入会
平成七年  「海程」例会三賞新人賞、受賞同人に推挙される
著書 句文集「末黒の大地」
現在 現代俳句協会会員

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識者推薦句集

「風の円柱(エンタシス)」  作者 下山田禮子

字足らずのように父来て雁来紅
月光の遠浅に佇つ父であり
空の色曳いて父来る小春かな
仰の花腐し書棚見られているような
絶島のような男来かりんの実
立葵奇襲のような美童かな
辺境の晩夏のごとし高踏は
俳優のごとき一樹へ雪婆(ゆきばんば)
寒満月まんだらのごと夫と寝る
きさらぎや浄土に風の円柱(エンタシス)

作者紹介
昭和二十二年 新潟県生れ
平成五年  「海程」同人、現代俳句協会会員に推挙
平成十一年  「遊牧」に創刊同人として参加
平成十七年  第一回「文學の森」俳句大賞にて『恋の忌』優良賞受賞現在 「海程」「遊牧」同人、現代俳句協会会員

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7 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

(笑)!!!ユーモアにあふれていて、笑ってしまいました。
詳細なレポートありがとうございました(^^)。お疲れ様でした。

残念でしたけれど、いい会だったのではないかと思います。

野村麻実 さんのコメント...

島田牙城さまのツイートもまとめてみました。

雪梁舎俳句大賞公開審査
http://togetter.com/li/17812

またてんきさまの
> 『新選21』はいかにしてほぼ決まっていた「特別賞」を逃したか http://bit.ly/cDanoC 「賞」という外形的なものより、内実、「特別」と認められた(認めさせた)ことのほうが遙かに重要と思うが、関係者はそうとは行かないのでしょう。なんじゃこりゃの疲労感、お察しします。

とのツイートはそのとおりだと思いました(^^)。

高山れおな さんのコメント...

関悦史様

メモ&テープ起こし、お疲れ様&有難うございます。

まあ、司会者に人を得なかったのは事実でしょうけれど、受賞者決定に関しては、金子兜太の優柔不断に対して黒田杏子の終始一貫が勝利したわけで、その意味では妥当な結果と見ました。また、それ以前の問題として、高柳克弘氏の辞退が選考をとりとめのない感じにしてしまったところもあるのでは。『馬淵川』を拝読していないので当てずっぽうになりますが、『未踏』がエントリーしていたら全然違う結果になったでしょうね。

巨大?問題ですが、遠路はるばる出掛けていったことによる徒労感はおありと思いますが、おそらく実際に受賞したよりも良い語り草となるはずで、そう考えるとこれはこれで・・・なのかもしれませんよ。

Unknown さんのコメント...

 関さん、ご苦労様。これを読んでのみの感想ですが。選考会は、まったく話題性に富む《俳句ショー》でしたね。どういう主旨とかカラーの賞かは存じませんが、新時代の俳句の方向付けをするはずの、企画全体の甘さがあるのでは?

 司会者の不適切も感じますし、選者の誰がいいとか悪いとかではなく、この賞を健全に権威づけるべき運営全体の不手際のような気がします。
 ニンジンを目の前にぶら下げておいて、急に引き揚げるなんてマネを、一流の俳人たちのはずの「大人」たちが、前途ある「未完成の」若者にたいしてするものではない。みっともないです。
関さんの方がよほど醒めてますね。

 金子兜太さん曰く、仕方ないからこの人にいれるのだ、等と、受賞者に気の毒なような言い方を最後までするとか、黒田杏子さんがルールに反して二冊のところを三冊にするとか。これは、坪内さんならずとも、臨席の選者なら、ひとこといいたくなるでしょう。

 けれど、このゲリラ戦法の効果で、重要文献でもあり、関さん達の懸命の声がこうやって公になったのだから、割り退いてもいいかも、ともおもいますが(笑)、
 それにしても、運営上、緊急動議とか、枠を設けるとか、もうすこしフェアな印象をあたえないかぎり、こういうかたちで入賞してもなんだか変でしょう?もっとやりようがあったのではないかしら。この点についての坪内さんの批判は、臨席の選者席としては言うべきことだと思いますが、若手に眼を附けている氏をふくめて、一読者の出資の下で平成のハイク青年をパックにした「新撰21」というアンソロジーの登場の特異性を、選者全体がまだ正しくは把握していないのではないだろうか、とおもいました。取り上げ次第で、これはほんとうに現代的な性格を持つ目玉商品です。
 そしてこういう本の作り方自体が、俳人の登場の仕方自体が、ある意味で選者諸氏を形成した既存の出版のルールや俳句賞の慣行を逸脱したものです。批判があったら、そのことから掘り下げてはっきりいえばいいのです。

