制御の内外
・・・藤田哲史
1 空へゆく階段
空へゆく階段のなし稲の花
この句の基調となるのは、「稲の花」のつつましい充足感。季語の象徴性を酷使するのでもなく、かといってその象徴性に従属するだけ、でもない。そしてまた、ほどよい距離感で置かれている「空へゆく階段のなし」。「なし」と言いながら、誰の目にも確かに想像上の階段がはっきりと見えてくる。そうやって、想像の世界で読み手は「空へゆく」ことができる。切れのはたらきが十全に生かされて。
断っておくが、この句は『田中裕明集』には収められていない。彼の最後の句集『夜の客人』にある句だ。実は、私自身にとってこの句、平明がゆえに速効性がなかった。はじめて見たときから気になっていたのに、まずいい句だと気づくのに時間がかかり、それからまた長い時間が経って、なぜそう思うのかがようやくわかった。田中裕明は、一見の平明さとは裏腹に難解だった。私がいいと思う理由を私自身が理解できないくらいに。
裕明の奥深さの底を私はまだ知らない。ただ、私はその「なぜいいと思うのか」を知りたがり、知るために、裕明の作品を読みはじめた。裕明その人の全ての作品を手がかりとして。彼は彼の作品のなかに存在している。それはきっと、確かなことだ。
2 『花間一壺』
田中裕明の作家としての歩みは、第二句集『花間一壺』からはじまる。『花間一壺』は田中裕明二十代前半の時期の作品を集めた句集だ。(第一句集として『山信』があるが、この句集はかなり『花間一壺』と比べて無名性が高い。作者が裕明でなくとも読ませる句が揃っているが、作家性という意味でやや希薄だろう。それもきっと重要なことだろうけれど。)この『花間一壺』を読むと、句集としての多様さに困惑する。『夜の客人』の完成度と比べると荒削りのような印象さえ受ける。ここでは、混沌とした未抽出の裕明の詩情がそのままに横溢している。
春昼の壺盗人の酔うてゐる
『花間一壺』より。同時にこの句は角川俳句賞受賞作「童子の夢」五〇句のうちの一つでもある(雑誌掲載時には「酔ふてゐる」)。この句は、誰もが追随できるものではない。弱冠二十二歳での角川俳句賞受賞作は、切れ字の少ない朦朧とした文体と、古典的な虚の世界と地つづきの内容が相克して、不可思議な詩情を湛えている。結局、このときの裕明の作品は、どちらかと言えば本格派というより「キワモノ」にちかい。選考委員の飯田龍太、桂信子から推されているものの、作品の面白さが先行しているようで何か少し物足りない感じがある。
しかし、「童子の夢」の幻想性は『花間一壺』の数ある面のほんの一つでしかない。
好きな絵の売れずにあれば草紅葉
しげく逢はば飽かむ余寒の軒しづく
同句集より。『山信』の清新さが濃縮されて甘美なまでになった作品。内容が少しひねってあるものの、抒情はストレートに出ている。「好きな絵の売れずにあれば」は嬉しいようなさみしいような微妙な気分を伝えているし、「しげく逢はば飽かむ」は親しい人への恋慕。恋慕を冷静に見つめなおしている雨の日の物思いだ。これらは確かに若書きの句であろう。
そして抒情と同時に詩としての良さが出力されているものが、これ。
渚にて金澤のこと菊のこと
「金澤」と「菊」の並置がおもしろい。二つの話題に顕わな因果関係はなく、とりとめもなく喋っているであろう軽やかな青年性と、奥ゆかしいモチーフのめりはり。ここには裕明作品全体に見られる似た措辞の反復(「日脚伸ぶ重い元素軽い元素」など)が早くも見られる。リズムを整えるはたらきもあれば、口語的発想をそのまま置き換えたようにも読める特性が表現として強い。
こうしてみると、『花間一壺』(と次の句集の『櫻姫譚』)では、助詞の淡いつながりで構成している意味の曖昧な朦朧体の作品や、甘美な抒情のみに流れた作品を注意深く抜いてゆけば、後年の作品に通じてゆく詩的飛躍の確かな作品が少数ながら存在していることがわかる。それでもその曖昧さこそが、『花間一壺』裕明の大きな魅力でもあるのだが。(しかし、それだけではいわゆる未完成の美としての代物にすぎない。自分はただその未完成の中に理想形の虚像を見て、喜んでいるだけのことになってしまう!)
