虚子と重信その他、断章風に
・・・高山れおな
「鷹」 二〇〇九年五月号「俳壇の諸作」というコーナーで、磐井師匠の
三色菫や風紀乱るるわが母校
⇒「三色菫」に「パンジー」とルビ
という句が紹介されている。「俳句」誌二月号の発表句である。執筆は、先ごろ第一句集『蝶生る』で俳人協会新人賞を受賞した辻内京子さん。〈「風紀」という言葉の登場に少し驚いた。俳句の領域にアプローチしにくい言葉の斡旋に新鮮な印象を覚えて気になった句である。〉とのことだ。
久しぶりに母校を訪ねたのか、風紀が乱れているらしき母校の様子を憂える作者。この「三色菫」は、花壇の片隅で母校の様子をひっそり観察している作者自身ではないか、と想像したくなる。母校の花壇にパンジーが咲いていた、という単なる取り合わせではないのだ。やはり季語は俳句のキーワードである。
まじめな女の人らしい鑑賞であろう。しかし、評者は二〇〇パーセントの確信をもって言うが、この作者に限って、母校の風紀の乱れを憂えるなどということはありえない。「風紀」といえば「乱れる」と付くに決まっているわけで、要するに紋切り型を逆手(順手かもしれぬ)に取って遊んでいるだけのおふざけの句である。しかし、おふざけの句をまじめに読んで貰うというのは、おふざけ作者の最も願いとするところであるし、とりわけ「花壇の片隅」に「ひっそり」と配していただくなどとは、作者としても望外のしあわせと推察する。
「かいぶつ句集」 第四十六号 二〇〇九年四月
八木忠栄とか蜷川有紀とか榎本バソン了壱といった人たちが出している趣味性の強い雑誌。「酔う俳句」を特集している。「酔い」について詠んだ句をメンバーがそれぞれ一句鑑賞している。中で、安井浩司の
心字池ほとりに花蜂酔死して
について、阿部嘉昭という人が書いている。
心の字をかたどった「心字池」は、古河庭園などよりも大宰府天満宮のものだろうとおもうが、ここでは限定しないほうがよい気もする。「酔死」が「酔生夢死」の圧縮だろう。この花蜂の死が、花によるのか心によるのか、あるいは神社の神によるのか渾然とするのが句のひかりだ。この蜂=安井浩司はやはり酒好きなのだろうか。
「古河庭園などよりも大宰府天満宮のものだろうとおもうが」がずいぶん唐突で、意味がよく取れないが、「この花蜂の死が、花によるのか心によるのか」は素敵な鑑賞だと思う。花蜂さえも心に酔うということがあり得るというのが、安井浩司的天地のスリルである。
「俳句」平成21年5月号
特別作品五十句が小澤實で、特別作品二十一句が櫂未知子と岸本尚毅。どこかで見た顔ぶれだと思ったら、例の昭和三十年世代俳人の方々だった。小澤の
香水杓にさしだす掌掌掌われの掌も
⇒「香水杓」に「こうずいじやく」とルビ
が面白いのではないか。東大寺二月堂のお水取りでの句らしい。
大特集は、「句会で作句力を磨く」で、高橋睦郎・中原道夫・片山由美子のお三方が「句会の可能性」のタイトルで座談会。他に十人が、句会をテーマにした短文を寄せている。鼎談も短文も読みでがあるが、鼎談冒頭で片山が、〈句会離れということも聞かれる昨今ですが〉と発言しているのに虚を突かれた。句会が嫌いなのは自分だけで、みんな句会が好きでたまらないものだとばかり思っていたのだが、そうでもないのか。三日見ぬ間の桜かなとやらで、世の中の流れが変わりつつあるのであろうか。
今年の合評鼎談は、本井英と今井聖と髙田正子だが、今井vs.本井・髙田の対立に、毎度はらはらさせられて大変結構である。今号では、「俳句」三月号の作品が俎上に乗っていて、ヴァーサスな山場はふたつ。まず、黒田杏子の特別作品五十句「雛の間」をめぐって、今井がその過剰な挨拶性を批判しているところで、
俳句というものの本意を挨拶性と捉えるということも一つあるわけですが、一方で、俳人は力が衰弱してくると挨拶を口実に作る。(中略)自分の方法の開拓と実践に疲弊したとき、あるいはその緊張に耐えられなくなったとき、えてして俳人は「挨拶」を持ち出す。
というのはけだし正論。穂村弘は、これは短歌のことであるが、一般に加齢によって表現の関心が「驚異(ワンダー)」から「共感」へとシフトしてゆくとこのごろ言っているようだ。俳句の業界用語では「共感」は「挨拶」になるであろう。それにしても杏子氏、
お年玉はがき三笠宮よりの
