―攝津幸彦百句 [1] ―
・・・恩田侑布子
はじめにようこそ摂津ワールドへ。ご案内するのはわたしでもあり、あなたの中に眠っている記憶でもあります。このなつかしく危険な、覚醒と酩酊とがともに訪れる階段の迷宮を、わたしのおぼつかないカンテラをたよりに、ご一緒していただけますか。
攝津俳句は、言葉によって建てられた日本のサグラダ・ファミリアです。それは、一風変わった五重の塔です。薬師寺の東塔のようにつねに端正な姿勢を保つ「凍れる音楽」ではありません。あるときは虚空へ遊戈し、あるときは海底にゆらめき、いつかあなたの胸に棲みついてしまう不思議な塔。電車に揺られていたり、お風呂にぼんやり浸かっていたり、そうしたなにげないひと時に、ふっと微笑んでスウィングする塔。どこで笑いに身をよじらせようと、いつ溜め息をつこうと、すべてはあなたの思いのまま。
この塔を上るのは下りることで、下りることは上昇することです。一層目が五層目であり、三層目が基壇になる。あなたの歩みにつれて、ゆらぎ入れ替わるやわらかな五層の裳階(もこし)。
百句の扉をひらくたびに、心に仕舞いこまれていたなつかしい光景が息を吹き返すことでしょう。百句の中のいくつかは、ふいに脇腹をくすぐってきたり、背中をほっこりと包んでくれることでしょう。
一九九六年一〇月一三日、攝津幸彦は四十九歳で他界しました。二〇代の句集『輿野情話』にある〈仲秋の何処の秋に落球せん〉の句が、まるで予言のようになりました。しかし一三回忌を修した今、知る人ぞ知る存在であった生前にくらべ、はるかに大勢のファンが若い層にもひろがっています。攝津幸彦の圧倒的に自由な精神は、それまで誰も作ったことがない「おどろきの桃の木」の豊饒の俳句に結実をとげたのです。その俳句は、これから益々大勢の人々に、ぬくもりと忍び笑いをもたらし、やさしく芳醇に生きつづけるに違いありません。
自由な精神とは、本来、好きなことをするというよりも、既成の権威に服従しないことです。それは、きまったレールの上をなめらかに走るよりも、何が出てくるかわからない茨の道を心の底から楽しむことです。
攝津の俳句には、ダダイズムやシュールレアリスムの自動筆記、キュービズムなど、西洋の20世紀の芸術手法が自在に試みられています。しかしその早熟の才は、すでに第一句集の『姉にアネモネ』で、「脱亜入欧」ではなく、「着亜引欧」ともいってみたくなるような、西欧を引きよせアジアに着地する独自の手法に至っています。
ここでは、攝津幸彦の全句集2320句のなかから、百句を選んで鑑賞します。攝津の句集は、じつは駄作の山なのです。したがって句集を開いた人が、五分もしないうちに、「ワケ、ワカンナイ」と、なげうつおそれがあります。攝津は、八、九〇点の俳句を並べる優等生ではありませんでした。裏返せば、糞尿まで内包したカオスと混沌の宝庫です。ですから、うっかり青い実や饐えた実を口にしてしまい、食傷することがないよう、山襞深く実っている「おどろきの桃の木」の美味な果汁をご一緒に味わいましょう。
攝津の弁護をすれば、いくら駄作が多くても、鑑賞に足る馥郁たる百句をもつ俳人は稀です。芭蕉も、秀逸の句が三つか五つあれば立派な俳句昨者、十句あれば名人、といっているくらいですから。
ではまず、一段ずつ階段を踏みしめる前に、五重の塔の各層の名称をあらかじめご覧いただくことにしましょう。
一層 大いなる翼
二層 露地裏
三層 夢の肉
四層 すべては北に
五層 近江の春
えッ、余計もわからなくなりましたか。いいんです。いいんです。五層といっても、エッシャーのだまし絵以上に、融通無碍に変容する建物ですから。くらくらっと眩暈がして、二三段階段を踏み外してしまう人こそ、この塔の賓客なんです。
ほら、ゆらめく五重の塔のらせん階段で、恰幅のいいスーツ姿。ベルカントを聞かせようと攝津が待っていてくれるではありませんか。
大いなる翼 一層目
ことにはるかに傘差しひらくアジアかな 1
たった一本の傘が、ユーラシア大陸からインドネシアの多島海までをゆるやかに覆ってしまう魔術が、ここにあります。
