高谷宗敏『高谷宗敏百句私鈔』
・・・関 悦史
今回取り上げるのは以前住んでいた土地の図書館にたまたまあったもので、『高谷宗敏百句私鈔』(神谷書房・1985年)という。
著者高谷宗敏(たかたに・むねとし)は、1912年兵庫県生、1954年 「天狼」入会(72年退会)、1974年磯貝碧蹄館主宰「握手」創刊に際し同人参加という略歴の持ち主、もし存命ならば97歳ということになる(ウェブで検索してみてもその後の情報は特に出てこない)。
奥付によると著者の住まいが図書館と同じ区内、すぐ近所だったので、自費で出したものを著者当人か身近な人が図書館に寄贈したものと思われる。
どこの土地の図書館にもその地の俳句愛好者が自費で出した句集というのは必ず入っているものなのだろうがこれはどうも毛色が違って、風景や動植物の写生も人事句もなくごく審美的な作風。ここから20~30句ほど抜粋する。
中也忌のフォークで崩すケーキの薔薇
文学者・芸術家の忌日の句が異様に多く、全100句の中に22句もある。このことはそのままこの句集の志向(及びその限界)を物語っている。
この句の場合良い意味で古色のついた清潔な詩情があるが、中原中也の捉え方がやや引っかかる。この「中也」は無闇に喧嘩をふっかけて友人たちを困らせていた中也でもなければ、俗謡的な口承性でポピュラリティを獲得した中也の詩そのものでもなく、例の有名な肖像写真、元は横を向いていたはずの瞳の位置が正面に移され、さらには大きくハイライトを入れるという修整を施されて「永遠の少年」にされてしまったあのイメージとしての中也である。「チューヤキ」「フォーク」「ケーキ」と長音+K音のリフレインで読まされてはしまうが、忌日ではないもののやはり他者の文学作品を扱った句に「昼三日月《未来のイヴ》を擁く刻」というのもあり、この辺りになるといささか危うい。
読んだ人間がどれだけいるかわからない『未来のイヴ』の固有名詞がいけないというのではない。それだけならば「リラダンすら読んでいないのか」と言っておけば(少なくとも《大きな物語》=「この程度のことは常識として弁えておくべきだという共有化の圧力」が失せる前の時代であれば)済んだ話だ。儚げな「昼」の「三日月」も、人造人間の美女をめぐるあり得べくもない奇跡の顕現を描いた小説の暗喩としては適切なのだが、この句が問題なのはまさにそのことにより、句全体が『未来のイヴ』を句材として突き放してもいなければ、批評的な創見を披瀝しているわけでもなく、「この作品を私は愛する(だからあなたも愛するべきだ)」というメッセージのみを押し付ける言説になってしまっていることである。美しいイメージに凭れきり、それを美しいものとして提示することが、句をそっくりヌケの悪い自己愛の塊へと化させ、地べたに落下させてしまうという今でもよく見かける事態に接近してしまっている。
下駄はいて天使かけくる労働祭
こちらは暮らしに密着した「下駄」「労働祭」との対照によって「天使」がうまく受肉した句で、駆けてくるのは普通の子供だろうが、それが「天使」になるあたり、著者の年齢から来る時代的アリバイにも拠るとはいえ、戦災後の浮浪児にイエスのイメージが重なる石川淳の「焼跡のイエス」や、イタリアのネオリアリズモ映画のような味わいを帯びる。
毒蛇と青年が発つ冒険旅行
枯十方少年の日の《瞞し舟》
曼珠沙華相思の指をからませて
懐手我との永遠の訣れ見ゆ
去年今年白い飛脚が消えてゆく
ガラス器のやうな疎外の富士である
優曇華や人間神を創りけり
ヴァレリー忌金の秒針疾走す
火の獣千疋隠し大枯野
悲しみの智慧の木智慧の木芽が濡れて
甲胄の口中昏い沖がある
いなびかり寡婦の前後に跳粱す
海に消ゆインク一滴十二月
秋の暮佐伯の《壁》に鬼棲めり
「枯十方少年の日の《瞞し舟》」や「去年今年白い飛脚が消えてゆく」からこの作者の時間意識がわかる。人生の時間が一方通行で後戻りのきかない、老いと死に向かって高速で過ぎ去る直線のように捉えられているのだ。過去はただ取り返しがつかないものとなってゆくばかりで、この疎外感が句の詩性の土台となる。そしてこの土台に立った句は、当然私性という檻に封じ込められやすくなる。
中で「ヴァレリー忌金の秒針疾走す」は、疾走する時間とそれを刻む秒針が永遠性を現す「金」で出来ている(金は最も安定した元素である)ということとの衝突が、ヴァレリーの文業への批評的賛辞として成功していると取れるだろうか(「金」がただの金色のことであれば何の矛盾性もなくなり、あまり面白くはない)。
一球体鏡に対し白い秋
これはモダニズム的な明快な形象性に徹し、なまの嘆きを封じたことで却って沈潜した感情と世界感覚がすっきり現われた。
漢あり五月の空へ発砲す
少年やレンズで蟻を灼き殺す
ランボオ忌左まわりの時計かな
秋風や肉を喰ひたく肉を啖ふ
桃の昼輪ゴムで男狙ひ射つ
われ死すと思へず闇の青螢
鈎呑んで寒鯉しずむ誕生日
いかのぼり地上に伏して紙と竹
地獄花舌下に溶かすニトロ錠
オメデタウトイヘナイ患者タチノ元朝
小春風よび演技派のE看護婦
この三句、入院中のものらしい(計算してみるとこの句集が出たとき、著者は73歳)。
針千本泉の底にビュッフェ展
ふわふわと歩道橋ゆれ西鶴忌
どろどろと木の橋わたる敗戦忌
肋より芒いつぽんシーレの忌
ビュッフェやシーレの句には、絵画作品の言語への置き換えを通して画家の内面に手を伸ばそうとしている気配があるが、《私》の枠は揺るぎもしなければ無化されもしない。「忌」の多用は他者や生成変化といった要素の欠落と表裏一体か。
審美的な句には審美的な句の月並みさというものもあり、そういうものは普通の入門書ではあまり触れられもしないせいか、作っている間、当人はなかなか気づきにくい。
最初はもっと褒めるつもりでこの句集を見返してみたのだが批判的なコメントが多くなってしまい、何をやっているやらわからなくなってきた。
2 件のコメント:
関悦史様
貴文、最後の述懐、身につまされます。
100句のうち22句も忌日句があるというのは、おっしゃる通り、もうそれだけである種の傾向性がわかりますよね。小生も俳句を作りはじめた頃は、忌日の句が多うございました。言うまでもなく、知識で作れるから、作り易いから。その後、ほとんど作らなくなったのは、さすがに少しは成長したのでしょうか。
高谷氏は、そうとうのベテラン、そうとうの高齢で忌日俳句の易きについたことになりますね。このナイーブさは駄目なんだけど、しかし憎めなくはあります。好きに書いたということでしょう。
高山れおな様
そうなのですよ、憎めない。
私も忌日の句はさすがに今そんなに作りませんが、人名は結構使うものでなおのこと、ここで止まってしまってはいかんのではないかと思いつつ久しぶりに再読してしまいました。
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