2009年4月24日金曜日

ボンボンと方言

月のバレエ

~ボンボンと方言

                       ・・・青山茂根

いくら見てもちっとも詳しくならないのだが、時折無性に芝居やら舞踏やらが見たくなる。20代の初めのころは、仕事で徹夜明けのままベジャールやキリアンやピーター・ブルックのチケット発売に並んだりしていたのだが、さすがにもうそういう気力も体力もない。幼いものに時間をとられて、この数年は他の趣味にあてる時間が全くない日々だった。歌舞伎座建替えのさよなら公演、と聞いて、ああ、次の世代にも記憶のどこかに残しておかなくては、と上の子を連れて本当に久しぶりに2月の歌舞伎座へ足を運んだのが始まりだった。さすがに三幕見せると飽きるし疲れるので、一幕は割愛して見た。それでもまだ小学生には長いようだが、判るところだけながら世話物の台詞の掛け合いや舞踊は楽しんでいる。

今月は、ご招待のチケットが回ってきたので東京バレエ団のジョン・ノイマイヤー振付「月に寄せる七つの俳句」の公演を見ることもできた。俳句からのインスピレーションによるバレエで、1989年に東京バレエ団のために創作されたオリジナル作品。今回は、1991年以来18年ぶりの上演になるという。音楽にバッハが使われているのは、「この二人(筆者註:バッハと芭蕉)の大芸術家が同じ時に生きており(J.S.バッハは1685-1750、芭蕉は1644-1694)、同じ月を見ていたこと」によるのだという。

振付家自身が初演時のプログラムに寄せた言葉を引く。俳句の側にたつ我々にも何か思索の一因となるか。

「まず、この二つの芸術はどちらも実際の言葉が語る、あるいは動きが見せる以上のものを暗示しています。そして俳句がある一瞬を捕えて、具体的なイメージを観察したり、比較したりして宇宙の統一性を示すのと同じく、ダンスも時間と空間のなかで動く実際の人間の身体を使って、普遍的あるいは形而上学的なものを喚起するのです。」(『ノイマイヤー・フェスト2009』会場配布物より)

「俳句は決して抽象的な詩ではありません。具体的な言葉で、具体的なシチュエーション以上のものを表現しています。ダンスも、人間の身体という非常に具体的な手段を使い、リアリティ以上のもの、身体がもっている以上のものを表現しています。その点で、俳句とダンスの世界は深く関係しているのです。」

「俳句の世界は、特別な光の下で見ると、違う何か、非常に秘密めいた世界に変わるという、その点に深く共感したのです。俳句はどの句にも必ず季語が含まれ、何かのシンボルとして、地上のものではない神秘的なものを表現します。私は多くの俳句に触れるなかで、特に月という概念がよく出てくることに気づきました。それはやがて、一つの概念を超え、私にとっての一つのテーマとなりました。この作品は、私が俳句を主観的に解釈したもので、私がこの作品で選んだ句は、数多の句のなかでも、私の内面的なものに多く触れた句だと言うことができるでしょう。」(『NBSニュース』4月号 今回来日時のノイマイヤーへのインタビューより)

「振付というものは、俳句に似たところがあります。俳句は、読むことはできるが、理解することはできない。言葉は美しいけれども、その言葉を取り囲んでいる世界をつかむことはできない。振付にも同じことがいえます。振付を見て、それが喚起する世界に魅了され、踊りの流れに身をまかせることはできても、振付のすべてを理解することは不可能です。」(『ダンスマガジン編 バレエ101物語』 「月に寄せる七つの俳句」ノイマイヤーの言葉 新書館 1992)

創作の源とされ、作品中にナレーションでも語られる七つの俳句は以下のもの。

赤い月是は誰がのぢゃ子供たち (一茶)
人に似て月夜のかがしあはれなり (子規)
四五人に月落ちかかるをどり哉 (蕪村)
寒月や石塔の影松の影 (子規)……(*1)
春もややけしきととのふ月と梅 (芭蕉)
小言いふ相手もあらば今日の月 (一茶)
われをつれて我影かへる月見かな (素堂)……(*2)
鐘消えて花の香は撞く夕哉 (芭蕉)がエピローグ。

劇場で見た印象では、場面ごとに朗読される句が、いかにも外国人の耳で聞き取ったといったナレーションで、俳句として響いてこないのはどうなのだろう。秋から秋へ、月をめぐる季節を追っての展開は美しいが、バレエとして面白いかどうかは正直微妙だった。句を構成する言葉を解体して、ダンサーたちが見せる闇や月光の動き、そこに言葉の波紋がどこまでも広がってゆく可能性は感じた。参考までに、「NBS日本舞台芸術振興会」のサイトで作品の一部分だがweb上で動画が公開されている。(*3)

