2009年11月21日土曜日

俳誌雑読9(カワウソ)

俳誌雑読 其の九
カワウソよ、行け帰ることなく

                       ・・・高山れおな


角川「俳句」誌十一月号における、本井英、今井聖、髙田正子の合評鼎談で、中村与謝男の

卯浪立ち立ち一髪の陸もなき

という句が俎上にのぼっている。

本井 卯浪立ち立ち一髪の陸もなき

面白かった。〈卯浪立ち立ち〉に、いかにも卯浪のざわざわざわざわした感じが出ている。全く陸(くが)も見えないと。

今井 〈一髪の陸〉とはどういう意味ですか。

本井 一片じゃないですか。

今井 髪の毛一本のような。

本井 辞書を調べてみると意味が違ってくるんだが。

髙田 これっぽっちのということですか。

本井 そう解釈しないと無理でしょう。

今井が問題にしている「一髪の陸」という表現は、宋の詩人・蘇軾の「澄邁駅(ちょうまいえき)の通潮閣(つうちょうかく) 二首」のうち「其の二」にある、

として天低く 鶻の没する処

青山 一髪 是れ中原

という詩句を踏まえている。杳杳(ようよう)は遥かなさま、鶻(こつ)はハヤブサ、中原(ちゅうげん)はこの場合、中国本土を指している。この詩を詠んだ時、蘇軾は海南島に左遷されていたのである。岩波文庫の蘇軾の詩集(*1にある現代語訳を示すと、

とおく、はるけく、はやぶさが隠れてゆく、空のはて。毛一すじほどの青い山、ああ、あれこそ中原の地だ。

とても有名な詩だから、今井や本井が知っていてもよかったはずだ。現に中村与謝男は知っていて典拠にしているのだし、評者も知っていた。しかしそれも所詮たまたまのことであり(日原傳のような専門家はいざ知らず)、今井たちがこの詩を思い出せなかったのも又たまたまに過ぎない。これが芭蕉や蕪村の時代ならそれでは済まず、実際、芭蕉はじめ素堂や其角や去来や許六といった芭蕉の友人や高弟連が、この詩を知らないということはありえないだろう(もちろん子規や漱石の場合も)。ただ、限られた漢詩文や王朝古典や謡曲などを教養のバックグラウンドにして制作していた芭蕉たちの時代と、そのような共有された文化の基盤が失われた現代では話が違って当然で、これを以って、現代の俳人が元禄の俳人に比べて劣化しているなどと単純に言うことはできない。今井たちが芭蕉ほど偉くないのは論を待たないながら、少なくとも彼らの季語に関する知識は芭蕉よりも広くも深くもなっているはずだし、それぞれまた別に得意の分野もあるわけだ。

教養の共通基盤の喪失などというのは言い古された話柄であり、であればこそ上述したあたりが俳句の制作と読解をめぐって要求される知識や教養についての当節の常識的な見解かと思っていたら、案外そうは考えない人もいるらしい。ブログ名が「かわうそ亭」だから以後カワウソと呼ぶことにするが、そのカワウソによる「俳人劣化のなげき」と題する十一月十日付の記事には、次のようなことが書いてある(*2。本井や今井の合評が載ったのと同じ「俳句」十一月号に発表された、相子智恵の角川賞受賞をめぐっての記述である。

むかつきながら(なぜむかついているかは後述……引用者)、今度は第55回の角川俳句賞受賞の相子智恵の「萵苣」50句を読む。こちらは、まあ、なかなか感じのいい句で、悪くないねと思った。気に入ったものをいくつか抜く。

縞鯵の黄金ひとすぢ眼まで

砂払ふ浮輪の中の鈴の音

十ばかり墓あるほかは夏野かな

床柱てらてら秋の来たりけり

冬晴や鳩サブレー鳩左向き

氷ぶちまけ魚屋の裏寒墓

甘茶もらふペットボトルを空にして

不帰の五月百客百年来

ところが、本賞の選考座談会を読んで、これまたあきれかえってしまったよ。選考委員の先生様は矢島渚男、池田澄子、正木ゆう子、長谷川櫂の四人。あきれたのは、この相子智恵の50句を授賞作にすると決めていながら、こんな発言をしているところ。(*3

