七曜俳句クロニクル Ⅲ
・・・冨田拓也
9月20日 日曜日
現在からおおよそ2ヶ月後である11月25日に、出版社である「邑書林」から20代30代の若手の俳句作者21人によるアンソロジー『新撰21』(筑紫磐井、対馬康子、高山れおな 編)が発売されることが決定したそうである。
現在において、俳句という文芸は、果たして世の人々へ自信を持って示せるだけの優れた達成を成し得ているのかどうか。そして、そのような成果を保証できるような作品が現在存在するのならば、その作品は百年以上にも及ぶ俳句の歴史の中において一体どの程度の水準を示しているものであるのか。
俳句の停滞が囁かれる現在、そのような観点からも、是非とも、今回のこの『新撰21』の21人の作品に眼を通し、ひとりの読み手として、その成否について確認していただきたいところである。
これからの俳句の未来というものが明るいものであるのか、暗いものであるのか、自分の知るところではないが、今後の俳句の行方を占う1冊であるということは、やはり間違いのないところであろう。
そして、この1冊が今後の俳句の世界において、果たして、どのような意義を持つ書となることになるかについては、収録されている21人の作者たちが、これからそれぞれにどのような作品世界を切り拓き、その成果を築きあげてゆくことができるか、という結果によって今後明らかになってゆくことであろう。
というわけで、11月25日発売の『新撰21』について、乞う、御期待。
9月21日 月曜日
『新撰21』には、自分も自選100句を収録させて頂いたのであるが、このところその自作の内容をいちいち省みては、あの部分がよくなかった、あの句は除外すべきであった、などと細かい箇所のひとつひとつが心にかかり、後悔の念を新たにすることがほぼ日課と化している。
このように果てしなく自作への内省を繰り返していると、先人の様々な作品の成果というものが、いくつも心の中に去来してきては、消えてゆく。
この間、ふと思い浮かんできたのは、佐藤鬼房の作品であった。
馬の目に雪ふり湾をひたぬらす
夜明路地落書のごと生きのこり
陰(ほと)に生(な)る麦尊けれ青山河
艮(うしとら)に怺へこらへて雷雨の木
長距離寝台列車(ブルートレイン)のスパークを浴び白長須鯨(しろながす)
羽化のわれならずや虹を消しゐるは
死後のわれ月光の瀧束ねゐる
『佐藤鬼房句集』財部鳥子編(芸林書房 2002年)から引いた。やはり圧倒的な表現力、というべきであろうか。俳句とはここまでの強度を持つ表現が可能である、ということに、いまさらながら改めて瞠目する思いがする。現在の俳句作品は、果たしてこういった作品とどこまで拮抗し得ているといえるであろうか。
いまいちど、この佐藤鬼房や、この鬼房と同じ世代の代表的な作者である、金子兜太、三橋敏雄、鈴木六林男、飯田龍太、赤尾兜子あたりの作品をやはり徹底的に読み直す必要があるのではないか、という思いが、この頃、日増しに強くなってくるところがある。
9月22日 火曜日
『俳句界』2008年3月号(文学の森)の竹中宏「みじかい舞踊」52句を再読。
竹中宏さんは中村草田男の門下生で、昭和63年に「翔臨」を創刊、主宰。
切れ込んで空(そら)ゆくごとく二月尽
鳥雲に残身すこしプリペイド
涅槃変胴体着陸ばらける螺子(ヴィス)
虚子の忌や大操車場用ゐられず
玉虫に森の出口の信号機
雑誌に掲載されている作品では、漢字の部分は全て旧字であるが、ここでは表示の都合上現在の漢字によって表記させていただいた。そのため若干作品の印象が異なる部分があると思うが、御海容願いたい。
これらの作品を注意深く読み込んでみれば理解できると思うが、「二月尽」であれ、「プリペイド」であれ、「大操車場」であれ、「信号機」であれ、これらの言葉は、いずれもその作品の内に意味なく恣意的に配置されることになった言葉ではなく、強固な作品意識により入念に選択され、その作品内部へと組み込まれることとなった言葉である。
これらの作品にはその強度から来るある種の超脱性や重厚さといったものが感じられるところがあるが、たとえば、おなじく超脱的な作品世界を自らのものとする永田耕衣や安井浩司といった作者の作品のように、どちらかというと「天上的」もしくは「彼岸的」な空間において作品世界が構成されているような雰囲気が濃厚であるのに比べると、竹中宏の作品の場合は、その展開されている世界はどこまでも「地上的」であり、「現実世界」そのものに近接している傾向があるように見受けられる。
