2009年11月16日月曜日

稲畑廣太郎句集他評

十月の句集から
稲畑廣太郎句集『八分の六』他を読む

                       ・・・高山れおな


盆栽と俳句はどこか似ていないこともない。どちらも小さいことに価値を見出すミニチュアだし、年寄り臭い道楽と見られがちだ。また、海外で妙に評価が高かったりするところなども共通していようか。盆栽の世界に批評はないようだが、国風盆栽展や大観盆栽展における評価付けはなされている。昭和後半期から平成にかけて、斯界における最大のコレクターは明光商会創業者の故・高木禮二氏で、もちろん大観賞受賞の樹を幾つもお持ちだった。

盆栽界には大観賞や国風賞を受賞した名木とはまた別格の存在があって、それは皇居の盆栽である。どこが別格かといえばまず物理的にでかい。それから枝ぶりなどを緻密に演出することなく、わりに自然な樹姿を保っていることも特徴とされる。盆栽の樹齢は数十年から時に数百年にも及びながらあくまで小さい。小ささを保つことでエネルギーが凝縮され、密度の高い表情が生まれるわけだ。もう十年近く前になるが、ひところ仕事で名盆栽ばかり見ていた時期があって、そこらの街路樹や公園の木々の姿が間延びしたものに感じられるようになってきたのには驚いた。いささか育ちすぎの皇居の盆栽にはこの密度が欠けており、要は大味なのである。しかし現に皇居にあり、歴史的にはこれは徳川家光遺愛の松、あれはナニナニというようなことになれば、おのずと伝来上の価値が生じる。大味も好意的に見れば、自然で伸び伸びしているということになる。そこらへんが別格扱いの根拠なのであろう。

つまり何が言いたいかというと、稲畑廣太郎の新句集『八分の六』(*1を読んでいて皇居の盆栽を思い出したということである。正直、三嘆これ久しうするというような秀句は集中にひとつもないのだが、にもかかわらず読んでいてさほど苦痛でもないのは、こちらも最初からそのつもりで読んでいるからか。俳句家元の世襲などというものを嫌気する点で評者も人後に落ちるものではないが、この頃はどうでもよくなってきた。「ホトトギス」や「馬酔木」などは無形文化財として保護せよ、という磐井師匠の意見に影響されている部分もあるだろう。

で、具体的な作品であるが、ご存知の御家ものが目立つのは当然として、写生句が寥々として少ないのが印象的だった。花鳥諷詠イコール客観写生ではないのは承知していたが、客観写生抜きでも花鳥諷詠は成立するのだなと改めて納得。あるいは作者としては写生しているにもかかわらず、岸本尚毅とか小澤實とか、大観賞系の写生作家と引き比べると、写生とは思えないほど写生として淡白ないし曖昧、ということなのかもしれないが。

麗かや眼中は皆虚子のもの

一門の呉越同舟西虚子忌

爽やかに句誌の疎開を語られし

仰臥して遺せし宝獺祭忌

木の実落つ虚子も年尾も見し大樹

うららかや未来のホトトギス作家

又来よと虚子が隠せし霧の富士

虚子門に碧梧桐忌の来たりけり

ホトトギス同人で杜氏寒造

合資会社ホトトギス社の夜長の灯

たくさんある御家ものから十句を引いた。一句目「麗かや」、七句目「又来よと」などが面白いものの、全体としては平々凡々たるもの。ではあるけれど、二句目「一門の」、六句目「うららかや」、八句目「虚子門に」など、次期家元ならではの視線みたいなものが感じられて、そこに多少の興味が湧く。

おいでやす大根がよう煮えとりま

グロリアインエクシェルシスデオクリスマス

かしはもちちやつちやとしいやをとこやろ

Aランチアイスコーヒー付けますか

掘炬燵吾輩は猫踏んぢやつた

口頭語をそのまま句に裁ち入れた作品もいくつか。これはもちろん「母の詞(ことば)自ら句になりて」と前書のある子規の、

毎年よ彼岸の入に寒いのは

の先蹤に倣うもの。根岸派~ホトトギス派の系譜が如実に感じられて、このあたりが伝統俳句協会の“伝統”のエッセンスかもしれない。

虫売の籠に子の顔はりつきし

これなんか写生なのだろう。悪くないが、写生句作者としての稲畑の限界を感じもする。ほとんど写生句を作らない(作れない)評者などに言われたくないだろうけど。

身に入むやビル消えてゆく消えてゆく

露の世に新しきビル又生れ

虚子風の無常観であり、実感の点ではその通りというしかない。あまりに当たり前で曲がないともいえるが、ここまで素直に平凡な述懐が出来るのが家元の格とも言えそうだ。もっとも、「ホトトギス」の雑詠には、この種の句が幾らでも見られる可能性もあるが。ちなみにこの両句、句集では隣に並んでいるわけではありません。