長谷川(略)最後の〈不帰の五月百客百年来〉は分からなかった。

正木 そうなんです。分からない。なぜ突然、最後にこれが入ってくるか。

池田 何日調べたことか。そして、いろいろな人に聞きました。だけど誰も分からない。しかも、他の句と全然違うでしょう。どうしたのかしら。

長谷川 五月が帰って来ないと言っているんですか。〈百客百年来〉も分からない。

矢島 〈バー真昼〉という句があるから、バーのお客じゃないのかな。来なくなったお客がいっぱいあるんだけど、百年経ったら来るかなあって。(笑)

不帰の五月百客百年来

不帰には「かへらず」というルビがついています。

この句がいい出来かどうかは留保がつきますが、少なくとも「意味」は、多少、俳句も短歌も現代詩もいろんなものが好きな方だったら、絶対に分かりますよね。わたしは、すぐぴんときましたよ。

寺山修司『われに五月を』

目をつむりていても吾を統ぶ五月の鷹(*4

「百年たったら帰っておいで」

あとで本人の「受賞のことば」を読みますと―

寺山修司は「百年たったら帰っておいで」と書いたけれど、帰れるはずもない。毎年、歳時記で同じ季節の頁をめくるけれど、その一年は、二度と帰らざる過客なのだ。

とありました。本人が自句自解をするのは、みじめなものであります。選ぶんだったら、それくらいわかれよ。分からんかったら、わかるまで考えろよ、プロなんだから。もう、四人が四人ともこれかよ、と気分ますます悪し。「バーのお客じゃないのかな」って。あーあ。(笑)

俳人劣化はとどめがたいらしい。

カワウソ先生様は、分からんかったら、わかるまで考えろよ、プロなんだから。」もっともらしくご教戒だが、そもそもこの句、考えたらわかるように書かれているか? 「あとで本人の『受賞のことば』を読みますと―」という一節も、アリバイを捏造している疑いなきにしもあらず。が、それについてはまあ、「わたしは、すぐぴんときましたよ。」と言っているのを信じるとしよう。とはいえ、それこそたまたまであり、そのたまたま度は冒頭で触れた「青山 一髪 是れ中原」の場合より遥かにはなはだしい。なぜなら、中村与謝男の掲出の句と蘇軾の詩句の結びつきは、蘇軾の詩句を提示しさえすれば誰にでも一目瞭然なのに対し、評者には相子の自句自解を読んでも「不帰(かへらず)の」の句が一向に了解出来ないからだ。「百年たったら帰っておいで」というフレーズは、寺山の遺作となった映画『さらば箱舟』のラストシーンの台詞「百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる!」から来ているらしい。寺山の妻だった九條今日子の回想録(*5の書名にもなっており、寺山ファンには周知の言葉なのだろう。しかし、すでにして「帰っておいで」が「不帰(かへらず)」に反転し、「百年たったら」が「百年来」になっているわけで、たとえこの台詞を知っていたとしても、この句からそれを連想するにはかなりの飛躍が必要だ。というか、カワウソが「ぴんと」きたのはまさしくたまたまの上にもたまたまであり、相子の受賞者コメントを見たらどうやらそれで間違いなかった、というだけのことだろう。それがなんでかくも嵩にかかった居丈高で増上慢なご託宣になるのか。

賢明な相子がミスリードされるとは思わないが、本人が自句自解をするのは、みじめなものであります。」なんて同情めかしたセリフも大いに気に入らないね。カワウソのご立派な俳句が理解されないのはきっと周囲の劣化俳人たちに責任があるのだろうが、相子のこの句が理解されないのは表現に問題があるからで、それは相子が引き受けねばならないみじめさだろう。典拠のある句を作る場合、それが通じるか通じないかのリスクが生じるのは避けられないわけで、そこが苦心のしどころになる。評者などは劣化俳人の下々の下の分際もかえりみず、年柄年中そんな句ばかり作っているので、カワウソに言われるまでもなくそのみじめさはよくよく身にしみている。

さて、相子の句のどこが問題かであるが、「不帰(かへらず)の五月」というフレーズだけなら、五月の今日というこの日はもう帰ってこない、あるいは過去の何か特筆すべき思い出のある五月が帰ってこないということで、難なく意味は通じる。しかし、そのすぐあとに「百客」の語があるために、その理解もたちまち混乱してしまう。その混乱にはさらに、続く「百年来」によって拍車がかかる。相子自身の解説に即くなら、今この時は過ぎ去って再び帰らないというどちらかといえば未来に向かっての詠嘆を込めたかったようだけれど、「百年来」というのは“この経済危機は百年来のものだ”“こんな経済危機は百年来、無かったことだ”というふうに過去に向けられた指標だ。だからこの句を文字通りにパラフレーズすれば、“およそ百年前に或る出来事があった。その出来事があった五月もそれにかかわった大勢(百人ぐらい)の人たちも再び帰ることはないのであるよなあ”、という程の意味になる。この句がわからないとした角川賞選者の判断を、評者は全く妥当と考える。