このようにあくまでも現実の世界の側に踏みとどまって、強靭な内実を秘めた作品を生成しようとする姿勢を有すところに、竹中宏という作者における矜持と、そして、その作風における特徴といったものが窺えよう。
ここに取り上げた作品は2008年発表のものであるから、これらの作品の存在というものは、現在においても、多くの一般的な作品傾向とは位相を異にした地点であれ、強靭で重厚な作品を成すことはけっして不可能ではないという事実を、そのまま証している成果のひとつであるように思われる。
そして、また、このような優れた作者の存在というものも、まともに正面から取り上げられる機会こそ少ないが、現在においても歴然として存在しているという事実については、やはり単純に看過してしまってはならないであろう。
9月23日 水曜日
野澤節子と鈴木しづ子の存在が、ふと同時に思い浮かんだ。
この2人の生年は、野澤節子が1920年生まれ 鈴木しづ子が1919年生れであり、そして、2人の師系を見てみると、ともに臼田亜浪の系統の作者であるということで共通する。野澤節子については、若い時期に長く病床に臥していたという境涯にあったことは周知の事実であろう。
この2人には、当然のことながら相違点もいくつもあるのであろうが、案外、その境涯性と、作品の内に底籠る情念の強さにおいて、ある意味では共通項ともいうべきものも少なくはないのではないかという気がする。
われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 節子
天地(あめつち)の息合ひて激し雪降らす 〃
せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ 〃
北窓はほむらたちそめ縫ふ衣 しづ子
死の肯定万緑のなか水激つ 〃
コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ 〃
9月24日 木曜日
俺ハ俺ノ声ソノモノニナリタクテ闇夜ノ闇ヘ咆哮スルノダ 小笠原和幸
『セレクション歌人11 小笠原和幸』(邑書林 2003年)を読む。
この1冊は、まるで生の深淵をそのまま覗き込むようにして詠まれた短歌作品のみで構成されている、といってもいいような内実を持つ選歌集である。東北という厳しい風土性と相俟った私小説的な内容が醸し出す迫力とでも言うのだろうか。現実及び自己への省察のおそろしいまでの冷厳さを伴った眼差しの存在といったものをその背後にまざまざと感じさせる、まるで空無そのものをそのまま内包したかのような歌の数々が屹立している様はまさに圧巻である。
この選歌集は、掲出した作品の内容そのものであるような剥き出しの魂の咆哮といったものを直接感得することができる、生や死などといったあらゆる要素を包含する現実世界そのものに対する思索と直視への意志に貫かれた類い稀なる孤愁の1冊といえるであろう。
始まりも終りもないやうな一生にまた朝が来て電車は走る
なげかひもこの世のしくみのうちにあり秋風に木はさわさわと鳴る
我ハ石/祝福モナク世に生(ア)レテ愛惜モナク世ヲ離(サカ)ル石
9月25日 金曜日
書店で、俳句の総合誌である『俳壇』『俳句』『俳句界』『俳句あるふぁ』『俳句四季』『WEB俳句通信』『NHK俳句』などを立ち読み。つくづく俳句の総合誌の数の多さというものを実感する。他に『詩歌句』という現代詩、短歌、俳句の3つのジャンルを扱う総合誌の存在も含めると8冊。さらに、現在、書店には並んでいない『俳句研究』を含めると9冊ということになろうか。
俳句の棚を覗いて見ると、正木ゆう子さんの文集が2冊も刊行されていた。『十七音の履歴書―俳句をめぐるヒト、コト、モノ。』(春秋社)と『ゆうきりんりん 私の俳句作法』(春秋社)。この間の6月に第4句集である『夏至』(春秋社)が出版されたばかりであるから、正木さんはここ最近で合計3点もの書籍を出版したということになる。やはり人気の作者だなと思う。
鈴木しづ子の2冊には、今回もどうも手が出ない。やはりさほど興味がないゆえか。
