2009年5月9日土曜日

角川春樹句会手帖

俳諧の地獄の底か閑古鳥
佐藤和歌子『角川春樹句会手帖』を読む


                       ・・・高山れおな


もう長らく、ある程度以上定期的に買う雑誌といえば「俳句」と「俳句界」と「en-taxi」の三誌くらいなもので、我ながら俳人にふさわしい侘びた品揃えである。「en-taxi」の連載では単行本がベストセラーになった立川談春の「赤めだか」(*1)は愛読していたし、暴走放談と銘打たれた「コックと編集者と、その友人」も笑える。それと、やはり俳人なので「角川句会手帖」も読むわけである。だいたいこの雑誌自体が、責任編集の福田和也の人脈に基盤を置いて作られており、そこに福田の有名・無名の友人連がかかわってくるのは当然として、慶大の福田ゼミのOBが何やかにや起用されているのが風変わりといえば風変わりで、こういう内輪ノリは嫌いな人もいるだろうが評者は別に嫌いではない。この「角川句会手帖」の、いわば執筆(しゅひつ)役のライター佐藤和歌子も福田ゼミ出身で、〈二〇〇三年、大学在学中に、へんな間取り図を集めた『間取りの手帖』(リトルモア)を発表し、話題となる。〉とプロフィール欄にあり、なんだか面白そうだけどそちらは読んでいない。

「角川句会手帖」は、角川春樹が宗匠を務める句会に毎回異なる正客=ゲストを呼び(最大で三人)、ゲストと福田と佐藤とがおのおの二十句を提出し、美食に耽りつつ春樹の講評・添削を受けるという趣向で、宗匠の方は句を出さない。というか、提出された他人の句がみるみる春樹の句になってしまうので、これは添削としてゆきすぎではあるまいかと常々感じていたのであるが、こんど『角川春樹句会手帖』(*2)として単行本化されたのを再読してみると、春樹自身、その点は意外に気にしている様子が見てとれて、少し印象が変わった。単行本は全十五章で、二〇〇四年六月発行の「en-taxi」第六号から二〇〇八年九月発行の第二十三号まで、足掛け五年にわたっての掲載分を収録している。初回から読んでいたはずだが、なにしろ連載がはじまったのは丸五年前である。角川春樹の出所祝いとして、これまた福田ゼミOBの寸(という筆名なのです)を正客に行なわれた単発の企画だったのが連載化した、といういきさつなども、完全に忘れていた。以下、目次。

目次
はじめに
第一章 「角川句会一部始終の事」
第二章 「松茸、芋茎に我等が詩心は麗しく奮う哉」 正客=石丸元章
第三章 「外は氷雨。鰻重の底に垣間見る詩」 正客=北方謙三・石丸元章・寸
第四章 「コップ酒初顔合わせの真立会」 正客=仲畑貴志・澤口知之
第五章 「海老に鱚、俳句に短歌の異種試合」 正客=斉藤斎藤・田中悠貴
第六章 「春光るクオリア俳句に挑戦す」 正客=茂木健一郎
第七章 「精神の大海わたり暑気払い」 正客=斎藤環
第八章 「蒼狼とその子ら向かう無頼の果て」 正客=藤原敬之・石丸元章
第九章 「三鞭酒の黄金に泡立つ詩魂かな」 正客=前島篤志・寸・澤口知之
第十章 「我邦に捧げよ詩と熱燗を」 正客=さいとう健・石丸元章
第十一章 「夏踊る宴に咲いたジャズの詩」 正客=菊地成孔・寸
第十二章 「冬薫るビーフシチューと文人俳句」 正客=佐伯一麦
第十三章 「ゆるり湯気鍋を囲みし午餐の刻」 正客=島田雅彦
第十四章 「六本木荒地ふたつに虹がたち」 正客=ねじめ正一
第十五章 「照れ隠し歌高らかにサングラス」 正客=高橋春男
この他、「俳句メモ」という通しタイトルでハウツー的なコラムが六本挿入されている。

