2009年7月19日日曜日

中岡毅雄句集『啓示』

生まれ生まれ生まれ生まれて
中岡毅雄句集『啓示』を読む

                       ・・・高山れおな

『啓示』(*1)は、中岡毅雄の第四句集である。平成十一年以降の十年間の作、三百二十四句を収め、栞には友岡子郷、黒田杏子、小澤實、加藤治郎が執筆している。すでに前句集『一碧』(*2)で俳人協会新人賞を受賞し、三十年近い俳歴のある人なのに、わざわざ知名の筆者四人に栞文を請うているのは今更のようだが、それだけ期するものがあることを示している。理由ははっきりしていて、平成十五年の暮、不惑を目前にしての癌手術、それに引き続いての鬱病との闘いを経ての句集だからである。

全体は「Ⅰ 平成十一年以降」「Ⅱ 平成十三年以降」「Ⅲ 平成十五年師走以降」「Ⅳ 平成十八年以降」の四章に分かれている。友岡の栞に述べられているごとく、〈Ⅰ・Ⅱは健康体の彼の作品、Ⅲ・Ⅳは病身の彼の作品〉である。その対比は、単に実生活の上においてそうだというばかりでなく、表現そのものにもはっきりと現われていて痛々しい。このうちⅠ・Ⅱに展開するのは、

月山のこゝにも草を刈りしあと
津軽まで海平らなりきりぎりす


といった句が記憶に残る前句集『一碧』に、まったく地続きの世界である。旅吟が多く、且つ多いだけでなく、佳句もほぼそこに含まれている、そういう世界。

雪げむり駆けめぐりくる氷湖かな

〈阿寒湖 五句〉
の前書を持つこの巻頭句をはじめ、全体として、『一碧』に比べてもいちだんと前のめりになったような集中力が感じられる。

月明に鶏頭の征くごとくなり

という幻想的な句はこの句集にあっての異色作かも知れないが、鶏頭という植物の〈無骨に強健を誇る〉(*3)ありように、「征く」ものの姿を見止めたのは、「雪げむり」の句などに隠れもない、作者の気迫に裏打ちされた“旅心”なのだろう。

波しりぞけば波の花飛びにけり
波の花駆け上りくる石の階
鷗より高く飛びけり波の花

〈佐渡 七句〉と前書のある一連より。芭蕉の〈荒海や佐渡によこたふ天河〉の句が、〈東は奥州外浜、西は鎮西鬼界島、南は紀伊路熊野山、北は越後の荒海までも〉(『曾我物語』)のような、日本列島の四方を限る中世以来の定型表現に根拠を持つことについては、当ブログ第二十三号掲載の「遠流の島と虚構の海」において、江里昭彦が解説してくれている。もちろん定型表現が生まれる前提となる現実は存在するわけで、数年前に佐渡の荒波ばかりを撮った写真集(*4)さえ出ていたはずだ。某年の「年の瀬」に佐渡を訪れたらしい中岡が詠むのもまたひたすら佐渡の波風であるが、いよいよ激してゆく景に対して、写生の手練らしくその筆致は少しも乱れない。その視線の強さは、言えば、対象に向かって静かに熱してゆく態のものであろう。

中岡は兵庫県三木市の在だから、住んでいるのは西国の穏やかな暖地ということになるが、阿寒湖や佐渡に限らず、俳句の旅ではどちらかといえば北方志向が強いらしく、前書からはさらに、野尻湖、支笏湖、知床、瓢湖、新潟・村上、下北半島などの地名を拾うことができる。いやしかし、天草、出雲・松江、熊野、竹富島・石垣島、奥三河・足込、同・古戸などでの句もあるから、先程引用した『曾我物語』の一節にあるごとく、日本列島の四辺四境を志向するとでもした方がいっそ正確か。この他にも、例えば、

八荒やしぶきをくぐるゆりかもめ
梅雨冷の鳰の遠音とうべなへり

のような、琵琶湖で詠まれたとおぼしい句や、

(ひうち)灘へと墜ちてゆく黒揚羽

のような瀬戸内の海景を詠んでまぼろしめいた句もある。それらに前書が付されていないのは、句そのものから作句の場所があきらかだと考えたためだろうか、あるいは日帰り出来る近場のため、ことさら旅吟という構えが中岡の側にないということだろうか。また、Ⅱの冒頭七句は、