そもそも末尾のこの一句に困惑しながらも、四選者は相子の五十句をトータルで高く評価し、賞を与えている。評者が各人の応募作の全体を読めたのは応募総数七百三十二篇のうち、「俳句」に掲出された三作品(相子の他に、次点の興梠隆と山口優夢)、及び「週刊俳句」の「落選展2009(*6にエントリーしている二十三作品だけであるが、その範囲で見れば相子の受賞はごく順当であり(佐藤文香の五十句も相当だと思うけど授賞には別の基準が要るだろう)、選者は適正な選択をしている。この一句の不通に過度に拘泥して受賞させなかったとでもいうならともかく、非難される筋合いはないのである。カワウソのこの文章が不快なのは、最初から、「俳人劣化はとどめがたいらしい。」という、イタチの最後っ屁ならぬカワウソの最後っ屁のようなひとことを言いいたいがために仕組んだものとしか思えないからだ。カワウソは上の角川賞の話をする前に、同じ号に載った稲畑汀子の「特別作品50句」に関して、こんなことを書いている。

カフェで時間つぶしの間、読む本がなかったので、角川の「俳句」11月号を買って読む。稲畑汀子の「特別作品50句」というのがあるので、どうせろくでもないのをまた出しているんだろうな、と思いながら読んでみたら、案の定ほとんど屁みたいな句ばかりで気分が悪くなる。いくつか例をあげる。

遠き旅終えて家路や秋近し(*7

みちのくの秋を訪ぬる旅の待つ

これよりの夜空楽しむ秋となる

新涼やここは津軽の城下町

秋の雲離合集散岩木山

元気かと問はれ元気といふ残暑

はっきりいってこんな程度でお足をもらえるなら、俳句稼業なんてちょろいもんだねと他のジャンルから軽蔑されるだろうなあ、ひどいもんだ。角川「短歌」のほうを買うんだった。

ここから、先に引いた「むかつきながら」という一文に繋がってゆくのであるが、稲畑汀子が何者か承知の上で、読まずとも済む作品をわざわざ読んで、「気分が悪くなる。」などとは、勝手にしろよと言うしかない。だいたい、カワウソにとって俳句が、「角川『短歌』のほうを買うんだった。」という程度のものであるなら、「他のジャンルから軽蔑されるだろうなあ」などとは大きなお世話である。稲畑汀子とはひとつの厳然たる“現実”であって、俳句はあらかじめ稲畑汀子的なものを不可分の一部にして成り立っているのだ。俳句界がではなく、俳句そのものが、である。そのことは評者の気分をも悪くするが、だからといって評者は「短歌」の方を買うんだったとは決して言わないし、言えない。

俳句ひとつ正確に引用することさえできない癖に威張り散らかしておいでの、厭味なディレッタント様のことはもうどうでもいいや。角川賞の方であるが、受賞した相子智恵「萵苣」、次点の興梠隆「雲の抜きゆく」と山口優夢「つづきのやうに」は、それぞれに面白かった。それから落選展で読んだ佐藤文香「まもなくかなたの」もよかった。佐藤は予選は通過していたが、予選を通らなかった中では、岡野泰輔の「犬の日」五十句に格段の読み応えがあった。以下、「犬の日」から若干をご紹介する。

花冷えや脳の写真のはずかしく

際物めいた切り口を、「花冷え」で沈着に押さえ込んだ。この季語と「脳の写真」の質感の響き合いもいいし、「はずかしく」という間合いの外し方も上品だ。

世の中に三月十日静かに来る

中七下五は良いのに、「世の中に」で安易にまとめてしまった感じがする。

青水無月真鶴にてと書いてある

貰った葉書の末尾に「真鶴にて」と書いてあった、というような状況が思い浮かぶが、一方で、そういう常識的な解釈をすりぬけてしまいそうな奇妙な宙吊り感を感じさせる。何に書いてあるのか、誰が書いたのかから離れて、ただ書いてある「真鶴にて」が切ない。青空に書いてあっても、水の上に書いてあってもいい気がしてくる。「青水無月」が絶妙なのだろう、きっと。川上弘美の小説は考慮に入れないことにしておく。