興味深く感じたのは、歌舞伎座の夜の公演の『廓文章(吉田屋)』。ずっと以前、まだ孝夫・玉三郎で演じられた頃に見たときには気づかなかったのだが、今回あれっと思ったことがあった。私以外の他の人には面白くもないかもしれないけれど。

それは台詞だった。ああ、きっと現在でも関西のボンボンはそのまんまだなあと思ったのは、伊左衛門が喜左衛門おきさ夫婦と語り合いながら夕霧を待っている場面。時折拗ねてみせるあたり、「去にましょう、いにましょう。」と身をよじって出て行く素振りを見せる伊左衛門。その上方和事そのものの口調とともに、おや?文語(古語)プラス口語?と耳に残った。

帰宅してから、古語辞典やら広辞苑やらにあたってみると、「往ぬ・去ぬ」「近世後期、上方では四段に活用。関西方言に残る」とある。Web上で検索してみても、愛媛県川之江市では「去ぬ」を日常的に使っていると出てきた(*4)。関東圏で育った私などは、この「去ぬ」は古文の時間に習った言葉なのだ。古語と見えても場所によってはなお日常に生き続けている言葉もあると知ってはいたが、今まで何度かその演目を見ていたのに気がつかなかった。そういや、義母は神戸に生まれ育った人なのだが、子供の顔を見て「ふたかわめ、ふたかわめ」と言っていたのが、なんのことやら、だった。古語辞典を見ると、「近世語。ふたえまぶたの目。」とのこと。西鶴の文例が出ていた。ううむ、これ関西弁として残っているらしい。我が同居人など、普段は標準語のくせに、神戸出身者に会うといきなり「知っとう(知っている)」「合っとう(合っている)」などと連発し始めるのだが、この、神戸人の語尾にやたらとつく「~とう」というのも、案外、婉曲表現として「とふ」を使っていたものが残ったものだったりして。今でいう、「~っていうか。」「~って感じ。」などの用法と似たものだったのかも。「かはひらこ」が、九州・奄美地方の民謡に今も残っているなら、「つばひらこ」もどこかの地方に残っているのだろうか。

口語と文語に厳密な境界を想定するのは中央集権まがいの無体な発想なのだろう。むしろその地域性を生かして句や歌にするのもいいかもしれない。例えば、沖縄のやわらかな間合いが心地よいウチナーグチで句や歌を書いて、標準語の総ルビを振ったものがあるなら見てみたい。日常、方言で話している人が所謂標準語の口語で書いても、それこそ「書き言葉」であり、作者にとってはどっちが口語なのだろう、と思う。

(*1)これはノイマイヤーが引用したテキストの翻訳ミスと思われる。『子規全集第二巻』「寒山落木 明治二十八年 四」によれば、下五は「杉の影」となっている。
(*2)これも同様。「月夜かな」が正しい。
(*3)http://www.nbs.or.jp/stages/0903_special-pro/program.html#pro02
(*4)「方言は保守的か?」http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/dialect.htm


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1 件のコメント:

さんのコメント...

茂根様、面白い文章ですね。


俳句と舞踏

 わからなくもない。俳句を文語(書き言葉)と考えるから不思議なのではないでしょうかか?
身体活動の環境デザイン的に、こういう月があるなかで、自然と交響してゆくからだの動きを作ってゆくのでしょうね。

つぎのようないいかた、
「俳句はどの句にも必ず季語が含まれ、何かのシンボルとして、地上のものではない神秘的なものを表現します。」「私は多くの俳句に触れるなかで、特に月という概念がよく出てくることに気づきました。それはやがて、一つの概念を超え、(『NBSニュース』4月号 今回来日時のノイマイヤーへのインタビューより)

俳句は「月を概念と捉える」。・・・これは、ただしいとおもいます。季語をシンボルとして考えているのが外国の俳句観の一pんてき認識なのでしょう。
示唆的な思考ですね。



歌舞伎の台詞の文語&口語。
松山の方では、土地の人が
「いなくなる」こと、家に帰ってしまう(ここから)ことをを「いんでくる」「いんだ」
といってました。

「もんてくる」→ 「もどってくる」とも。

書き言葉というより、昔の口語ではないのですか?現代では書くときにしか文語は使いませんが。
京都では、〈あんさん、「ささ」一献どうどす?〉
などと、下宿のおばあちゃんにいわれたことがあり、つまり「お酒」のことなんですが。
いろっぽかったなあ。
古いいい方ってときどきのこっていて、気がつくとおもしろいですね。