 例えばその坪内さんが、佐藤文香、神野沙希、富田拓也には昨年与えたし、ここの賞であんまりあまやかす必要はない、自力で切り開いて行きなさい、とか、言っておられたが、いっけん正しく聞こえますが、佐藤文香や冨田拓也ら以外の人たちはそういう賞はもらっていない。その「未完成」で現れてきた多数の彼らへの検証と顕彰の方が大事だと思います。芝不器男賞や俳句甲子園で賞におちた人たちはすでに選者の眼中にはないのでしょうか?関さんも書いていましたが。問題作を議論する場を別枠で作るぐらいの臨機応変の機転を期待したかった。

 といっても、青年達が表現者として成熟してゆくためにこういうお祭り騒ぎがほんとうに必要で大事なものなのだろうか?と、拝読いたしました。
 また、ここで解ったことは、日本の俳壇は、同じメンバーが、あちこち違うスポンサーの下で賞の選考委員をやって、世間に通用する=売り込める作家の養成をはかっているのですね?そのことは、活動拠点作りとして必要なのかもしれませんが、これもほんとうに変。

 この本の意義と限界について。
私には「俳句空間—豈」49号に書いたことも含めて大きな不満があります。けれど、編集委員の状況判断にはある正当性があるし。選ばれた方達の可能性を認めることもやぶさかではない。やはり、渡りに船の状況にのりながら、彼らにしか言えないことをいっているからです。
私の年代が既にこれらの新勢力のエネルギーに淘汰され蓋をされていったとしても、俳檀をリードしている人たちが、ことし今の時点で「新撰21」を象徴的に取り上げない、ということ自体に、旧世代の認識不足をかんじました。
彼らが賞をもらっても、私自身の得にもならず、またやり方に変化はないのですが、あんまり奇妙なもりあがりかただったらしいので、ひとこと(ながくなったけど)感想です。俳句の賞とはなんなのでしょう?

 私がそう考えこむ理由は、いま市販されている詩の同人誌「びーぐる7号」の私の「俳句時評」を読んでくだされば多少は解っていただけるでしょう。

野村麻実 さんのコメント...

吟さま

びーぐる、ありがとうございました(>▽<)!!
とても大事にとってあります。そして面白かったです。

俳句世界の出来事を、他の世界にダイジェストで伝えるお仕事はとてもステキで大事なことだと思います。俳句の理解・啓蒙にもつながりますし、ニュースは得ようとしないと得られるものではないものですから。
心からお礼申し上げます。
機会がありましたら、いずれお会いしましょう。

関悦史 さんのコメント...

皆様、労いの言葉ありがとうございます。

野村麻実さま

おかげでこちらとしても新潟まで選考会を見に行くという貴重な機会が持てました(ああいう経緯で決まるものなのかというのを実見してこれたことも含めて)。
ま、選考会後の会場では皆結構イカっていたのではありますが。


高山れおな様

たしかに『未踏』が入っていたらまた経過がかなり変わった可能性がありますね。
有力候補に高踏的な中堅・ベテランや朴訥な大ベテランが多かったので、雰囲気も違ってきたでしょう。
受賞については、個人的にはともかく、出資者様のためには取ってほしかったところでした。


堀本吟さま

この賞、過去の受賞一覧を調べようにもネット上にそれらしい資料が見当たらないのですよ。宗左近の名が前面に出てきたのも途中からのはずなのですが、その辺も第何回からなのかとか詳しくは出ていないようですし。

個々の作家に対してよりも長年途絶えていたこういう企画を実現した人たちの営為に対して顕彰の機会が失われたのはちょっと残念でした。

同じメンバーがあちこちでというのもその通りで、新潟にいる気があまりしませんでした。
東京で顔をあわせたり見かけたりする人たちがぞっくりそちらに移っているという状態だったもので。

「びーぐる」での詳細な時評ありがとうございました。

Unknown さんのコメント...

野村麻実様 ご丁寧にどうも。いつも、他人様の欄でお会いしますね。きっと、興味の方向が重なっているのでしょう。(笑)。

「びーぐるー詩の海へ」は、4人の詩の作家が交代で各号を編集する詩の同人誌ですがあ商業誌でもあります。しかも。関西。大阪発。なんか「俳句空間ー豈」が総合誌化しているのと似て来たなあ、と言う感じがしています。東京の店頭で見かけられたら、是非手にとって下さい。

現代詩手帖や詩と思想とはまた違うコンセプトですが、次回特集は若い詩人にたずねる「詩の現在」ということらしいです。これも似ています。

時評については、ヒトによってずいぶん書き方や取り上げるモノが違います。
でも。この関さんの文章だって、立派な時評になっています。
むづかしい面ももちろんありまが、継続して読んでいると、それぞれの詩や俳句や短歌の考え方が展開され、むしろ書いて行くことで批評の場が形成されててゆくのがわかります。
高山さんも朝日新聞の俳句時評(月評?)をはじめましたね、期待しましょう。 

元気印の産科の先生にとりあげられたこどもはきっと大きく成長するでしょう。
こちらに来られる良い機会があればぜひ対面の栄を!!吟