一斉に竿燈の立ち上がりけり

の秀吟で始まり、一夜の熱狂が過ぎての心地よい疲労を感じさせる

朝刊は秋田新報鰯雲

で終わる連作になっているから、八月の初めに秋田市で行われる竿燈祭りを詠んでいるのだろうけれど、これも前書はない。やはり句中の地名やモチーフから、作句の場所がわかるかどうかが前書を付す、付さないの基準のようだ。前書なしの旅吟にどんなものがあるか、せっかくだからもう少し確認してみよう。

あかがねのごとき芒や能登に入る

これは初見のおりから印象に残っていた句で、てっきり『一碧』にあるのだと思い込んでいたが、どうやら雑誌で見たのであるらしい。おそらく七尾線で能登に入ってゆく、その車窓に見えた芒を詠んでいるのに違いない。遠景ではなく近景だろうと思うのは、遠景ならば芒の穂が白い雲のように靡いて見えるはずで、「あかがね」の譬えにはふさわしくない。穂という以上に茎の部分の荒々しいざわめきを車窓間近に目にして、その強烈な物質感が「あかがね」の語を呼び出したものと考える。それが海際の景なのかどうかは不明ながら、「能登」の地名がおのずと海を連想させ、潮さびた空気を感じさせもして、その点も「あかがねのごとき」という比喩によく映っているだろう。

みちのくにとどろく春の飆(はやて)かな
犬ふぐり遠野にとほき飢ゑの日々
迅き雲のあとも迅き雲厩出し

始終がはっきりしないが、遠野周辺での詠、五ないし八句ほどのうちの三句。すでに『啓示』の旅吟十余句を引いた。そのいずれを見ても句にどこかしら険しい表情があって、引用者の好みのゆえとも言い切れまい。掲出した二句目なども、「飢ゑ」の歴史に配するに「犬ふぐり」をもってするところに、巧みさがあるだろう。「春窮(しゅんきゅう)」という季語があるように、蓄えようやく尽きようとし、麦いまだ実らぬ四、五月こそがかつての農村において、窮乏の時節として最も恐れられたのだった。それはまさに犬ふぐりが咲く頃であり、その可憐な色彩が、なればこそ〈自然は限りなく美しく永久に住民は貧窮してゐた〉(*5)という嘆きの昔を今に蘇らせるよすがとなるのである。

黐散つてお四国のみちただ冥し

救いを求めて人々が歩むその道に、「ただ冥し」の実相を見るのが、この作者の体質なのでもあろうか。もとより、弘法大師の撰著『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』にある〈生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し〉との詩句を踏まえた表現であるが、「黐散つて」という描写のひと刷けが、その“冥さ”を観念に終わらせていないようだ。この句には〈青芒かなたにも波生まれつぎ〉が先立ち、〈玫瑰や枕木に音たえてなし〉が続いている。一所の作であるともないともはっきりしないながら、掲句の暗さに前後の空虚をもって応えるかのような配列であろう。

海荒れて草の中なる螇蚸かな

は、隠岐での作四句のうち。やや同工の作に、

秋の蝶燈ともしころの草にふれ

があり、こちらは旅吟ではないようだ。拙稿冒頭に引いた月山の句を思い合わせても、中岡の“草”の表現には不思議と心引かれるものがある。単純化に長じたこの人の手法に、草という自然の中の最も簡明なもの、最も基底的な存在が、よく調和するということだろうか。草という語は使われていないが、先の能登の句の芒や、

四万十をながれゆく竹落葉かな

の句における竹落葉などにも同種の物象の手ごたえを感ずる。以下、Ⅰ及びⅡから、興に入った句を引く。

眼に見ゆるかぎり汽水や夏桔梗
流氷のとほき起伏もふぶきけり
  *上一句、「知床 七句」のうち
夏燕鯖街道に水を売り
火柱のごとき没日や寒蜆
水の香のさびしき笹子鳴きにけり
  *上二句、「出雲・松江 七句」のうち
冬の蜂かがやく熊野詣かな
  *上一句、「熊野 六句」のうち
浜木綿や嘶き雨の中よりす
新涼や同じところを水牛車
海よりも空鳴りゐたる寄居虫
(がうな)かな
  *上二句、「竹富島・石垣島 八句」のうち
雪螢ひとつとほりし舞庭(まひど)かな
凍る夜の花の舞又花の舞
  *上二句、「奥三河・足込、花祭 三句」のうち
足元へ吹き込む雪や花の宿
花祭夜の鬼囃され罵られ
  *上二句、「奥三河・古戸、花祭 八句」のうち
寒立馬春の吹雪を駆けりくる
  *上一句、「下北半島」と前書
(あか)の中のたうつ鮭を打ちにけり
打たれたる鮭に貼りつく落葉かな