新刊の、小池昌代編著『通勤電車で読む詩集』(NHK出版生活人新書)を購入。内容としては、まど・みちお、村上昭夫、ディラン・トマス、パウル・ツェランなど41篇の詩で構成されたアンソロジーということになる。詩作品のみで、俳句や短歌の作品が収録されていないのが、すこし残念。
9月26日 土曜日
今回も、先週と同じく、岡本信男の句集からの作品で終幕としたい。
ちなみに岡本信男という作者は、1926年生れ、「天狼」「環礁」「地表」「頂点」「花曜」などに所属していたそうで、句集に第1句集『挙白拾章』(書肆季節社 1977年)、第2句集『銀絞雑記』(書肆季節社 1985年)、そして遺句集として『わが素描』(書肆季節社 1991年)があるらしいが、自分はこの『わが素描』については未見である。
第1句集と第2句集を見る限りでは、全体的にはその作品の作風はまちまちで、完成度についてもさほど高いものばかりであるとも思われないところがあるが、それでもいくつかの句については、他の作者たちの作品からはあまり見ることができない独特の面白味を湛えた作品を見出すことができる。
今回は『銀絞雑記』より、いくつか。
むなさわぎそば湯のとほる喉仏
父子して螺子探しゐる春の暮
雨の中乾電池購ふ他人の死
しぐるると決つた刻に地上に現れ
とぼとぼととぼとぼ大学冬の夜
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3 件のコメント:
岡本信男氏は、そういう時代の方だったのですね。また、そういう戦後俳句の同人誌を遍歴していたのなら、何処かでお名前をみたり話題に接したはずですが、なぜか記憶にありませんでした。
全く、今の時代人ではないとはおもいましたが、けれど、年齢がよくわかりませんでし
た。
各同人誌や結社誌は、そこに合うものしかとりあげませんから、またそこにたびたび登場した俳人の名前や句が記憶されますから、
読者もそこに呪縛されますね。
「天狼系」で言うならば、三橋敏雄、八田木枯、とほそい線でつながているかのような。でも、巧さということでは、三橋さんの方が印象が強いし。
モチーフと技法が不統一の印象もうけますし。冨田さんが、「妙だ、」と言ったことが、ややわかる気がします。
でも。俳味のあり方が、どくとくで実直梨私性がかもすユーモアがあり、後味は悪くありません。
ともかく、冨田さんの、岡本信夫についてのこの記事には、盲点をつかれました。
後、竹中さんの俳句傾向に関する貴文には、賛成です。(堀本 吟)
吟様
コメントありがとうございます。
岡本信男がやや独特であるのは、加藤かけい、小川双々子の系統であったためであるという理由もあるのかもしれません。(愛知の「環礁」と「地表」に所属)
やはりあまり「天狼」といった感じはありませんね。
ただ、鈴木六林男にやや近い側面がないでもないかもしれません。
鈴木六林男には、時折変わった句が登場し(「パチンコ屋のジャンギャバン」とか「こんなところに芳香族」とか「スワンの不安」など)こういった作品は岡本信男の作品と関係するところがないではないのではないかという気もするところがあります。(実際のところはどうなのかわかりませんが。)
どくとくで実直梨私性がかもすユーモア」
↓
実直な私性
信夫→信男
ホントによくまちがって。すみません。
「加藤かけい、小川双々子の系統であった」(貴)
あ、そうなんですか。一番影響を受けた「師」の呪縛はつよい から。
「 鈴木六林男には時折変わった句が登場し(「パチンコ屋のジャンギャバン」とか「こんなところに芳香族」とか「スワンの不安」など)こういった作品は岡本信男の作品と関係するところがないではないのではないかという気もするところがあります。」(貴)
たしかに、六林男氏は、冗談をおっしゃるのは、あまり器用では無かったような気がします。これらもミスマッチの醸すおかしさ、でしょう?
岡本信男さんも。いかにもこれも、昔の家庭人でありお父さん像。
「そば湯のとほる喉仏」どうしてなぜここに「むなさわぎ」がくるのか?深刻だけど可笑しいです。「父子して螺子探しゐる」「とぼとぼととぼとぼ大学」(信男)。これら川柳とか落語の味わいです。
こうして、やりとりしていると、なんだか、今でも生きておられそうな人間味がせまってきます。こういう誌上談話って、これから特に大事になると思います。
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