もちろん傘を差しひらくのは一人の人間ですから、この句の基本の解は、アジアのどこかで、いつの時代ともしれず、誰かさんが傘をひらく。それだけの光景です。しかし、一人のひらく傘は、「ことにはるかに」という、ゆったりとした七音の字余りをイントロとして、悠久の時間と地平線のかなたに開放されてゆきます。そこにどういうイマジネーションがひろがるでしょう。
しめやかな雨の帳は、滔々たる黄河を超え、揚子江流域、西域やインド大陸、メコン河流域のデルタ地帯までをもしずしずと潤してゆくのです。赤い傘や白い傘が、つぎつぎに、しかしゆるやかな時差を持って、間歇的に時をさかのぼって差しかけられてゆくのです。
アジアとは、黄河文明のみならず、インダス文明、メソポタミア文明という三大文明の発祥地を包含します。はるかな時間と地勢に、いわば「行きて帰るこころの味はい」は、ひとつひとつの傘が花咲く花弁のようなイメージをもって連鎖的に広がっていくのです。やや前かがみになってつぼんだ傘をひらく、やさしいしめやかな女人のしぐさの幻像とともに。そのはてしない無限感こそが、この句の命でしょう。大いなる諧調のもつ、ゆるやかな慈しみの声音に、うらさびしい雨の中をでかける人は、老いも若きもひとしなみになぐさめられることでしょう。そして恥ずかしいですが、わたしも、雨の日は何度この句になぐさめられたかわかりません。
このような幻視を広げる力は、ひとえに一句の音韻から涌きあがっているといってもいいでしょう。冒頭4音目に登場し、一句のうち実に10音を占めるア母音のおおらかさは、地面をなめるように写してゆくカメラさながら、アジアのゆるやかな大地の起伏を目の当たりにさせます。そこに、カ行のコ、カ、カ、ク、コの澄んだ響きと、中七以下サ行の、サ、サ、シ、ジ、の繊細な音が絡みつき、つつましやかな人間の所作、すなわちここでは傘を差す行為を次々に浮かび上がらせるのです。やさしくしかも暢びやかなリズムは、すぐれて音楽性に富んだ日本語を操る作者の独壇場です。
まったく、「ことにはるかに」などという、副詞+形容動詞のとんでもない言葉で俳句をはじめた人がいたでしょうか。ひらがな表記の七音の字余りは、作者のゆるやかな呼吸さながら、すべてをおしつつむ雨のように、ユーラシアの悠久の大地のような効果を発揮しています。こうして攝津の非凡な言語感覚は、二六歳の処女句集『姉にアネモネ』に、大いなる産声をあげたのです。
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10 件のコメント:
恩田侑布子さま、はじめまして。
素人読者の野村と申します。
私は恩田さまの句のファンです!
> 攝津の句集は、じつは駄作の山なのです。したがって句集を開いた人が、五分もしないうちに、「ワケ、ワカンナイ」と、なげうつおそれがあります。
安心しました。
だって訳わからないのですもの。
これからの連載楽しみにしております。
恩田さまの句の凄みからは、到底想像できない優しい文章でとても読みやすくて素敵です。
野村麻実さま
ブログがなんたるかもしらずに、高山れおなさまのお薦めのままに攝津幸彦百句をはじめたネット音痴のおだっくい(静岡弁で調子にのりやすいあほ)が、初回からこんなうれしいコメントをいただけるとは思ってもみませんでした。
俳人なので、俳句をほめていただくほどうれしいことはありません。
攝津俳句がわからない人のほうがまともと思います。だってこの間の13回忌で、攝津さんのご子息も「わからないので読んだことないです」っておっしゃていましたから。
お優しい麻実さまは、産婦人科医でいらっしゃる!!現代の日本でダイヤモンドよりも
希少な輝きに包まれている方に、励ましていただき、元気百倍です。実は、毎週連載できるか、わたし、無精者なので全然自信ないのです。これから難産の折は、麻実先生の今回の激励をお守りにします。本当にありがとうございます。
過分なるお言葉ありがとうございます。
(優しくないです。
産婦人科医はやさぐれております。
世間の荒波が怒涛のように産婦人科医に
業務を押付けるものですから。かなり限界なのです)
関さんのところで
http://kanchu-haiku.typepad.jp/blog/2008/11/post-dc95.html
を拝見しまして句集を購入させていただきました(^^)。
今月号の豈も拝見しました!
頑張ってくださいませ!