最後のふたつは〈新潟・村上 八句〉と前書のあるうちの二句で、晩秋から初冬にかけて三面(みおもて)川で行われる鮭漁のさまを詠んでいる。「淦」とは泥水のこと。八句のうちには、〈鮭の頭を打ちしとめたる十手かな〉という句もあり、浅瀬の泥水の中でもがく鮭の脳天を打って殺し、捕獲するのであろう。季節の風物詩と言ってしまえばそれまでながら、なんとも凄まじい光景ではある。中岡はこれ以前にも同地を訪れていて、別に〈新潟・村上 四句〉と前書された一連もあって、そちらに見える

揉み合うて浮かびくるなり鮭の貌

は、金子兜太の〈谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな〉(*6)にも、おさおさ引けを取らない集中の佳吟に思われる。それにしても兜太が歌うのが夜闇の中の「歓喜」であるのに対して、中岡の「鮭の貌」が示すのはどうしたって生命の“苦”の様相以外ではあるまい。と、書きつけたところで、『啓示』の栞文を見直したら、加藤治郎が掲句を指して〈命の喜びが溢れている〉と書いている。なるほど兜太の句であれば、そこにはあきらかに性愛の暗示があり、歓喜と苦を一如と見なす工夫もあり得ようけれど、中岡の句における鮭は産卵のために河を俎上しているのである。「鮭の貌」のクローズアップの効果も、「喜び」と言ってしまうにはあまりに暗く不気味な印象がある。掲句には、〈はればれと鮭産卵の水しぶき〉〈鮭産卵夕焼のいろさしわたり〉との句が続いており、加藤はおそらくこれらの表現に引っ張られたのだろう。しかし、この二句などはいわば出産に立ち会った夫の視線みたいなものであって、当事者たる鮭の身としては「はればれと」でもあるまい。要は、加藤の評言中の「喜び」の語を、「エネルギー」くらいのニュアンスで受け取っておけばよいだけの話であるが。

ところで、栞に載る四つの短文のうち、師である黒田杏子のそれは、中岡の俳句とのかかわりようを次のように記している。

創刊直後から始まった「藍生」のロングランの鍛錬吟行会「廣重江戸百景を歩く」は、主宰の指名した十数人のメンバーが、朝十時に集合、昼食後に一句会。のち夕刻にもう一句会をして夜十時散会というシステム。日曜日まるまる一日を使う月に一度のこの「行」に中岡君は新幹線と夜行高速バスを使って積極的に参加した。今井君(今井豊……引用者注)も春休みや夏休みの折には参加した。二人共高校の教師である。あるとき、「先生、中岡は自分の肉体の限界を無視しています。このままでは死んでしまいます。止めてやって下さい」と今井君。

同じく、小澤實が述べる中岡の横顔も興味深いものだ。

毅雄の句作風景で印象的なのは、興が乗ると句帳を開いて、ずっとペンを動かしつづけていること。句帳をのぞきみたわけではないので、五七五の完成したかたちが書き込まれていたか、断片のみを書きつけていたか、わからない。とにかく、周囲にはかまうことなく、憑かれたようにペンを動かしつづけていたのだ。(中略)こういう人はその後、誰ひとりとして見たことはない。

世間が広く、また、自身多作でもある小澤がこう言うのだから、余程目にたつ様子だったのだろう。それにしても、そのような熱狂的とも言える制作態度から生まれ出た中岡の作品世界は、技術的には申し分のないものながら、また同時に一句一句に取り立てて変わった手法や切り口があるというのでもない。しかし、一歩引いて全体を眺めると、ほとんど自己に目を向けることがなく、旅吟・自然詠に著しく偏向している点、やはりおのずからなる個性として浮かびあがってくるようだ。

