・・・高山れおな
「―俳句空間―豈」発行人筑紫磐井氏より
優渥なるご祝辞を賜った。
評論詩による寿詞(ほぎごと)であったから
答礼も当然、評論詩である。
筑紫氏の祝辞には、
幾つかの事実関係の誤りがある。
まずこれを正しておきたい。
筑紫詩に、
「―俳句空間―豈weekly」の創刊は、
ある日、同人誌「―俳句空間―豈」の若手メンバーである
高山れおな、中村安伸、生野毅
(生野は最初だけ名前が出てその後すっかり消えてしまったがどうしたのだろう)
3人が酒場から電話をしてきたのに始まる。
ブログ「週刊俳句」と違う新ブログ
「―俳句空間―豈weekly」を創刊するという宣言であった。
いいじゃないか、と答えると3ヶ月ほどしてブログが立ち上がった。
との一節が見えるが、
「3ヶ月ほどして」と
あるのは間違いである。
高山・中村・生野が
新宿神楽坂に怪しげな集まりを持ったのは、
二〇〇八年七月二十九日である。
「―俳句空間―豈weekly」第〇号は、
八月十五日に発行されているから、
「二週間ほどして」とするのが正しかろう。
鳴呼、拙速驚くべし。
次の一節も問題である。
実際、俳句を排除する俳句評論ブログというものは寡聞にして聞いたことがない。
コーヒーのないクリープのようなもので、
余り多くの読者は期待できないだろうと管理人に言っておいた。
だから、現在常時、毎週1000人の読者があると言うことは、
予想外の健闘と言わねばならない。
「―俳句空間―豈」ですら、そんな読者はいないと思われるから。
高山はアクセス数をきちんと確認していないが、
「毎週1000人」というのは明らかに
誇大宣伝である。
豈本誌の寄贈先よりは多い
という程度であろう。
なんにせよ以て瞑すべしである。
最後の誤りは、
[念のために言っておくと、
先行するブログ「週刊俳句」は記事依頼をしているようであるが、
後発の「―俳句空間―豈weekly」は一度として依頼したことはないはずだ。
書きたい人が勝手に押し寄せてきているだけだ、と思っている。]
との一節。
攝津幸彦十三回忌のおり、
高山が堀本吟氏や恩田侑布子氏に
執筆を依頼した場には
筑紫氏も居合わせたはずなのに、
お忘れのようである。
これに限らず、特にブログの発足当初
には諸方に声を掛けている。
「週刊俳句」の場合、とりわけ作品については
依頼による寄稿のようであるが、
そのように継続的な依頼をしていないだけで、
「一度として依頼したことはない」などという
事実はない。
とはいえ、ある時期以降、執筆メンバーは
おおむね固定し、
ひたすら書くことに
専念しているのはその通りであるが。
次は誤りというのではなく、
妄想を掻きたてられる一節
と言おうか。
櫂未知子氏の発言に触れつつ、
また、「雑誌とブログの二本立てで行く意義」は二本立てではなく、
雑誌とブログの食うか食われるかの戦いであると理解してほしい。
ただ、どちらが勝とうと、大半の同人は生き残った方に移籍すればいいので
余り切実さがないと言うだけである。
と述べたあたり。
これから矢のように二十年が過ぎると
本誌発行人の筑紫氏や
同じく編集人の大井恒行氏は傘寿に達し、
ブログ管理人の高山や中村安伸は耳順となる。
紙とブログで「食うか食われるかの戦い」
をしているとは思わないものの、
「―俳句空間―豈」もその頃には
紙かインターネットかという
最終的な選択を迫られる予感はする。
(解散という選択肢もあり得る)。
「豈weekly」が今後二十年間、
現在の形で存続することはあり得ないが、
とまれ二十年後に備えて実験を
している気はせぬこともない。
さすが師匠はよくわかっておられる
と思ったのは、次のような予想の部分。
ふつう祝辞は将来の期待を述べるものだが、「―俳句空間―豈weekly」については、
何もない。
終るときはたぶん唐突に終るであろう。
唐突に始まったものは
唐突に終わるに違いない。
それから、
多くの俳句のアーカイブが何の意味もあろうとも思われないが、
富田拓也の連載が、1000編になったときのこと(20年かかる計算だ)を考えると、
さながらガウディの聖母子教会を想像し、心おののくものがある。
との言葉にはいたく同感だ。
ただし、冨田氏の連載を是非
百編までは見届けたく思っているが、
千編まで回を重ねるためには
ブログの運営形態を変えねばなるまい。
なにしろこのブログをやっていると
作品を書く時間が全く取れない。
もとより菲才鈍根にして至って
寡作の者ではあるが、
さすがに技癢も覚える今日此の頃である。
3 件のコメント:
コメント1
高山れおなさま。中村安伸様
紆余曲折が察しられながら、無事49号かも媒体のペースに追いつかれておめでとうございます。
以下、私も評論詩を散文詩風に。
●
磐井、れおなが、(初めて)心と言葉のクロスを公けにした評論詩、進化していったきりなのかとおもっていたが。ひさしぶりだねえ、磐井氏の評論詩。
まずはわが姓名がはっきり出ている方へ駆けつけた。
構想が出てから、昨日で1年目とか。はらはらしつつ、でも。これは「俳句空間—豈」のあたらしい空間の開拓で新機軸である、と言う直感ひとすじ。よし私も関わろう!とおもっている。書き始めてから半年。本誌は早くも紙の方「49」号に追いついたというのに、私のネットメディアへの関わりは、中断しがち、これって、紙媒体にずっと親しんできた者にとっては、文体作り方が存外難しいのに気がついた。これは、情報誌として活用の可能性きわめてだい、であるのに、やはり単純な情報誌ではないからだ。