ところで、ここで語った切れ字少なめの文体は大正世代の俳人の幾人か(飯田龍太、能村登四郎、波多野爽波などを思い浮かべる)によく見られる傾向であって、裕明がいわゆる昭和三十年代の作家の一人として論じられるときには、少し特異な印象をのこす。第三句集までの文体の傾向は実は「モダン」であって、第二句集の「擬古典派」としての側面はあくまで内容の上での話。だから、昭和三十年世代としての彼の真の展開は第四句集『先生から手紙』以後の切れの働きを生かした作品にある。この世代の革新性は、窮屈なまでに洗練化された俳句形式の、主に「や」「けり」「かな」といった切れ字を用いたテンプレート(いわゆる「型」)を、作家おのおのの感覚を芯にしながら、引用し再構築していった点にあると考える。これをポストモダンと呼んでも全く差し支えない。
裕明に関して言えば、年限で区切って考えると『櫻姫譚』がおよそ二十代後半の作品である。彼の作品が早熟すぎるために、句集の数でカウントしていると同世代とのつながりが見えにくい。あるいはまた、彼が使う日本語の性質が切れ字少なめの文体と相性がよかったこと、そこに直感からくる詩的飛躍、さらに自己韜晦癖が加わったことが、『花間一壺』の混沌につながっているのではないか、と私は睨んでいるのだが、さて、どうだろう。
3 『櫻姫譚』
第三句集『櫻姫譚』になると、安易な抒情が捨てられていく代わりに内容の自由闊達さが際立ってくる。言葉の相互作用の強弱を調整しつつも落ち着いたそぶりで、そして相変わらずの飛躍は健在で読み手を置き去りにする。彼はすたすたと先に歩いていってしまう。
また、それまでの作品は過剰な抒情と衒いなどで、季語を酷使しすぎていたものの、言葉一つ一つに誠実に向かい始めるようになったのがこの時期というべきか(それでも伝統的手法にどっぷり浸かっている俳人からは難解と言われるだろう)。
初雪の二十六万色を知る
まだ寒くなりきっていない時期での雪なので積もることはすくない。降る雪を自然と想像する。上空から降りてくる雪の色は案外に暗い。視線に対して日光を遮る位置にあるからだ。そして地面に近づくにつれ、どんどん雪の色は明るくなる。地面につく直前には日光をよく反射するから、白く見える。街灯の色、夕暮の色、空の色、そういうものも雪の影の色に反映されてくる。まさしく二十六万色である。同時になんとなく十万億土という言葉も類想する。降雪のうつくしさが際立っている理由ともなる。この時期、裕明自身、どんどん言葉自体の象徴性の中へ入り込んでいく。それは同時に、見たものをそのまま描いたとしても無駄に言葉を使わないスキルに通じていく。それは言葉を酷使するやり方から、適切な言葉を適切に配置するやり方への展開でもある。
掲出句が平易とは言わないが、難解さの中に含まれていた自己韜晦が徐々にほぐれていって詩的飛躍が際立つようになっていく。私にはもっともこの時期の作品が前衛派ごのみとも思えるし、実景から切り離してもなお作品の強度を保ちうるバランスを持った、彼の一つの到達点とも考える。
4 『先生から手紙』
次の句集『先生から手紙』は爽波死後、裕明三十代の作品を集めてある。もはや爽波から離れ、くつろいで俳句を作っている時期でもあろう。ときには無理に飛躍をさせないこともある。力んで俳句を作ってはいない、だからこそ、読み手は安心して楽しめる。そしてその雰囲気は次の『夜の客人』まで続いてゆく。
原子炉に制御棒あり日短
太陽もまた原子炉の一つ、と理屈はつきやすい。いや、それでいい。日を惜しむ気分が、制御棒にうまく託されているから。他にも気になる句を挙げてみよう。
空港で鞄にすわるチューリップ
夜は鵜に昼の眠りは海亀に
一室を虹の間と呼び冬籠
一句目。空港でトランクケースに座り、搭乗までの時間を待つ。チューリップの明瞭な色とかたちが空港の開放感と響きあう。二句目。自身の気分のありようのみを他の動物の印象で描ききった。気分の移ろいと時間の移ろいを扱っているのに、俳句らしさをぎりぎりのこしている。三句目。虹の間という言葉で虹を思い浮かべる。冬籠の鬱々とした気分に花を加えて。
季語を酷使する意思がないからこそ彼は季語をぞんざいに扱える。ぞんざい、という言葉が不適切なら、ほどよい力加減で、という言葉でもいい。力まないこともまた難しい。裕明独特の思い切りの良い言葉の選択が、定型とうまく融合している。また、実景を起点にした構成をして俳句らしさを取り戻そうともしている。
挙げるときりがないけれど、ここまで来て裕明は俳句のなかで妙にポージングしている必要がなくなって、純粋に詩的飛躍を切れ字のすきまに定着させることができるようになったように感じる。有り余る技術を行使するのではなく、文体の上で最小限のオリジナリティを用いながら、最大限の詩情を醸し出すという、理想的な俳句の作り方に近づいている。
『夜の客人』の時期は、雑誌を持つようになったこと、白血病を患ったこと、様々な要因が重なって、ますます言葉が厳格に収斂していった。みながいい句集だと思うことは間違いないからここではそういう言葉だけにしておいて略す。
大事なことは変化の過程にある。いま考えているのは、その『夜の客人』までの田中裕明のながい道のりのことだ。それは、同時に俳句形式と自分の関係について改めて考えていることでもある。
田中裕明は、定型の強みを残しつつ、どこか理解を拒む部分をのこす作り方を最後まで通し続けた。わかりやすいだけを拒む意思、それは自己韜晦などという単なる作者自身の逃げの姿勢ではない。理解不可能なそれが裕明の統御の外にあるとき、そこにかならず詩は存在している。難解さこそが芸術というのもクラシックな思想ではあるが、あながちまちがいでもない。
一方で現代の季語が切実な現実世界のコンテクストでなくなっているという問題は、身体性とリンクしない季語の数々が、書き手の感情を対応させるだけの象徴としてのみ扱われてゆく問題につながる。個人の感情だけがその人の切実な現実となってしまったとき、個人の感情以外に伝えるべきものがなくなってしまうとして、そこに詩が存在しうるのか、と私はいくぶん不安になる。共通理解されたがる感情だけが俳句の主題となってよいのだろうか…?
感情を超えた現実についての切実で本質的な理解が、言葉(季語)の象徴性への再定義になっているとしたら、そこに詩人の本領があるのではないか、と、私はひそかに考えている。裕明の詩人たる理由も、おそらくそこにある。
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