2008年11月24日月曜日

柚木紀子句集評

-Ani weekly archives 001.30.11.08-
立哨(みはり)のやうに
柚木紀子句集『曜野』を読む

                       ・・・高山れおな

「《野》に聴く声」と題された本書の後書に、

日本文学史上、ほとんど例外的な、芭蕉の《野》の観念(玉城徹著『芭蕉の狂』角川選書)は、元禄初年の『曠野(あらの)』に、また最後に目ざした《枯野》に、暗示されている。……《野》は慧矢(えのや)の詩人が、目に見えざるものの《声》、聖なる《声》、を聴く場である。

とあるのにたじろいだ。玉城氏の本ならずいぶん以前だが僕もたしかに読んだのである。ひどく感心もして。しかし僕のあらかたの読書と同じことではあるが、そこから何を得たか知ったか、となるとはなはだ心もとない。柚木さんの場合は、イエスから芭蕉までを貫く《野》を見出された。「ほとんど例外的」なのは、芭蕉だけではなく柚木さんもまたしかりではないのか。そこにたじろぐ。見えざる血脈によって、両者はつながっているのではないかと直観する。こう書きながら僕は、柚木さんによって示された「《野》の観念」に興奮している。僕自身も《野》に覚えがあるからだ。

「日本」はただ、この空無と文芸がむかい合う時にのみ、「日本」なのである。……それは熊野の御幸に随行した人麿の前に広がっていた森の暗さであり、また業平の伏したあばらなる板敷の夜明けでもあった。  福田和也著『日本の家郷』

とある夜、泥酔した福田氏がどこかアパートの階段の鉄の手すりをさすりながら、東京の町の底にひろがる空無(それは武蔵野であり、古利根川の沖積平野ということになろう)を感得する、なかなか感動的なエピソードが、氏のいずれかの本にあったはずなのだが見つからない。どこかの雑誌で見かけて読み捨てにしたものかも知れぬが、ともあれ右の一節を引いておく。言っていることは本質的には違わない、はずだ。

日本の歴史、文学、美術が示しているのは、僕たちの精神の変わらぬ貧しさであって、日本人は一部の人たちが信じたがっているように最近になって「劣化」したわけではなくてずっと心貧しき民だった。俳句なども我々の精神の貧しさによく釣り合った形式だからこそ、これだけ繁盛しているので、そこを勘違いしない方がよい。念のため言い添えるなら、貧しさを解決すべき対象とみなす「第二芸術論」ふうの構えにもとより僕は興味がない。むしろ、貧しさそのものをどう深めるかが問題なのだ。

貧しさ、心の貧しさ。それは、キリスト者である柚木さんにとってごく親しいモティーフであるに違いない。僕の覚束ない理解では、キリスト教における貧しさとは、絶対者たる神を前にしてのへりくだり(謙遜)を前提にするもので、ここで言う日本人の心の貧しさなどとはいちおう別の次元に属するもののはずである。はずではあるが、あるいは一個の詩心が両者を横切り、貫くことはあり得るのではないか。いや、自分は現にその光景を目にしつつあるのではないか、というのが、『曜野(えうや)』を読みながらの思いだった。貧しさのエピファニー(顕現)としての《野》を行くこと。その貧しさのかがやき。

冬銀漢灌ぎ出さるる途中かな  ⇒「灌」に「そそ」とルビ

『曜野』における貧しさとは、例えばストイックかつ豪華なこの巻頭句にあらわれているようなものだ。「灌ぎ出さるる」は、冬の夜空に白熱す星々を彷彿させて端的であるが、このフレーズは同時に、描写の痕をとどめながら描写を乗り越えようとする言葉の運動そのものなのでもあって、「途中かな」は作者のそのことへの自覚があったがゆえの結語ではないかと推察する。さらにその自覚は、《野》に在って夜空を仰ぐ者をこそ「灌ぎ出さるる途中」として見いだす、視線の折り返しを必ずや伴っているに違いない。ここで『曜野』の後書を、もういちどだけ引いておく。