評者も角川春樹の実物を一度だけ見たことがあって、それは山の上ホテルで行なわれた二〇〇五年の第五回山本健吉文学賞の授賞式で、その年の受賞は俳句部門が角川春樹句集『海鼠の日』(*3)、短歌部門が水原紫苑歌集『あかるたへ』、詩部門が季村敏夫詩集『木端微塵』、評論部門が加藤郁乎『市井風流――俳林随筆』および宗田安正『昭和の名句集を読む』というラインナップだった。なんでそんなところへ行ったのかといえば、評論部門の審査員だった詩人の飯島耕一に顔を出すように言われたからなのだが、飯島が評者に声をかけた理由は憶えていない。この授賞式のことは『手帖』の第五章にもちらと出てくる。

「そんなこと言われたら、飲まないわけにいかないじゃないか。わかったよ、少しだけもらうよ。こないだ、歌人の水原紫苑が山本健吉文学賞をとっただろ。美人で才女だと言われているから、期待して読んでみたけど、どうしようもなかったなあ」
 初期はよかったと思いますけど、と斉藤さん
(斉藤斎藤……評者註)が控えめに擁護したが、
「山の上ホテルの前に着付けの悪い女がいてね、なんだと思ったら、水原紫苑だった。あんな後ろ姿の格好悪い、油断してるような女に才能なんてあるわけがない。歌集を読んでも全部きれいごとでしかない、言葉にパワーがないんだよ。
(後略)

山の上ホテルでは水原を相手に(なにしろ受賞者席が隣だから)かなりご機嫌のように見えたので、雑誌を読んだ時、ずいぶん言うなあと驚いた記憶が、書いているうちに蘇ってきた。しかし、水原はともかく、こちらも和服を着ていた短歌部門審査員の馬場あき子は見た目の押し出しも活舌もたいそう立派で、水原の短歌を高らかに朗誦しつつ滔々と授賞理由を述べていたのに、対する俳句部門審査員の森澄雄は車椅子に乗り、身をよじるようにして、ああとかううとかうめくのを傍らのご子息が会場に向けて通訳するような按配で、本人の口から直接聞き取れたのは繰り返された「しぇつじつ(=切実)」という言葉だけだったことをまたまた思い出した。『海鼠の日』はコカイン密輸事件での獄中俳句を収めた句集だからなるほど切実には違いなく、けれどもっと切実なのは森本人で、病身はお気の毒ながら、馬場と森のうつそみの差がそのまま当節の短歌と俳句の勢いのアナロジーになっておるわいと、当方はなはだ索漠たる気分であった。

そんな周りの状況はさておき、挨拶に立った角川春樹は、またすぐ句集を出すから次も山本健吉賞を呉れという意味のことをのたまうありさまで、それに春樹の姉の辺見じゅん(歌人)やら秋山巳之流(元「俳句」編集長)やらが喝采するのだから、ちょっとした百鬼夜行であった。さすがに詩部門審査員の辻井喬が苦言を呈していたが、事実は春樹の言葉通りになり、翌年の俳句部門が該当作なしなのは、森が春樹の『JAPAN』(*4)に賞をやろうとするのを周りが止めたということではないかと思うし、翌々年には『角川家の戦後』(*5)によってほんとうに春樹が再受賞してしまう。その次の年つまり昨年から審査員が金子兜太に代わったのは、さすがにこれが問題になってのことなのだろうと想像されるが、実際のところどうなのだろう。