中岡の俳三昧に大きく立ちはだかった病については、評者も詳細は知らない。句集のⅢおよびⅣから、作品自体が語るところを見てみよう。

手術同意書に署名し十二月
笹鳴や四十にして父母に謝し
風花や転移覚悟の手術
(オペ)迎ふ
担送車旋回冬燈旋回

こういう内容の句に、上作だ凡作だと言っても仕方ないようであるが、それにしても一句目、四句目などはやはり佳吟であろう。栞文の加藤治郎も指摘しているように、一句目では「手術同/意書に署名し」の句跨りと、シュ、ジュ、ショ、ショ、シ、ジュの句頭韻が、大きい効果を上げている。四句目の読み方は難しいが、評者は「タンソウシャ/センカイフユト/モシセンカイ」の五七六で読んでおく。「手術同/意書に署名し」に比べても、格段に恣意的な句跨りであり、不自然な韻律ということになるが、それこそが作者の置かれた状況に吊り合ってもいると考える。とまれ、平成十五年末のこの手術自体は成功だったらしく、
初深空これよりの予後永かれど

と、ひとまずの安堵の句が詠まれる。ところがこれに続く次の句は、

覚めていきなりの眩暈や立葵

と、半年もとんでしまうのである。この鬱の発症と癌手術との関係などは、評者には詳しいことはわからない。立葵の句につづく、

とととととととととと脈アマリリス
みづいろの抗鬱剤や夏燕

の二句は、それでも秀逸であるが、この先はさすがに作句への集中力を維持することが難しくなっているのであろう、〈ひとつづつかぞへて螢袋かな〉〈あめつちのまぶしすぎるよ水馬〉のように、定型の記憶のようなところで一句を仕立てざるを得ないケースが増えているのは是非もない次第であった。それでも以下のような句は佳いと思った。読み手によってまた別の句も採れるだろう。状況の深刻さを思えば、これは少ない数ではないはずだ。

噴水の芯にかくれしひとりかな
凛々と夜の辛夷や叫びたし
亀鳴いて甘言はもう十二分
花は葉に話したくなし会ひたくなし
  十八代目中村勘三郎襲名披露公演
片岡仁左衛門口上間違候春
けふを臥すほたるぶくろにあすも臥す
  今井豊氏、脳腫瘍手術成功
生きてゐるだけで充分ほととぎす
水馬の水輪のひかり瞳
(め)のひかり
室の花白し水原紫苑より
ひとたびは生を彼岸に冬ざくら
幻聴も吾がいのちなり冬の蝶
鬱といふ文字にも狎れて春のくれ
まひるまの蓬をたべてねむりけり
月天心コップの底に水のこり
つゆくさや詠めば詠むほど親不孝
水馬いのちみづみづしくあれよ
梅雨明のみづうみ自転車がふたつ

加藤治郎は、〈修辞的であり、かつ生身の人間の叫びは紛れない。この自在さは何だ。〉と書いているが、「この自在さ」は先程記したように、中岡がいわば体に残った定型の記憶に勝手にさせる他ないためにもたらされている。表現の拡散を、定型の記憶が繋ぎとめているところに、独特の味が生まれているといった感じではないか。空を飛ぶ鳥が自由などではないように、中岡も実際のところ“自在”を得ているわけではない。「叫びたし」のような主情の表出は、俳句界の或る場所ではありふれているが、本来、中岡が自分に許すはずのない表現だ。「水輪のひかり瞳のひかり」などの着想も同様だろう。それにしても、厳しい病状のもとでこれだけの成果をあげられるほどに定型の記憶が働き得たのは、「詠めば詠むほど親不孝」と自ら歎ずるほどの俳句への打ち込みがあったればこそに違いない。『啓示』の帯には、

得体のしれない不安、絶望、恐怖に人を陥れる鬱という病。その病に苦しむ著者はやがて絶望の淵より徐々に癒されていく……。身近な自然がもたらす美しい恩寵の光によって。

とある。その通りであって欲しいと思う。


(※)中岡毅雄句集『啓示』は、著者より贈呈を受けました。記して感謝します。

(*1)
中岡毅雄句集『啓示』 ふらんす堂 七月十一日刊
(*2)中岡毅雄句集『一碧』 花神社 二〇〇〇年
(*3)山本健吉『現代俳句』の正岡子規の項より
(*4)『NAMI――梶井照陰写真集』 リトル・モア 二〇〇七年
(*5)伊東静雄「帰郷者」/『わがひとに与ふる哀歌』所収
(*6)句集『暗緑地誌』所収

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2 件のコメント:

さんのコメント...