句集『曜野』を盈(み)たす一句一句は、「虚にゐて実をおこなふ」もの、《死から生を見るもの》でありたかった。

この言葉を念頭に置く時、「灌ぎ出さるる途中」としての生がそのまま死を内在させているものとして、冬銀漢の句を受け取っていけない理由はなさそうだ。それにしても、この後書を読むほどに、現在、これほど透徹した意識で俳句を書いている人がいたのだ、という感動がわきあがるのをおさえられない。《死から生を見るもの》という思念の深さによって、「虚にゐて実をおこなふ」というどうかするとご都合主義的に引かれがちな言葉に、みごとな照明が当てられているではないか。

くれなゐを零さじと鶴来りけり  ⇒「零」に「こぼ」とルビ

これは巻頭第二句。「鶴来りけり」であるから留鳥の丹頂鶴はさておくとしても、候鳥の真鶴は額と頬が赤く、脚は暗赤色、鍋鶴は額と頭頂が赤い。この句の「くれなゐ」が、そうした実際の鶴たちの体の色に発想の根拠を持っているのはまちがいあるまいが、しかしこの場合もどうやら一句の言葉は視覚描写を超えたところまで届いてしまっているようだ。その到達地点を、柳生正名氏(「俳句」八月号)のように、「真の『写生』」と名指してもよいだろう。俳句を論ずるのに象徴といった語を安易に用いたくはないが、この「くれなゐ」こそはどうしても、象徴と呼ばざるを得ない気がする。そしてそれは、本作から三句後に出る、

冬虹や歓歎を帯とし緊むる  ⇒「歓歎」に「くわんたん」、「緊」に「し」とルビ

に見える「歓歎」の色なのではないだろうか。

乱暴に総括してしまえば、平成年間の俳句は「如何に」の俳句だった。「何を」書くかという問題をつきつめた俳人は、この間まことに寥々たるものだった、と思う。柚木さんは、その数少ない「何を」の俳人のひとりであろうが、一方で氏は「如何に」書くかに最も執着する人でもある。その文字遣いへのこだわりなど、時にうるさく感じられるほどだが、氏の俳句はそれだけ真摯な根を持っているのだ。

「曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 汀女」
されど創世記のエバに母無く……。
MOTHERLESS EVE瞠く曼珠沙華の中
     ⇒「MOTHERLESS EVE」に「マザレスイヴ」、「瞠」に「みひら」とルビ   

本作については「俳句」八月号に、坂本宮尾氏の行き届いた鑑賞があり、大正末期に東北帝大で教鞭を執った英国詩人ラルフ・ホジソンの詩「イヴ」を踏まえたものであることを教えられた。この句ではまず坂本氏が指摘するように、「英語がそのまま詠み込まれて、違和感がない」ことに驚かされる。作者が、語感とリズム感にすぐれ、細心の注意で言葉を組み立てていることが改めてよくわかる。また、この前書(詞書)は、いわば修辞化された前書とでも言うべきものであり、芭蕉のそれと同類であって、単に情報を捕捉する一般の前書とは最初から性格を異にする。集中には一般的な意味での前書を伴う句も多いが、またこの修辞化された前書の例もいくつか見られ、すぐれた効果をあげている。もちろんこうした技法上の工夫も、「MOTHERLESS EVE」そのものへの観照の強さを欠いては、一句に結晶することはあり得なかった。