などという句をおおやけに披露するのは、人脈自慢と申しますか、端的に俗物に見えかねない気がするのであるが、そこんとこはどうなのであろう。あるいは嫌味と思われるリスクを取りつつ、別格感を演出する狙いとか。まあ、虚子なんかも権門勢家が大好きだったわけだから、ある意味、俳人として正統的な態度なのかもしれんが。
もうひとつの山場は、「俊英7句」欄の松本てふこの「バター」という作品についてで、
今井 私は、あっけらかんと、ちょっと可愛い、ではダメだと思うのです。
本井 どこに書いてあるんですか、そんなこと。
といったあたりにぐっときた。
何か表白したい強烈なものがない限り、やる必要がないんです、文芸なんて。大袈裟に言うとデモーニッシュなものがないんだったら、なぜ、自己表現をするんですか、何のために、という感じがするんです。ここに何か、松本てふこさんの人生のどろどろ、垢、生きていくエネルギーみたいなものが反映されないと。
と、引き続き今井節全開。なんというか、“的外れな正論”という感じが味わい深い。
小特集「いま、高柳重信を読む」は、『高柳重信読本』に連動した企画で、池田澄子、澤好摩、鳥居真里子、藤原龍一郎、小西昭夫、岡田耕治、冨田拓也、佐藤文香の八人がエッセイを寄せている。どれもちゃんとした文章だと思うが、中でも佐藤の「さよなら高柳重信」に感心した。重信没後生まれの世代が重信を読む場合にどういう形がありえるかを、公式論に陥ることなく、自分に引きつけて書ききっている。間違いなく、自分の言葉を持っている人だ。
『高柳重信読本』 「俳句」編集部編 平成二十一年三月二十日 角川学芸出版
『高柳重信読本』に続いて同じような体裁の『高浜虚子の世界』も出て、作家としての位置づけはもちろん、本としての編集の仕方がこれまた対照的なのも印象的だ。重信の方は高柳自身の作品や文章を中心に編まれているのに対し、虚子の方は数十名の論者による書き下ろしの評論やエッセイを集めたもので、虚子自身の文章はひとつもなく、俳句作品も各論者が引用した以外には収録されていない。虚子の句集や評論が岩波文庫で簡単に読めるのに対して、重信の作品が入手困難なことから、まずは廉価なテキストの提供をと考えたということであろうか。もっとも入手困難といってもあくまで虚子に比べればの話であって、沖積舎の全句集も生きているし、その他の本も探せば見つけるのはそんなに難しいわけではないと思うが。
俳句作品については、『前略十年』『蕗子』から『山川蝉夫句集』「山川蝉夫句集以後」までを収めており、事実上の全句集になっている。本体二〇〇〇円という値段を考えるとたいへんおトクであるには違いないものの、全句集としてはやや難がある。重信といえば多行俳句であり、俳句が数行にわたるわけであるが、この読本では一句の中で段が分かれたり、頁を跨いだりといった現象が生じてしまっている。要するに、句を三段に割り振って追い込みにして組んでいるのである。三段組はともかく、一句が段分かれ、頁分かれになるのは感心しない。これは製作費の問題とも絡んでくるわけであるが、貴重な出版であるだけに、もうひといき頑張れなかったものであろうか。つらいところだ。
採録された重信の随筆類には、直接初出誌紙から拾われた珍しいものが含まれているようだ。また、書き下ろしの寄稿は、加藤郁乎、高橋睦郎、佐々木幸綱、小林恭二、和田悟朗、高橋龍、宇多喜代子、川名大、坪内稔典、高柳美知子、井辻朱美、林桂、高山れおな、神野紗希、高柳蕗子の十五名で、先述の「俳句」誌の小特集の場合同様、みなちゃんとした文章のように思う(こんな言い方をするのも、俳句の本でちゃんとした文章を十五本並べるのが大変だからだが)。中でも、重信とは年の離れた妹である高柳美知子さんの「兄恋いの記」と題された文章は、全く思いがけない重信の姿に感銘。しかし、それに劣らず心に残るのは、(S)のイニシャルで記された「編集後記」で、元「俳句」誌編集長で、本書編集の実務を担当した鈴木豊一氏の手になるのであろうが、この種の文章としては稀に見る温度の高いものになっている。
かつて「俳句」の別冊として『現代俳句辞典』を企画した折、「俳句研究」の編集長だった高柳氏は全面的な協力を惜しまず、特に新興俳句関連の立項や執筆者選定など、多くの助言をいただいた。公正無視の姿勢に感銘したことを憶えている。また、「俳句」編集を離れるとき、俳句文学館の地下室で行われた有志の会に出席した氏は、「浅沼稲次郎が党首立会い演説会で凶刃に倒れたとき、国会の追悼演説は総理大臣池田勇人の感動的なものだった。今夜あなたへの追悼演説はぼくがすべきであった」と言った。含羞の笑顔が瞼にやきついている。俳句への礼節と来者への畏敬を忘れなかった先駆者の光が、うすぐらい俳句の道を照らしてくれるだろう。
