2009年1月18日日曜日

あとがき(第23号)

あとがき(第23号)



■高山れおな

山本健吉に「芭蕉の句の注釈」というエッセイがあります。『校本芭蕉全集』第二巻の月報(昭和三十八年十月)に載せられたもので、講談社の『山本健吉全集』では第五巻に収められています。ここで山本は、芭蕉の

月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿

について、頴原退蔵が昭和十四年に出たある本で、謡曲「梅枝」の詞章を踏まえていると見当違いの注を付していたこと、正しい典拠は謡曲の「鞍馬天狗」であると頴原に手紙で報せたところ、〈あんな文句を思いつかなかったのは恥しい〉とすぐに返事があったむねを記しています。同じ頃、ラジオで芭蕉について講演した志田義秀も、この句について同様の間違いをおかしていたらしい。

私は芭蕉の注釈などには何の野心も持っていなかったし、今でも大して持っているわけではないが、あの句の解釈は私が最初に発見したのだなと、いささかの誇りを持たないわけではない。だが一方、あんなポピュラーな謡曲の文句を、あの句を読んだ人が誰も気づかなかったというのも可笑しいと思う。もちろん当時の人は、誰もすぐ気づいたからこそ、あの句を気がきいていると思い、集(松江重頼編『佐夜中山集』のこと。当該句は芭蕉二十歳の初入集句。……引用者注)にも入集したのだ。それを近代の俳諧専攻の碩学たちが、誰も気づかなかったのだ。盲点というものはあるものである。

山本の文章にはさらに、〈蜘(くも)何と音をなにと鳴(なく)秋の風〉〈夏の月御油より出て赤坂や〉の両句についても面白い話題を紹介していますが、いずれにしても古典の注釈の難しさ、我々が恩恵をこうむっている諸々の訳注が、先学たちの無い智恵ならぬ有る智恵を寄せ合っての長年月をかけての合作であることを改めて教えてくれます。今回、江里昭彦さんが紹介してくださった〈荒海や佐渡に横たふ天の河〉についての、井上慶隆さんの発見にも目のさめる思いがいたしました。これを読むどなたもが、「盲点というものはあるものである。」という感想をお持ちになることでしょう。

ちなみに「荒海」の語について、手元にある山本健吉・加藤楸邨・尾形仂・安東次男・萩原恭男ら各氏の注釈の他、長谷川櫂『「奥の細道」をよむ』や高柳克弘『芭蕉の一句』も覗いてみましたが、井上さんのような指摘は誰もなさっていません。引き合いに出されているテキストはごくありふれたものばかりなのに、となんだか「可笑しい」一方で、あれだけ調べつくされていそうな芭蕉の俳句にさえ、なお新解釈の余地があることにほっとする感じもいたします。

関悦史さんの二度目の御寄稿は、岡井省二句集『大日』について。私事になりますが、第二句集『荒東雑詩』に入れた拙句に、〈犀省二河馬稔典とわかくさ喰ふ〉というのがあります。この省二はすなわち岡井省二のこと。わたしがその俳句世界の存在に気づくのとほぼ同時に岡井さんは亡くなってしまいました。偶然にも神保町の某古書肆に、どなたかの蔵書から岡井さんの句集が纏まって放出されたのに出くわして、早々に句集を揃えることが出来ましたが、探すとなるとなかなか手間だったと思います。全句集も刊行されているはずですが、刊行時にも見かけませんでしたし、ネット古書店にも出物はほとんどないようです。関さんの『大日』入手の喜びは、さこそと想像できます。

岡井省二というと、俳句と密教を一如のものにしようとした志向を批判する人もいますし(例えば拙句で一緒に草を食べていた河馬稔典氏)、批判しないまでも腰が引けてしまう読み手が多いように見受けられます。それがまさに、岡井省二の名前が急速に忘却の彼方に追いやられようとしている原因でしょう。関さんの書評は、一歩も引かずに岡井省二の俳句に渡り合っています。個々の句の鑑賞もみごとなら、作家と句集を寸言をもって総括する手際もすばらしい。岡井省二を敬愛する者としてこのような書評を読めたのも嬉しいですし、これを皆様にご披露できるのも喜びです。なお、関さんはご自分のブログ「閑中俳句日記」http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/でも、各種句集を意欲的に鑑賞・紹介しておられます。どうぞそちらもご覧ください。

恩田侑布子さんの「異界のベルカント 攝津幸彦百句」は、毎回教えられることばかり。今回の句なども必ずしも一般に秀句として認知されている作品ではないでしょうが、まことに説得力のある読みが展開されています。教えられるといえば冨田拓也さんの「俳人ファイル」は中田有恒。つ、ついに名前に記憶のない俳人が登場してしまいました。しかし、引かれた句の中には見覚えのあるものもあり、何かの形では読んでいるらしい。

筑紫磐井さんは、昨秋に亡くなった俳文学者・雲英末雄(きら・すえお)先生の御遺著のこと。雲英先生のお通夜に出た際に簡単な報告はしておりますが(第9号「あとがき」)、当方も御本を頂戴してしんみりとしていたところです。附録として筑紫さんが今年受け取った年賀状の俳句の一覧が付いております。なかなか壮観。年賀状というのは、月並俳句という美俗の伝統保存地区であることがよくわかります。

A子氏B子氏の匿名対談は次回完結です。

高山は今週、原稿はお休みさせていただきます。



■中村安伸

ようやく今年初の記事を書くことが出来ました。リハビリのようなもので分量は少ないです。このペースでは47号を読み終えるまでに確実に48号が出てしまいます。それはそれでしかたありませんが、次号からすこしづつペースアップできたらと思っております。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

岡井省二全句集はっけーん(>▽<)!!

購入してみました!!!
(もはや嫌がらせの域に達している私です)

匿名 さんのコメント...

野村麻実様

それは凄い。で、どちらで発見されたのでしょう。お値段はいか程? お手元に届いたらご感想をお聞かせください。

匿名 さんのコメント...

岡井省二の句集、私は大阪に住んでいるためか古書店などで度々見かけます。

岡井省二の句はすこし難しいですが、言葉の関係性が普通でないところが面白いですね。

あぢさゐの色をあつめて虚空とす
暮の春佛頭のごと家に居り
白桃やこの白桃よおめでたう

どうでもいいことかもしれませんが、岡井さんのお住まいの最寄りの駅の名は「大日」だったと思います。

匿名 さんのコメント...

わっ!盛り上がりましたね(笑)。
五千円でした~。安すぎ。だって他の句集の合計よりもずっとずっと安いのですもの。

アマゾンと「日本の古書店」http://www.kosho.or.jp/public/book/detailsearch.doですと、意外と日本の古書の方が安かったりしますです!

今はまだ手元にありますけれど、こういうのは持つにふさわしい方が持つべきだと思われます。しかるべき方にお託ししますので、ご存分に遊んでくださいませ!お楽しみに。