東京で、私が、れおな氏から投稿を依頼されたらしいが、私もその気になっていたからおぼえていない。むろんその日も、直前にもこれこれこういうことをやるから、関西同人も積極的参加を、とよびかけられたりしたけれど、それは、当然の言挙げで、具体的な役割分担があるではなし、誤入力、ミスの多さを忠告されたぐらい。せめて関西の人たちに投稿や読者になることを勧めよう、とまあ、そんな感じ。(これもなかなか時間がかかった)
「俳句空間ー豈」投稿で精一杯という人が居るなかでは、やれることで協力する。でも。私の、書物の影のさみだれ式投稿ペースを見てくだされば困難はお判りかと思う。
でも、いい加減ではないつもり。
トーキョーとこっちとの間に、新幹線みたいなダイレクトな経路ー活路がどのようにしてひらくのか、とみなみな模索しているのである。(もうすぐ、「安井浩司の新作を読んだ会の報告が誰かからゆくはずだ)
その点、「俳句空間—豈—weekly」の看板のひとり、冨田拓也氏は東大阪在住だが、そのマイペースと持続性はみごとなもの、ふだんのお付き合いはないのだが、察するに大変な重労働ではないかと、と思う。
こんな風な、「俳句空間」のルートもある。
いまは、私のことだけをいっておこう。私が書くときには、むづかしい。書く作業がれおな氏ほど早くない。また、ホンになる感じとネットにあらわれる感じが。われながらまったくちがうことに衝撃を受けている。ミクシィ日記への書き込みとも、勝手がちがう。(どこが違うのだろう、とずっとこのかん考えてきたことだ)
だから、ここしばらくは、出てきた文章に反応するべく、コメント欄を活用することにしている。
●
「相馬遷子を読む会」がはじまったときに。読書会そのものを読むというスタンスをひとつ作ったのは、
「俳句空間—豈—weekly」、あるいは「俳句空間ー豈」という固有名詞をとっても、通用する俳句ワークショップ的な「空間」性。「文化空間」が作れそうだったからだ。
磐井氏がまとめてゆく、馬酔木系や「伝統俳句」感覚の強い人たちの俳句の公開の読み会に。会場発言風になげだしてゆくと、ここは磐井氏の機敏なところで、じつに巧みにそれを取り込んで、あらたな場をつくってくれた。私はこのシリーズを有効に勉強している、「俳句空間—豈—weekly」は、こういうことが出来る。(併し、つたえられる櫂未知子女史の言は些か暴言、いうならば「俳句空間—豈—weekly」があれば、商業誌定価千円の「俳句」の定期購読なんてもう要らない」ぐらいは言ってほしい。(櫂さん。あんまり気にしないでね。なんで遠慮無くいってください、私もう言うから。笑)「俳句空間—豈—weekly」も「俳句空間—豈」もこれからますます重要になるだろう。
短時間にこういうレイアウト、コーディネートが果たせるのも、ネットと、その活用法に熟達している東京の豈同人のおかげなのである。関西の若手は、物慣れ図、用心深くおとなしい。だが、大阪は西鶴を出した、したたかな壇林俳諧の土地であるからして、考えてみれば、原「豈」のルーツでもある。
●
ともかくやってくれるなら、「短く、毎週。誤入力や変換ミスのないように」とれおな氏のアドバイス。しばしば、その希望をうらぎってすみません。
コメントでは、少人数だと。そこいらがギンギランとしてしまうのである。いくら私でも、きまりわるい。もっといろんなヒトが気軽に出された文章へ感想をのべられたら、めだたなくなりそうである。いかがだろう。読者諸氏。更に、少々、もっと気楽に質問でも何でも投稿したらいかがなものか。これが案外気後れして(?!)入りにくいのであるが。
本誌主役の二人の書き方については、いうことなし。中村安伸今回は久々、これでいい。
独特の粘着的思考がたのしい。
高山れおなは、職業柄ということもあるのか、すごい散文家の登場。当方舌を巻いている。後世恐るべし処のことではない。
弱音を吐かないで、つづけていただきたいと切に願う吟であります。
まあ、長くなるから、このへんでやめておく。一応終わり。
堀本吟様
長大なるコメント、有難うございます。
貴文最後のところ、「弱音をはかないで」云々ですが、拙文末尾あたりの記述に関してのご発言かと存じませんが、これは弱音というより事実を述べたまでで、五年、十年続けるならそれに適した形態があるのは最初からわかっていたことです。当ブログはそういう形にはそもそもしておりません。どちらにせよ、「俳人ファイル」が百編になるのは見たいと申しておるわけで、まだしばらく時間はあります。その時はその時で考えましょう。
れおな様
拝復。このサイト上で、同人誌 「俳句空間ー豈」が 「俳句空間ー豈」及び「俳句空間—豈—weekly」として、変わろうとしているのでしょう。個々の内容の孕む問題提起も重要なのですけれど、ワンオブゼムの「豈」同人が、ここは、どういう場であるのか、という考えを深め(公開の場での様々な議論によって)ところが、私の大きな関心事でもあります。「俳句空間—豈」の新機軸であるというのはそう言う意味です・紙媒体は要らないとかそういう野次馬的理解にはおわらない、現代俳句のメディアの問題です。
「俳句空間—豈—weekly」のが、「俳句空間—豈」の新機軸というのはそう言う認識から申し上げています。
これについては、ぜひじっくり意見交換がしたいものです。では、又、堀本 吟
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