『高浜虚子の世界』 「俳句」編集部編 平成二十一年四月二十日 角川学芸出版
辻井喬、岡井隆、稲畑汀子といったお歴々の「巻頭随筆」にはじまって、坪内稔典、仁平勝、筑紫磐井らによる長めの論考、俳人・歌人・詩人四十八名による「アンケート・私の虚子」まで、この種のムック本としての定石を踏んだ手堅い作りになっている。個人的には、虚子生前(といってももちろん晩年だが)を知る十二人による「忘れえぬ一句」というエッセイの欄にことにひかれた。その中で、二人の人が〈明易や花鳥諷詠南無阿弥陀〉という句について触れているのは、虚子の俳句理念の端的な表明になっているからだろうが、正反対の証言になっているのは興味深い。まず、茂恵一郎氏は、
神野寺での稽古会二日目の朝であったか、かの有名な虚子の句、
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀
に出逢った。句会では、多くの人の選に入り、繰り返し疲れるほどに虚子先生が名乗られた。
と記している。対するに、安原葉氏の述べるところはこうだ。
虚子の面影といえば、すぐ思い出すのが夏稽古会(夏行)である。そしてまず、思い出される句といえばこの一句である。
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀
(中略)稽古会では何れの句会でも若人の中にあって老境の虚子はいつも互選の最高点であった。当然のことといえば当然のことかも知れないが、それは作品として優れていることは勿論のことながら、虚子でなければ詠めないと明らかに分かる句もあったからではなかろうか。掲句もまた、一読して虚子以外の人には詠み得ない句であることが判然としていた。にもかかわらず七月十九日の稽古会第四回目の句会では、掲句を選んだ人が僅少であったことが指摘されている。
どっちでもいいような話ではあるが、どっちが真実なのであろうか。
注目すべきは、深見けん二、今井千鶴子、本井英、小澤實の四氏に拠る座談会「大いなる虚子、その人と文学」で、虚子に深く親炙した深見・今井、生前は知らないが虚子をよく勉強している本井、秋桜子系で虚子との接点が少ない小澤という、それぞれの役どころがうまく噛みあって、内容豊かなものになっている。
偉いなと思うのは、その後、何十年か、お酒を口になさらない。大正後半から、いわゆる花鳥諷詠論が成立するあたり、新興俳句と渡り合う時代、一滴も飲んでいらっしゃらない。
というのは酒飲みらしい本井のちょっと妙な発言であるが、しかし酒を飲まずに新興俳句と戦っていたというのは生々しくてよいなあ。もっとも、深見・今井によれば、最晩年の虚子は昼酒を軽くたしなんだということだから、「一滴も飲んでいらっしゃらない」というのは本当なのだろうか。
それにしても深見けん二という人は、大正十一年生まれだから、かの大正十年前後生まれグループの一角を占めながら、作家的にはこれまでごく地味な印象できているのに、このところ虚子の語り部として存在感を増しているのは人生いろいろ感深し。ふらんす堂文庫の『折にふれて』(二〇〇七年)も良い本であったが、この座談会でも、
目の前に見ているものでも、題詠で作るときでも、季題と心が一つになっていくという過程を客観写生と言っている、いつも「俳話」でそう言っているんですけれど、これが虚子の俳句の醍醐味ではないか。
とか、凄いことをポンポン言っている。
題詠の一つの詠み方としての写生があると考えてよろしいですか。
という小澤實の問いに答えても、
私はそう思っています。「俳話」を読んでみると、そうなっていると思います。
と即答している。ちなみに座談会出席者四名の虚子十句選が掲げられているが、小澤の選んだ中に、
食ひかけの林檎をハンドバッグに入れ (昭和二十四年)
という句があって、まるっきり「澤」の俳句みたいなのが可笑しかった。
(*)「鷹」及び「かいぶつ句集」は、編集部より贈呈を受けました。記して感謝します。
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