2010年5月9日日曜日

閑中俳句日記(32) 木附沢麦青句集『馬淵川』・・・関 悦史

閑中俳句日記(32)
木附沢麦青句集『馬淵川』

                       ・・・関 悦史


 『馬淵川(まべちがわ)』は先日決まった宗左近俳句大賞の受賞作。
 昨年出た木附沢麦青の第四句集だが、版元が著者の主宰する結社の「青嶺俳句会」となっているので、受賞に合わせて増刷ということも考えにくい。選考会の前、既に入手困難になっていたので、私は木附沢氏当人に連絡を取って送っていただいたのだが、表紙は白地に「青嶺叢書 第三十四篇/木附沢麦青句集/馬淵川」の文字が明朝体で刷られ、それがパラフィン紙でくるまれているだけという極めて簡素なデザイン、あとがきにはこうあった。《句集は『青嶺』で終りにすると決めていたが、創刊二十五周年・三百号記念にと言うことなので引き受けざるを得なかった。この間十三年、大病を二度経験したこともあって細々とした歩みであった。》

今日よりは餘命とおもひ冴返る
他人
(ひと)ごとのやうに吾病む雪明り
父の忌の陰雪にまた雪積めり
ありありと胃の腑あらざる春の飢
おふくろも胃袋もなし年の暮
蓬餅ひとつ頬ばる胃無し者
 次兄茂夫
四月馬鹿兄弟ともに胃無し者


 病に関する句をまとめると告知から胃切除以後までがたどれるが、深甚な不安や絶望、苦痛の表現といったものが奇妙なくらいに出てこない。「他人ごとのやうに」胃袋のなくなった身体を叙するだけである。苦患の末に悟達に至ったといったダイナミズムが潜んでいるわけでもないようで、境遇と物としての身体の変化が淡いユーモアを帯びて語られ、その物理性に徹した認識が非情で硬質な表現に到達するといったこともない。
 修辞の上では、通読してみて気がつくのは直喩がほとんど見られないことで、代わりに擬人法的な見立てが多い。そしてモチーフとなるのは近隣の山河と自己の身体。内容・表現ともにかなり限定されている。

身中の塞ぎの虫が咳を出す
晩年とおもひ思はれさくら見る
枯れてゆく老いも病も同じこと


 これらマイナスの心理や境涯が現れた句もないではないが、それらは「塞ぎの虫」「さくら」「枯れ」へと横滑りして、垂直に深まることはない。《初夢の吾も好々爺のひとり》となると、自己相対化が出来ているのか自意識ばかりなのか見分けがたいところもある。《梟は自分と話すやうに鳴く》といった句もあり、決して透徹した脱俗の境地といったものではない。

元旦の戸口出て聞く山のこゑ
山川のこゑ届きたり鏡餅
夕笹子どこへもゆかぬ石地蔵
ふるさとのよき山ひとつ霞みけり


 外部の自然は基本的によきものとして捉えられている。しかしこれは大自然への崇敬や随順といったものとは似て非なるものではないか。

じだらくに開きてからすうりの花
大昔よりゐる貌のなめくぢり
走り蚊の吾に寄らぬは気弱らし
まだ出番あるかも知れぬ枯蟷螂
鴨達に群るる楽しさありにけり


 こうした擬人法の句を見ると、つまり自己と自然、内側と外側の区別にあまり意味がなく、それらは飛躍のない見立て、日常生活レベルの分節の中で同質、一つながりの小さな場に一元化されているようだ。つまり自然は偉大でも崇高でもなく、自己と接する局面でのみ自己と同じサイズで感慨を呼ぶ。自然への自己解消が謳われているから安らかなのではなく、自己と自然は始めから同じ場の中のベクトルのような、同質のものの連動なのだ。

まばたけばまたたき返す姫ほたる
冬山のいづこを見てもまなこ老ゆ
年取って年寄になる鏡餅


 そうした中での表現がなかば必然的に生み出したのが、同じものの繰り返しからわずかな差異を搾り出していく修辞の多用である。

黒土は黒土の香に春の畑
いつもある山があるなり雪起し
仰ぎ見て見えずともよし朴の花
それぞれの重さに坐る鏡餅
山畑の平
(ひら)には平(ひら)に雪つもる
うららかや太陽ひとつ野に山に
かじかめる指五本づつ羅漢像
雪嶺として秀嶺の富士聳てり
おもひおもひの流速に花筏
大根を百本抜きし穴も百
かまくらの灯が灯をつらね人連ね