賞絡みで春樹がお騒がせなのは相変わらずというに過ぎず、今更驚くことでもないのでそれとして、本の方にもどれば、「en-taxi」の句会での春樹はなかなかチャーミングであることは認めねばなるまい。目次でご覧の通り、正客には北方謙三(小説家)、斎藤環(精神科医)、佐伯一麦(小説家)、高橋春男(漫画家)、茂木健一郎(脳科学者)といった有名な人も多いが、一方、先ほどの寸(会社員)はじめ藤原敬之(ファンドマネージャー)、前島篤志(文藝春秋の編集者)、澤口知之(料理人)ら、福田人脈に連なる一般には無名のメンバーもいて、社会的肩書などおかまいなしのこの雑然とした感じは、句座の本意にかなっているだろう。春樹というのはもちろん恐ろしく自己愛が強い人であると同時にすこぶる褒め上手でもあって(森澄雄などもそれでやられたわけだが)、主宰する「河」の句会ではどうなのか知らないけれど、この誌上句会ではその人たらしの才を遺憾なく発揮しているように見受けられる。正客のほとんどが俳句の初心者で、当然、心余りて言葉足りずのたぐいが多いわけで、春樹が作者にいちいち作句の意図をたしかめてゆくあたりの掛け合いが面白い。そして、その意図を汲んだり汲まなかったりしながら、たちどころに句を添削してゆくのが次の見せ場になる。例えば第一章で、福田和也の句が俎上に乗るあたりはこんなふう。

(前略)しかしあとの句は、全体的に詞書(ことばがき)に頼りすぎてるんだよなあ」
 詞書って何ですか、とはもちろん聞けない。
「基本的に、俳句は詞書なしで成立することが望ましい。
―自衛隊イラク第一次派遣部隊出発に際して―〈鮟鱇(あんこう)鍋骨すじまでの無残かな〉、意味はわかるが説明が多すぎるんだよ。俺は〈鮟鱇鍋死にたる者も座に居りぬ〉と直した。死んだ者の霊魂が鮟鱇鍋を食べているということだ。あるいは―東ティモールにて―〈デリの浜牛冷えきりて維摩経(ゆいまぎょう)、デリなんて、地名だけじゃ雰囲気がわからないぞ。それに『牛冷えきりて』で川か海があることは想像できるから、『デリの浜』は要らない。そこで〈ティモールの牛冷えきりて維摩経〉と直した。これなら詞書は不要だし、ティモールだったら、行ったことがなくても内戦があることくらいはみんな知っている」
 福田さんの目がキラキラ光っている。興奮しているらしい。

鮟鱇鍋の句は、元の句がよくないのはもとよりとして、添削も、春樹の旧作に〈猪鍋(ししなべ)や吉野の鬼のひとり殖ゆ〉(*6)とあるようなお得意のところへ引き込んだまででそんなに感心もしない(第一、詞書との対応が失われてしまった)が、牛の句の方の添削は説得力がある。つづいても福田の句。

「福田だけじゃない、全員、あれも言いたい、これも言いたい、という句が多かった。五七五しかないんだから、焦点を一つに絞らないといけない。(中略)〈将軍の墓消えマンゴ実は青く〉も、このままでは散文。しかし最後の一字を変えれば、詩になる」
 そんな手品のようなことがあるのだろうか。
〈将軍の墓消えマンゴ実は青し〉。消えてしまった将軍の墓と、青々と茂っているマンゴの実の取り合わせ、生と死の対比が出てくるだろう。詩とはこういうことだよ。(後略)

こういう普通の添削例もたくさんあるが、さすがにベテラン点者らしく、ツボを外すことはない。それにしても、「詩とはこういうことだよ。」か。言ってみたいセリフだが言わないな、自分は。しかしそれを言わないことに意味があるように思ってきたが、もうあまりそうは思わないので、そのうち言うようになるかもしれない。第二章の石丸元章の句の添削も見ておこう。