中岡毅雄さんの新句集『啓示』には、少なくともふたつの主要なモチーフがあり、一つは風景への憧れ、およびその現場に立とうとする視線や身体の動きの記録。
もう一つは彼の存在凡てを決定してしまうかの如き「病気」との戦いの記録。

このふたつの方向への「記録」が彼の「表現」であるとおもわれます。

旅吟の時間過程は、今まで彼が学んできた写生の方法で記録(表現)可能です。しかしとても美しい風景の連続で、この美しさ完成度にはただならぬものがあります。
まさに、れおなさんが書いている、「身体感覚に残った定型の記憶」の再生がとりわけ写生を通した典型化にむかって大きく作用しているはずです。

引用
「中岡がいわば体に残った定型の記憶に勝手にさせる他ないためにもたらされている。表現の拡散を、定型の記憶が繋ぎとめているところに、独特の味が生まれているといった感じではないか。空を飛ぶ鳥が自由などではないように、中岡も実際のところ“自在”を得ているわけではない。」(高山れおな)


が、心身の病を、病とは認めないという戦い、ここに俳人としての転機を劃している、という意味で、作家論を書くとすればこれは、彼の中ではずせない句集となっています。

鬱病に悩んでいる人は、私の関わっている永年の友人にもいます。中岡さんもここ数年そう言う友人のひとり(ミク友)です。
わたしだって、インターフェロンの薬物後遺症で一時的にそうなったことがあります。
低血圧症だし、交通事故でアタマを打ているので、今日みたいな梅雨の日には、不発の皆既日蝕みたいに、アタマがまるで回らないし気分が落ち込む。でも、これはバイオリズムだとおもって我慢していると、

引き潮のごとく欝消え額の花         (毅雄)

となります。これはよくできた俳句だなあ、と思うのは、私の情況にあっても中岡さんの句のちょうどこのような気分が行きつ戻りつする、それが景として活写されているからです。季節もちょうどいまごろ。「額の花」が巧みです。有り難いことにこの程度だから、病気とも思わず医者にもゆきません。

その私が、中岡さんのような休職退職にまでの難関に見舞われ心身の退嬰に悩まされている人、の「心の記録」を、その表現としてのよろしさを、勝手に自分の現実にあてはめてしまった好いのかな、と、まあこんな拘泥がわいてきます。(俳句作品だけではなく、背後の作家の生存の場面に入らされることへの、自己防衛かも知れません。)

今回のれおなさんの評文は、まえに大本義幸句集を評したときと同じく、他者の不遇にたいする万感の同情と共感(シンパシィ)を惜しんでいません。
これは、れおなさんのひじょうに優れた人間的な感受性を示すもので・・人としての品格をつくっているものです。
それに踏まえた、リリックな鑑賞文だと思いました。
(これは、高山れおなの中岡毅雄句集評への私の感想、です。)

句集については、私は、特にこのなかの風景句の美しさに感動しています。まえの『水取』『一碧』やよりもいいなあ。

あしあとがつづく凍湖のかなたま(毅雄)

なぜなら、いずれ落ち込まされる現実の混濁かかえながら、澄明なかたへこころがうごかされるかぎり、そういう風景の奧にゆこうとしているあくがれるこころが、一句の動きを作っているからです。
対象世界=風景を静止させていないところがすばらしいとおもいました。


霧ふぶくなか山百合の数知れず(毅雄)
 
これは、実写としても異様な美学です。

こういう病気というのはじつは病気というべきではないのではないか。人間の意識のある場面、と考えた方がいいのではないか、とつくづく考えさせられる句集です。

新緑や宥(なだ)められても欝は欝 (毅雄)

宥めようとは思いませんが、「人それぞれなやみがあるんですねえ。たいへんやねえ、ほんとに」と言ってあげたいです。こういう人には。

みなさん、失職している中岡さんの句集を買ってあげましょう。コウイウ良い句集を読ませて貰ったのだから、貰った人はこういう人に限っては、定価の半分ほどでも小遣いを倹約してお祝いをあげましょう。私はそういたします。中岡さん、病苦を押しての快挙、おめでとうございます。(堀本 吟)

高山れおな さんのコメント...

堀本吟様

熱烈コメント有難うございます。
湿暑の時節、御身御大切に願いあげます。
『水取』や『一碧』より今回の『啓示』の方が佳いのではというご意見、わたくしも同感でした。発病前の部分に限っても、より冴えた印象を受けました。