 《かまくらの灯が灯をつらね人連ね》のみは反復が景色の広がりと充実へと繋がっていくのでこの中では異質の湧出感があるが、「黒土は黒土の香に」「いつもある山があるなり」「それぞれの重さに」等は、いかにも俳句然としたパターン化された修辞の中での坐りの良さで、この辺りを安心できると取るか、耐え難いと取るかで評価が分かれるだろう。この作者特有の心理の濁りの欠落、肯定的無感動とでも言うべきものがあるために一定の水準は維持しているが、発見感は乏しくなる。写生においても過剰な踏み込みを見せず、良くも悪くも観念性に乏しい(同じ自然描写の句にしても例えば草田男の《冬の水一枝の影も欺かず》などは熾烈な世界観の投影がある)。その観念性の乏しさが、結果として古拙さに似た、抵抗はしないが変化もしない、ある頑強な作品世界を作りあげている。《人間の言葉は要らぬ大花野》の句に、乏しいというよりは観念性の拒否が出ていて、その拒否が却って紋切型の観念に回収されてしまい、リアルさ、生々しさの露出を回避する機微があらわれている。
 集中、成田千空追悼の句が昂りを帯びているのが例外的。

  成田千空氏を悼み
赤光の雪降らしめよ津軽富士

  告別式三句
津軽路の十方すべて雪降り降る
津軽一帯巨き根雪となられけり
今欲しき千空大人
(うし)のしはぶきぞ

 その他印象に残った句を、少し多めに引く。

体内の夏野を走る一馬身
あしうらにあつまる疲れちちろ虫
三方に山のある町小鳥来る
捨てられし山畑のあり桃の花
昼顔の蔓混んでゐて花ひとつ
桔梗や山風の澄み遠くより
落胡桃北へ流るる馬淵川
秋草のひそと花もつ地異の跡
落葉して山は谺をすぐ返す
立ちどまりわが息を聴く枯葎
一鳥のこゑ雪原を這ひて消ゆ
七日粥昭和大きな世でありし
色鳥や娘嫁ぐをこひねがひ
望郷のきちきちばった飛ぶ日なり
牛の子の鈴鳴らし来る草清水
めつむれば眼鏡重たし夜の秋
露の玉転生あらば馬たらむ
生前の母のこゑある夏座敷
桔梗一輪こたびは誰をほとけにす
水平らなる池畔より温みけり
(「東京にて三句」の前書ある中の一句)
馬の死に大き穴掘る真夏空
おしまひの一鍬浅く冬の耕
頬こけてどれも似合はぬ夏帽子
だんだんと鬼灯めだつ婆の畑
誘はれて逝くとにあらず秋の暮
青梅の実重りに幹きしみけり
鶏の眼がまだ見えて秋の暮
花野ゆく小鳥いざなひいざなはれ
(「江尻真沙子さんを悼み」の前書あり)
うしろ手に障子を閉めて火星見る
眼がひかり蛇の脱殻瑕瑾なし
食へるてふ梅雨茸どこかたよりなし
何とでも話す婆居て秋高し
萌え出して時々刻々と山動く
後戻りして落葉掃く寺男
爺死ぬる妙丹柿をもぎ尽し
田を植ゑて津軽は空の広いくに
潺々と山川に夏来るなり
また別の風吹いてくる山若葉
韮の花こもごも老いし姉ふたり

木附沢麦青(きつけざわ・ばくせい)本名・賢司…昭和11年1月5日、岩手県二戸市生。昭和29年岩手県立福岡高等学校卒業。沢藤紫星(二戸市)、高橋青湖(盛岡市)、大野林火に師事。昭和39年八戸市に移住「北鈴」に参加。濱賞、角川俳句賞、青森県文芸協会賞受賞。昭和59年「北鈴」解散を受けて「青嶺」創刊。句集『母郷』『南部牛追唄』『青嶺』。現在「青嶺」代表。俳人協会評議員。

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2 件のコメント:

高山れおな さんのコメント...

関悦史様

4時47分に御投稿があったのですね。その30分前といわず15分前までは職場でPCをいじっておりましたが、まさに御投稿のあった頃に社を出て家に向かい、その後はつい先刻までPCを開かなかったもので大変失礼しました。

御稿中の“肯定的無感動”という言葉が言い得て妙であるなと思いました。まあ、ある水準をクリアしている句集ではあるのでしょう。

御体調よろしくないとのこと、御大事に願い上げます。

関悦史 さんのコメント...

高山れおな様

遅くなってしまって失礼しました。丁度入れ違いになっていたようで。

こういう機会でもなければ読まずに過ぎてしまった句集だったのではないかと思いますが、病や老いや自然を詠んでも個性というものは思いのほか出るものですね。