「じゃあ、始めようか。まずは石丸君だな。短歌と比べて俳句は省略の文芸、引き算の文芸だ。石丸君の句は足し算が多い。〈白桃を剥く不器用に桃が泣く〉、これは『桃』が二回強調されており、しかも『桃が泣く』、桃がかわいそうだという発想はおもしろくない。〈白桃を剥く不器用に不器用に〉と直すと詩になるだろう。〈道を這う夕蝉を踏みバスが過ぎ〉、これも『道を這う』が要らない。俺は〈踏みつぶしたる夕蝉も人の死も〉と変えた」
「それじゃあ、春樹さんの句じゃないですか。石丸さんは人の死を踏みつぶすような人じゃないですよ」
 日頃、石丸さんのことを「僕の好きな唯一の善人」と言って憚
(はばか)らない福田さんが異論を挟む。
「それはしょうがない。だから、これは添削ではなく俺の句だ。次行くぞ。
(後略)

白桃の句も夕蝉の句も、添削句の方が原句よりよくなっているのはたしかだが、それよりも攝津幸彦の〈三島忌の帽子の中のうどんかな〉(*7)が、いかにして〈三島忌の帽子の中の虚空かな〉(*8)と変じ、「俺の句」になったのかが彷彿とするやりとりである点が興味深い。三島忌の句の場合、「虚空かな」とすることで句が通俗化してしまっているのは、さすがに素人俳句の添削とは事情の違うところであろうか。

さて、本書での最も鮮やかな添削は、第十三章にある次の例だと思う。対象は佐藤和歌子の句。

〈うららかや余生と言つて悔いぬ人〉、そういう老人がいるのか?」
 自分と同世代で、一時はどうなることかという大病をした友人がいる。今は無事回復してきて、「あとは余生のようなものだ」と言っていた。そう説明すると、
「だったら
〈うららかや余生と言うて生き延びよ〉、どうだ」
 我が意を得たりとはこういうことを言うのだろう。

ところで、句会実況本というと、当代の長老・中堅どころの俳人を集め、小林恭二がプロデューサー兼ライターを務めた『俳句という遊び』(*9)、『俳句という愉しみ』(*10)の世評が高かったけれど、正直言ってそれらより『角川春樹句会手帖』の方が面白いかもしれない。もちろんあちらはオーソドックスな運座で作品は基本的に即吟、こちらは句会というよりは事前投句による添削教室なのでダイレクトな比較は出来ないが、小林の本はある意味バランスよく俳句や句会について啓蒙しようとしていて、そこが退屈といえば退屈なのだった。春樹も啓蒙的な発言をしないわけではないものの(というか基本の伝授という点ではかなりうまいのでは。的確でわかりやすい)、それとほぼ等量の自慢話と猥談が繰り広げられている感じで、「俳句という遊び」を文字通りの遊びとして実践し得ているのは小林のではなく佐藤の本の方だろう。句会に出された句に関していえば、小林の本からは、〈虫鳥のくるしき春を無為(なにもせず)  高橋睦郎〉〈百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり  飯田龍太〉〈荒星や毛布にくるむサキソフォン  攝津幸彦〉などの名吟が生まれているとはいえ、全体としてはむしろ即吟の限界を感じた。こんどの本の句は、それなりに多士済々のメンバーの出詠ゆえ、滅茶苦茶なりに作域がバラけており、変化に富む印象がある。中で、いちばん句の質が揃っていると思われた第九章の正客三人の句から引く。

前島篤志 二十句のうち
サアカスのビラ拾いたし二重橋
俺たちと反俺たちが俺を刺す
たましいに背高泡立草繁る
花柄の小熊を撃てば妻だった
三日三晩神の手作りハンバーグ
逃げ遅れた夜が烏となる暁
(あかつき)
ぎしぎしとユニットバスに流氷が
鏡の奥の林檎を剥けば星凍てる
無心に泳いで鱶
(ふか)も寄りつかないバッドな週末
日和見の叔父らは旨き豆を煮る
地獄図にちちはは在りて安らぎぬ
ベランダにかの霊獣が酔い潰れ