雨も又句座暖かくしたるもの

断崖に丸き地球を見て涼し

帰りたくない涼しさに親しさに

その中に朝比奈隆めく燕

石鹸玉青き地球を包みたる

鐘朧新法王はドイツ人

守宮這ふ好みの窓のあるらしく

一句目「雨も又」は、この作者の人柄の良さが出ていて好きである。冷え冷えとした窓外の雨が、人々の円居の暖かさを際立たせる機微はよくわかる。三句目は、「帰りたくない」という駄々っ子めいた言葉で親愛の情を吐露する、究極の挨拶句である。その人目もはばからぬ態度に、刻苦して俳壇の出世双六に駒を進める野心家たちとは一味違う、御曹司ならではの鷹揚さが感じられる。佳句かどうかはさておき、一読忘れがたい。

十月、十一月刊行の句集をあと幾つか。

小野田魁句集『河伯』(*2は、中国の河の神(日本でなら河童)を意味するというタイトルに魅かれた。巻末の年譜によれば、六十三歳での癌闘病の病床で俳句をはじめ、「白燕」などに投句、十年目にしての第一句集ということのようだ。その経歴からも察せられることながら、自らの思いを遣ることに急で、恣意的な句づくりが目立つ。序文を寄せた和田悟朗は、〈正直に言うと、この『河伯』に集められた小野田魁の作品群は、今日の写生主義の平明主義である俳句界の趨勢には合わないだろう。〉とフォローしているが、基本的にはそれ以前の問題だと思う。もちろん中には、

背泳の見知らぬ空の晴れ上がり

などと綺麗に出来上がった句もあるものの、今度は類想感が強い憾みがある。評者が面白かったのは、以下のような句。

北斎の脛をあつめて風光る

白長須鯨の蔵書百萬冊

空蝉の時間の中でペンキ塗る

馬鈴薯を喰ひて精神考へる

鮟鱇のむかしむかしを洗ひけり

神無月ところどころが消えてゐる

一句目の「北斎の脛」と「風光る」の取り合わせはとりわけ素晴らしい。『北斎漫画』をはじめとする北斎の人物画では、角立った線の男たちが、元気いっぱい暴れまわり、駆け回っている。そこからさらに、剛毛もあらわな痩せ「脛」を取り出したのは良い着眼で、明るさを増しながらもまだ冷たく、肌に荒い早春の風の質感とよく響き合っているように思う。

六句目の「神無月」の句。何が「消えてゐる」かが問題で、神無月が消えているとも取れるが、それだと今ひとつぴんとこない。まだらぼけの評者としてはごく素直に“記憶”が「ところどころ」消えているものと了解しておく。すなわち、おのが脳味噌の崩壊に直面して、恐怖と諦念のうちに立ち尽くしているの図。その荒涼たる気分に対して、神無月はごく素直な取り合わせになっている。

下山田禮子句集『風の円柱(エンタシス)(*3は、「海程」同人である下山田の三冊目の句集。この作者の句作りも往々にして性急な感じのものだが、巻頭に集められた、父恋・母恋の群作は力作だと思う。

父の筆まだ濡れている朧月

字足らずのように父来て雁来紅

とうめいな自転車の父冬北斗

苅田風あの土手にまだ母座して

特に「字足らずのように」という比喩に感銘。跋文を寄せている櫂未知子が、この作者は直喩にすぐれていると述べているが、なるほど、

俳優のごとき一樹へ雪婆(ゆきばんば)

なども直喩が冴えている。他に、

鮎食べて四万十川の横に寝る

も、スケールの大きい秀句だろう。安東次男の「澱河歌の周辺」などを思いあわせれば、豊かなエロティシズムも感じられてくる。

山本加人句集『眼想華』(*4は、限定百十五部発行の和装本。山本は、元「琴座」や「未定」の同人で、先般、塚本邦雄の『水葬物語』の復刻版を制作したりもしている。生年等の情報は書中に見当たらないが、おそらく大ベテランであろう。この句集は一頁一句組で、収録九十句にも足りない中に、夢とか虚空とか蝶などの言葉が頻出する。稲畑廣太郎とは百八十度方向が違うが、こちらの行き方も安易といえば安易な気がする。自らを高く持し過ぎて、文学性が趣味性に頽落してしまう経路を思う。

炎昼や地獄天国簾ごし

蝶ねむり羽のだらりに人の夢

炎天に一度会ふべき神をまつ

炎天の右や左も神々し

金蠅やぶむぶむぶむぶむぶむぶむ

面白いのはこのあたりの句だろうか。

(※)稲畑廣太郎句集『八分の六』、小野田魁句集『河伯』、下山田禮子句集『風の円柱』、山本加人句集『眼想華』は、いずれも著者から贈呈を受けました。記して感謝します。

(※)下山田禮子氏の「禮」の字の偏は正しくは「示」ではなく「ネ」です。山本加人氏の『眼想華』は、原本では正漢字が使用されています。

(*1稲畑廣太郎句集『八分の六』 発行=角川書店 発売=角川グループパブリッシング 十月二十六日刊

(*2小野田魁句集『河伯』 文學の森 十月四日刊

(*3下山田禮子句集『風の円柱(エンタシス)』 邑書林 十月十日刊

(*4山本加人句集『眼想華』 書肆稲妻屋 十一月十五日刊

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