野村麻実さま
関悦史さんのブログ拝見しましたら、
拙句集「空塵秘抄」の俳句を以下のように
鑑賞してくださっているのですね。
> ひよめきや雪生(き)のままのけものみち
「新生児を診察する(しているんですけれど)身としては、
とてもよくわかる句です。
とっても「ひよめき」はやわらかくてあったかくて気持ちいい。
それから、まだまだいつ亡くなるか、元気そうにみえてもわからない場所にいる神聖さ。
「ひよめき」を竹串で一突きしただけでも脳障害と感染で殺せるくらい無防備さ。
凄くステキな句だと思います!」
さすがは産科のお医者様、おそろしいほど実感のこもったお言葉で作者冥利に尽きます。
あの「ひよめき」はいったいどこにいってしまったんだ!?って、自分のおでこの上を触って悲しくなります。あまりにもカチンコで。
麻実さまは、俳句ではたいへん希少な純粋読者でいらっしゃるのですか。
〈花野かと〉の句も、素晴らしい解釈をほどこしていただき、その繊細な感性に驚いております。実体験を交えて鑑賞していただくと
俳句の奥行きがふくらみます。ありがとうございます。
恩田侑布子様。いよいよはじまった攝津ワールド百句渉猟。
一層目の二十の階段の一段目ですね。
「このような幻視を広げる力は、ひとえに一句の音韻から涌きあがっているといってもいいでしょう。冒頭4音目に登場し、一句のうち実に10音を占めるア母音のおおらかさは、地面をなめるように写してゆくカメラさながら、アジアのゆるやかな大地の起伏を目の当たりにさせます。そこに、カ行のコ、カ、カ、ク、コの澄んだ響きと、中七以下サ行の、サ、サ、シ、ジ、の繊細な音が絡みつき、つつましやかな人間の所作、すなわちここでは傘を差す行為を次々に浮かび上がらせるのです。やさしくしかも暢びやかなリズムは、すぐれて音楽性に富んだ日本語を操る作者の独壇場です。」(貴)
この句の音韻の魅力を、このようにレトリックや像的な比喩を駆使してドラマチックに書けるのは侑布子さん持ち前のいま字ズムならではの成果。この管ありはとてもおもしろかたです、さきをたのしみにしています。
豈の姉御前、吟さま。
攝津さんの故郷、上方からのエールありがとうございます。
吟さま命名の「猥セッツゆきひ高貴」な攝津像が立ち現れてくれるといのですが。狭量なわたしが、攝津像を矮小化してしまわないように気を付けます。どうぞ見守ってください。
昨日は、拙句集「空塵秘抄」にたいして、ライオンの絵柄のお手紙も拝受。ありがとうございます。
「侑布子さん持ち前のいま字ズムならではの成果。この管ありはとてもおもしろかたです」
いま字ズム → イマジズム
管ありはとてもおもしろかた →
くだりは・・・・・・・かった
これが気になって、ジャングル大帝「れおな」にここだけ変えてくれませんか、というメールをしたら、「あまり気にしなくてもいい、〈いま痔ズム〉なら問題でしょうが、」という残酷にして親切な返事がかえってきまして。「豈」のオトコ達は、とても「いいおとこ」なのですが、どこかアンビバレントな感覚の持ち主ですね。(猥褻ッ幸ひ高貴さんもしかり)・
トミタク家でも気になるところがあって、こまっていたら、やっとゴミ箱があるのに気がつき、ああこうやればいいのだ、と学んだしだい。
クリックする前に校正を徹底させる癖をつけませう。ともかく、お詫びとごあいさつまでに。
>ジャングル大帝「れおな」にここだけ変えてくれませんか、というメールをしたら、「あまり気にしなくてもいい、〈いま痔ズム〉なら問題でしょうが、」という残酷にして親切な返事がかえってきまして。「豈」のオトコ達は、とても「いいおとこ」なのですが、どこかアンビバレントな感覚の持ち主ですね。
申し訳ありません(>▽<)!!!
吹き出してしまいました(笑)。
野村麻実(産婦人科医) さん
はじめまして。
「産む性」をたすける素晴らしい読者の「誕生」、とうれしくたのしく拝見しています。
恩田侑布子さんの美意識を汚してはいけない、と私も老骨をむち打ってこのサロンにはせ参じてはいるのですが・・・。といった次第なのに、そそっかしさという不徳と老眼の科、お目汚しまことに失礼いたしました。
書く人も必要ですが、読む人も必要なのがこういう場所。すぐれた理解力、観賞能力を開発してゆきませう。侑布子にエール!麻美さんにも!(吟)
麻実さま
まず麻実さま、先日は肝心なこと申しわすれました。拙句集「空塵秘抄」をわざわざお買い上げいただいたと知り、ものすごくうれしかったです。朝実さまのような繊細な感性の読者に、ぜひコメントだけじゃなくて、ほんとのご書評をこのブログでいただければ、なんてつい夢見てしまいます。
でも、毎日のように赤ちゃんの誕生に立ち会えるご職業って素晴らしいですよね。いまは、赤ちゃんの匂いが懐かしいです。
吟さま。豈でも指折りのお目利きの姉御前にお読みいただき、励みになります。書いたことの反応がすぐにびんびんいただけるのはブログならではの良さですね。わたしも、アナログ派で、メールとワードがやっとなので、まさかブログに参加するようになるとは攝津さんの13回忌までは夢にも思っていませんでした。
へんなとこ、おかしなとこは、ばしばしご指摘くださいね。
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