主題の解釈力と技術の多彩さという両面における作者の力量があますところなく示されたのが、「ヒロシマ 十九句」の群作であろう。

  原爆ドーム近く叔母原筆子  二十代にて被爆 即白骨 傍らの赤き湯呑無瑕なりし
女人の行方鵤の行方とも異ひ 
 ⇒「鵤」に「いかる」、「異」に「たが」とルビ
八月六日鏡の中に戻らざりき
白蛾ねむし神慮にウラン触るる晨
  ⇒「晨」に「あさ」とルビ
炎帝よをのこご蘇せをみなご孵せ  ⇒「蘇」に「かへ」、「孵」に「かへ」とルビ
水くれよなうなう灰の凌霽花  ⇒「凌霽花」に「のうぜんくわ」とルビ
未完に似ませ原爆ドーム風花

炎帝の句を除けば、一連はむしろ意外なほど客観的で、抑制された表現となっている。中世歌謡の定型句を借りた「水くれよ」の句などは、ほとんど審美的な意識の方が先行するかと思えるほどだ。それがどれほど屈折した、複雑な想念を伴っているかは、一句目「女人の行方」を見るだけでも明らかだろう。ひとつにはキリスト者である柚木の思索が、地上の生命だけを云々する地点にはないからだろうし、ひとつにはすぐれた創作者としての意識が反核平和といった既成の立場を表現の根拠にすることを拒むからだろう(もちろん市民としての彼女は反核平和であるに違いない)。「をのこご蘇せをみなご孵せ」のフレーズにしても、峠三吉の「にんげんをかえせ」を踏まえているわけだが、峠(彼もまたキリスト者なのだが)のそれが地上の論理からする悲嘆に大きく傾き、祈りという以上に呪詛の暗さを纏うのに対し、「蘇」「孵」と細かく用字を使い分けながら、柚木はむしろ天上の永遠の生命の方へ抜け出ようともがいている。さらに、「未完に似ませ」の驚くべき逆転の発想。これは破壊の痕ではなく生成する未完の何かなのだ――やってきた一瞬の思いのはかなさは、さながら風花のはかなさであり、七七四の破調がその思いを辛うじて宙吊りにするだろう。

森澄雄はかつて、永田耕衣の俳句を「主人持ち」のそれだと批判したことがある。この場合の主人はもちろん禅であるが、キリスト教を背景にした柚木紀子の俳句に同様の批判を浴びせることはたやすい。もっとも森澄雄とて、より純粋に文学に即いたとは言えても、ほんとうに主人持ちでなかったか、いささかあやしい。彼の場合の主人はもちろん芭蕉になるが。しかしそれ以前の問題として、禅が耕衣の創作を駆動したにせよ、その作品世界は確固とした自立性を持っていたのであり、禅が耕衣作品の価値を保証していたわけではない。澄雄の批判はやはり的を外している。

同じことは柚木の場合にもあてはまりそうであるが、禅が俳句の発生史と結びついており(小西甚一著『俳句の世界』)、耕衣のような前面化は例外的であるにせよとうぜん俳句との相性が良いのに対して、キリスト教と俳句は常識的には水と油であろう。実際、近代俳句百年の歴史に、キリスト教を作品に真に内面化した一級の俳句作者がいたかどうか、僕は寡聞にして知らない。例えば阿波野青畝は中年になって洗礼を受けているが、それによって彼の俳句はいささかも変化していない。また、阿部青鞋の独特な俳句がどの程度キリスト教的と言えるのかどうか、これについては今後の検討課題としておきたい。いずれにせよ、柚木紀子という稀有のキリスト者俳人に対しては、特別な関心を抱かざるを得ないのである。

最後にどうしても引いておきたかった一句を挙げる。

青くるみ立哨が朝を待つやうに  ⇒「立哨」に「みはり」とルビ

この青々とした、瑞々しい、心開かれた孤独。彼(彼女)が立ち尽くしているのが、イロニーから最も遠い場所であることはたしかなように思われる。

*柚木紀子句集『曜野』は、二〇〇七年四月、角川学芸出版刊。拙稿の初出は、「天為」二〇〇七年十月号である。転載にあたって、若干の字句の手直しをした。転載をお許しくださった「天為」の対馬康子編集長に感謝します。

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