芍薬を剪って夕方ふらふらす

これは蕪村の〈ぼたん切て気のおとろひしゆふべ哉〉を踏まえているのだろう。牡丹を切るという原因と、それによって気抜けしたという結果との関係にいささか理に落ちたところのある蕪村句の弊を、岡野の句の方は免れているようだ。「気のおとろひし」と言いながら気迫のこもった蕪村の句に対して、岡野の句は本当に「ふらふら」しているところも味わい深い。

プールから空似の男すぐ上がる

「すぐ上がる」が上手いが、この面白がらせ方は少し川柳っぽくもある。

ピアニスト首深く曲げ静かなふきあげ

五七八の破調が効果をあげている。

炎天にハナヂと書かれると痛い

これも面白いけど、先ほどの真鶴の句と同工ではある。その点、作品の提示の仕方としては疑問符が付く。しかし、併せて読むと、この作者の特異な感覚ないし発想法が見えてくるようだ。

盆の僧いきなりスピーカーに触る

そう、「いきなり」なのだ。この人の句では、言葉がみないきなり唐突なふるまいをしていて、そこが鮮やか。

炎天に妻も銅像岐阜羽島

「炎天」に「岐阜羽島」とくれば森澄雄の〈炎天より僧ひとり乗り岐阜羽島〉が反射的に想起される。ところがそこに「妻も銅像」がはめこまれる。僧→銅像だけでもひとひねりだが、そこからさらに「妻も」というもう一段のひねりまで加えられたサービス満点の句。そのひねり、というか言葉の回転する速度がまさに“いきなり”であろう。ちなみにこの銅像は、岐阜羽島駅前の大野伴睦夫妻像である。

秋草のなか牛はみな北を向く

かまきりのかわいいことに皃小さし

こうやって暖炉の角に肘をつき

桃青忌くびれたところには触る

花びらを南からきて吹きやまず

花びらは夕くれないの庭にくる

これらの句も面白い。特に、三番目の「こうやって」の句はそうとう変ではないだろうか。俳句は一人称の詩なんてよく言われるけれど、それは作者と作中の人物ないし視点位置との関係をどう担保するかという話に過ぎず、実際は一人称でも三人称でも記述の仕方に違いがあるわけではない、普通は。たとえ一人称の句でも、記述の主体としての作者は句の外側にいるのだ・・・が、この句の場合はなんというか、句の中に記述する主体が入りこんでしまっているような感じがする。予選さえ通らなかったのはちょっと不思議である。

(*1『蘇東坡詩集』 小川環樹・山本和義選訳 岩波文庫 一九七五年

(*2「かわうそ亭」 2009/11/10

(*3この書き方だと以下に引く選者たちの会話が、受賞者決定後になされているかのごとくであるが、実際には受賞者決定前の会話である。勢いで書いてしまったまでだろうが、舞文曲筆と言われても仕方ないところだぞ、カワウソよ。

(*4この引用、「を」が衍字である。〈目つむりていても吾(あ)を統(す)ぶ五月の鷹〉が正しい。カワウソ先生、俳句作品は正確にお引き願います!

(*5九條今日子『百年たったら帰っておいで 回想・寺山修司』 デーリー東北新聞社 二〇〇五年

(*6「落選展2009」/「週刊俳句」 2009/11/1

(*7またしても誤引用。「遠き旅終えて」ではなく「遠き旅終へて」が正しい。

-------------------------------------------------

■関連書籍を以下より購入できます。


2 件のコメント:

岡野泰輔 さんのコメント...

高山れおな様
 拙句を採り上げていただきありがとうございました。床屋の洗髪で上手に痒いところを掻いてもらったようです。
 あ、そこ、そこ、痒かったのはそこです、
 作者より正確に、句の眼目を言語化していただきました、感服です。

高山れおな さんのコメント...

岡野泰輔様

コメント有難うございます。
7月7日のお生まれなのですね。
小生も誕生日同じです。
御生年は、小生の父親と同じです。
「船団」は頂戴しているので、お名前に気を付けます。
今後ともご活躍をお祈り申し上げます。