寸 二十句のうち
水槽の底の東京冬ざるる
数の子や星占ひを母とよみ
起業家のあくびが優し冬日向
初刷とサンドイッチとシガレット
寝室に古書の香ありて初時雨

澤口知之 二十句のうち
捨てましたどーせひろった恋だから尾道で
パンジーや優しい言葉は俺だろう

前島篤志の写真の貫禄ぶりは本書の(というか元の連載では写真が大きいぶんなおのこと)大いなる驚きのひとつだったが、作品の方も粒揃いなることかくの如し。前島は秘密結社「俳句魂」のメンバーだから初心者ではないけれど、コンスタントに作っているわけでもないだろうに。本書の角川春樹の選句はかなり柔軟で、前島の句でも〈サアカスのビラ拾いたし二重橋〉〈俺たちと反俺たちが俺を刺す〉〈花柄の小熊を撃てば妻だつた〉〈三日三晩神の手作りハンバーグ〉なんかを採っているのはいいのだが、〈無心に泳いで鱶(ふか)も寄りつかないバッドな週末〉にダメ出ししているのはミスだろう。横合いから澤口知之が、

「俺は感動しましたよ。矢作俊彦の『マンハッタン・オプ』ですよね。『バッドな週末』いいじゃないですか」

と言っているのに評者も賛成だ。それから〈逃げ遅れた夜が烏となる暁(あかつき)の「暁」を「朝(あした)」と添削しているが、これも原句のままでも良いのではないか。柔軟でありつつも結局、自分の世界に近いところが好きなのねと思わされたのは、〈たましいに背高泡立草繁る〉〈地獄図にちちはは在りて安らぎぬ〉をいちばん買っているらしいところ。これらは前島の二十句の中では、相対的に陳腐というか、ややわかりやすすぎる句のように見える。その高評価には賛同しないが、

(前略)もう一つの特選句が、〈地獄図にちちはは在りて安らぎぬ〉。極楽図ではなく地獄図に父母を見る、しかも『安らぐ』、つまり自分もいずれはそこに入っていく、ということだね。精神の深さを感じた。(後略)

という読みはすぐれているだろう。しかも、それを言っているのが角川春樹であることを考えると、なにやら感動的でさえある。

(※)本稿のタイトルは、『享和句帖』所収の一茶の句(享和三年作)。 『一茶全集』には、〈越の立山にて〉と前書して、〈はいかいの地獄のそこか閑古鳥〉の表記で載る。「はいかい」の横に「俳諧」と添え書きする。
(*1)立川談春『赤めだか』 二〇〇八年 扶桑社
(*2)佐藤和歌子『角川春樹句会手帖』 二〇〇九年四月三十日刊 扶桑社
(*3)角川春樹獄中俳句『海鼠の日』 二〇〇四年 文學の森
(*4)角川春樹句集『JAPAN』 二〇〇五年 文學の森
(*5)角川春樹句集『角川家の戦後』 二〇〇六年 思潮社
(*6)角川春樹句集『補陀落の径』(一九八四年 深夜叢書社)所収
(*7)攝津幸彦句集『鳥屋』(一九八六年 冨岡書房)所収
(*8)「河」二〇〇六年四月号
(*9)小林恭二『俳句という遊び』(一九九一年 岩波新書)の句会に参加したのは、飯田龍太・三橋敏雄・安井浩司・高橋睦郎・坪内稔典・小澤實・田中裕明・岸本尚毅。
(*10)小林恭二『俳句という愉しみ』(一九九五年 岩波新書)の句会に参加したのは、三橋敏雄・藤田湘子・有馬朗人・攝津幸彦・大木あまり・小澤實・岸本尚毅・岡井隆。


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1 件のコメント:

さんのコメント...

れおなさん、三島忌のうどんが虚空になるミステリーの箇所を詳しく引用して欲しかったなあ。
本も読み手のエスプリで面白く感じられるもの、書評って元来そう言うもの、ですが。